<25・Trauma>

 十歳までは、カレンも普通の子供だった。

 両性具有の子供は珍しいが、それでもまったくいないわけじゃないし社会的にも存在は認知されている。会社や学校にきちんと“外見上の性別”と“実際の性別”の両方を提出しておけば問題ない。実は、自分の従姉にも両性具有で、外見上はどう見ても女性でありながら実際は両性の身体だった。多分、遺伝的にそういうものが出現しやすい理由があったのだろう。

 従姉はカレンよりも、十五歳も年が離れていた。だからカレンよりずっと人生経験豊富だったし、両性ゆえの苦労を語ることも少なくなかった。


『私は見た目は完全に女だからさ。自分でカミングアウトしないと、両性だってバレないことが多いわけ。……結構この体は苦労が多いんだけど、それをわかってもらえないことも少なくなくてさ』


 後で聞いた話。彼女は、男性と長続きしないことで悩んでいた。両性と一言で言ってもいろいろある。基本的にはバイセクシャルとされているが、彼女のように限りなく趣味趣向が女性寄りで、恋愛対象が男性に限定されてるケースもないわけではない。

 ゆえに、彼女は自分の体を厭わしく思っていたようであり、同時に男性と付き合うときの苦悩も少なくなかったようだ。具体的には――ベッドの上に上がってから、無理、と断られることが少なくなかったという。つまり、男性のものもくっついている女と寝られない、というやつだ。


『それも含めて私だって……私自身もあんま、受け止めきれてないっていうか。だから、きっとアンタも苦労すると思うのよ、カレン。アンタは私とは逆バージョンだけど、結局悩みとしては同じようなもんだしさ。ましてや、アンタは私よりずっと美人だから、正直心配してる』


 まだ幼いカレンの髪を撫でて、従姉はぎこちなく笑った。


『だから、さ。困ったこととか言ったら、私に相談してよ。多分、私にしかわからないことがたくさんあると思うから』


 それから、程なくしてのこと。

 学校の帰りに、カレンが変質者に襲われて性的暴行を受けたのは。滅茶苦茶にされて、傷だらけで叢に転がっているところを通行人に発見され。結果、事実は派手に明るみに出てしまったのだった。

 カレンの両親は、けしてカレンに対して冷たい人ではなかった。愛してくれているのもわかっていた。ただ、カレンが外見上は少年に見えることによって、大きな誤解を招いたのも事実だ。何故なら、母は泣きながらはっきり言ったのだから。


『どうしてもっとちゃんと抵抗しなかったの!カレンは“男の子”でしょう!?もし、もし赤ちゃんでもできてたらどうすればいいの、貴方はうちの跡取りなのに……!』


 彼女に悪気がなかったのはわかっている。でもその言葉が、カレンの心にトドメを刺してしまった。

 確かに自分は、外見と精神的には男性寄りだった。しかし、もし両性ではなく完全な少年だったところで、大人の男を相手に抵抗できたと本気で思っているのか。力づくで押さえつけられ、殴られ、しまいに刃物で脅された状態でどうやって逃げろというのだろう。

 しかし、そうやって自分の主張を真っ直ぐにぶつけられるだけの気力は、すでにカレンにはなく。頭の中でぐるぐると、“抵抗しなかった自分が悪い”という言葉が回るばかりとなったのだ。ああ、そういえば襲ってきた男も言っていた――お前もこういう気持ち良いことが好きなんだろ、と。実際は、気持ちの良いことなんか微塵もなくて、ひき裂かれるばかりの痛みしかなかったけれど。


――私は、“ああいうこと”が好きなのかな。だから、“抵抗しなかったのかな”。


 あれが気持ちよくなれば、自分は毎晩のように見る悪夢から逃れられるのだろうか。

 カレンは愚かな荒療治を行った。運良く子供はできなかったが、生理が来ていたことを考えるとかなり危険なことを繰り返したように思う。学校の友達、近所の人、色んな人に頼んで“抱いて”もらった。中学生になってからは女性とも経験した。繰り返せば繰り返すほど“慣れて”、痛みが鈍くなっていく自分を感じていた。――表向きの優等生の仮面さえ守っていれば、それでいいと思ったのに。

 ある日、誰かが口を滑らせたらしい。カレン・フレイヤは快楽のためには男とも女とも見境なく寝る淫売だと。多くの者達はカレンの表の顔を信じてそんな噂など一笑に付したが、ごく一部の者達が面白がって吹聴した。その中にはカレンと関係を持ったのに恋仲になれなかった者や、単純にカレンの容色に嫉妬した者も含まれていたことだろう。


――今更、何を言われたってどうでもいい。何も犯罪行為に走ってるわけじゃない。お互い合意の上で関係を結んでいるだけなんだから。


 ただ、自分の身近な人間が余計な風評被害を受けないように、クラスの者達とも距離を取るように心がけるようになったのは事実だ。少し親しくしただけで、“あいつもセフレに違いない”と言ってくる輩がいるのを知っていたがために。

 そう、もはや傷つくことも何もない、満たされることだって永遠にないと、そう思っていたのに。





『その、男タラシで女タラシらしい、って話?私は、そんなの信じてないよ。カレンくらいイケメンだったら、嫉妬してそういう噂を流す奴がいるくらい当然だ。人を貶めるために、そういう話を言い出す奴の方がずっと最低だろ。名誉棄損だ』




 ジャクリーン――否、カナタは本気で、カレンのために怒ってくれた。ろくに話したこともないというのに。それどころか、夏休み前までのジャクリーンは平然と“性的に乱れた気持ち悪い方と同じクラスだなんて反吐が出ますわ、さっさと退学になってくださらないかしらね!”なんてこれみよがしに自分の前で言ってくるような女だったというのに。

 いや本当に、むしろここまで真逆の性格でよく誤魔化せると思ったものだ。クラスメイト達の大半が疑ってなさそうなのが本当に驚きである。

 そして。




『痛かったろ』

『え』

『痛かったよな。体以上に、心が』




 カナタは、カレンのために泣いてくれた。

 無論、その涙で完全に絆されたわけではない。それでもカレンとしては――それだけで、救われたような気がしてしまったのだ。

 まだ自分のような人間のために、泣いてくれる人がいたのだと。こんな心の綺麗な人間がまだこの世界にいたのかと。


「……マジでごめん。情けない」


 カナタは、カレンから借りたハンカチで目元を拭いながら、ぐすぐすと鼻を鳴らして言った。


「その、ほんとごめんな。何も知らなくて」

「気にしなくていい。そもそも、誰にも語ったことのない話だ。ある意味自業自得だしな」

「んなわけあるか、一番悪いのはどう見ても小さな時のお前を襲ったやつだろ。そいつちゃんと逮捕されたかよ。俺だったらチン●ねじ切ってタマ踏みつぶして顔ぐしゃぐしゃにして殴ってやるけどな。小学生に手を出すような変態なんか去勢されちまえばいいんだコノヤロー」

「その綺麗な顔で品がないことを言われるとギャップが凄いな。……その気持ちは、ありがたく受け取っておく。変態は滅ぶべし、だな」

「おう。ほんと、マジで滅べ」


 はは、と少しだけカナタの顔に笑顔が戻った。ハンカチは洗って返すな、と言う少女の顔の少年。きっと、この世界に来る前から正義感が強くて感受性が高い、そんな苦労の多い性格だったのだろう。


「この流れで言うのもなんだが、相談がある。騎士のことだ」


 最初から、そのつもりだったわけではなかった。正直、カレン自身は仕える姫を決めなければならないことにものすごく気が進まなかったというのが大きい。

 実際は対等な関係とはいえ、大義名分の上では魔女である姫に、魔導騎士である男子たちが仕えるという形態を取る。あとで契約破棄もできるとはいえ、基本はそれで一蓮托生になるわけだ。人に対して不信感の強いカレンである。果たしてそこまで信頼できる生徒に巡りあうことができるだろうかという不安はあった。自分が近づくことで、相手に迷惑をかけることがわかっているなら尚更である。

 少なくとも、本物のジャクリーンのような人間と運命を結びたいとは思えない。騎士のことを奴隷や駒としか見てない相手に、おのれの未来を預けるほど愚かではないからだ。実際、同じ理由で彼女は忌避され続けてきたのだろう。クラスでも随一の、素晴らしい魔力とスキルの持ち主であったにも関わらず。


「カナタ。私の姫になってくれるつもりはないか」

「え」

「既に騎士は二人いるだろう?三人目が要らないというなら、無理強いはしないが」

「い、いや」


 カナタはぶんぶんと首を横に振った。


「め。めちゃくちゃありがたいけど!で、でも何で急に?まともに喋ったの、今日が初めてなのに」

「それを言ったら、初めて喋ったその日にルイスは君の騎士になったのではないのか?」

「あ、いやそれはそうだけども」


 カナタにとっては“何で急に?”なんだろう。本人は、何も特別なことをしたつもりなどないのだ。ただ、あるがままに動いて、あるがままに想いを伝えてきたにすぎない。今までもこれからも、きっとそうやって生きていくのだろう、彼は。

 だから、きっと気づかないのだ。彼のちょっとした言動で、たった今心の底から救われた人間がいたことなど。


「君がいいと思ったんだ。安心しろ、ルイスから君を奪い取ろうと思っているわけじゃない。リンジーとも。ビジネスライクでいい。どうだ?」

「リンジー、も?」


 ああ、これは気がついてない。カレンは少しだけリンジーが気の毒になった。どうやらルイスの好意には気づいても、リンジーからも好意を向けられてる事実にはまったく気づいていないらしい。まったく、恋とは難解で、厄介なものである。


「君が元の世界に帰るまででいい。共に戦わせてほしい。全て、覚悟の上だ」


 ひょっとしたら、たった今始まったかもしれない恋に蓋をして、カレンは笑ってみせた。カナタは少しだけ戸惑った様子を見せたものの、やがて納得したように頷く。


「わかった。……そこまで覚悟してくれるってなら、何も言わない。騎士になってくれ、カレン」

「喜んで、我が姫」


 まずは、ここがスタート地点だろう。友達としても、騎士としても、それ以外としても。カレンは忠誠の意志を持って、カナタの手の甲にキスを落としたのだった。

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