<24・Think>

 学生の身である以上、やらなければいけないことは多い。学業もその一つ。ルイスのことは気になってしょうがなかったし、同時に自分自身の気持ちを見つめ合う時間も欲しかったが、時間は止まってはくれないのだ。

 午後の授業のうちの一つは、体育。ただし、今日はリレーやダンスの話し合いのため、教室での話し合いに時間が使われていた。


「タイム的には、リレーのアンカーはジャクリーンさんにお願いするのが妥当だと思いますが、皆さんどうでしょうか?ジャクリーンさんも、問題はない?」

「あ、は、はい!」


 上の空だったところを先生に話しかけられ、慌てて答える彼方。未だに、ジャクリーンと呼ばれた時に反応できない時があるのはなんとかしたい。まあ、今返事が遅れたのはそれだけが理由ではないのだけれど。

 リレーのメンバーの中には、ルイスとカレンの名前もある、ちらりと振りかえればリンジーが“頑張ってくださいね!”とにこにこ笑っている。なんだか部活の後輩を思い出して可愛い。いや、実際リンジーは同年齢のはずなのだが、なんとなく弟みがあるのだ。小さくて童顔で可愛げがあるからだろうが。


――集中しないと。体育祭は、みんなが一丸となるイベントだし。もちろん、リレー以外にもいろいろ競技はあるんだけど。


 うちのクラスで練習するべきは、クラス代表が出場するリレーと、全員でのダンス、それからムカデ競争である。なんでムカデ競争は異世界でもあるんだ、と突っ込んではいけない。未だにこの世界の文化がよくわからないと思う彼方である。建物だの馬車だのは一昔前のヨーロッパぽいのに、授業形態は現代日本の形にだいぶ近いからだ。まるで、現代日本のラノベ作家が考えた魔法学校、といったかんじである。――異世界から人を連れてくる魔法があるならば、異世界そのものを作る魔法使いがいないとも言い切れない。此処が、誰かが作った箱庭の中という可能性さえ否定できないのが恐ろしい。


――体育祭とか、ちゃんと学校のこともやりつつ、騎士集めもしつつ……いや、騎士はもう二人いるから、これ以上集めなくてもいいのか?それから、ジャクリーンの真意を探りつつ、学校のシャドウステップの魔方陣の形についての調査もしつつ。……あと、あとは?そう、ルイスとの接し方についてと……ああ、リンジーには本当のこと言ってないままだからそれでいいのか、とか。


 どうしよう。

 考える事が多すぎて、頭がパンクしそうだ。


――うう、俺、頭脳労働そんなに得意じゃないってのにい……!


 その場につっぷしたいのを、ギリギリで堪えていた。――まるで探るような、カレンの視線を感じながらも。




 ***




「とりあえず、手分けして敷地の調査しようぜ。この学校広い。めっちゃ広い。かなり頑張らないときつい。夕方からシャドウステップは出るって話だから、テニス部以外からも目撃情報が出ないかをまず調査しないと」

「俺様はどこ調べればいいんだ?」

「僕は?」

「ルイスは裏門の方、リンジーは正門の方。私はテニスコートの反対側……サッカーゴールの近辺かな、やっぱ」

「了解」


 放課後、ルイスとリンジーにも聴きこみ調査をお願いすることにした。とりあえず、学校の敷地の“四方”を埋めれば、大よその全体像は見えてくるはずである。もちろん、魔力測定器を持っていくことは忘れない。シャドウステップ本体に今遭遇できなかったり、あるいはその目撃情報が出なかったとしても、強い魔力が検知できたポイントをメモしておけば何かわかることはあるはずだ。


「ジャクリーン」

「!」


 下駄箱を出ようとしていたたところで、カレンに声をかけられた。その手には彼方が借りてきたものと同じ、魔力測定器がある。


「手伝おう。魔法に関しては、どうしても君は分からないことが多いだろう?」

「ありがとう、助かる」

「いい。元々私が調べていたことだしな」


 実際、彼方では何か記録できたところで、その意味を図ることは難しいという場合もある。ここでカレンが手を貸してくれるなら助かるというものだ。


「ところで、ルイスは何と言っていた?」


 靴を履き替えていると、カレンは唐突に爆弾を落としてきた。


「昼休み。屋上で、告白されたのではないのか?」

「あぐっ!?」

「……君は本当にわかりやすいな。そして嘘をつくのが下手だと良く言われるだろう?午後の授業は露骨に上の空だったし、何かをずっと考え込んでいた様子じゃないか」

「あ、あう……」


 そんなにわかりやすかっただろうか、自分は。彼方は思わずその場でしゃがみこんでしまう。穴があったら入りたい、とはまさにこのことだ。


「……男同士だから迷っているのか?」


 見上げるカレンは、心底不思議な顔をしている。そういえば、彼は男性に見えるが実際は両性だったのだっけ、と思い出した。噂が事実かどうかはともかくとして、男性とも女性とも付き合えるという点はきっと本当なのだろう。同性愛、異性愛という概念が生まれつきなくてもおかしくはない。


「それもなくはないけど、それだけでもないよ。だって俺、まともに恋愛したことないし」

「初恋もしたことないと?」

「うん。というか、恋愛と友情の境界線がよくわかんないっていうの?可愛いなー素敵だなーって思うことはあるけどそれが恋愛感情かわからないっていうか。そこに、無理に線引きする必要あるのかなって」


 靴を履いて、立ち上がる。てとてとと校舎の裏へ歩いて行こうとした。単純に近道だったからである。


「無理にキスだのセックスだのって考えなくてもいいじゃん。相手のことが好きで、相手と一緒に楽しいなら、友達でも恋人でもいいって。……思ってたんだけど、そういう考え方はレアなのかな。それとも、俺がまだガキなだけなのかなんなのか……」


 秘密がバレてしまった相手だと、正直話すのも気楽ではある。苦笑いしながら振り返った、まさにその時だった。


「じゃあ」


 え、と思った瞬間。カレンに右手首を掴まれて、校舎の壁に押しつけられていた。


「じゃあ君は、恋愛もしたことないし、当然セックスもしたことないわけか」

「へ」


 待って、と彼方は冷や汗をかく。この構図は見覚えがある。一番最初に、ルイスに責められた時と同じ。何で、男の身なのに二度目の壁ドンなんて経験しなければいけないのだろう。

 しかも、ルイスの時とは違う。カレンの方は、明らかに目が面白がっている。“ジャクリーン”を責めたいという目ではなく、“彼方”に興味を持っているという目。


「男相手で恋愛できるかどうか心配なら、私で試してみるか?一応、外見上は男性だしな。それでいて、女性のセックスもできる体だ」

「な、ななななな」

「なんなら、童貞を卒業させてやってもいいが、どうだ?」

「!?」


 一体何を言っているんだこの人は!と思わず口を金魚のようにぱくぱくさせる羽目になった。目の前に、ルイスとはまったく違う端正な顔がある。ルイスよりずっと中性的で、繊細なタイプの美貌だ。睫毛が長い。長い紫の髪が、白皙の頬をさらりと流れる。エメラルドの瞳が真っ直ぐこちらを見据えて離さない。そんなつもりではなかったのに――ドキドキしてしょうがない。

 ああ、綺麗なお姉さんに無理やり迫られるって、こういう気分なんだろうか、なんて。


「だ、駄目だろ、そういうこと言っちゃ!」


 ちょっと危なくなった理性の意図を、彼の胸を押し返すことで無理やり引き戻した。


「あのなあ、カレン!ひょっとしていろんな人にそういうムーブしてたりする!?だから、その、男にも女にもだらしないって誤解されちゃうんだろ!不名誉な噂を振り撒かれたくなかったら、少しは自重しろって!」

「ジャクリーン……」

「お、お前だって十五歳だろ!俺は確かにドーテーだけども!お前も簡単に処女捨てるようなこと言うなし!い、いくらなんでも中学生でそういうのはな……!」

「とっくに処女じゃないから問題ない。童貞でもないが」


 あっさりととんでもないことを言いだすカレン。やや乱れたシャツを直しながら、彼は苦く笑った。


「処女に至っては十歳で捨てた。捨てさせられたと言うべきだが」

「え」

「噂は本当だと言っている。私は表では優等生の顔をしておきながら、本当は……情報を得るためならば、誰とだって寝るような人間だ。セックスなんて大したもんじゃない。人間、その気になれば好きでもなんでもない相手にだって平気で肌を晒せる。最初は気持ち悪いとか、嫌だと思っていたことだっていくらでも慣れることができるんだ」


 その言葉を噛み砕くまでに、時間がかかった。十歳。――さすがに、それが同意の上の行為であるとは思えなかったからだ。


「私はプライドが高い人間だった。……自分が傷ついたことも、苦しんだことも認める勇気がなかった。だから、忘れるために自分からそういうことを繰り返した。そしたら、ちゃんと慣れることができた。どうやら、私は見た目だけは“それなり”らしいからな。相手には事欠かなかったよ」


 肩を竦めるカレン。彼方は、言葉も出ない。


「欲しい情報のため、取引のためと言い訳してそういうことを繰り返せば、噂にもなろうというものだ。……つまり、君達が聞いた私のふしだらな噂というのは、全て真実なんだよ。庇ってくれたのは嬉しかったが、気にしなくていい。私はそういう人間だからな。ああ、そういう体で冗談でも君迫ったのは申し訳ないとは思うが……」

「カレン」


 気づけば、視界が滲んでいた。自分は性的なことは何もわからない。経験もない。でも、“理不尽な暴力”がどれほど恐ろしく、人の心に傷を残すのかは想像がつく。

 同時に、知識としては知っている。時に人はトラウマを誤魔化すために、それを自らの手で抉るような真似をしてしまうということを。


「痛かったろ」

「え」

「痛かったよな。体以上に、心が」


 カレンの驚いた顔に、初めて彼方は自分が泣いていることに気づいた。視界がじわじわと滲んでいく。おかしい、まだそこまで親しい相手でもない。でも、なんだろう。平気で笑うカレンを見ていたら、苦しくてたまらなくなったのだ。


「ごめん、何も知らないで、不謹慎なこと言って。……ごめんな」


 なんとなく、察した。きっと、一カ月前の夜も、そうだったのだろうと。誰かに呼びだされたのか、呼びだしたのか。そういうことを学校でしようとしていたのだと。

 正義の味方になりたい。ヒーローになりたい。ずっとそう思ってきたけれど、今この瞬間ほどそれがどれほど難しいか実感したことはなかった。

 人の心を救うというのは、簡単じゃない。ただ手を伸ばして崖の上からひっぱりあげたら、それで終わりではないのだから。


「ごめん……」


 暫く、ぐずぐずと鼻を鳴らしていた。自分でも、感情のコントロールができないままに。

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