<23・Confess>
本当に、ジャクリーンは学校に悪魔を呼びだそうとしているのだろうか。それに関しては、きちんと確認する必要があるだろう。
現状、話を聞ける立場にあるのは彼方本人だけである。問題は、あまり藪をつっつきすぎると特大の蛇が出る可能性があるということ。悲しいことだが、この彼方の生殺与奪の権利はジャクリーンが握っていると言っても過言ではないのだ。自分は彼女の機嫌を損ねて、あの屋敷を追い出されるだけでも路頭に迷う立場なのだから。
「……とりあえず」
しかし。
身の危険があるかもしれないからといって、放置しておいて良い問題ではない。先生達も気づいていて行動を起こしているかもしれないが、あれでもジャクリーンは侯爵家の娘。教員や、学校側の人間が買収されていないなんて保証はどこにもない。そもそも、状況に気づいていることと手が打てるかどうかはまったくの別だ。
「ジャクリーンに、いろいろ話を訊いてみる。まだ、あいつが悪魔を呼びだそうとしている張本人だっていう証拠はないし。カレンの証言を疑うつもりはないけど、何か別の目的があって学校に来た可能性はゼロじゃないだろ。氷属性の魔法使いだって、ジャクリーンに限ったわけでもないんだから」
「……そうだな。でも、君がそこまで危険を冒す必要があるのか?」
「え」
カレンに意外な質問をされて、彼方は眼を丸くする。どういう意味だろう?
「君は、本来この世界の人間ではない。異世界に帰ってしまえば、この世界で何が起きようと関係ないだろう……極端な言い方をすればな。君にとって一番安全なのは、これからもジャクリーンの言いなりになって影武者を演じ続けることだ。彼女が何を企んでいようと、契約通り元の世界に帰して貰える可能性があるならそうするべきとは思わないのか?確かに、ジャクリーンのことだから用済みになった君を本当に無事に帰してくれる保証があるかどうかは怪しいが」
「わかってるじゃんか。俺も、段々その保証はないかもしれないって心配になってきたところ。でも、それだけが理由じゃないぜ」
「?」
首を傾げるカレンに、彼方は言った。
「この世界に来て、不安なことばっかりでさ。右も左もわからなかったのに一カ月どうにかやってこれたのは、助けてくれる奴らがいたからなんだ。ルイスやリンジー、それから他のクラスメートたちもみんな親切にしてくれた……ジャクリーンに対していろいろ思うことがあったはずなのにな。本当に感謝してるし、正直もうみんなのことがどうでもいいなんて俺には思えないんだ」
ジャクリーンを信用していないのもあるけれど、それだけではない。
元の世界に帰りたい気持ちはあるけれど、それだけで今日まで頑張ってきたわけじゃない。
「悪魔ってやつが召喚されたらどうなる?魔法に疎い俺はてんで想像がつかないけど、どうせろくなことにはならないんだろ?だったら、止めないと。この学校にいるみんなが危ないなら無視なんかできない。そこで、平気でみんなを見捨てるようなことをしたら、それはもう俺じゃないから」
「……そうか」
カレンは、何を思ったのだろう。一つため息をついて、君はそういう人間か、と言った。
「ジャクリーンは、完全に人選を失敗したな。君のような人間に、悪役令嬢の役なんて最初からできるはずもない」
「……演技下手で悪かったな」
「褒めてるんだ、私は。そもそも君に皆が親切なのは、君が先に皆を助けたからだ。信頼を壊すのは簡単だが、積み上げるのは難しい。たった一カ月でここまで積み上げた君の手腕を、私は大いに評価する」
彼は地面に置いた手帳を拾うと、砂を払いながら立ち上がった。ここ最近は晴天が続いている。屋上の床が濡れていなかったのは僥倖だろう。
「ジャクリーンに尋ねる時は慎重に、最初は遠回しに探るくらいにしておいてくれ。君に何かあったら私も嫌だからな。それよりも前に、シャドウステップの動き方や、魔方陣の種類を調べた方が良い。それで、立てられる対策もあるだろう。恐らく、テニスコート近辺以外にもシャドウステップは出没しているはずだ」
「わかった」
「私もいろいろと調べてみる。調査系の任務は得意だからな。また何かわかったら連絡しよう。それから……」
彼は立ち去り際、少しばかり眉を下げて言った。
「さっきは、急に襲撃してすまなかったな。誤解して悪かった。君は、心の綺麗な人間だ。だから、彼のような存在にも好かれるんだろうな」
ちらり、とルイスを振りかえって言う。そのまますたすたと歩き去ってしまった。まあ、誤解が解けたようならそれは良いのだが。
――そういえば、何でカレンは一カ月前に学校にいたのか?ってのを尋ねそびれたな。忘れ物なら、何も夜中に取りに来なくてもいいだろうし……。
それに、と彼方はルイスの方を見る。心なしか、彼の頬が赤いような気がするのは気のせいだろうか。
彼のような存在にも好かれる――そうカレンに言わしめるということは、今までのルイスの態度もジャクリーンほどではないにせよだいぶアレなものだったのだろう。イケメンだが俺様だし横柄だしツンデレでわかりにくいし、で存外女の子にモテなかった可能性も大いにありうる。
ただ、何にせよ。
明らかに動揺しっぱなしのルイス。彼がもう少し“わかりにくい”タイプなら、自分も別の選択肢を考えたかもしれないのだが。
「さっきは、助けてくれてありがとな。ルイスが来てくれなかったら、誤解解けなかったかもしれないし」
それでさ、と彼方は続ける。
「訊きたいんだけど。さっきの台詞、どういう意味?」
「さ、さっきのって」
「“だから俺は好きになったんだ”っていうあれ。……友達として、って認識でいいよな?」
「…………」
これが、本当に彼方の思い過ごしならそれでいいのだ。友達としてに決まってんじゃん!だの。男同士でキモイだろ!とか笑い飛ばしてくるならそれでいい。彼がそう言うなら、それを信じようと思うし、本来ならそういう返事が来る可能性の方が高かったはずである。
でも、彼方は。ルイスの言葉の端々や態度から、まったく察することができないほど鈍いわけではない。現代日本でもそう、陸上部には結構ファンの女の子がつめかけてくることも多かったのだ。部長ということもあったし、個人でも結構良い成績を出していたので目立っていた自覚はある。女の子から、熱い視線を送られたことも一度や二度ではない。
だから、想像がつく。そもそも友愛と恋愛に、明確な線引きなんかできないのだ。友情はセックスがない恋愛と同じだ、なんて身もふたもないことを言った人さえ世の中にはいたくらいなのだから。
「……俺様は」
やがて。沈黙の後、ルイスが口にしたのはそれだった。
「ジャクリーンのことは、大嫌いだったんだ。顔は滅茶苦茶好みだけど、中身がマジで地雷っていうか。だって、人にマウント取りまくって、自分以外の奴はみんなゴミだって態度を崩さない女と仲良くなるとかムリゲーじゃん?……まあ、俺様も自分のプライド守るために必死だったのは否定しないから、わからないわけじゃなくて。だから同族嫌悪もあったつーか」
そしたらさ、と彼は続ける。
「同じ顔で。……人にちゃんと謝れて、人の気持ちがわかって、誰かを命がけて助けられるかっこいいやつが目の前に現れたわけ。気持ちがぐらっと来るのは、しょうがないだろ」
「まあ、わからないわけじゃないかな」
「な?でも、最初は、すごく興味が引かれるってだけだったんだ。だって、俺はお前が男だって知ってたし。でも、なんか……なんていうか、お前の騎士になって。お前が、みんなと打ち解けて笑うの見てたらこう、もやもやが募ることが多くなったっていうか、その」
「…………」
「こんな風に、誰かに対して思ったのは初めてなんだよ」
少年は。泣きだしそうな顔で、彼方を見た。その眼は紛れもなく、否定しようもなく――確かに恋をする者の目だった。
「男とか女とかそんなのどうでもいい。お前が好きだ。……気持ち悪くて、ごめんな」
その言葉は。彼方が思っているよりもずっとずっとずっと、勇気を伴うものだっただろう。彼方が望んで女装しているわけではないこと、恐らく性的趣向はストレートだろうということをわかった上での言葉だろうから。ましてや、本人は元々そういう趣向の人間ではなかったはずだし、自分が彼方の少女らしい見た目で勘違いしているだけなのではという葛藤もずっとあったはずである。
それでも、言うことを選んだ。彼方が言わせてしまったようなものだけど、そうだとしても。
言おうと思ったのは、大切な相手に嘘をつきたくないからだと、知った。
「……わかんないんだ」
だから、自分も嘘はつきたくない。彼方は正直に言った。
「俺、恋愛ってちゃんとしたことなくて。女の子は可愛いと思うから、女の子が好きなんだろうなってぼんやり思うくらい。でも……だからって誰かと付き合ったことがあるわけでもないし。男に好かれたらキモいとは思わないし。その上で……お前のことは大事な友達だとは思ってるし感謝もしているけど、それ以上の存在として見られるかどうかは全然わかんねえんだよ。恋愛そのものを、ちゃんと考えたことがないし」
友情と恋愛の違いも、全然わからないのだ。それは自分が子供だからなのか、それとも――大人になっても、本当ははっきりと区別できない人がたくさんいるからなのかは定かでないが。
「だから、お前の答えにイエスもノーも言えない。はっきり言って、もっと時間がないと答えが出ないよ」
「……そっか」
「ただ。俺はいずれこの世界からいなくなる。元の世界に帰るっていう強い意思がある。……男とか女とか以前の問題なんだ。そこは、忘れないでほしい。それから、お前は最終的に……アーチャー侯爵家の跡取りとかだろ?その立場もあるってことも」
彼方がそう告げると、ルイスは額に手を当てて深くため息をついた。そして。
「そういう話をするのは、卑怯だと思わねえの」
そう言った。
泣きそうな声に、胸を抉られる。自分でも狡いなと思ったところだから尚更に。
「ごめんな。……卑怯で、ごめん」
「謝るな、馬鹿」
「うん……」
もうすぐ、昼休みが終わるチャイムが鳴るとわかっていた。それでも、暫く二人はその場から動けなかったのである。
考えなければいけないことが、あまりにも多すぎたがゆえに。
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