<20・Disbelief>
またしても、考えることが増えてしまった。そういえば、半ば強制的に身代わりをさせられているにも関わらず、自分はジャクリーン本人のことをほとんど何も知らないな、と。ただ、本人の言動と態度、周囲の様子で“高慢で傲慢な悪役令嬢”みたいなイメージがあるだけである。
本当は、何かもっとあくどい秘密があるのかもしれない。
逆に実はものすごい善人でした、なんてこともあるのかもしれない。
よくよく考えれば、きちんとそれを知る努力をしないでここまで来てしまったのは非常にまずい気がする、と彼方は冷や汗を掻いた。何故なら、自分は騎士を集めて卒業試験を行い、最終的にはその地位をジャクリーンに全て譲り渡すということになっている。その代りに、元の世界に帰して貰う、と。――もし、そのジャクリーン本人が何かとんでもないことを考えているのなら、自分はこのまま漫然と騎士集めをしていてはまずいことになるのかもしれない。
――それに……結局、リンジーのことも、他のみんなのことも騙してるわけだしな。ルイスは何故か、俺が男だって知って騎士になるって言ってきた変わり者だけど。
今のところ、ルイス以外にバレる気配はない。そして、他の生徒達とも案外うまくやれている、という自負があった。彼方としてはただ自分が思ったまま行動しているだけなのだが、元のジャクリーンの評判が悪すぎたこともあって、少しまともな行動をするだけで印象が上がるという謎な状況になっている。今ではイザベルとジェマをはじめ、普通に喋ることができるクラスメートは少なくない。
彼等はみんな、“あの”ジャクリーンが記憶喪失になって改心したというのを信じているのである。自分が、そのように皆に語ったのだから尚更に。――本当は異世界人で、男です、なんて。もし知ったら、どれほどみんなを傷つけるかと思うと胸が痛かった。ここまできたらもう、自分が変態扱いされることは仕方ないと割り切ろう。それよりも、みんなを騙しているという罪悪感の方が正直きつかった。
少なくとも、リンジーにはいずれ本当のことを語らなければいけない。あれだけ慕ってくれているのだから尚更に。
――やることが、多すぎる。本当のことをいつリンジーに話すかもそうだけどまずは……学校でシャドウステップとやらを召喚しまくっているのが本当にジャクリーンなのかどうか、確認するべきだろうな。
シャドウステップは、闇属性。
検知されたのは、闇属性と氷属性。恐らく、氷属性の方が術者本来の魔力。そして、ジャクリーンは氷属性。他にも氷属性の魔法使いはいるので、彼女が絶対的に犯人だとは言い切れないが――可能性として、考えられないことではないだろう。
そもそも疑問ではあったのだ。彼方がジャクリーンのふりをして学校に行っている間、彼女自身が家で何をしているのか、と。他のところに遊びに行っているかと言思えばそうでもなさそうだし、家で退屈を持て余している気配もない。何か特別な作業か、自分が知らない暇つぶしでもあると考えるのが妥当だ。
無論それが、シャドウステップを使ったなんらかの悪巧みであるとは断言できないのだが。
――それから、カレンのことも。あいつ、昨日夜の学校で何をしていた?あいつの魔力測定器が、なんらかのミスリードだった可能性もあるが……それをやる意味があるのは、俺達があいつの行動を見張っていたって気づいていた場合だけだよな?
一見すると、カレンは自分達に気づいている様子はなかった。否、仮に気づいていないフリをしていたところで、“昨晩”自分達が同じ時間に忍び込むということを知らなければ事前の準備はできないはずである。ならば、普通に考えてあの魔力測定器の色は間違っていないものだと思っておくべきだろう。
ならば、彼は今回の事件の黒幕ではなく、それを調査しに来ただけの可能性が高い。では何のために?という話だ。優等生が、あんな夜遅くに学校に忍び込んで一体何を、と。
「あ」
考え込んでいる間に、予鈴が鳴ってしまった。五人は皆顔を見合わせる。
「ミーティングはここまでね」
イザベルが肩をすくめた。
「とりあえず、さっきも言った通り私とジェマはもう少し目撃情報を聴いてみるわ。また、何かわかったら連絡する。ただ、頼んでおいてなんだけど、命の危険がありそうだと思ったら深追いしないでね。何か嫌な予感がするから」
「わかってる」
もう一度席を見た。とても上品な所作で、席に座るカレンの姿がある。隣の席の男子生徒とおおらかに喋る様子は、いかにも“親切な優等生”にしか見えない。
一体何故、あんな乱れた噂なんかがあるのやら――彼方は首を傾げる他ないのだった。
***
状況が動いたのは、昼休みのことである。
話したいことがあるから、人気がない屋上まで一人で来てほしい――なんとカレン本人にそんなことを言われたのだった。こちらからコンタクトを取ろうと思っていた矢先であったので驚く他ない。今まで、一言二言程度しか話したことのない相手であったというのに、どういう風の吹き回しなのか。
「すまないな、ジャクリーン。突然呼びだしてしまって」
「あ、いや……別に」
屋上に来ると、彼は制服姿でにこやかに笑った。こちらからも、尋ねたいことがたくさんある。だからこそ、一体どう対応すればいいかと彼方は迷っていた。とりあえず、今は穏便に話を進めなければ。なんのために、心配するルイスたちを振り切って一人で来たのかと言えば、カレンに警戒されないで話をするために他ならないのだから。
「おめでとう」
そして。切り出されたのは、意外な話だった。
「ジャクリーン、リレーの選手に選ばれていたな。流石だ。体育の授業でも、とても足が速かった」
「あ、ありがとう」
「運動神経がそんなに良かったとは知らなかった。体育の授業でも、走っている時はいつも楽しそうだったし、ハードルを越えるのも余裕といった様子だった。私も足は速い方だという自負はあるが、ハードルはそこまで得意じゃなくてな。何かコツでもあるのだろうか」
「コツっていうか。あれ、踏み切る位置を掴めば大体飛べるようになるものだと思ってるから。跳躍力も大事だけど、一番はタイミングっていうか?練習すれば、カレンもできるようになるよ」
「そうか」
なんだ、ハードルのコツを知りたかっただけなのだろうか。彼方は少しだけほっとする。確かに、体育の時間の自分は目立っていた。そりゃ、女子でぶっちぎりで速かったのだから当然と言えば当然なのだろうが(実際は男子だし、陸上部の部長なのだから足が速いのは当然である)。
「そういえば、君は記憶喪失だったと聞いている。夏休みに、事故に遭ったと。大変だったな」
カレンは心底気の毒そうに眉をひそめた。ああそういう設定になってたな、と彼方はやや明後日の方を向く。一応、馬車の事故で頭を強く打って、ということにはなっていたはずだ。事故の詳細などは、彼方も記憶が飛んでいて詳しく知らないことになっている。ていうか、深く突っ込まれても困るのでそういうことにしているというわけだが。
「夏休み明けで、いきなりみんなに謝罪したから驚いたし、明らかに皆との接し方が変わったなと感じている。以前の君より、よほど付き合いやすい」
「そう思うなら、カレンももっと話しかけてくればいいのに」
「私が君のような美人に下手に話しかけると迷惑になるだろう。私にまつわる噂は、君の耳にも入っているはずだ」
「それって」
彼方は眉をひそめる。
「その、男タラシで女タラシらしい、って話?私は、そんなの信じてないよ。カレンくらいイケメンだったら、嫉妬してそういう噂を流す奴がいるくらい当然だ。人を貶めるために、そういう話を言い出す奴の方がずっと最低だろ。名誉棄損だ」
ひょっとしたら、夏休み前までの“ジャクリーン”はカレンに対しても酷いことを言ったのかもしれない。だが、少なくとも今の自分は、それを覚えていないことになっているのだからこの発言もさほど矛盾はないだろう。
カレンはそんな彼方をやや眩しそうに見つめて、本当に違うんだな、と呟いた。
「以前の君は、私のことを平気で嘲笑する人間だった。……なるほど、まるで人格が変わったようだ、というみんなの評価は間違っていないようだ。皆も歓迎しているし、私も好ましく思う。記憶を失っただけで、ここまで人とは変わるものなのかと」
「え」
何だか、雲行きが怪しくなってきた。流石に彼方も嫌な予感を感じて固まる。クラスメート達のほとんどが“ジャクリーン”の記憶喪失を疑っていない様子だったので油断していたが、まさかこの少年はずっとそんな自分のことを疑っていたのだろうか?そして、今も真相を探りだそうとしている、とか?
――い、いや。証拠は何もないはずだ。ていうか、服脱がされなければきっと大丈夫。顔はマジでそっくりみたいだし……。
動揺を押し殺す彼方に、あくまで笑顔のままカレンは言う。
「一カ月前……夏休みが明けた直後のことだ。ちょっとした“用事”があって、私は学校に忍び込んだ。そこで、不審な行動をしている女子生徒を目撃したんだ。……ジャクリーン、君だ」
「え」
「一か月前、君は何をしていた?丁度テニスコートの周辺だ」
一か月前?彼方は困惑する。彼方がこの世界に呼びだされた直後のことだ。しかし、夜に学校に忍び込んだのは昨夜が初めてである。何のことか、さっぱりわからない。思わず首を横にぶんぶんと振った。
「し、知らないよ!人違いだよ!」
「……そうか、では次の質問だ」
彼はあっさりと引き下がった。人違いだと納得してもらえたのか、と思ったその直後。
その顔から、笑顔が消える。
「ジャクリーン。否……君は一体“誰”だ?」
あまりにもストレートに、疑惑は彼方へとぶつけられたのだった。
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