<17・Subconscious>
時刻は、もうすぐ夜の十一時になろうという時間。これは失敗したんじゃないの、と少しだけ彼方は思った。何故ならば。
「……私達さあ、テニス部が活動しているくらいの時間に様子を見に来るべきだったんじゃないかな」
今のところ、テニスコートに異変はない。黒い影とやらも。血まみれの少女の幽霊もいない。鍵がないのでそもそもフェンスを乗り越えないかぎり、コートそのものに入ることはできないという問題点もあるのだが。
「ひょっとしたら、幽霊もタイマー式かもしれないだろ。ほら、特定の時間だけ現れるってやつ。なんでこの時間に集合にしちゃったんだよ、ルイス」
「いやだって、夜中の方がお前が怖がって面白そうかなと思……いやなんでもないデス」
「小学生かよ!」
適当に待ち合わせ時間を決めたのはルイスである。理由は、彼方が怖がったら面白いから、というどうしようもないもの。それで自分がびびっていたのではまったく意味がないではないか。
「いえ、それに関しては僕も反対しませんでしたから」
しゃがみこみ、コートの地面の方を注意深く観察していたリンジーが言う。
「というのも、いくつか理由がありまして。イザベルさん達の話だと、その黒い影とやらの目撃情報って夕方から夜に集中してるんです。確かにいくらテニス部がそれなりに強いからって、彼等もこんな時間まで練習しているわけじゃないですけど……夜勤の警備員さんたちが、夜の十一時くらいに黒い影を見たって情報もあるそうで」
「え、そんな話してた?」
「あまりにも情報が足らないので、ジェマさんからもう少し詳しい話を聞いておきました」
すみません、聞き込み不足で、と彼方はやや反省する。しかし、普通にリンジーの聞き込みに応じてくれたあたり、ジェマはそんなにリンジーのことを嫌っていないタイプなのかもしれない。あるいは、それほどまでにこの幽霊騒動に参っているということなのかもしれないが。
「加えて、明るい時間に練習している時に、あの黒い影を見たという人はいないらしくて。もちろん、幽霊ってのは昼間にはあまり出没しないと言われてますから、単純にその慣例に倣っただけなのかもしれませんが……とにかく、人気がなくなってからの方が出現率が高いのではないかと思ってました」
確かに、テニスコートを使うのはテニス部だけではない。体育の授業でテニスをやることもあるらしく、昼間は生徒達が授業でコートを使っている。彼方のクラスではやってないが、下の学年らしき生徒達がテニスをしている現場は何度か目撃しているので知っているのだ。
無論、その時変なものを見かけた、なんてことはない。ちらっと見ただけなので、彼方自身は見落とした可能性もゼロではないだろうが。
「幽霊ってなんで、明るい時間には出ないんだろうな?」
ルイスが尤もな疑問を口にする。
「ははは、人が怖がらなくて面白くないから、だったりして?」
「そんなまさか」
「いえ、案外的外れでもないかもしれませんよ。そもそも、幽霊とか悪魔って、本当に“そう”かどうかって誰も証明できてないことが殆どなんです。だって、ああいうものって人間が目撃しないと“いた”ことにならないじゃないですか。つまり、僕達が聞いたことのある幽霊の話っていうのはみんな、誰かしらの目撃、あるいは伝聞を通しているんです。霊の、心中した女子生徒の霊が徘徊するというのも、一応は警備員が目撃したってことになってますしね」
言われてみればそうだ。仮に夜学校で幽霊が出たとしても、誰もそれを見かけていなかったら“幽霊が出た”という事実そのものが作られないだろう。無論、その痕跡を残していったら話は別だが、単純に大量に血のあとが残っているだけだったりした場合は幽霊より先に人間による殺人事件が疑われるはずだ。
「人間によるフィルターを介しているということはつまり、観測者による自己解釈が大いに含まれるということでもあるんです」
立ち上がり、膝についた砂を払いながらリンジーは語る。
「テニス部の人間が“黒い影を見た”と僕達に言う。ひょっとしたら、野良猫を見間違えたのかもしれないし、生きた人間の泥棒だった可能性もあるし、揺れる木陰をそのように思ってしまったのかもしれない。でもって、本当に幽霊だったり、あるいはもっとヤバいものかもしれない。……事実の蓋を開けて見るまでは、話を聞いた時点で真実なんていくらでも存在するわけです。でもって、実は見かけたテニス部の人でさえ、正しい事実を認識できていない場合がある。本当に何があったのか?は第三者が冷静に確かめて見ないとわかりっこない。で、確かめることができなければ?まさに悪魔の証明、伝聞通り“幽霊が出たかもしれない”ということで話はまとまるでしょう。あるいは、幽霊否定派が多数を占めた場合、“確認できなかったんだから幽霊はきっといないんだ”と言う話で終わる」
「なんか、聴く人間の印象によって変わるってかんじ?」
「その通り。だから、夜に幽霊の目撃情報が多いのって必然なんですよ。見た人間が“怖がる”上に、“幽霊だと思い込みやすい”から」
「あー……」
流石、リンジーは頼りになる。というか、実はこういう分析も得意だったりするのだろうか。
この場に彼がいて良かった、とつくづく思う。はっきり言って、彼方とルイスだけだったらガクブル震えて終わっていた気しかしない。
「次は、テニス部の部室に行ってみましょうか。中には入れないけど、外から様子を見るくらいはできるはずなので」
「おっけ」
今のところ、魔法の気配とやらを彼方は感じ取れないし(他の二人はわかるらしいが)、魔方陣も見つからない。そして、黒い影もないという状況である。単純な見間違いだった可能性もあるな、となんとなく思い始めているところだった。
問題は“何を見間違えたか”である。これが一人二人の目撃情報ならともかく、テニス部の関係者が多数見かけているのだ。全員が全員狂言で口裏でも合せているわけでもない限り、見間違えるような“何か”があった可能性は高いと見るべきである。
――人が怖がるから、幽霊が出る、か。そういう考え方をしたことはなかったなあ。
てくてくと歩きながら、彼方は思考する。
――ていうことは、例えば……誰かがテニス部に恨みを持っていて、怖がらせたいと思った時。夕方から夜の暗くなってきた時間帯に、それっぽいコスプレでもして脅かすっていうのもありっちゃありなんだよな。向こうが幽霊だと思ってくれれば、そして怖がってくれれば勝手に噂は広まっていくんだから。
黒い影の主は、テニス部の人間を怖がらせたくてやっているのだろうか?確かに、コートがあった付近の怪談のことを知っていたのなら、ある程度効果はあるだろうが。
しかし、それならそれで、本当に怖がらせたいならもう少しリアリティを上げても良さそうなものである。今のところ生徒達が目撃したのは“黒い影”であって、“血まみれの這いずる少女”ではない。一応、コートを這いずっていたという話もあるので、ある程度再現しようとした可能性はあるが。
「ん?」
ふと、ルイスが足を止めた。
「テニス部の部室の前、誰かいないか?」
「え」
慌てて、彼方はルイスとリンジーと共に植え込みの陰に隠れた。
テニス部の部室は、校舎の横に小屋のような形で併設されている。現代で言うところの、プレハブ小屋に近い形かもしれない。ただし、プレハブ小屋よりもずっと綺麗だ。白い壁に、青色の平な屋根が乗っかっており、前後左右には大きな窓がついている模様。大きさも、小さな一戸建てくらいの広さはありそうだ。まあ、この学園の敷地そのものが広いので、テニス部のためだけにそれくらいの建物を建てるくらいなんともないのかもしれないが。
ちなみに、現在見えている二つの小屋のうち、左側が女子部用で、右側が男子部用である。恐らく、あの中にロッカールームやミーティングルーム、備品倉庫などがあるのだろう。
そして、その右側の小屋――男子部の部室の前。窓から中を覗き込んでいる人間がいたのだ。こちらに背を向けてはいるが、あの背格好には見覚えがある。長い紫髪にすらっとした細身の体躯。あれは。
「カレン・フレイヤ?」
このクラスの、戸籍上は男子生徒だけれど実際は両性、と呼ばれる少年。クラスでも、学級委員を務めるほどの優等生であり、紳士的な生徒だ。とても夜中にこっそり学校に忍び込んで悪戯するタイプには見えないのだが。
「何してるんだ、あいつ?何か、変な定規みたいなの持ってないか?」
彼方が口にすると、あれは魔力測定器です、とリンジーが答えた。
「あの定規を一定距離に近づけると、魔力の種類によって色が変わるんです。普段は灰色なんですが、魔力を感知するとその量に応じてメモリが増えます。例えば火属性の魔力を30mp感知すると、30のところまで赤くなるんです」
「火属性……私の魔力だと赤くなるって認識であってる?」
「そうです。その人の得意属性の魔力になることが多いです。ただし、例えば風のモンスターを召喚する魔方陣だと、別の属性の人間の魔力でも風の色……緑色になることもありますね。だから、定規の色が変わったところで、魔法の属性なのか本人の属性なのかを判別するのは結構難しかったりします。本人の属性色が強ければ強いほど、魔法の属性より強く色が出ます。あとは、両方の色が混ざり合ったような形で検知されることもありますね」
「ほーう」
視力には自信がある。彼方は注意深く、カレンの手元を見た。すると、彼の手元で灰色の定規の色が変わり始めたのである。数字までは見えないが――あれは、黒と、水色が混ざり合っているように見えるのだが。
「……なあ、黒と水色のマーブルに見えるんだけど、その場合って属性は?」
「闇属性と、氷属性になります。よく見えますね」
「まあな、眼はいいからさ。……あ!」
突然、カレンが振り返った。まさか、こちらに気づかれたのだろうか。彼はきょろきょろと周辺を見回すと、定規をバッグにしまって走り出してしまった。
「あ、ちょっと……!」
慌てて追いかけようと植え込みを飛び出すものの、彼の足はかなり速い。部室の前まで来たところで、見失ってしまった。
「あー……」
「馬鹿、ジャクリーン!無闇に追いかけるなよ、危ないだろ!」
「ご、ごめん」
これは自分が悪い、と彼方は素直にルイスに謝罪する。純粋に心配してくれているだろうというのがわかるから尚更に。
しかし、一体カレンは何をしていたというのか。部室の中の魔力を測っていた様子。つまり、彼もテニス部付近に奇妙な魔法の気配を察知していたということなのだろうか。
あるいは、カレン自身が、黒い影を仕掛けた張本人なのか?
「……お、おい」
カレンが逃げて行った方向を睨んだところで、ルイスに腕を引っ張られた。何、と思って見れば、彼は凍りついたような眼で男子部の部室の窓を見ている。
「ちょ、何……」
何があったんだよ、と言いかけて彼方の台詞は止まった。ルイスの隣では、リンジーまでもが言葉を失っている。
当然だろう。窓の向こうにあったもの、それは。
「嘘、だろ……?」
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