<12・Help>
夏休み明けから、ジャクリーン、のふりをした彼方という少年はひたすら魔法の特訓に明け暮れているようだ。あれから一週間。今日も今日とて、朝から練習に明け暮れていたらしい。昨日からは、リンジーも朝練に付き合っているようだった。なんとなく、ルイスとしては面白くない。なんであんな庶民の、魔法のコントロールもできないようなチビを彼方は頼りにするのだろうか。
せっかく自分が騎士になってやったのだから、もう少しこっちを頼ればいいのに、と思う。
そんな彼方の忌々しいところは、リンジーと一緒にけなげに朝練をやっていることだけではない。初日の事件、それからその後の行動で、明らかにクラスメート達のジャクリーン=彼方を見る眼が変わってきたことに気づいたからである。
「きゃあああっ!?」
階段の上に段ボールを運ぼうとしていた女子が、足を滑らせて落ちそうになる。直前、踊り場にいた彼方が駆け寄っていって彼女の背中を支えた。小柄だしけして腕力がある方ではないが、それでも彼方は一応男である。少女一人、支えるくらいはどうにかできるのだろう。
「大丈夫かっ!?」
「だ、だ、大丈夫です。ありがとう……」
二年生らしきその女子生徒は、彼方を見て明らかに頬を染めている。彼女には、彼方のことが女子の先輩として映っているはずだった。それなのに、あれはまるで少女漫画の一場面であるかのよう。かっこよくて惚れそう、という顔をしている。実に面白くない。
「気をつけろよ。ていうか、こんな段ボール二つ、女の子に運ばせるのって酷いな。私が一つ持つよ」
「え、え?でもそっちの方がずっと重いのに……」
「いいって。えっと、どっちに運べばいいんだ?」
「じゃ、じゃあ……三階の資料室に……」
少女は眼をキラキラさせて彼方を見ている。周囲の生徒達が彼方を見る眼も、最初は悪意に満ちたものや戸惑いが多かったのに、少しずつそこに尊敬の色が混じるようになってきた。クラスメート達もだ。明らかに人助けをする場面が増えた“ジャクリーン”を点数稼ぎだろうと笑っていた連中が、笑われても笑われても行動をやめない姿に対して認識を改めつつあるのを感じる。
やはり、身を挺してクラスメートを助けに行った初日の出来事も大きかったのだろう。あんなの、ただの点数稼ぎでできるような行動ではない。
――くそ。俺様が助けなきゃ、結構危なかったんだぞお前。そのへんわかってんのか、ええ?
危なっかしい。それでいて、ジャクリーンとしての悪評を少しずつ覆しつつある少年。もやもやして仕方なかった。こんな風に、誰かから眼を離せないと思ったのは初めてのことである。
おかしな話だ。相手はいくら少女めいた容姿をしているとはいえ、そこらへんの女子より圧倒的に可愛らしい姿であるとはいえ――男であると、自分は知っているのに。自分だけが、知っているはずだというのに。
***
「おい、ちょっとツラ貸せ」
「え」
一人でため込んで我慢しているなど、自分の性分ではない。結局、昼休みにルイスはリンジーのことを呼びだしていた。“ジャクリーン”を介して話をしたことは何度かあったが、こうして一対一できちんと話をするのは初めての相手である。理由は単純明快、今までルイスもまたリンジーのことを“庶民”“奨学金で入った特待生のくせに、まともに魔法のコントロールもできない迷惑な問題児”として馬鹿にしていたからだ。
リンジーもリンジーで、己が嫌われているのはわかっていたようで、ルイスにはまったく近づいてこなかった。まあ、あっちはルイス以外のクラスメートの大半に嫌われている自覚があっただろうから、ルイスに限った話でもないのだろうが。
「な、何の御用でしょうか」
「いいから」
教室には、彼方がいる。最初の日の空気からは到底想像ができなかったことだ――“ジャクリーン”が、他のクラスメート達に囲まれて、談笑しているなんて。彼方は異世界の人間であるし、魔法どころか歴史などの知識もからっきしである。勉強でわからないところが多いので、他の生徒に尋ねて回っているのだろう。最初は邪険にしていたクラスメート達も、彼の行いと殊勝な態度にほだされて、ついついいろいろなことを積極的に教えるようになっているようだ。
それもまた気に食わない。どうして、自分がいるのに他の奴らに話を聞こうとするのか。
「おいリンジー」
万が一にも、彼方に聴かれるのは気まずい。というか、カッコ悪い。よって、ルイスは廊下、それも階段の裏という人目につきにくい場所にリンジーを引っ張っていったのだった。
「お前、なんでジャクリーンの特訓に付き合ってやってんだよ。授業で助けて貰った恩ってか?夏休み前まで、結構酷いこと言われてたし、お前を孤立させてた筆頭はあいつだぞ。放課後だけならともかく、朝練まで付き合ってやる理由はなんだ」
ストレートに尋ねると、リンジーはきょとんとした顔になった。そして、えっと、と少し考えた末に答えたのである。
「そうですね、やっぱり恩があるのは確かですから。それに、僕のためでもあります。ジャクリーンさんの魔法の使い方を見ていると、自分の魔法についても見つめ直すことができるんです。僕が魔法を使うのを、ジャクリーンさんに見て貰うこともあるんですよ。僕も、特訓に付き合ってもらっているようなものです」
「ああ、だから最近、魔法学で暴発しにくくなったのかお前。……て、そうじゃなくて。本当に、それだけが理由かよ」
「それだけって?」
「あ、いや、その……」
まさか本当にわかっていないのか。ルイスは口ごもる。それとも、こいつはこの可愛い顔をして自分を試しているだけなのだろうか。案外、こういうタイプは腹黒い一面があったりもする。こいつがそうでないとは言い切れないわけで。
「……ルイスさん」
沈黙を破ったのは、リンジーの方だった。
「ルイスさんは、きっと想像ができないんでしょうね」
「何がだ」
「……僕が、どれほど孤独の中にいたのかってことを」
「!」
思わず言葉に詰まるルイス。リンジーは、今まで見たこともないような顔をしていた。
「皆さんご存知の通り、僕は労働者階級の人間です。印刷工場で、父さんと母さんは毎日毎日……汗まみれ泥まみれ、インク塗れになって働いていました。それだけ働いても、毎日入るお金なんて雀の涙です。一人息子だからギリギリ僕は小学校まで普通の学校に通わせてもらいましたけど、もう一人兄弟がいたらそれもできなかったかもしれません。そして、学校に行けていなかったら、文字さえ読めるようになっていなかったかもしれないです。実際、同じ小学校に通っていた友達の中には、親が文字を読めないという人もいましたから」
「文字……」
「ええ、生まれついての貴族で、食べるものにも着るものにも苦労せず、今月の家賃や水道代をどうやって払っていくかも考えたことのない貴方にはわからないでしょうね。無論、僕よりも苦労している子供達がたくさんいるのも知っています。労働時間が長くて低賃金だけど、両親が働いている工場の人達はみんな親切ですし、不当な搾取や暴力もない。そういう職を両親が持てていて、最低限食べていけるお金と雨風をしのげる屋根があるだけで僕は幸せです。下層階級の、スラムの子供達にはそれさえないのだから」
何も、言うことができなかった。ルイスからすれば、両親が貴族であることは運命のようなもので、誰かから詰られるようなことではない。貴族だから楽をしているんだろうとか、贅沢しやがってと糾弾されるのはお門違いだという気持ちが強い。貴族には貴族の苦労がある。自分が、侯爵家の跡取り息子としてどれほどプレッシャーを与えられ、悩んできたかなんて目の前の彼にはわからないことだろう。
だが、それは言うなれば“お互い様”であるのだ。それぞれ、苦労の方向性が違う。どちらが重いだの軽いだの、比較するだけきっとナンセンスなのだろう。リンジーも、それはわかっているのだろうとルイスは思った。少なくとも彼は、貴族は楽をできていいですね、なんてことは言っていないのだから。
ただ。自分にはわからない苦労がある、それは当然のようにそこにあるのだということを想像しろと、ただそういうだけのことで。
「……貴方を、責めているわけではありません。貴族にも貴族の苦労があるのでしょうから。ただ、知って欲しかっただけです」
そんなルイスの心を読んだかのように、リンジーは言った。
「僕は……たとえ孤立すると分かっていても、中等部からの編入で、奨学金を貰ってこの学校に来なければいけなかった理由があると言いたいだけなんです。貴族だらけの場所で、高い魔力だけを理由に僕だけが授業料を免除してもらって学校に入る。それが、どれほど針の筵かは想像がついていました。由緒正しい魔法使いの家柄というわけでもないですしね。……でも、僕に義務教育をさせたいけれどお金に余裕がなかった両親からすれば天の助けでしたし……何より卒業して、軍に魔導騎士として雇われることになれば今までとは比較にならないお給料が出ます。両親に、貴族同然の暮らしをさせてあげることもできるんです」
だけど、と。くしゃり、とリンジーの顔が歪む。
「それでも、この二年以上ずっと……苦痛でした。いじめにも遭いました。でも、僕が魔法をコントロールできない特待生で、庶民の出というだけで……誰も僕を助けてはくれなかった。……昨日の、ジャクリーンさんを除いては」
「リンジー、お前……」
「夏休み前までのジャクリーンさんが、僕の悪口を言っていたのは知っています。でも、僕にはどうしても、それまでのジャクリーンさんと、今のジャクリーンさんが同じ人間であるとはとても思えない。……ニンゲンって、結構単純なんです。土砂降りの雨の中で、たった一人手を差し出してくれた人がいたら、その人に縋らずにはいられない。その相手が、悪魔でも詐欺師でも。そして今の僕には、ジャクリーンさんが悪魔や詐欺師だともとても思えずにいる」
なんとなく、予想していた言葉だった。それでも。
「僕は、ジャクリーンさんが好きです。だから、出来る限り助けたいって思います。たった一度助けられただけと言うかもしれませんが……僕にとっては、それほどの出来事だったんです」
はっきり言われると、ショックは大きかった。ルイスは言葉に詰まる。とっさに、彼がジャクリーンだと思っているあの人物の正体を洗いざらいぶちまけてやろうかと思ったほどに。
――あいつは、男なんだぞ。お前、騙されてるんだ。
それでも、言えなかった。男だと分かれば、リンジーの恋心を霧散させることができるかもしれないと思っていてもなお、口にすることができなかったのである。
何故だか、自分だけが知っていたかったのだ、彼の秘密を。
本当の、参道彼方という人物のことを。
――畜生、なんなんだ。なんなんだってんだよ。
真っ直ぐなリンジーの眼が、あまりにも辛い。
ルイスが一番苛立っているのは他でもない、自分自身だと気づいていた。
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