<9・Stop>

 騒ぎと怪我のせいで帰りのホームルームをふっ飛ばしてしまったため、彼方がルイスと共に教室に戻った時、部屋はほとんど蛻の殻となっていた。みんな、とっくに帰ってしまったということらしい。まあ、このあと部活動に参加している生徒達も多い。授業が終わってすぐにそっちへ、という生徒も少なくないのだろう。

 ちなみに保健室に付き添ったルイスは、“由緒正しき帰宅部”だと胸を張ってきた。なんでも、“俺様に相応しい部活動がないから”らしい。なお、彼方が演じているジャクリーンも、部活動には所属していないという話までは聞いている。


「ジャクリーンさん!」


 教室に戻った時、駆け寄ってきたのはリンジーだった。


「す、すみません。ぞろぞろ行ったらお邪魔かと思って、保健室には向かわず……。その、お怪我は大丈夫でしたか?」


 彼はまっすぐ、ジャクリーンの右足を見て言う。包帯でぐるぐる巻きにしているせいで、怪我の状態は見ただけではわからないのだろう。


「平気平気!普通に歩けるし、ほら、ピョンピョン跳ねても大丈夫だからかな!」


 彼方はわざとその場で跳ねて見せる。実際、ちょっとネズミの牙がブーツを貫通しただけだ。ブーツに穴を開けてしまったことと、スカートを皺くちゃにしてしまったせいでジャクリーンに嫌味を言われそうだということの方がよっぽど問題だったりする。どうせあのお嬢様のこと、いくらでも代わりの靴や服の持ち合わせなんてあるのだろうが。


「そうですか。なら、良かったです」


 普通に保健室まで歩けた時点で、大した怪我ではないとは想像がついていたはずである。それでも万が一ということはある。彼としては、本人の口から状態を聞くまで安心できなかったのだろう。


「改めまして……助けてくれて、ありがとうございました。正直、パニックでどうしようもなかったんです。まさか、あんなにネズミが大量に溢れてくるとは思わなかったので」

「まったくだ。お前、自分の魔力の高さわかってたんだろうが。もう少しコントロールする練習しとけよな」

「おい、ルイス」


 後ろから責めるようなことを言うルイスを嗜める彼方。リンジーも言われるだろうということはわかっていたのだろう。申し訳無さそうに目を伏せる少年。


「ルイスさんの仰るとおりです。……奨学金貰って、特待生として入ったのにトラブルばかりで。本当にいつも申し訳なく思ってます。練習はしてるんですが、なかなか上手にならなくて。ただでさえ、お金を払って学校に入ってるみんなからは嫌われても仕方ない立場だっていうのに」


 いや、あいつらの場合はそれ以上に身分だと思うぞ――と、彼方は心の中でぼやく。そんなこと、リンジーだってわかっているのだろう。いずれにせよ、本人にまったく非がないことである。確かに特待生である以上、期待に応えなければいけない立場であるのは確かなのかもしれないが。


「その、私も悪かったな」


 彼方は先に、謝っておくことにした。


「記憶喪失で、夏休み前までのこと全然覚えてないんだけど。私、みんなに本当に酷いことたくさん言ってたんだろ?多分、お前にも特待生のこととか、身分のこととかを結構詰ったことがあったんじゃないかって思うんだ。本当にごめんな」

「い、いえ!とんでもないです。責められて仕方ない体たらくでしたから、僕は」

「仮にできないことがあったとしても、努力してる人間を笑う資格なんか誰にもねーんだよ。それに身分にしろ特待生としてこの場にいることにしろ、お前が悪いことなんか一つもないじゃないか。それでお前を非難したり冷遇したりするのはおかしいし、今までの私がそういうことを平気でできてたってなら……それは凄く駄目なことだって本気で思うんだ、今はさ。だから、謝らせてくれ。ごめん」

「ジャクリーンさん……」


 背中から、ルイスのもの言いたげな視線を感じる。ジャクリーンがやらかしたことを何もかも背負ってやる道理はないと言いたいんだろう。まったくもってそのとおりだ。なんで自分が尻拭いをしてやらなくちゃならないんだと思う。

 だが、少なくとも今の彼方は、ジャクリーンの代わりとしてこの場にいるのだ。彼女と同じ人間を演じている以上、自分は知りませんなんて無責任なことはできない。例え、望んでこの立場に甘んじているわけではないとしてもだ。


「……そうだ!」


 ふと、彼方は名案を閃いた。今ここでのんびりしているということは、リンジーも忙しい部活に所属してない可能性が高そうだ。だったら。


「リンジー、お前って部活やってるか?この後とか時間ある?」

「え?いえ……僕は美術部なので、週に一度しか部活はないですけど」

「だったらさ。一緒に魔法の特訓しないか?その、私も記憶喪失と一緒に魔法の知識もスキルもふっとんじゃってさ。お前が教えてくれると助かるなって」

「え!?」


 先程は失敗していたが、少なくともリンジーが高い魔力を持っているのは事実。知識だって確実に彼方よりも上であるはずだ。ならば、教えを請うのに丁度良いだろう。

 これは彼方自身のための提案でもあるが、リンジーのための提案でもあった。彼が、何かお詫びをしたがっているのを察知したからである。これなら謝礼としても十分だろう。それに、一緒に特訓すればリンジーの魔法のコントロールについても何かわかるようになるかもしれない。


「僕は、全然構いませんけど……むしろ、その」

「ストップストップストップストッープ!」


 何かを言いかけたリンジーを遮って、割って入ってくるルイス。


「何で勝手に決めてんだ?何で俺様に内緒で勝手に話を進めてんだ?」

「は?何でお前の許可が必要なんだよ」

「必要だろうがよ!俺様は、お前の騎士になったの!お前と俺様は運命共同体になったの!なら、俺様の許可を取るのは当たり前だろうがよ!」

「ええええええ」


 何だこいつ面倒くさいな!彼方は呆れてルイスを見る。確かに騎士と姫の契約は交わしたが、だからって一から十まで一緒にいなけれはいけないなんて話ではないはずである。その独占欲っぽいものは一体どこから来るのか。恋人になったわけでもあるまいに。


「あ、じゃあルイスさんも一緒にやりませんか?ルイスさんは安定して魔法が使える方なので、是非ご意見を伺いたいです」

「エ」


 そして、リンジーからは至極真っ当な妥協案が出てくるのだ。ルイスはとっさに言葉が出ずに固まっている。チャンス!と言わんばかりに彼方も乗っかった。


「それいいな!せっかくだからご教授願うぜ、ルイス先生〜!」

「せ、先生……」


 こいつ、実は結構馬鹿なんじゃないのか。先生と呼ばれただけで目を輝かせたルイスを見て、彼方はちょっとだけ心配になった。

 なんというか、ちょっとチョロすぎやしないだろうか。大丈夫か、コイツ。




 ***



 申し訳ありません、と執事はジャクリーンに頭を下げてきた。


「一応、帰るようにとは促したのですが。カナタ様は、友人たちと魔法の特訓をするので迎えはまだいいと。というか、この距離なら歩いて帰るから迎えがなくてもいいと仰られまして」

「貴族があんまり馬車なしで徒歩で出歩くと、いろいろと噂されるんだけど。そういうことがわかってないんですの?あの子は」

「恐らくは、異世界との文化の違いと思われますが」

「まったく」


 ジャクリーンが異世界から身代わりを連れてくる、計画に関して、家の人間は誰も反対しなかった。実際身代わり受験になるので渋い気持ちはあったのだろうが、それ以上にこのままでは卒業が危ういという危惧があったのだろう。

 まったく、失礼な話である。確かに騎士はなかなか見つからないが、あれもこれもすべて周りの連中がクソなせいであってジャクリーンのせいではないというのに。とはいえ、低レベルな奴等に合わせてやるのも癪だったので、身代わりを使って騎士集めから卒業試験までやらせることを思いついたわけだが。

 学校程度の勉強なら、家でも家庭教師に教えてもらえる。それに、自分には“やらなけれはならないこと”もあるのだ。あの魔法を完成させるためには、時間などいくらあっても足らない。あんな低俗な生徒ばかりの学校に通っている暇はないのだ。


――……わたくしが呼び出した異世界人の条件。それはわたくしそっくりであること。そして、新しい環境でも柔軟に騎士集めができるくらいのコミュニケーション能力があること。……性別を指定しなかったから、確かに男が来ても仕方ないんだけど。


 執事は、彼方が友人たちと魔法の特訓をするので帰りが遅れる、と言った。つまり、たった一日で友人を複数作ってみせたのだ、あの男は。自分で言うのもなんだが、クラスメートたちとの関係が悪化していたのは自覚している。それこそ、自分とは話したくもない顔も見たくないというクラスメートが大半であったはず。どうやって手懐けたのだろう。あの様子だと、ろくに魔法の才能なんてなかったはずで、洗脳魔法なんて高度なものが使えるとはとても思えないのだが。

 加えて、馬車の迎えはいらないと言ってきた。それが示すのは単なる文化の違いではない。迎えがなくてもこの屋敷に帰ってくる自信がある、ということである。彼は、たった一度馬車で送迎されただけで屋敷までの道を覚えたのだ。


――徒歩に換算すると三十分はかかる道のりだし、坂道もある。それを、平気で歩いて帰るということは、体力にも相応の自信があるということだわ。


 自分は、存外面白い拾いものをしたのかもしれない。魔法がからっきしであるし、男であるしで、即座にバレて強制送還される可能性も一応想定していたが。あの彼方とかいう少年は、自分が想像していた以上の働きをしてくれているようだ。


「アルバート。その友人たちって男だった?」

「え?……あ、はい。その様子でございましたね」

「そう」


 ということは、もう既に二人、騎士を確保した可能性があるということ。優秀すぎるほど優秀ではないか。このままたくさん強い騎士を集めてくれれば、卒業試験を主席で合格することも夢ではない。そうすれば、軍からは特別待遇で迎えられる。ロイド家にとっても、ジャクリーンにとっても、最高最大の名誉が約束されたも同然だ。


――そのまま、是非頑張って頂戴な。サンドウ・カナタ。


 窓の外を見て、ジャクリーンはにやりと笑う。卒業試験まで終わらせることができれば、もう彼は用済みとなる。もしくは状況に応じて別のプランに切り替えるのもありだろう。そして彼が自分にこれからも付き従うなら良し、そうでないならば。


――くだらない遊びは全部アンタに任せてあげる。わたくしには、大いなる使命があるのだから。


「アルバート、暫くまた地下に籠もりますわ。夕食までには戻ってくるから」

「は、はい、お嬢様」


 執事に言い捨てて、ジャクリーンは立ち上がった。全ては来たるべき、裁きの日のために。

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