<7・Trouble>
この学校の保健室はどうなってるんだ、と呆れてしまった。養護教諭がいなかったためである。しかも、テーブルの上には“ちょっと外に行ってます”とたった一言書いてあるだけのメモ書き。どこに行っているのかも、いつ戻ってくるのかも書いてない。なんつーいい加減な先生なんだ、と彼方はため息をつくしかなかった。
「大した怪我じゃないから、大丈夫だって。さっきは助けてくれてありがとな」
「……ああ」
魔法学の授業の後から、どうにもルイスの顔が暗い。というか、何かを考え込んでいる様子だった。しおらしく彼方につきそって、保健室まで連れてきてくれたほど。お前俺様キャラじゃなかったのか?とちょっと戸惑ってしまう彼方である。
ネズミに襲われた時に、足と、それから腕と肩の一部を怪我していた彼方。大した傷ではないが、一応応急手当はしておいた方が良いだろうということで保健室に来たのだった。
先生は回復魔法をかけてくれると言ったが、なんとなく断ってしまったのである。悪い人ではないのかもしれないが、すぐにルイスを助けなかったところでちょっと不信感を抱いてしまったのだ。幸い、大した傷ではない。ちょっとガーゼや絆創膏を貼っておけばなんとなるだろう、程度のものだ。
「足は、俺様がやってやる。感謝しろよな」
「お前、マジでどうしたの?」
「うるせえよ。お前がらしくないことするから、こっちの調子が狂ってんだよ、馬鹿」
馬鹿とはなんだ馬鹿とは。が、一応気遣ってくれているようだし、ここは大人しく従うことにした。ベッドに座らされ、一番傷が大きかった足を出す。大きかったと言っても、ちょっとした噛み傷ができただけだ。聞けば、ハイイロネズミはネズミといっても病気を媒介にするようなタイプではなく、そもそも精霊なので余計なウイルスを持っているなんてこともないという。彼方が回復魔法を断ったのもそれが理由だったりする。さすがに、何かの病気を持っているかも、なんてことにいったらもっとちゃんとした治療を受けた方が良かっただろう。
噛まれたのは右足のふくらはぎのあたりだった。ブーツごしだったので、少しばかり牙が貫通した程度である。その傷に、消毒薬をつけ、ルイスが丁寧に白いガーゼを貼り、包帯を巻いていく。いかにもチャラそうな俺様男なくせに、結構手先は器用らしい。
「お前、何であんなことしたんだよ」
手当をしながら、唐突にルイスが口を開いた。
「お前、ネズミの召喚も全然うまくいってなかったし、ネズミを撃退してた時も初級魔法連打してただろ。てことは、記憶と一緒に魔法のスキルもぶっとんだ、違うか?」
「う」
いやだって異世界人だし。本来のジャクリーンとは別人ですし。彼方は引き攣った笑みで誤魔化すしかない。
「魔力そのものが落ちてるってかんじだ。どんな事故に遭ったらそんなことになるかわかんねえけど……そんな奴が、なんでルイスを助けようとしたんだ。逆にやられて大変なことになるかもしれないって思わなかったのか」
「だって、他に誰も助けようとしなかったじゃないか」
「時間が過ぎれば魔法が切れるって先生もみんなもわかってたからだよ。だから……」
「本当に、理由はそれだけか?」
じっと彼方が顔を覗きこめば、本人も多少なりに罪悪感があったのか視線を逸らしてきた。
「……お前だって、元々はそっち側だったのによく言うぜ。記憶喪失って都合が良いよな。階級差別のことも忘れちまうんだからよ」
苦虫をかみつぶしたような声で言う、ルイス。
「そもそも、この学校は貴族が多い。理由は入学金も授業料も馬鹿にならないからだ。貴族であっても、ここの金を払うのに結構苦労する奴は多い。……で、じゃあ庶民で此処に入れてる奴はなんなんだって言うと、奨学金を勝ち取った奴らなんだよな。しかも、返さなくていいってやつ。この国で階級制度は絶対だが、魔法使いの世界にはそれよりも重要視されることがある。それが、魔法使いとしての素質だ。だから、素質が高い子供は、幼い頃からスカウトが行くことがあるんだよ。庶民だろうが、それこそ下層階級だろうが関係なくな」
「リンジーは、そうやってスカウトされた子供ってことか?」
「じゃなきゃ、労働者階級の奴がこの学校に入学金と授業料を払えているわけがねえ。実際、あいつの魔法が暴発したのも、魔力がバカ高すぎてコントロールできなかったせいだろうってのは想像がつくしな。……そういう人間は、大抵どの環境でも浮くし、孤立するんだよ。理由は言わなくてもわかるよな?」
「おいおい……」
つまり。彼は庶民として差別されているのみならず、奨学金を勝ち取った人間であるせいで周りから嫉妬されているというわけらしい。そりゃ、自分達は高い授業料払ってんのに、よりにもよって庶民のコイツが、みたいなのはあるのかもしれない。しかし、彼に才能ありと認めたのは他でもない学園ではないか。何故、才能があるというだけでそこまで冷遇されないといけないのだろう。
「それで、いざとなったら見殺しにしてもいいって空気ができてるのか?」
「流石にそこまでのことを思ってる奴はそうそういない、とは思うけど。でも、多分他の貴族だったら先生も他の生徒ももっと早く助けに行ったんだろうな」
「なんだよそれ!ていうか、先生もかよ、ざけんなよ!学校側が奨学金出したのに!」
生徒も生徒でクソだが、何で先生までそれに乗っかる必要があるのかわからない。
彼方の言葉に、正論だな、とルイスは暗い顔で言った。
「ただ、リンジーの場合はちょっと特殊なのは事実なんだよ。あいつ、見た通り凄い魔力なんだが、全然コントロールできてない。他の成績は優秀だけど、肝心の魔法学でちっとも良い結果を出せてないんだ。学校も貴族の学校というイメージがあり、運営も当然貴族がやってる。そんな中に、素質があるってだけで庶民から奨学金で子供を引っ張ってきたのに、そいつが役立たずだったとしたらどうなるよ。腹が立つのも仕方ないんじゃないのか」
「勝手すぎる!それを使いこなせるように指導するのが大人の役目だろうが。責任放棄して人のせいにするなんて!」
なんて学校だ、と彼方は自分のことのように怒ってしまう。それを見て、心の底から呆れたようにルイスは言った。
「何言ってんだか。夏休み前のお前が、クラスでも一番庶民を馬鹿にしてたくせに。特にリンジーのことなんか、露骨に毛嫌いしてただろ」
やっぱり、そういう人間だったのか、ジャクリーンは。頭痛を覚えつつ、学校帰ったら覚えておけよ、と思う。彼女とは、今夜たっぷりお話する必要がありそうだ。いろんな意味で、人格的にも思想的にも問題がありすぎる。
「だから、俺もみんなも驚いてるんだよ。よりにもよってお前が、危険も顧みずあのリンジーを助けたって事実が。本当に、どうしちまったんだ?人格でも代わったか」
いや別人なんです、と今日だけでも心の中で何度繰り返したかわからない突っ込みを抱く。もちろん、それを正直に話すわけにもいかないのが辛いが。
「……嫌だなって思っただけだよ」
だから、話したのは別のことだ。
「ああいう現場を見るのが嫌になっただけだ。だって、ああいう時に独りぼっちで苦しんでるのに、誰も助けてくれなかったら。自分がそうだったら嫌だなって。……そういう時に放置するような人間は、いざって時誰も助けて貰えなくなると思うんだよな。お……私は、自分がされて嫌なことはしたくないって思うようになっただけ」
「相手の気持ちを考えて、か?お前はそんなことができるような人間じゃなかっただろ。自分は絶対そっち側に行かないから大丈夫!って平然とのたまうのがお前だったはずだぜ」
「……そうかもな。だから、きっと今までみんなに嫌われてたんだろう。お前から話聞いてると、どんどん前の自分ってやつが嫌いになるよ」
「…………」
心底嫌悪感を吐きだすように言えば、ルイスはやや目を丸くして――びりり、と紙テープを引っ張った。そして、足首に巻いた包帯を綺麗に固定していく。
驚くほど、完璧な応急処置だった。
「……終わったぜ。あとは、腕と肩か?あー……隣にいるから、手当終わるまで待ってるよ。自分でできるだろ、それくらい」
「え?あ、うん」
そういえば、自分は女のふりしてるんだった、と彼方は思い出す。腕も肩も、胸のあたりを肌蹴させないと手当できない位置である。どちらも足よりずっと軽い怪我で、絆創膏を貼る程度で済みそうだが、だからといってルイスの目の前で上半身裸になるわけにはいかない。いくら元のジャクリーンが貧乳だといっても、さすがに裸になれば男だとバレてしまうだろう。
ルイスも、“女性”の胸を見るのはまずいという倫理観は当然持ち合わせているらしく、さっさと立ち上がるとカーテンを引いてしまった。意外に紳士なのかな、なんてことを思う。人は見た目によらないものなのかもしれない。
――ていうか、先に帰ってもいいのに、待っててくれるつもりなのか。
彼がカーテンの向こうで背を向けたのを確認して(向こうに窓があるため、うっすらとシルエットは見えるのだ)彼方は自分の背中に手を伸ばした。ありがたいことに、この世界のドレスは、中世ヨーロッパのそれとは違ってもう少し機能性を重視したものになっているらしい。変なところに針金は入っていないし、コルセットもないから窮屈でもない。一応、背中に手を回してチャックを上げ下げする器用ささえあれば、自分で脱ぎ着することも可能だ。
――つか、マジで女のふりするなら、明日からは下着もないと駄目だよな。胸に詰め物もしないと。
ああ、何で女装に関してこんなに真剣に考えないといけないんだ、と思う。とりあえず、帰りの馬車で女性物の下着を買って帰るようにお願いしないといけない。さすがに、ジャクリーンのものを借りるのはいろんな意味で嫌すぎるし、向こうだって嫌だろう。今日は準備がなかったせいで、胸には何もつけないで着てしまっているのだ。それでバレないっていろんな意味で切ない気分になってくるが。
胸を肌蹴ると、肩口の擦り傷を消毒して絆創膏を貼る。腕の方はちょっと打ち身になっているだけだから、今のところ特に処置は必要ないだろう。このへんの傷は噛まれたのではなく、木に上った時についた傷でしかないのだから。
――よし、まあ、大体こんくらいでいいか。
消毒して絆創膏を貼るだけの簡単なお仕事。しかも、一応彼方も陸上部だったので、応急手当の方法くらいは勉強している。救急箱を机の上に置こうとしたその時、慣れないスカートの端を踏んづけてしまった。
「ぎゃっ!?」
やばい、と思った時には、ギャグ漫画のようにずってーん!と転んでしまう。ばらばらばら、と救急箱の中身が飛び散ってしまった。やらかした、と思って慌てて拾い集めようとした時だ。
「おい、ジャクリーンどうした!?今凄い音、が……」
心配したルイスが、カーテンを開けて覗いてきたのである。やばい、と思った時にはもう、凍りついた彼と目が合っていた。
「え?……え?」
ルイスはしゃがみこんだ彼方を見ている。正確には――胸元を肌蹴た状態のままの彼方を。
――や、やらかしたああああああ!!
「え、え?……男?」
彼が呆然と呟いた瞬間。彼方の中で“ゲームオーバー”の文字がずいーっと横に流れていったのだった。
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