<5・Rumor>
「本当なの?あのジャクリーンが、ねえ?」
休み時間ともなれば、教室中が噂話でもちきりである。本人が部屋にいるにも関わらず、少年少女達が彼方を見てひそひそとお喋りし合うのだ。
それは、登校してきた時と比べると遥かに、悪意よりも困惑の色を濃くしたものではあったが。
「夏休みの間に事故に遭って言ってたよな。馬車の事故だって。それで頭を強く打ったってさ」
「マジで!?」
「いやいやいやいや、あのジャクリーンだぞ、そんなくらいで記憶飛んだりするものかよ。しかも、なんか性格も以前と比べて随分としおらしくなってんじゃねーか」
「ええ。正直、何か悪いものにでも憑りつかれたのかと思ったわ。今まで、彼女が誰かに謝るところなんか一度も見たことがないもの。場を収めるためにとりあえず謝罪しとく、ってことも全然できない人でしょ?」
「違いねえ」
「いや正直、本当に心配になってきたな。どういう頭の打ち方をしたらそうなるんだ」
「人にものを尋ねるってことも絶対できなかった人なのにな。さっきは、隣に座ってた奴に授業のわからないところ普通に訊いてたぞ」
「先生にも、素直に手を挙げてたわね」
「みんなあいつには思うところがあるはずなのに、完全に困惑しちゃって普通に教えてたし」
「ジャクリーンも普通にお礼言ってたし。ていうかあいつお礼言えたんだ、人に」
「だよなあ」
「……実は別人が成り代わってたりして」
「あ、ははははは。そう言われたらめっちゃ納得する。まあ、さすがにあんなそっくりの顔の人間が他にいるわけないんだけどな」
「だ、だよなあ」
あの、全部聞こえてるんですが。彼方は授業のノートを見直しながら、はあ、とため息をついた。まさか本当に別人なんです、とは言えない。本当に、なんで自分が自分を異世界に拉致してきた張本人の身代わりをしなくちゃいけないんだか。
幸い、理数系の科目はほぼ現代日本と代わらなかった。国語も、脳内の言語が都合よくこの世界の言葉に変換されているのかなんなのか、今のところ言語がわからなくて困るということはない。まったく未知の外国語と歴史だけは、当面苦労することになりそうだったが。
あとは、この世界特有の科目である魔法学である。この学校の授業の多くを占めるこの学問をいかに乗り切るか、それが自分にとっての課題と言ってもいい。
なんせ、本物のジャクリーンにはできたことの大半が自分にはできないのだ。へなちょこな威力で、安定しない初級魔法しか現時点では使えないのである。はっきり言って、人前で魔法を使ったら一発で偽物だとバレる気しかしないのだが。
――まあ、それでバレたって俺のせいじゃないだろ。その時はその時だ。悪いのはあいつだ。
記憶喪失、で果たしてどこまで誤魔化せるやら。そう思っていると、すたすたとこちらに歩み寄ってくる人影が。
今朝、自分に壁ドンをかましてくれた男、ルイスである。
「本当にみんなの前で謝れたんじゃん、お前。驚いたぜ」
長身の俺様男は、軽薄そうににやにやと笑う。
「記憶がなくなったら、プライドもなくなったってか?そんなわけねーだろうがよ。どういう心境の変化だ?」
「そんなこと言われても困るよ。前の自分のことなんか覚えてないんだから。覚えてないとしても、人に迷惑かけたなら謝らないとだめだろ。それに、わからないことはわからないって、正直に言うしかないじゃないか」
「ほーう?随分素直なこって」
こいつがジャクリーンのことをものすごーく嫌っているのは明白である。朝の挑発はともかく、今声をかけてくる理由はなんだろう。自分だったら、嫌いな奴とは極力距離を取って関わりたがらないもんだけど、と彼方は思う。
不思議に思って見上げれば、少し楽しげなルイスと目が合った。
「そういう殊勝な態度なら、俺様がお前の騎士第一号になってやってもいいんだぜ?」
「いや、それはいいって」
騎士を集めろ、とは言われている。しかし、だからって安易に引き受けるわけにはいかなかった。彼方は正直に気持ちを伝える。
「騎士ってのは、姫と運命共同体みたいなもんだろ。一生を背負うような存在だ。……あんたは、私のことが嫌いなんだろ。だったら、そんな奴に安易に人生預けるなよ。自分が一緒に戦いたい、背中を預けられるって思った奴に声かけな」
「……ふーん?」
彼の目が意外そうに細められた。一体何を想っての“ふーん”だったのか。少なくともこの時は、それ本心を訊くことはなかったのである。
***
トラブルが起きたのは、その日最後の授業でのことだった。
魔法学の授業。ジャクリーンに扮した彼方にとって、最初の鬼門だと言っていい。これが中学一年生の授業だったならまだなんとかなんとかなったかもしれないが、卒業を半年後に控えた三年生の授業である。当然、授業内容もより応用的なものになっている。
「今学期からは本格的に、最も難易度が高い召喚魔法についてを学んでいきます」
よく晴れた日だった。召喚魔法の授業は事故が起きる可能性も考えて屋外で行うらしい。庭に、魔法の訓練場があり、そこにそれぞれ魔術武器を持った生徒達が集合しているのだった。ちなみに、魔術武器というのは魔法使いで言うところの、杖や本のようなもののこと。それを媒介にして魔法という名の奇跡を起こすのである。自らの中の魔力を循環させ、武器を使って放出し、具現化させる。非常にざっくりと言えば、そういう理屈であるらしい。
女子生徒は本か杖だが、男子生徒達はみな普通の魔法使いではなく魔導騎士の候補である。よって、魔術武器も杖や本より、剣を持ってきている者が多かった。中には槍や弓といった特殊な武装の者もいる。なるほど、これは屋内で授業を行うのはなかなかしんどいだろう。
中庭は転んでも怪我をしないようにという配慮のためか、綺麗な芝生になっていた。そこに並んだ生徒達の前で先生が杖を使って実演しながら説明してくれる。
「通常の魔法は、自分の魔力を練って、水や焔といった形に変化させれば成立します。しかし、召喚魔法は方向性が大きく異なります。何故なら練った魔力を、異世界とのゲートを結ぶために使うからです。ただ魔力を練ればいいというわけではなく、別の世界とのコンタクトを取り、その座標をきっちりと把握して、この世界と点と点で結ぶことが大切なのです。そして、イメージした魔法陣に、その点の向こうから精霊を転送してくる、という形になります。……こんか感じですね」
先生が魔法陣を書いた紙を小さなテーブルの上に置いた。ちなみに、生徒たちはみんな魔術武器と同時に、テーブルと魔法陣の紙を準備して集合している。全員が、小さなテーブルの上に紙を置いて、そこで立って先生の実演を見ているという形だった。椅子はない。
「“太陽と月、森の息吹と共に小さな灯を見せよ。召喚”」
老齢の彼女が杖で魔法陣の中心を突くと、紙に書いた魔法陣が青く輝き始めた。奇妙な風が吹き始め、彼女の白髪まじりの髪を風になびかせる。そして、先生がふう、と息をついた瞬間。彼女の目の前、魔方陣の上には小さな灰色のネズミが出現していたのだった。ネズミはきょろきょろと不思議そうに周囲を見回しているものの、不思議な力が働いているようで魔法陣の外に出る様子はない。
「……はい。こんなかんじですね。今回は私と同じ、ハイイロネズミを召喚してみましょう。召喚したら、きちんとコントロールをすることを忘れずに。ハイイロネズミなのでけして凶暴ではないですが、それでも齧られれが怪我をする可能性もありますから注意してくださいね。召喚魔法は召喚して終わりじゃない、召喚した精霊や動物を、きちんとコントロールすることまでできて初めて完成なのです」
――なるほど、そういう仕組みってわけか。
彼方は自分が召喚された時のことを思い出していた。あの時は紙ではなく地面に、もっと大きな召喚陣が描かれていたが――ようは同じような理屈で、彼女は異世界である地球から自分を呼びだしたということなのだろう。
ただ、意思のコントロールは受けていない。彼方自身の意思で身代わりを務めてくれないと意味がないと思ったのか、そもそも不可能な理由があったのかは定かでないが。
「それでは、やってみましょう」
「はーい!」
「質問があったら、随時先生に声をかけてくださいねー」
生徒達が良い子の返事をし、いざ実習が始まった。彼方は思った――できる気がまったくしねえ、と。
――普通の魔法もろくに扱えないのに、召喚魔法とか絶対ムリゲー!
机の上に紙を置いて、風で飛ばされないようにピンで固定する。そして、自分の魔術武器である魔導書を手に持って、むむむむ、と意識を集中させた。
魔法の基本は、自分の中に巡る魔力をきちんとイメージし、コントロールするところから始まるらしい。己の中に、青白く光る魔力の本流が血液のように流れているのをまずしっかり想像する。そして、その力が魔導書に集まり、次に召喚陣に流れて集まっていき、そこに留まる。これが、いわゆる“魔力を練り上げる”作業になるという。ベテランになればなるほど、体内の魔力をスムーズにコントロールできるようになるという。
――た、溜まった?魔力、ちょっとは溜まってきた?
少しずつ、体温が上昇してきたのを感じる。体を巡る魔力を、ちょっとずつ魔法陣へ流し、流し、ダムをせき止めるようにためこんでいく。が、うまくいっているかはちょっとわからない。なんせ、魔力を上手に溜める作業に成功していたところで、スペルを唱えるまでは魔法が発動しないからである。
「え、えっとスペルなんだっけ……た、“太陽と月、森の息吹と共に……”どわっ!?」
じゅっ!と嫌な音がした。次の瞬間、魔方陣の中心がぶすぶすぶす、と焦げ始める。ぎゃあああ!と彼方は悲鳴を上げた。
「か、火事火事火事!水水水水うううう!」
「ちょっと、何やってるの!?」
慌てて先生が飛んでくる。すぐに水の初期魔法が使用された。ボヤになる前に小さな火は消されたが、机は水浸しな上、魔方陣は焦げ使い物にならなくなっている。机もびしょぬれ、紙と一緒に台無し状態だ。
「何で召喚魔法をやるのに、炎魔法を使おうとしているんですか!魔力を放出するイメージじゃなくて、異世界の門を開くイメージですよ!」
「す、すみません……」
「まったくもう。雑巾で机を拭いたら、新しい紙を取りにいらっしゃい」
「……ハイ」
周囲から、くすくすと笑う声がする。ああ、異世界人を呼べるくらいのスキルを持つジャクリーンなら、きっとこんな間抜けな真似なんかしなかったんだろうな、と恥ずかしくなってくる。彼女は性格は最悪だが、魔法の才能があるのは間違いなかっただろうから。
なお、このあと新しい紙を貰ったものの、一向に魔法は発動せず。そもそも魔方陣を書き間違えていることが発覚し、再度新しい紙を貰う羽目になるのはここだけの話。
「どうしたっていうの、ジャクリーン。以前までの貴女なら、これくらいの魔法簡単にできたはずでしょう」
「……スミマセン」
ああ、ポンコツでごめんなさい。項垂れるしかない、彼方であった。
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