<2・Teleport>
「あっで!?」
彼方が思いきり投げ出されたその場所は、どうやら芝生の上であるらしかった。背中がなんだかちくちくする。もっとも、硬いコンクリートの上だったのなら怪我をしていたのかもしれないが。
目の前に、青空。一体何が起きたのかさっぱりわからなかった。体育倉庫の中、跳び箱の裏で紫色の光を見た。それがなんだか、ラノベで見そうな魔法陣の形をしていたような気がする――が、覚えているのはそこまで。突然目の前が真っ暗になったと思った瞬間、現在こうやってひっくり返り青天を晒している状態である。
綺麗な空だなあ、とどこか暢気に思った。多分、半分は現実逃避だ。
「やっと成功しましたわ!」
「!?」
すぐ近くで、艶やかな女性の声が聞こえた。なんだ、と思った瞬間、黒い影が顔の上に落ちてくる。
顔を思いきり覗きこまれたのだと気づいた。しかし、逆光になっているので、すぐに相手の顔がわからない。どうやら女性らしいこと、長い髪の持ち主であるらしいこと、はわかるのだが。
「あら、本当にわたくしそっくりの顔だわ。……あら?貴方、ひょっとして……」
そして彼女は。失礼にもぺたぺたと彼方の胸を触ってきたのだった。いくら男の身とはいえ羞恥心はある。ましてや、相手の意図がなんとなくわかったから尚更だ。彼方は怒りのまま“触んじゃねえよ!”と上半身を起こすと同時に相手を振り払った。
「おい、誰だよお前!失礼、つーかセクハラだぞセクハラ!」
相手が勢い余って尻もちをついた。ふわり、とピンク色のスカートが揺れる。ドレスみたいだな、と思って相手の顔を見た直後――彼方は完全に固まることになったのだった。
「ちょっと、何するんですの!」
長いウェーブした栗色の髪。
紫色の大きな瞳。
髪型と性別こそ違うが、その女の顔はまさしく。
「お……俺ぇ!?」
いかにも、悪役令嬢モノに出てきそうなピンクのドレスのお嬢様は。
彼方と、まったく同じ顔をしていたのだった。
***
「これは予想外ですわね……」
そのお嬢様は、驚いたように首を傾げていた。
「確かに、わたくしの身代わりができるくらい、わたくしそっくりの人物をよこしなさいと精霊に命じたのは事実。実際、貴方はわたくしと同じくとても美しい顔をしているけれど……まさか、男性が呼ばれてくるなんて思いませんでしたわ」
「ごめんちょっと何言ってるのかわからない」
「だから!わたくしが、貴方をこの世界に召喚しましたのよ。わたくしの身代わりをしてもらうためにね。理解しました?」
「……理解したくないデス」
もしやこれは、ラノベあるあるの“異世界転移”というやつなのか。 彼方は頭を抱えるしかなかった。正直信じたくない。こういうものは普通、現世に絶望して、現世の自分を捨てて異世界でヒャッホーしたい奴が呼ばれるものではないのか。すごいいじめっ子だとか、ブラック企業だとかで現世に未練がないヤツが。
彼方はそうではない。部活の片づけのあとは、部長として監督やコーチとミーティング予定だった。自分がいなかったら確実にみんなを困らせてしまう。将来有望そうな一年生の名前も伝えてないし、リレーの団体メンバーに推薦したい二年生のことも話せてない。それからトレーニングメニューも変えたいと言おうと思ったのにそれもできなかった。
もっと言えば、今日は待ちに待ったテレビアニメ“チェイン・ルーサーズ”の第二期の第一話が始まる日だったのだ。リアルタイムで見るため、なんとしてでも八時にはテレビの前で待機していたかった。録画もしてあるがそれはそれ、ソッコーで見て友人達と喜びを分かち合いたかったというのに。
――あーこれは夢、きっと夢、夢に決まっている、夢に違いない。ていうか夢じゃないと困るんだよこんちくしょおおおおお!
頭を抱えて呻く彼方を、少女は呆れたように見下ろす。
「いつまでそこで悶えてるんですの?貴方も男ならシャンとなさいな!」
「いや、誰のせいだと思ってんの、ねえ!?」
「誰のせいも何も、絶世の美姫と名高いこのロイド侯爵家の跡取り娘、ジャクリーン・ロイド様に召喚してもらえたのよ?光栄に思いなさいな!」
「俺と同じ顔の女なんかありがたくもなんともねえよ!つか、お前そういう性格かよ!」
なんて横柄な。人の事情も知らずに無理やり召喚しておいて、ごめんなさいの一言もなしなのか。段々と腹が立ってくる。なんで、自分がこんな目に遭わなければいけないのか。
彼方はまだぐらぐらするこめかみを抑えながら立ち上がり、周囲を見回した。どうやら、ここはどこかのお屋敷の庭であるらしい。ぐるりと三方を塀で囲まれ、正面には青くピカピカと光る三角屋根の館が見える。あちこちに青々と葉が茂る木々が立ち並び、その隙間からは噴水らしきものも見えた。侯爵家と言えば、貴族の中でも相当上位の身分のはず。なるほど、お金持ちの家であるのは間違いないらしい。自分が今立っているのは芝生だが、噴水の方は立派な石畳になっているようだった。
そして、目の前に立つジャクリーンとかいうお嬢様の足元には、紫色の魔法陣。――間違いない、彼方があの体育倉庫で見かけた魔法陣はアレだったのだ。
自分はそんなやばいものにうっかり近づいてしまったというのか。あるいは、そもそも自分が、この女のせいでそれに引寄せられたのか。ああ、なんて厄日なんだろう。
まあ、次の瞬間はっと目が覚めて、自分が己の部屋のベッドで眠っていました、というオチなら許さないこともないが。そう、これが本当に夢であってくれたらどれほどいいか。
「あら、逃げる段取りでも考えてますの?」
ジャクリーンは、嘲るような笑みを浮かべて言う。
「残念ですけど、逃げられませんことよ。この屋敷は、厳重に警備されてますの。わたくしが一言命じれば、警備兵が即座に駆けつけますわ。わたくしが用意したお客様用の寝室ではなく、冷たい地下牢にどうしても行きたいというのなら無理に止めませんけど」
「お前、性格悪いって言われね?」
「失礼しちゃうわ、わたくしほど完璧な侯爵家令嬢はいませんのに!」
いや、どう見たってあんたヒロインじゃなくて悪役令嬢じゃん、とは心の中だけで。そう言ったって、この女に通じる気がしない。
「わたくしは親切ですから、今から丁寧に貴方の状況を説明して差し上げますわ。感謝しなさい!」
どこまでも上から目線の女は、半ばふんぞり返りながら彼方に説明してくれた。
いわく。
彼女は、偉大なる魔女の一族の跡取り娘であるとのこと。
ただし、一族に一人前の魔女として認められるためには、中等部の卒業試験を優秀な成績でクリアして卒業しなければならないということ。
そのためには、学校のルールに則って“姫に仕える騎士”を集めなければならないということ。
が、騎士集めなんてタルい真似をするのがめちゃくちゃ面倒――というか苦手なので、自分の代わりに通学して騎士集めをしてくれる人間を探していたのだということ。
最終的にその人間を異世界から呼ぶのが手っ取り早いということになり、彼女は“自分と入れ替わってジャクリーンになりきれるくらい、自分そっくりの人間”という条件で召喚魔法を発動したということ。
その結果、呼びだされてしまったのが彼方である、ということ。
「いやいやいやいやいやいやいやいや」
彼方はぶんぶんぶんぶん、と首を横に振って言った。
「突っ込みどころ満載すぎるんだけど!つか、そのアンタの卒業試験だろ、騎士集めもどう考えても試験内容に入ってんじゃねーか!自分でやれよ自分で!人任せにすんじゃねええ!!」
「う、うるさいわね!なんでわたくしが、男どもに媚びを売って、騎士になってくださいなんてお願いしなければなりませんの!?」
「そういう考え方が駄目なんだろうがよ!」
ああ、なんだか想像がついてしまった。こいつのツンデレと上から目線すぎる性格に辟易して、彼女の騎士とやらになってくれる男がまったく集まらなかったというオチだろう。騎士、とやらがどういうものなのか現時点ではまったくわからないが、名前からして共に戦うチームのようなものであるようだし。
「でもって異世界から人を無理やり拉致ってくるって発想になるのもおかしい!」
「この世界の人間を拉致したら足がつくじゃないの!異世界の人間は戸籍なんかないんだから楽でしょ!?」
「それ犯罪者の発想!!」
そもそもの話だ。
「それに、何でその条件で呼びだすのが俺なんだよ。年は確かに同じくらいみたいだけど、男と女だぞ、バレるだろ普通に」
そういう時は、そっくりな“女”が召喚されるものではなかろうか。何故、異性である自分が選ばれるのかさっぱりわからない――そう思ってジャクリーンを観察して、彼方は気が付いた。
ジャクリーンは、女性としては声が低い。大人の女性のハスキーボイスといったかんじだ。それに対して、彼方は男子中学生として考えた場合かなり声が高い方である。俗にいう、“女性役もできそうな某男性声優”みたいな声だと言われたこともあるほどに(声変わりは終わったはずなのだけれど)。ぶっちゃけ、ジャクリーンよりも自分の方が声が高いかもしれないほどだ。
でもって。ドレスでわかりづらいが、ジャクリーンは結構――。
「……ああ、なるほど。お前超貧乳なんだな、理解した」
「ううううううるさいですわよ!」
がばっ!と真っ赤になって胸を押さえるジャクリーン。レースで誤魔化されているが、彼女の胸の大きさはかなり残念、というかほぼ真っ平に見えた。なるほど、そりゃ魔法に“男の身代わりでもバレないだろ”と判断されてしまうわけである。――というか、恥ずかしがっているがこいつも初見でいきなり男か女かわからない相手の胸をまさぐってきたのだからオアイコではないか。というか、むしろそっちのがセクハラだぞ、と彼方はジト目になる。
身長も、恐らくほぼ同じくらい。体格も、若干彼方のが骨ばっているように見えるかどうかくらいの差しかないだろう。確かに、分厚いドレスを着て、髪型をちょっといじればわからないかもしれない。非常に悲しいことだが。
「……まさかとは思うけど、お前、俺に女装して学校に通えと?」
ここでようやく、彼方は自分がこれから要求されそうになっているとんでもない事実に思い至った。
身代わりをする、ということは。自分が、ジャクリーンが今着ているようなフリフリのドレスっぽい服を着て学校に通わなければならないということではないのか。
「ムカつきますけど、貴方もわたくしと同じ美しい顔の持ち主のようですし、声と体格も特に問題なさそうですものね。入れ替わってもバレないと思いますわ。うっかりトイレと着替えで失敗しなければ」
「絶対嫌だ!なんで俺がお前の身代わりなんかしなくちゃいけねーんだよ!ただでさえこの顔がコンプレックスだってのに、誰が好き好んで女装なんか……!」
「まだご自分の立場がわかってませんの?貴方に拒否権はございませんことよ。それとも、まさか本当に地下の独房がお好みですの?」
「あぐっ……」
これ、マジか。本当にマジなのか。
冷や汗をだらだら流す彼方の肩を掴み、ジャクリーンは悪魔のごとき笑みを浮かべて言ったのだった。
「大丈夫ですわ、ほんの半年ばかり頑張っていただければいいだけですの。貴方がわたくしの言う通りの働きをしてくだされば、毎日温かいベッドとご馳走と高級なお洋服を用意しますわ。そして、お仕事が終わったらちゃーんと、貴方を元の世界に帰して差し上げます。……ね、わたくしの言うこと、聞いてくださいますわね?」
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