標本No.4 トビズムカデ 6

 そんな生活が半月ほど続いたある日、秀樹は会社のOB会総会・懇親会に出席するために外出した。

 入れ替わるように、沙也加が訪れた。炒ったミルワーム(飼育動物の生餌いきえにするために増殖・販売されている甲虫の幼虫)を摘まみながら、ダイニングルームで作戦会議を開いた。

「あいつ、どう?」

「しばしの平和を謳歌してるわよ。このミルワーム、案外いけるね。モグモグ」

「その平和がもうすぐ崩れようとは、想像もしてないだろうな。モグモグ。でもこれ、ちょっと歯に粘り付くね」

「そうね。なまのまま方が、食べやすいかもね」

「そりゃぁ、どんな虫も、生が一番美味しいんだけど」

「生は寄生虫が怖いよね。たとえば、川で釣った川魚を生で食べると、サナダムシだとかに寄生されることもあるんでしょ?」

「そうだね。あ、私驚いたんだけど、ナメクジにも寄生虫がいることがあるらしいよ」

「え、そうなの? この前、庭にいたナメクジ、生で食べちゃったな」

「母さん! 虫は養殖もの以外、生で食べない方がいいよ。それに、ナメクジがくっついていたキャベツなんかに、寄生虫が残っていることもあるってさ。だから、野菜を生で食べる時は、よく洗った方がいいよ」

「へー、そうなんだ」

「でも、このミルワームは養殖ものだから、寄生虫の心配はないよ」

「そうね。ところで、今日は反撃の準備だよね。ウフフフフフ」

「駆除業者という思わぬ邪魔が入って、予定が少し狂ったけど、いよいよ決着をつける時が来た。まず、いろいろな虫をいっせいに放つ」

「業者が殺虫剤を撒いてから間がないけど、大丈夫なの?」

「やっぱり、あの業者、悪質業者のリストに載ってたよ。説明してたことは、大部分嘘だと思う。見せた画像も、この家のではなくて別物だろうね。殺虫剤の散布だって、たぶんいい加減だよ。新たに編成した大部隊を投入するから、何とかなると思う」

「それで、トドメは?」

「すごいスナイパーを養成している」

「スナイパーって?」

「狙撃兵。特定の人物だけを狙う凄腕。とても小さいけど」

「何、何? 早く教えてよ」

「マダニ。草叢くさむらとかにいて、動物や人間が近づくと、体に張り付いて血を吸う。でもそれだけじゃなくて、病気も媒介するんだ。中でも、SFTFというウィルス病は、うつされると悪化して死ぬこともある。まだ、治療法が見つかっていないそうよ」

「マダニをあいつの体に、たからせようというわけね。でも、どうやってマダニを手に入れるの?」

「マダニは、草叢なんかに普通にいるけど、必ずしもSFTFウィルスを持っているわけじゃない。でも、私は手に入れたの。勤めているお店は、動物病院とも繋がりがあるんだけど、そこを通じて、SFTFに感染したネコから採取されたマダニを手に入れたのよ。このマダニは、そのウィルスを持っている可能性が高いと思う」

「へえー、すごいわね。あとはどうやって、あいつの体にたからせるかだね」

「後で怪しまれないためには、あいつがゴルフに行く前日に、たからせるのがいいね。草叢がある屋外でマダニにたかられたということで、バッチリ辻褄が合うよ。マダニはいったん人や動物の体に取り付くと、口器こうきという器官を皮膚にガッチリと差し込んで、ちょっとやそっとでは離れない。そうして、数日、長いと10日くらいかけて吸血するの」

「恐ろしいわね。でも、あいつには打って付けだね」

「一番のネックは、どうやってマダニをあいつの体にたからせるかだよ」

「あいつ、いつもパンツ1枚で寝るのよ。それに、寝ている間に、うつ伏せになることも多い。そこを見計らって、あいつの背中にマダニを乗せてあげるというのはどう?」

「いいねー。ちょっと綱渡りだけど、だめなら無理せず、別の機会を狙えばいい」

「確か今月の28日だったな、ゴルフに行くのは。コースは埼玉県の河川敷のはず」

「そこが狙い目だね。その2~3日前に、スナイパーを連れてくるよ」


 沙也加が訪れた日の翌日から、ゴキブリやゲジが再び家の中に出没するようになった。驚いた秀樹は、すぐにムシムシ・バスターズに電話した。しかし、「この電話は現在使われておりません」というメッセージが流れるばかりだった。

 憤った秀樹は、蝉山らから受け取った名刺に書かれている住所を頼りに、同社に乗り込んだ。住所地はテナントビルの一室だったが、ドアに鍵がかけられていて中に入ることはできない。外から覗った様子では無人のようだった。秀樹は、虚しく引き上げるしかなかった。

<ちくしょう。まんまと騙されたな。これでまた、もとの虫屋敷か。だが、東都大とうとだい法学部卒。世界に冠たる四葉物産よつばぶっさんの、本社部長まで務めたこの俺だ。あんな雑魚ざこなんかに、負けてたまるかぁぁ。絶対に奴らの尻尾しっぽを摑んで、目にもの見せてやる。早く帰って確かめなくちゃな。楽しみだぜ。へへへ>


 数日後、妙子は沙也加に電話で連絡を取った。

「もしもし、沙也加? 母さんだけど。あいつ、今月の26日に、会社で部下だった人と飲みに行くそうよ。その人もすでにリタイアしているらしい」

「へえ。リタイア後も元上司に付き合わされる人も大変だね。そうすると、Xデーは26日に決まりだね」

「そうね。あいつは飲むと必ず深酒するから、家に帰ったあとは大いびきをかいて寝るはずよ。でも、母さん一人でやるのは自信がないし、怖いよ。沙也加も来てくれない?」

「もちろん行くよ。その日の夕方、スナイパーを連れて家に行くよ」


 26日、秀樹は夕方出かけていった。

 しばらくして、沙也加がクーラーボックスを携えてやってきた。今夜の作戦の段取りを打ち合わせてから、沙也加は自分の部屋に隠れて待機した。

 沙也加の部屋は、2階の主寝室の向かいにある。沙也加が家を出たあとも、そのままにしてあるのだ。


 秀樹が帰宅したのは、午前0時過ぎだった。

 妙子は主寝室にある自分のベッドに寝ていたが、もちろん眠ってはおらず、秀樹の気配に耳を澄ませていた。秀樹はシャワーを浴びているようだ。やがて、階段を上がる足音がして、寝室に入ってきた。しばらく隣のベッドに腰かけていたが、臥床がしょうする気配がした。

 妙子は1時間ほど、自分のベッドの中で息を潜めるようにして、秀樹の様子を窺った。天井の照明は消してあるが、二つのベッドの間にあるベッドサイドテーブルのフットライトは点いているので、ぼんやりと隣のベッドの様子が見える。

 妙子は、ゆっくりと半身を起こして、秀樹を見た。こちらに背を向けて横たわっている。季節柄、掛けているのはタオルケット1枚だが、足元の方でひと塊になっている。いつものとおり、身に付けているのは、トランクス型のパンツだけだ。鼾は聞こえない。

 妙子は音を立てないよう、ゆっくりとベッドから抜け出すと、部屋から出た。向かいにある沙也加の部屋のドアを、そっとノックした。すぐに扉が開いて、パジャマ姿の沙也加が出てきた。手には、小型のプラスチック・ケースとピンセット、ペンライトが握られていた。すぐにペンライトを妙子に渡した。

 二人は、そっと主寝室のドアを開けて、音もなく部屋に入った。そして、二つのベッドの間に立ち、眠り込んでいる秀樹の上に屈み込んだ。

 沙也加は右手の親指を立て、妙子が頷いた。


 と、その時だ。

 突然、秀樹がベッドから降りて立ち上がり、素早くドアの方に回り込んだ。出口を塞ぐようにして、ドアの前に仁王立ちになった。

 妙子と沙也加は、思わずその場に立ちすくんでしまった。秀樹が部屋の明かりを点けたので、ひどく眩しかった。

 秀樹は鬼面きめん形相ぎょうそうで、二人を睨みつけている。

「まんまと引っ掛かりやがったな。薄汚い雌豚どもめ!」

 秀樹の右の口角が、ピクつきながら持ち上がった。

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