標本No.4 トビズムカデ 5
ムシムシ・バスターズの社員は、朝9時ごろ家に来た。
40歳代と20歳代くらいの男二人で、両名ともツナギのような形の真っ赤なユニホームに身を包んでいる。
玄関で彼らを見た瞬間、秀樹はムカデの赤い頭や、鳶頭医師の
<だめだ、だめだ。下らない虫のことが頭にこびり付くなんて、我ながらどうかしている。もっと冷静にならなきゃいかん>
年上の方は
「お話をお伺いすると、出てくる虫の種類がとても多いようですが、庭も含めて、一掃したいというご希望ですね? 特に重点的な駆除を希望される虫はありますか?」
「1匹残らず駆除、いや、抹殺していただきたい。なかでもムカデは、私に咬みついて医者に行く羽目になりましたんで、憎んでも憎み足りない奴です。絶対に仕留めていただきたい」
「お任せ下さい」
「余談ですが、ムカデに咬まれた時にかかった医者が、呆れるほどひどい藪医者でしてね。痛がっている患者を前にして、下らんムカデ談義をおっぱじめたんですよ。つるっぱげの頭が真っ赤で、ムカデの化け物みたいな医者でした。そんなひどい藪医者にかかる羽目になったのもひとえに、咬んだムカデのせいです。とにかくそのムカデだけは、絶対に殺していただきたい」
「大変だったんですね。必ず仕留めてみせます。ただ、あらかじめお断りしておかなければならないことがあります。それは、一度完全に駆除したからといって、その効力がずっと続くものではないということです。当社が使う特殊な殺虫剤は特許出願中でして、効力の強さや持続期間は、他社のものに比べてはるかに優れています。とはいえ、恒久的なものではありません」
「まあ、それは、そうでしょうね。分かりますよ」
「ありがとうございます。そこでお勧めしたいのは、こちらの『根こそぎ
脇から興梠が、タブレット端末を差し出した。
「これは、年4回定期的に『根こそぎ殲滅プラン』を施工するとともに、その間の月については、月1回点検に伺うという、まさに完璧を期すコースでございます。このプレミアムコースはお陰様で、富裕層や著名人の方々にご好評いただいております。例えば3年くらい前、渋谷区の
「うーん。それは、今回の実績を見てから、考えますよ」
「はい、ごもっともです。ところで、シロアリ防除はなさっていますか?」
「10年くらい前にやったかな? その後はやってませんね」
「それは非常に良くありませんね。殺虫剤の効力は、とっくに切れていると思います。だいたい、5年くらいしか持ちませんから。その点、『根こそぎ殲滅プラン・プレミアムコース』には、白アリ防除も含まれております」
「そのコース、年間費用が500万円とありますね。ちょっと高いですよ。いちおう考えてみますけど」
「よろしくお願いします。では、まず外回りを、次に室内を拝見します。室内では、ご家族様のお立ち合いをお願いします」
蝉山と興梠は、床下や屋根裏も含めて、念入りに点検しているようだった。リビングで、結果の説明が行われた。
「築15年とのことですが、正直に申し上げると、その割には老朽化が進行していますね。まず、床下です」
蝉山は、タブレット端末の画像を見せながら説明した。
「ほら、ここです。
「え? その腐朽菌というのは、どんな害があるんですか?」
「読んで字のごとく、木材を腐らせてしまいます。当然、その木材はボロボロになって、強度が極端に下がってしまいます。そうすると、大地震や台風などによる強風で、家が倒壊する恐れもでてきます。つまり、極めて危険な状態です」
「ふーん。腐朽菌が発生する原因は何ですか?」
「床下にこもってしまっている湿気です。とにかく、湿気は家にとっては大敵なんですよ。それに加えて、白アリ防除で散布した殺虫剤の効力が、ずっと前に切れています。だから、いろいろな不快害虫が集結し、それを餌にする虫も、続々と集まってくるというわけです」
「なーるほど。どおりで、虫が多いわけだ」
秀樹は納得顔で頷いた。
「ここに虫が見えますでしょ? これはカマドウマです」
蝉山が、タブレットの画面を指差した。
「げっ、不気味な奴だな」
「別名は、『便所コオロギ』です」
興梠が一言だけ補足して、また沈黙した。
「ここには映っていませんが、ほかにゲジやヤスデ、コオロギ、クモ、ダンゴムシ、ハサミムシなどが、ウヨウヨしていて、まるで害虫の楽園です。どいつもこいつも、動きが活発で元気
「ムカデはいませんでしたか?」
「乾いた死骸はいくつもありましたよ。この写真です。でも、生きているムカデは、床下、屋根裏、庭、どこにもいませんでした。家具の裏かどこかに、潜んでいるんでしょう」
「あいつめ……。それで、ゴキブリは?」
「よく、ゴキブリを1匹見かけたら、裏に100匹いるといいます。システムキッチンの裏などに巣があるのでしょう。それから、これが天井裏の写真です。ここに白い色の染みが見えますね。これは、コウモリの糞です。屋根のどこかから、コウモリが出入りしているのかもしれません。夕方、飛んでいるコウモリを見かけませんか?」
「さあ、どうかな。妙子は見たことあるか?」
「そういえば、辺りが薄暗くなってから、何かが飛びまわっているのを見たことがあるような気もするわね」
「やはり、そうですか。コウモリに間違いありませんね。コウモリの侵入を防ぐには、屋根にある侵入口を探し出して、金網などで塞ぐ必要があります。足場を組まなくてはならないので、多少費用は嵩みますが」
「気味の悪い動物が天井裏にいると思うと、うかうか寝ていられませんよ。出費はやむを得ないです」
「それが得策だと思います。コウモリは屋根裏にぶら下がって
「うわー。寝ていたら、天井が抜けて大量の糞が降りかかってくる、なんて図は想像するだけでゾッとするな」
「それだけではありません。屋根裏にコウモリがいると、それを狙ってヘビが登ってくることもありますからね」
「ヘビですか! 苦手中の苦手だ」
「それと、先ほども申しましたが、床下の湿気がとにかく凄いんですよ。だから、根太を腐らせる菌が繁殖するし、害虫にとってはパラダイスと化しているのです。そこで、ご提案です。当社独自の『チャコール
「何ですか? それは」
「こちらをご覧ください。木炭には、湿気や臭いを吸い取る作用があることはご存じと思います。焼き鳥などで有名な高級
「なるほど、これは効果がありそうな感じだな」
「いちど床下を徹底的に殺虫・消毒し、その後で『チャコール徳袋びっしりプラン』を施工すれば、殺虫剤の効果もグンとよくなります」
その後も、害虫駆除に絡めて、いろいろな商品の売り込みがあった。秀樹は、熱心に耳を傾けていた。
<沙也加が言っていたけど、この業者、どうも
結局、秀樹は蝉山が示した提案のうち、『根こそぎ殲滅プラン・プレミアムコース』を除くすべてを発注した。総額は約400万円だった。
秀樹が発注したプランは2週間後、まだ6月だというのに夏のように暑い日が続いた3日間に施工された。 施工後、害虫はピタリと出なくなった。
秀樹は偽装出勤を止めた。
家にいることが多くなったが、家にいてもすることがなかった。せいぜい、ソファに寝転んで、テレビを見るくらいだった。しかし、秀樹はとても満足だった。変な虫がいなくなっただけで、幸せを感じた。
他方、妙子の外出は増えた。近所の老人会での手伝いボランティア、カルチャー教室、フィットネス、買い物、近所の奥さんたちとのお茶会や日帰り旅行など。もともと妙子は活動的で、いつも何かをしていないと気が済まないたちだった。しかし、できるだけ秀樹と顔を合わせる時間を短くしたいという意図があったのは、言うまでもない。
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