標本No.4 トビズムカデ 7

「ついに、尻尾を出したな。お前ら、こんな夜中に、何やってんだ?」

「な、何でもないわよ。久しぶりに沙也加と一緒に寝ようと思って……」

「嘘つくなら、もっとましな嘘をつけよ。相変わらず、頭が悪いな」

「私は自分の部屋に戻るから、そこをどいてよ」

「そうはいかない。お前らの悪だくみは、全部バレてるんだぜ」

「何のことよ」

「俺が殺虫剤や忌避剤を大量に撒いたのに、まるで効果がなかった。どう考えても、おかしいよな。それで、はたと気が付いたんだよ。お前らが何か悪さをしているんじゃないかとね。それで、ダイニングに盗聴器を仕掛けた。そしたら、まんまと引っかかりやがった。ザマァ見ろ。ダハハハハハハハ」

「家族に対してスパイみたいな真似まねをするなんて、あなたって最低な男ね」

「ふん。何がスナイパーだよ、狙撃兵だよ。笑わせるね。お前ら、俺のことを『あいつ』と呼んでたな。長い間汗水たらして働いて、養ってやったのに、いったい何様のつもりだ?」

「へえー。そこまで知られたんなら、仕方がない。本当のことを聞かせてやるよ。お前のことなんか、ずっと前から夫だとは、これっぽっちも思ちゃいない。家に給料という蜜をせっせと運ぶ、ただの働きバチだったんだよ、お前は。もっとも、ケチなお前は、ずいぶん蜜を独り占めしてたな。それを、どっかで作った女に、貢いでたんだろ? でももう、お前は蜜を運べないんだよねー。だから、お前なんかお払い箱さ」

「な、何だと! このバカ女め」

 いつ用意したのか、ドアの脇にアイアンのゴルフクラブが1本立てかけられている。秀樹は素早くクラブを手に取った。

「何するのよ。乱暴すると、大声を出すわよ!」

「大声でも何でも、出せばいいさ。隣の家は離れているよなぁ。それに、この家の窓は二重サッシで、防音効果抜群なことは、お前たちも知ってるだろ? 大声をあげたって、誰にも聞こえないよ。さ、二人とも覚悟しろよ。さーて、まずは不届きなババアからだ!」

 秀樹は、妙子に襲いかかった。クラブを思い切り振りかぶって、妙子の頭めがけて振り下ろした。妙子がとっさに頭を傾けたので、クラブは肩に当たり、鈍い音を立てた。

「ぎゃ!」

 妙子はその場にうずくまった。

 その姿を見た秀樹の殺意は、火の点いたマッチがガソリンに投げ入れられたように、一気に燃え上がった。蹲る妙子の背中に、何度もクラブを振り下ろした。そのうちに、クラブが途中でひん曲がってしまった。


 その隙に沙也加はベッドの上を横切り、ドアから出て自分の部屋に逃げ込んだ。

 それを見た秀樹は、ただちに沙也加を追った。沙也加の部屋に入るとすぐに照明のスイッチを入れたが、沙也加の姿はない。

「どこだぁ? 沙也加ぁ。どこに隠れたぁ?」

 沙也加は、ベッドの向こう側にしゃがんでいるらしい。頭頂部が見え隠れしている。

「ほーら、見ーつけた」

 秀樹はすぐには踏み込まず、この瞬間を楽しむかのように、嬉しそうな薄笑いを浮かべた。

「知ってるぞ。首魁しゅかいはお前なんだろ? お前は教養がないから知らないだろうが、首魁というのはな、首謀者のことだ。だが、間抜けな首魁がいたもんだ。マダニだって? そんな小虫1匹で、俺を倒せるとでも思ったのかい」

「……」

「お前は小さい時から、可愛げのない奴だった。俺になつこうとしないで、反抗ばかりしてたな。そして、このざまだ。俺を殺そうなんて大それたことをたくらみやがって。刑罰はな、従犯より主犯の方がずっと重いんだ。お前は、俺がこの手で絞め殺してやるよ。一気に殺さず、ジワジワとな」

 いつの間にか、秀樹の手には細くて白いひもが握られていた。

 秀樹がベッドを回り込むと、しゃがんで下を向いている沙也加の姿があった。

「大人しくしてろよ。もう、これ以上俺をてこずらせるな。あの世でババアが待ってるしなぁ」

 秀樹が沙也加に手を伸ばそうとした瞬間、ベッドの下から何かを取り出した沙也加がすばやく立ち上がった。そして、手にしたプラスチック容器に入っているものを、秀樹にぶちまけた。

「げっ!」

 それは、数10匹はあろうかというムカデだった。しかし、秀樹がとっさに身をかわしたので、ムカデは秀樹の体には降りかからなかった。床に落ちたムカデの群は、身をくねらせながら、いっせいに四方に散り始めた。

 秀樹は、自分に近付いてくるムカデを、スリッパをはいた足で蹴とばしたり、踏み潰したりした。

「残念だったな。俺もなぁ、お前たちの虫攻めに晒され続けたお陰で、虫への耐性が多少身に付いたようだぜ。ほれ……」

 英彦はまた1匹、ムカデを踏み潰した。生命力の強いムカデは踏まれてもすぐには死なず、その場で打ち回っている。

「お前の手下が踏み潰されていく気持ちはどうだ? だが、余興はお仕舞いだ。ババアが、あの世でお待ちかねだぞ。早く行ってやれや」

 秀樹は、両手で白紐を摑んで、しゃがんでいる沙也加にゆっくりと近付いていった。 

 沙也加はしゃがんだまま秀樹を見上げ、憎悪に満ちた目で凝視している。

「苦しみが長く味わえるようになー、なるべくゆっくり、じっくりと首を絞めてやるよ」

 兎の前でよだれを流す狼と化した秀樹は、沙也加の視線が一瞬、彼の後ろに向いたのに気が付かなかった。


 突然、何者かが背後から秀樹に抱きつき、秀樹のうなじに嚙み付いた。

「イテテテテ。何しやがる」

 秀樹は振り返って、その者の方に向こうとした。しかし、その者は両手で秀樹を抱えるようにして押さえ付けている。その腕力は異様に強く、振りほどくことはできないばかりか、呼吸しにくいくらいだ。

 嚙み付かれている項が、熱で焼かれたように痛くなってきた。

「だ、だれだ、お前は……」

 秀樹の体が小刻みに震えだし、急に体から力が抜けていくような感じがした。

 それを見計らったように、後ろにいる者は嚙み付いていた口を離し、両腕で秀樹を抱えたまま、後ろに下がっていった。部屋の入り口付近まで引きずってくると、手を離した。

 秀樹は自力で立っていることができず、その場でヘナヘナとしゃがみ込んでしまった。これまで経験したことがないほど強烈な倦怠感が、全身を包んだ。秀樹は苦しさのあまり、大の字になって仰向けに横たわった。体が小刻みに震えている。冷や汗をかいた顔の色は青白く、唇は紫色だ。

 天井を向いた秀樹の視界の中に、二人の人間が入ってきた。二人は秀樹の両脇に立っていて、仰臥する彼を黙って見下ろしている。

「うぅ……、お前らは……」

 







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