標本No.9 ニホンミツバチ 2

 オオスズメバチの大群は、10箱の巣箱にいっせいに襲いかかりました。1箱当たり、20匹程度ということになります。

「一大事です! オオスズメバチが襲ってきました!」

 ある巣箱では、働きバチが女王バチに急報しました。

「何ですと! 皆で巣の入り口を死守しなさい。絶対に中に入れてはなりません!」

 働きバチたちは、巣の入り口に折り重なるように集まり、入り口を塞ぎました。

 スズメバチは、入り口の近くを飛び回り、様子を窺っています。

 そのうちに、2匹が入り口付近に降りました。そして、強大な大顎を使って、ミツバチを攻撃し始めました。ミツバチは、片っ端から胴体や頭を食い千切られ、死んでいきます。

 これに対してミツバチは、お尻にある毒針でスズメバチを刺そうとします。しかし、スズメバチは固いよろいで身を固めているので、ミツバチの毒針ではまったく歯が立ちません。

 先鋒の2匹が、ある程度入り口付近のミツバチを排除すると、飛びまわっていた他のスズメバチたちも、いっせいに入口に殺到しました。

 辺りにはたちまち、殺されたり瀕死状態に陥ったりしたミツバチの山が出来ていきました。

「母上。入口の守りが破られました! スズメバチは、間もなくここにもやってきます。すぐにお逃げ下さい!」

 伝令の働きバチが、女王バチに告げます。

「いえ。入口を破られたからには、もはや逃げ場はありません。私も共に戦いましょう」

 女王バチもスズメバチに立ち向かっていきましたが、たちまち首を斬られてしまいました。


 一方、こちらはクヌギの森の、オオスズメバチ王国です。

 伝令スズメバチが飛び込んできました。

「母上様。奇襲成功! ミツバチは壊滅状態です」

「そうか。次は、戦利品を我が王国に持ち帰る段取りじゃな。第2次攻撃隊200匹を出撃させよ。卵、幼虫、蛹、残らず持ち帰るのだ。いつ人間が来るか分からぬゆえ、急ぐのじゃ!」

「は!」

 再び、スズメバチの大群が、巣を飛び立っていきました。

 やがて、戦利品を咥えたり抱えたりしたスズメバチの大群が、意気揚々と巣に帰還してきます。巣全体が、大勝利に沸き立ちます。

 出迎える女王バチもご満悦です。


 戦勝の騒ぎが収まったころ、1匹の働きバチが、女王バチに尋ねました。

「母上様。カシの木のミツバチは、どうなさいますか?」

「もちろん、そこも攻撃する。ただし、少し待て。今奴らは警戒を強め、防備を固めているはずじゃ。お前も知っているだろうが、今日攻略したセイヨウミツバチに比べて、ニホンミツバチはちと手強いぞ」

「はい。知っております」

「少し間をおいて、油断させるのじゃ」


 ここは、カシの木のミツバチ王国です。

 伝令ミツバチが、女王の前に飛び込んできました。

「母上様! スズメバチの奇襲により、巣箱のセイヨウミツバチは、全滅した模様です!」

「そうか。スズメバチめ。何とも恐ろしい奴らじゃ」

「しかし、これで花の蜜も以前と同じようにたくさん採れるでしょう。母上様の策が成功しましたね」

 女王の世話係のハチが、女王バチを称えました。

「それはそうだが、明日は我が身かもしれない。一瞬たりとも警戒を怠らぬよう、皆に伝えよ」

「はい」

 犠牲になったミツコたち11匹のことは、まったく話題にもなりません。王国の存続のために働きバチが犠牲になることは、至極当然のこととされているのです。


 女王ミツバチの心配は、不運にも現実のものとなりました。

 セイヨウミツバチが壊滅した日から1週間くらい後の、雨が降りしきる日でした。オオスズメバチの大群が、カシの木のミツバチ王国に襲いかかったのです。

 たちまち、入口の防備が破られてしまいました。しかし、入口が狭いので、スズメバチは大挙して巣の中に乱入することができません。

「侵入してきた敵から順に、熱攻撃で殺せ!」

 女王バチは、働きバチに命じました。

 ニホンミツバチは、セイヨウミツバチにはない技を持っています。蜂球ほうきゅうによる熱攻撃です。1匹のスズメバチに対して、ミツバチが多数取り付いて、まるでハチの玉のようになります。

 もちろん、スズメバチは大顎や毒針を使って、ミツバチを殺しまくります。しかし、ミツバチたちはお構いなしに団子だんご状になり、同時に、胸の筋肉を震わせて、団子内の温度を上昇させます。スズメバチが耐えられる温度は、ミツバチよりも低いのです。この差を利用して、スズメバチを殺すというわけです。

 しかし、この攻撃とて犠牲は大きいし、一度熱攻撃に参加したミツバチは、疲労困憊して、すぐに攻撃に復帰することはできません。

 熱攻撃で殺しても、次から次へとスズメバチが侵入してきます。


「我が方の損害は甚大です。敵は圧倒的な数で、絶え間なく攻撃してきます。もはや落城は、時間の問題かと。母上様、私たちが血路を開きますので、どうかお逃げください!」

 側近の働きバチが、女王に進言しました。

「そうか、分かった。無念じゃが、2~3匹の側近だけ連れて、ここを脱出する。援護せよ!」

 出入り口付近の混乱に乗じて、女王バチと側近の働きバチ2匹が穴から飛び立ち、雨の中、いずこともなく飛び去りました。


 あとは、セイヨウミツバチの時と同じでした。ニホンミツバチは、熱攻撃で善戦しましたが、数と体力・攻撃力に勝るオオスズメバチの猛攻を凌ぐことはできませんでした。働きバチは皆殺しとなり、卵や幼虫、蛹が運び去られました。これらは皆、オオスズメバチの幼虫の食べ物になるのです。

 オオスズメバチも、子孫を残すために必死です。弱いものは強いものに食べられる。残酷なようですが、これも生き物が命を繋いでいく営みの一つに過ぎません。


 さて、1匹のオオスズメバチが、戦利品であるニホンミツバチの幼虫を摑んで、オオスズメバチの巣に向かって飛んでいました。雨はまだ降り続いています。

 すると突然、草の陰から何者かが飛び出してきました。アブの一種、シオヤアブです。肉食で、他の昆虫を捕らえて体液を吸います。とても機敏で、昆虫界きっての名ハンターとも呼ばれています。幼虫を横取りしようとしたのかもしれません。

 慌てたスズメバチは、抱えていた幼虫を落としてしまいました。地面に落ちた幼虫は転がって、葉っぱの陰に入りました。

 シオヤアブを追い払ったスズメバチは、幼虫を探して辺りを飛びまわりました。しかし見つからないので、諦めて飛び去りました。


 幼虫は、気を失って横たわり、降り続く雨に打たれています。

 しばらくして、どこからか飛んできた1匹のハチが、傍を通りかかりました。いったん通り過ぎましたが、幼虫に気が付いて、降りてきました。

「あれあれ、気を失ってるのかしら。可哀そうに、ずぶ濡れじゃない」

 ハチは、幼虫を自分の家に連れ帰ることにしました。幼虫を手足で摑み、飛び立ちました。しばらく飛ぶと、住んでいる木のうろに着きました。

 ハチは、幼虫をベッドに寝かせ、体を拭いてやりました。そのハチはメスで、体にミツバチのような黄色と黒の縞がありました。しかし、ミツバチよりずっと細く、特に腰がくびれていて、よいスタイルをしていました。


 やがて、ニホンミツバチの幼虫が目を覚ましました。

「気が付いた?」

 ハチは、優しく話しかけます。

「うん。ここはどこ?」

「ここはねー。あなたのお家よ。忘れちゃった?」

「思い出せない。何か、怖いことがあったような気がする」

「何も怖いことなんてないよ」

「僕は誰? それに、あなたは?」

「あなたはねー……、あなたの名前はミッチ。私は、あなたのママ。ヒメバチというハチよ」

「ミッチ……、ママ……」

「体の具合はどう? どこか痛くない?」

 ママは、ミッチの額に手を置きました。

「あ! すごい熱。ずっと雨に濡れてたからだわ」

「え? 僕、雨に濡れてたの?」

「そう。ママが出掛けているうちに、一人で外に出ちゃったのよ。外は凄い雨」

「僕、頭が痛い」

「それは大変。ママが、注射して治してあげる」

 ママは、後ろの方から細い管のようなものを出してきて、ミッチのお腹に当てました。

「ちょっとチクッとするけど、我慢してね」

 管の先は鋭くなっていて、簡単にミッチのお腹に刺さりました。

「痛いよ! ママ」

「すぐに終わるからね」

 ママは、自分のお腹に力を入れているようです。

「はい、終わったわよ。すぐに元気になるからね。さあ、眠りなさい」

 優しく布団をかけてくれたので、ミッチは安心して眠りにつきました。



 



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る