標本No.9 ニホンミツバチ 1

「これ知ってるよ。ミツバチだろ?」

 標本No.9の前に来た紀彦が言った。

「はい。ニホンミツバチです」

「ミツバチにも種類があるんだね」

「そうなんです。在来種のニホンミツバチと、養蜂のために外国から持ち込まれたセイヨウミツバチです」

「ふーん。さあ、これが最後の標本だね。話が長いのは御免被りたいな」

「それほど長くはありません。標本の配列と見学順は、見学される方の集中力や、疲労度などにも配慮して決めてあります。最後の標本ですので、お疲れのことでしょう。そこで、説明の物語はメルヘン、つまり童話仕立てになっています」

「童話? あまり興味ないな。今度こそ居眠りするかもな」

 若葉は、説明開始ボタンを押した。


  *


 昔、ある森に、一本の太くて高いカシの木がありました。

 その木の幹には、地面から2mくらい上の所に、長さが人差し指くらいの、細長い隙間がありました。

 その隙間から、小さな虫が出てきて飛んでいったり、また、どこからか飛んできて隙間の中に入ったり、忙しそうにしていました。

 それはミツバチでした。隙間の奥にミツバチ王国があったのです。

 隙間から中に入ると、そこは意外に広い空洞になっていて、板のようなハチの巣が、何段も作られていました。

 ミツバチ王国にいるのは、1匹の女王バチと、大勢の働きバチでした。働きバチは全員、女王バチの娘です。


 ある日、1匹の働きバチが、女王バチの前にやってきました。

「おお、ミツコか。何か用か?」

「はい、母上様。実は、困っていることがあります」

「困っていること? 申してみよ」

「近ごろ、みんなが集めてくる蜜の量が、どんどん減っているんです」

「そうか。大方、怠けている者がいるんじゃろう。誰じゃ? きつく仕置きしてやる」

「いえ、そうではありません」

「なら、どうしてじゃ?」

「森の外れに、草が刈り込まれている開けた場所がありますね」

わらわは忘れた。長い間、外に出ておらんからな。それで?」

「そこに、人間がミツバチの巣箱を10箱ほど置いたのです」

「何じゃと! そこから先は、言わんでも分かる。蜜が採れる花の数は限られているところに、蜜集めする者がいちどきに増えたのが原因じゃな?」

「ご明察のとおりでございます。さすがは、わが母上。だてに年を取ってはおられませんね」

「つまらぬ世辞を言うな。その者たちもミツバチじゃが、我らとはだいぶ違う。人間に飼い馴らされ、人間に蜜を巻き上げられても怒りもしない腰抜けバチ。誇り高きミツバチの風上にも置けぬ奴らじゃ」

「そのとおりです。ですが、なにせ相手は数が多く、私たちが花に行っても、先回りして蜜を取られていることが多いのです。このままでは、子育てが立ちゆきません」

「跡継ぎの女王バチを産み育てることも、難しくなるな」

「どうしたらいいでしょうか。母上様」

「フーム。これは、危急存亡のときじゃな」

「え? 何ですか? キキュウソンボーって」

「お前は知らんでもよい」

「はい」

「ここは、奥の手を使うしかないな」

「奥の手、ですか?」

「そうじゃ。妾はこれから書状をしたためるとしよう。お前は、年嵩としかさの働きバチ10匹を集めて、ここに連れてまいれ」

「はい。かしこまりました」


 しばらくして女王の前に、ミツコを含めて11匹の働きバチが集合しました。

「お前たち、今、我らの王国に危機が訪れようとしていることは知っておるな?」

「はい」

「危機を乗り越えるため、お前たちに大切な役を果たしてもらう」

「はい! 王国と母上様のためなら、命をも投げ出す覚悟はできております」

「よくぞ申した。ここから東に行ったところにあるクヌギの森に、オオスズメバチの巣があるのを知っておるな?」

 オオスズメバチと聞いた途端、11匹はワナワナと震え始めました。

「お前たちにはこれから、オオスズメバチの巣に行ってもらう」

「えー!」

 働きバチたちから、悲鳴が上がりました。

「心配するな。妾がここに書状を認めた。これをオオスズメバチの女王に渡すのじゃ」

「あの。その書状には、何と書かれているのですか?」

 震えた声で尋ねたのは、ミツコでした。

「これはな、セイヨウミツバチの巣のありかを教え、攻撃してほしいとの依頼状じゃ。知ってのとおり、オオスズメバチは、ミツバチの卵や幼虫、さなぎが大好物じゃからな」

「分かりました。それで、書状をお渡ししたら、どうすればよろしいですか?」

「むろん、渡したらここに戻ってこい。くれぐれも、白旗を掲げて行くのを忘れるな」

「かしこまりました、母上様」

「成功を祈る」


 11匹のミツバチたちは、ただちに東に飛んでいきました。

 オオスズメバチの巣は、藪の中の地下にあります。ミツコたちが巣に近付くと、すぐに番兵のハチが飛び立って、彼女らの周りを飛び始めました。カチカチと大顎おおあごを噛み鳴らして、ミツコたちを脅かします。

「私たちは、西にあるカシの木のミツバチです。我が女王から、そちらの女王陛下に宛てた書状を持参しました。どうか、陛下にお取次ぎ下さい」

 ミツコが、必死の思いで叫びました。

「なにぃー。ミツバチ風情が、女王陛下に書状だと? 無礼千万な奴。とっとと失せろ。うろうろしていると、捕まえて食っちまうぞ」

「お待ちください! この書状には、女王陛下にとって大きな利益になることが書いてあります。ぜひとも、お取次ぎ下さいませ」

「チッ。なら、いちおう陛下にお伺いしてやる。そこで待っていろ」

 番兵バチは、巣穴に入っていきました。

 ミツコたちは、他の番兵バチに取り囲まれ、生きた心地がしませんでした。


 しばらくして、さきほどの番兵バチが戻ってきました。

「陛下が、お前らにお会いになるそうだ。付いてこい」

 番兵バチのあとに付いて、ミツコたちは地下の巣穴を進みました。

 中では大勢の働きバチが忙しそうに立ち働いており、近くを通るミツコたちに嚙み付こうとする者もいました。

 だいぶ奥に進んだ時、働きバチが言いました。

「女王陛下の御前ごぜんである。神妙にしろ」

 ミツコたちの前には、ひときわ大きな女王バチがいます。

「カシの木のミツバチ女王からの使いとな? 妾に何の用じゃ?」

「お目通りをお許しいただき、ありがとうございます。我が女王から、女王陛下に書状をお渡しするよう命じられてまいりました。これでございます」

 ミツコは、女王バチを取り巻いている働きバチの1匹に、書状を渡しました。

「何じゃと……」

 女王バチは、書状に目を通している。

「フム。分かったぞ。お前らの女王は、良いことを教えてくれたな。して、お前らはこの書状に、何と書かれているか知っておるのか?」

「はい。森の外れに巣箱を構えているセイヨウミツバチのことだと聞いております」

「フム。それだけか?」

「はい。他に何か?」

「そうか、知らぬか。なら、教えてやろう。手土産てみやげ代わりに、お前らを食っていいと書いてある」

 そう言って、女王は書状をミツコたちの方に向けました。

「あ!」

 ミツコたちは、その場に凍り付いてしまいました。

「お前らも、ミツバチ王国のために死ねるなら本望じゃろう。お前らの母を恨むでないぞ」

 女王は、近くの働きバチに目配せしました。すると、働きバチたちは、いっせいにミツコたちに襲いかかりました。

 たちまちのうちに、ミツコたちは肉団子だんごとなり、オオスズメバチの幼虫の餌にされてしまいました。


 オオスズメバチの女王の前に、働きバチがやってきました。

「11匹とも、始末しました」

「フム」

「それで、母上様。いつ、セイヨウミツバチを襲いますか?」

「フム。一番柔らかくて旨いのは幼虫じゃな。幼虫が一番多くなるのは、いつごろかのぅ」

「おそらく、今ごろが一番多いと存じます」

「フム。では、老練な者を200匹選び、ただちに出撃させよ。10箱の巣箱を、いちどきに攻撃するのじゃ」

「は!」

 オオスズメバチの大群が、セイヨウミツバチの巣箱に向かって飛び立ちました。

 

 

 

 


 

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