標本No.6 オカダンゴムシ
しばらくして、紀彦がトイレから帰ってきた。
「下痢だよ。渋り腹っていうの? また出たくなるかもしれない。さっき飲んだ『百獣王精』だっけ? あれのせいかもしれない」
「あれはとても強力な精力剤ですので、下痢される方も時々いらっしゃいます。すぐ治まりますから、ご心配なさらなくて大丈夫ですよ。いちおう、下痢止めもここに用意してありますけど」
「下痢止め? やけに手回しがいいな。じゃ、もらおうか」
「はい。でも、下痢は無理に止めず、出るものは皆出してしまった方が、体にいいようですよ。下痢止めは、万やむを得ない場合を除いて、出来るだけお飲みにならない方がいいと思います。標本解説の途中でもまったく構いませんから、出たくなったらすぐにトイレにいらして下さい」
「分かったよ。俺の腹の心配までしてくれて、ありがとう。じゃ、早く次を観よう」
二人は標本No.6《オカダンゴムシ》の前に来た。
体長は30cmくらい。青みを帯びた灰色の背中は、滑らかなプラスチックのように、照明の光を反射している。
「このダンゴムシも、ずいぶんとデカいな。これ、No.5で出てきたダンゴムシ?」
「そのとおりです。ふつうは単にダンゴムシと呼んでますが、正確にはオカダンゴムシといいます」
「ということは、説明はさっき聞いたから、ここでは無しかな?」
「はい、そうです。でももちろん、もう一度お聞きになりたい場合は、説明を流しますが」
「いや、いいよ。十分に分かったから。次に行こう」
「あ、ちょっとお待ちください。せっかくですから、ほんの少し口頭で説明させて下さい」
「そう? いいのになぁ」
「このダンゴムシは、体は大きいですが、普通のダンゴムシと同様、14の体節から出来ています。つまり、頭部が1節、胸部が7節、腹部が5節、尾部が1節の、計14節です」
「ほう、確かにそうなってるね」
「ですが、大顎が太く大きく発達しているところが、普通のダンゴムシと違います。肉食に適応したと考えられます」
「ふーん」
「この標本箱は、上と下の両面が透明の板になっていて、回転させて裏側を見ることができます」
「あ! いいよいいよ。見せなくて」
紀彦の言葉が聞こえなかったのか、それとも無視したのか、若葉はスイッチを押した。すると、標本ケースがグルリと回転してひっくり返った。
「げー。足がたくさん並んだところなんて、気持ち悪いや。エビの化け物みたいだな」
「エビと同じ
「SFホラー映画にでも出てきそうな奴だ。もう、ここはいいんじゃないの? 次、行こう」
「あそこに見えますでしょうか? 頭部の付け根に深い傷痕がありますよね」
紀彦の言葉が聞こえないかのようだ。
「あるね」
「あれは、キイロショウジョウバエとの戦闘で負った傷の痕です」
「ほう。そうすると、コバエとダンゴムシが、一緒にこの世界に戻ってきたわけ?」
「ご推察のとおりです」
「このダンゴムシ、模型じゃないの? 本当に本物?」
「もちろん、本物ですよ」
「いったい、どうやって手に入れたの?」
「実は、私たちの仲間が全国におりまして、珍しい生き物を発見すると、連絡をくれるんです。場合によっては、展示用に送ってもらいます。No.5のコバエと、No.6のダンゴムシは、いっしょに箱根の山中で発見され、採集されました。非常に珍しいので、送ってもらいました」
「それほど珍しいものなら、新聞で報道されて話題になったり、大学や研究機関でも研究したりするんじゃないの? まったく聞いたことがないけどね」
「はい。私たちは、独自に研究していますので、他の研究機関とはまったく関係がないんです。マスコミの取材にも応じていません」
「え? しかし、ここを見学した人の口から、外に漏れるんじゃないの?」
「特別展示室を見学された方々には、ここで見たことは、決して外に漏らさないよう、お願いしています。藪原様にも、後でお願いするつもりでした」
「ほー。でも、言うなといわれると、かえって言いたくなっちゃうな」
「その点は、ご心配いりません」
「どうして?」
「そのうちに、お分かりになりますよ。では、次に進みましょう」
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