標本No.2 オオスズメバチ 6

 僕は、どうすればいいのか、皆目見当もつかなかった。だから、家に帰って父母にすべてを話した。初めのうちは僕の作り話だろうと疑っていた父母も、話があまりに具体的なので、信じてくれた。

「これは、警察に通報するしかないな。とにかく、人が何人も死んでいるからな」

 いつもは無口な父が、僕の話を聞き終わるとすぐに言った。

「そうね。そうするしかないわね」

 母も同じ意見だった。

「ちょっと待ってよ! 警察が知ったら、夏子さんは警察に連れていかれてしまう。第一、夏子さんはそう言ったけど、本当に畦地さんの家で飼われているスズメバチの仕業しわざか分からないよ」

「確かに、そこのところが、よく分からないわね。初めのうちは夏子さんも、自宅のスズメバチがやったのではないと言ってたんでしょ? それがなぜ、途中で変わったんだろうね」

「父さんは、昭夫が見たトリュウとかいう巨大女王バチが気になる。夏子さんの父親は、陸軍の研究所に勤めていたという話だったね。ひょっとして、そのハチは生物兵器じゃないかな?」

「生物兵器ですって? そんなもの、本当にあるのかしら」

 母は、信じられないようだった。

「陸軍の研究所の中には、特殊な兵器やスパイが使う道具などを研究・開発するところがあったらしい。よく知られているのが、風船爆弾だ」

「何それ。ゴム風船に爆弾? それで空を飛べるの?」

「風船は脇に置いといて、ここからはあくまで俺の想像だ。夏子さんの父親は、研究所で生物兵器の研究や開発に従事していた。その中に、殺人バチの研究・開発もあった。

外国には、とても攻撃的で毒性の高いハチがいるらしい。そうしたハチと、日本最強のオオスズメバチを交配させたうえで何らかの処理を加えて、新種の殺人バチを作ろうとしたのではないかな。いや、半ばそれに成功したけれど、終戦になった。しかし、父親は自分が心血を注いで作ったものを抹殺するに忍びず、密かに持ち出した、とは考えられないかな?」

「父さんの考えは、地下室にいるトリュウがその殺人バチで、夏子さんがトリュウを操っているということ?」

「いや、それはどうだろう。夏子さんはもともと、人を傷付けたり殺したりするような子じゃないんだろ? むしろ逆に、夏子さんがトリュウに操られている可能性もあんじゃないか? もっとも、たかがハチ風情が、人間を操るなどということは信じがたいけどな」

「そうだ! きっと、父さんの言うとおりだ! 夏子さんと話していた時、途中で人が変わったようになった。そうしたら、ハチの群が部屋に入ってきて、僕を襲おうとした。夏子さんは、トリュウに操られているから、働きバチに工事の人や僕を襲わせたりしたんだ。何とかして、夏子さんを助けなくちゃ」

「とても信じられないわね。でも、あなたも技術者で、科学者の端くれだからなー。ただ、仮に夏子さんが操られているとして、どうして建設会社の社員を襲ったのかしら?」

は余計だろ。むろん、操られているというのは、荒唐無稽な想像だ。だが、虫の中には、他の虫に寄生して宿主しゅくしゅを操る奴も、実際にいるんだよ。カマキリを水に跳び込ませるハリガネムシとかね。最初に測量技師を襲ったのは……、雑木林を宅地にするという一種の自然破壊に反発する、トリュウと夏子さんの意思が混ざり合ったのかもしれない。あくまで推測だが。二回目は、建設会社がやったスズメバチ撲滅への復讐で、トリュウの強い意志が働いていたんじゃないかな」

「ねえ、父さん、母さん。警察に言う前に、僕たちでできることをして、夏子さんを助けようよ。お願いだよ!」

「と言ってもなー。俺たちに、何ができる? 昭夫の気持ちは分かるけど」

「何とかならないかなー。母さんはどう思う?」

「そうねー……」

「おいおい。昭夫が本気にするから、下手なこと言うなよ」

「いえ、何とかなるかもしれないわよ」

「ほんと!」

 さすが、何に対しても前向きな母だと思った。

「何とかなるだって? 一体、どうやって? 相手は生物兵器の殺人バチなんだ。甘く考えると、大変なことになるぞ」

「分かってるわ。例えば、トリュウたちを地下室に閉じ込めて封印してしまったらどうなの? そうすれば、攻撃されずに出来そうじゃない。あなたも科学者の端くれでしょ? 何かいい方法を考えてみてよ。

畦地さんには、私たちが旅行中、昭夫がお世話になったでしょ。それに、私が以前通っていた市主催の料理教室で、一緒だったこともあるのよ。とても穏やかで、親切な人よ。私も、できれば警察沙汰にならないようにしてあげたい」

 これは心強い援軍だった。僕は父の答えを待った。

「科学者といっても俺は工学系だから、生物学は得意じゃないんだけどなぁ。でも、二人がそこまで言うなら、考えてみるよ。いいアイディアを出せないかもしれないけどな」


 父の作戦計画は、2日後に出来上がった。

 作戦の実行は、夏子さんのお母さんにも協力を依頼して、僕の父母がすることになった。僕自身も参加したいとだいぶ食い下がったのだが、子供には危険すぎるということで、認めてくれなかった。僕は引き下がるしかなかった。

 母が夏子さんのお母さんに電話して、夕方買い物のついでに、商店街近くの公園に来てもらうことにした。僕も父母に付いて行った。

「先日は、昭夫がお世話になりました。こちらは夫です。夫は科学者なんですが、例のスズメバチへの対応策について考えました。そのことについてご相談したいので、来ていただきました」

「昭夫君を危ない目に会わせてしまい、本当に済みませんでした」

 父はすぐに本題に入った。

「昭夫の父です、よろしく。さっそくですが、夏子さんは、地下にいるトリュウとかいう巨大女王バチに操られているのではないかと、私は思います。といっても、科学的な根拠や確証はありません。今の段階では、あくまで推測です」

「娘のことを心配していただき、ありがとうございます。近ごろ娘の様子がおかしいのは確かです。私も、とても心配なんです。でも、ハチが人間を操るなんてことが、本当にあるんですか?」

 父は、自分の推理を説明した。

「それで、いずれ警察の捜査は畦地さんの家にも及んでくるでしょう。そうすると、夏子さんが警察に保護される可能性もまったくないとは言えません。警察に保護されれば、例の事件の重要参考人として、詳しく取り調べられたり、精神鑑定を受けさせられるかもしれません。私たちは、その前に、夏子さんを助けたいのです」

「もちろん、お母さまがそれを望まれないのなら、夫や私が勝手に行動するわけにはいきませんけど」

「夏子のことをいろいろ心配して下さって、ありがとうございます。夏子がトリュウに操られていると考えれば、合点がいくことが多々あります。で、どうやってトリュウの呪縛を解くんですか?」

「まず、ハチを地下室に閉じ込めます。夏子さんが昭夫に説明したところによると、ハチは地下室の天井に開けられた通気孔からダクトを通って、屋根に突きだしている通気管の開口部に出られるそうですね」

「はい、そうだと思います」

「その通気孔やダクトのどこかを、閉じることはできませんか?」

「はい。雨や風が強い時に雨水が地下室に侵入するのを防ぐために、ダクトの途中にダンパーがあって、そこでダクトを閉じることができると思います。開閉操作のためのレバーが、1階の物置部屋にあったはずです。私は一度も操作したことがありませんけど」

「分かりました。ハチを閉じ込めても、近くに夏子さんがいると、トリュウに操られて飼育室の扉を開けてしまうかもしれません。それを防ぐには、夏子さんが家を離れている時にやるしかありませんね。夏子さんは都内の私立中学に通っているそうですが、どこにある中学校ですか?」

「港区にある清流せいりゅう学園中学です」

「入るのが難しい学校だ。夏子さんは頭がいいんですね。そうすると、2学期が始まれば、平日はほぼ一日、家から離れますね?」

「ええ、そうです」

「2学期になって通常の授業が始まったら、すぐに実行しましょう」

「はい。それで、ハチを閉じ込めたら、その後はどうするんですか?」

「その点は、いろいろ考えました。最善の方法は……、言いにくいのですが、殺虫剤を使って、ハチを全部殺すしかありません。少なくとも、4匹の女王バチは殺す必要があります。そのなかでも、トリュウは必ず」

「え? 夏子がずいぶん可愛がっているので、殺したら夏子が悲しむと思います。どうしても殺さなければなりませんか?」

「新聞報道で見ましたが、地下室にいるハチは、在来のオオスズメバチではありません。私の推測ですが、夏子さんのお父さんが研究所で造り出した殺人バチ、いわば生物兵器だと思います。生殖能力を持つ女王バチが外に逃げだしたら大変です。何としても防がねばなりません。いかがですか? やってみますか?」

「はい。お願いします。夏子をトリュウの呪縛から解き放って、普通の女の子に戻らせるためには、ハチを駆除するのも止むを得ません」

「ご理解いただき、ありがとうございます。お母さまのご協力を得ながら、夫と私とで作業を進めます」

「あの、お母さまに、いくつかお願いがあります。一つは、このことは夏子さんには内緒にしておいていただきたいのです。夏子さんに話すと、トリュウに知られる恐れがあります。もう一つは、通気ダクトの開閉操作を一度試してほしいのです。長い間使われていないと、上手く作動しない場合があります。万一当日作動しなかったら、この作戦は失敗します。失敗するだけではなく、下手をすると私たちはハチの標的になります。測量技師や駆除会社社員のようにです。ただし、トリュウに警戒されないよう、動作確認は1回だけダクトを閉鎖し、すぐに元に戻して下さい。確認結果は、電話で連絡していただけますか?」

 実行の日を決めて、僕たちはお母さんと分かれた。

 日ごろ可愛がっているハチが殺されれば、夏子さんが悲しむだろうと思った。しかし、これも夏子さんを助けるため、仕方がないことだと自分に言い聞かせた。


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