第30話 一歩ずつ


 背筋を伸ばしたまま片足を内側に、もう片足の膝を軽く曲げての挨拶……この世界にきて初めてのカーテシー。

 いや……地球含めての初めて、だね。

 

 本物のカーテシーだぁ……凄い感動するよ、これ。


 流れるような所作と、洗礼された雰囲気……なんか一番ファンタジーを感じた気がする。


 あ、違っ……感動してないで僕も挨拶しないとだった。



「これはどうも御丁寧にすみません……。本日は宜しくお願いします」

 


 この世界の正式な挨拶は知らないので、日本人らしく普通にお辞儀だけしておいた。

 知りもしないのに格好つけた所で、恥かくだけだからね。


 それにしても……ミシェルがいない。

 使用人さん達に紛れてドッキリ……なんてのも想像したけど、悲しいかな見当たらない。

 

 何処に行ったんだい僕のお嫁さんよ……寂しいねぇ……。



「ではアレックス様の元へ御案内させて頂きます。此方へお願い致します」



「あっ、はい!」

 


 そう言って軽く頭を下げると、クルリと反転してスタスタと歩き始めてしまうクロエさん。

 僕の寂しさなんて……知る訳無いもんね。


 でも、ちょっと機械的というか……仕事熱心というか。もう少しお客さんに寄り添った方が良いのでは……?

 偶に接客やってた僕だから、そう思うだけなのかも知れないけど。


 まぁ……プラスに考えれば、根が真面目な人なのかもねぇ。


 

 とにかく、先に進んで行ってるクロエさんの後ろを、慌てて付いて行く。

 左右を見れば、使用人さん達が頭を下げたままで……申し訳ないし、ちょっと居心地が悪いなぁ。

 


「もう……クロエったらかなり緊張してますわねぇ……」



「あ、そうなの?」



 稀人……だからかな?

 それとも……アレックスの友達だから?

 

 何にせよ、そこまで萎縮されてしまうと……ちょっと困るよねぇ。



「えぇ。ミシェル様の御婚約も……私のも。情報が入っている筈ですから。クロエも焦っているのでしょうね。独身ですから」



「いや、そっちかーい」



 大きな声が出そうになったけど……周りの使用人さん達に配慮して、小声でツッコミを。


 アレックスの周り……婚期逃しすぎじゃない? 大丈夫?



「まぁ……クロエはミシェル様の教育係ですからねぇ……きっと付いてきますわよダーリン」



「僕はそんな話、聞いてないよハニー」



 ……アレックスとしっかり話しておかないとだわ……!!


 男を籠絡するのは女性が一番……何となく、昔はそんな風潮があったなんて知ってるけどさぁ……流石に多すぎじゃない?



「おほほ。ダーリンは懐が大きいですから……ね?」



「え? そう……なのかなぁ……?」



 あれ、ひょっとして僕のせい……?

 

 断れば良かったのか……?


 いやでもなぁ……女性を振った経験なんて無いからなぁ……怖くて出来ないぞ……?


 振られた時の涙は、振られた側しか知らんのよ……。



「――――宜しいですか? ルイ様」



「え……? あ……大丈夫です、すみません!」



 アナベルとの会話に集中していて、玄関の扉の前まで来ていた事に気付かなかった。


 見上げる程に大きく……艶やかな木材でで作られた、綺麗な扉。


 玄関前にも門番が二人居て、公爵家の厳重さにビックリ。


 クロエさんが軽く会釈をすれば、門番さん達も頷き返し……ゆっくりと大きな扉が開かれる。



「どうぞ、お入り下さい」



 そう、機械的に簡素に言われるが、クロエさんの手で示す先の御屋敷の中が豪華過ぎて……小市民の僕には中々踏み込めない。



「お、お邪魔します……」



 しかし入らないわけにはいかないので、一歩踏み出す。


 白を基調とした、広く清楚な空間。


 その清楚な空間を強調しつつも、どこか安らぎを与えてくれる、薄紅色の絨毯。


 見上げる程高い天井には、いくつものシャンデリアが吊るされており、部屋全体を優しい光で照らしている。


 ゲームでしか見た事が無い、二階へと続くカーブ階段も、お洒落な家具も……全部、どれもこれもファンタジーで、まるで絵画みたいで……僕を興奮させてくれる。



「わぁ……立派なお部屋……」

 


 ――――そして、興奮と同時に……不安な気持ちにもなる。



「あの、えっと……土足で上がって良いんですかね?」



 上がり框の無い玄関だから、靴を脱げば良いかわからない。

 いくら広川さんが造った国だからといっても、生活様式まで日本式とは思えない。

 だって……ここ、御屋敷だしね。日本家屋ではないし。



「はい。其方のマットで汚れを落として頂ければ」



「あっはい」



 あぁ……やっぱり……。

 

 想定通り、全く僕の暮らしていた生活様式と違う造り。

 こんな豪華で……見学するのには最適だけど、暮らすとなると頭を捻る、豪華な家。


 ――――そんな、僕と感性が全く違う人達。

 

 彼らを喜ばせるお菓子を作れるか……ちょっとだけ、不安になった。



「では、アレックス様の待たれる二階へ御案内致します」



 相変わらずのテンポで先導していくクロエさんの後を追い、カーブ階段を登って行く。


 手摺に掴まり、ふと見下ろす一階。


 屋敷で働く使用人さん達が此方に向けて頭を下げてたり、見慣れぬ家具があったりして。


 広すぎる部屋と、明るすぎるくらいの照明。


 なんか……ほんと、異世界に迷い込んだみたいな……そんな気持ちにさせてくれるねぇ……。



「日本じゃ無いんだなぁ……」



「……何か、仰いましたか?」



「あ、いえ……何でもありません」



「あの……ルイ様、危ないですからあまりキョロキョロ為さらないで下さいまし」



「あぁごめんよアナベル」



 何処に行っても新鮮で……フワフワしちゃう。



 **************



 視界に映る調度品の数々や窓から見える景色。


 全てが気になって……全てが僕のインスピレーションになる。

 

 この世界が見せてくれる新しい情報は……僕のお菓子作りに色々影響を与えてくれそう。


 だけど、あまりキョロキョロ見てるとアナベルに怒られちゃうから……程々にしとかないと。


 早く……お菓子を作りたい。ルセットを書きたい。


 でも、仕方ないからクロエさんの後ろ姿でも見ておこうか。


 深緑色の、膝まで丈がある長い侍女服。


 シワ一つ無く、糸くずが付いている事も無い……丁寧な制服の扱い。


 キュッと体を絞める絹のエプロンも、汚れ一つない純白。

 

 腰で結ばれた紐も、綺麗なシンメトリーで、横向きのリボン結び。


 リボン結びも、ちゃんと紐に逆らわないように結ばないと縦向きになっちゃうからね。


 髪も、毛髪が落ちないように一つに結んだポニーテールで、ヘッドドレスもキチンと真っ直ぐに。


 衣服の乱れは心の乱れ……だからきっと、クロエさんは美しい心の持ち主なんだろうなぁ。


 それと……ここまで見てきた使用人さん達、全員そうだった。

 ちゃんと教育が行き届いてるんだなぁ。



「あの、ルイ様? 熱い視線も程々にして貰えますかしら……」



 違ぇよ!!



「……クロエさんの制服の着こなしに感服してただけ。こう、細かい所まで気を配るっていうのは、接客で大事なんだよ」



 是非、お店を開いた時……制服の着用マニュアルを作りたい。

 なんならクロエさんに書いて貰いたいくらい。



「へぇ……そんな所まで見るのですねぇ。私、気にした事もありませんでしたわっ」



 これは侍女と兵士の差が出てるなぁ……。

 

 職種によって、当たり前だと思う箇所が違う……これもまた、面白いよね。

 日本とこの世界じゃ、人が就く職業は全く違うだろうし……楽しみ。



「お客さんが見て、何も思わないってのが理想だと思うんだよねぇ。綺麗な服装や店内……それが当たり前。汚いのは有り得ない、そう思って貰えるのが一番だよ」



 当たり前、僕はそれを大切にしていきたい。

 


「へぇ~……作って売る、それだけじゃダメですのね」



「そうだねぇ。食品扱うなら特に清潔感大事なんだよね」



 それに、汚いお店だと気になって嫌な人もいるしね。

 汚いお店で気にならない人は、店が綺麗でも気にしない。

 つまり……綺麗にしておいた方が良いよね。



「まぁ……好んで汚い所に行く人は、そうそう居ませんものねぇ」



「うん。だから、この完璧な公爵家はとても参考になるねぇ」



 色んな場所を参考にして……理想の店を作らないと。

 完璧な店なんて最初から作れない。


 けど……完璧に近付けてから店を始めるのは、出来る。

 

 家族の……そして、自分の為にも頑張らないと。



「おほほ。まぁまぁ、あまり褒め過ぎますと……クロエが乱れますわよ?」



「――――――!!」



 ピクリ、と揺れるクロエさんの体。

 

 あぁ……本当だ。前を歩くクロエさんの歩くテンポが微妙に狂ってる。


 意外と人間らしい人だなぁ。

 やっぱり、接客して貰うなら……人間味溢れる人がいいよね。


 贈り物に使われたりもするお菓子。


 製造も、接客も……それぞれの熱い思いが込められていれば……きっと、形になる。

 いい商品は……そうやって、出来る。


 ――――あぁ……そうだった。

 

 初めは、若い時は……そんな風に考えてた。


 いつしか、僕の情熱が消えたお菓子は……何色だったんだろうか。


 そんなスカスカなお菓子を提供していた事に、やっと恥ずかしく……そして申し訳無く思えてきた。


 罪滅ぼしじゃないけど、この世界では……しっかりと情熱を注ぎたいし、何だか注げる気がする。

 


 あぁ……いや、違う――――注ぐんだ。


 ここから、僕の情熱は始まるんだ。


 【気がする】


 そんな保険は……要らないんだ。


 宿や公爵家の接客に触発されたのか……今の僕はやる気に溢れてて、ソワソワしてる。


 地球で嫌だった事、それを自覚して、改善して……早くお店を持とう。


 楽しみで……凄く、ワクワクしてる。


 プライドも全部投げ捨てて、アレックスに土地の相談をして――――――あれ……?


 ミシェルは!?


 何処にいるの!? 結局会えなかったんだけど!?

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