第19話 思い


「ふぉっ……ふぉっ……」



「はい頑張れ、頑張れ」



 あれから二日程経ち、ミシェルさんは今……片手で二十キロ程の生地が入ったボウルを持って型に流し込んでいる所。


 武闘派令嬢なだけあって、筋力は心配無いので安心して見ていられる。



「ふぅ~……普段使わない筋肉使うから、疲れますねぇ~」



 ドン! と机にボウルを置き、息を吐くミシェルさん。

 そんな彼女に回復魔法でケアをしつつ、見守り続ける僕。



「わかる」



「ですよねぇ~。でも……こうやって集中していると、余計な事考えなくて良いから……楽しいですね」



 そう言いながら、彼女の目は型に流された生地を見ていて、その手は生地をならす為に、必死に動かしている。



「そうだね。あ、生地をならす時はあまり角度つけない方が良いよ」



 生地をならす道具……通称カード。

 

 プラスチック製の、スケッパーみたいなカマボコみたいな形のやつ。

 ぶっちゃけ用途はスケッパーとほぼ同じ。どっちでも良いかなって思う。


 スケッパーは本来、生地を切り分けるステン製の鋭いやつで、カードは生地をならしたりする器具。


 カードで生地も切れるし、どっちでも使えるからカードで良いかなって感じ。



「は、はいっ! このくらいですか!?」



「そうそう」



 カードやパレットで、生地やクリームをならす時、テーブルに対して垂直に近い角度で持つと、ならす……というより、生地を運ぶ感じになっちゃう。

 

 カードを優しく持って、テーブルに対して並行になるような角度でならすと、綺麗に表面だけならせる。


 鉄板の隅まで生地を行き渡らせる時は、角度を付けて……生地を均等に、平にならす時は角度を付けない。


 こういう微妙な角度が大事で、体が覚えるまでが大変。


 それでも、ミシェルさんは中々上手い。様になってる。



「やっぱりミシェルさんセンスあると思うよ。とっても器用だし」



「本当ですか……? 間に合いますかねぇ~……」



 僕が本音を語っても、やはり自信無さげなミシェルさん。

 ま……何度もやって、自信を付けてもらうしかないよねぇ。


 

「ま……間に合わなかったら、ここで二人で静かに暮らせば良いんじゃない? 俗世から離れてさ」



「ふふっ……。プロポーズ、ですか?」



「……そうかもね」



 そんな軽口を叩きつつ、仲良く特訓を続ける。



 ***************

 


 それからも特訓の日々が続き……明日か明後日辺りに、お迎えが到着するんじゃないか? とミシェルさんが言ったので……本番の、人に食べさせる用の製菓作りに。



「色々作ったけど……どうする? 何作る?」



「う~ん……。プリンにしようかと思います」



「その心は?」



「初めてルイ様と作りましたからっ」



「そりゃ良い」



 顔を見合わせ、クスッと笑い合う僕ら。



「それじゃ、準備しようか」



「はいっ」



 不意に……アレックスの手紙を思い出す。

 

 彼は、妹を嫁に薦めるような事を書いていて……ミシェルさんも、末永くお願いしますとか言ってた。


 何となく避けてた話題。


 ……だって、凄く恥ずかしいから。


 真剣な表情で一つ一つ、丁寧に計量している横顔が――――昔、辞めてしまった後輩と……何となく重なって。


 ひたむきに頑張る彼女の本音を聞くのが……怖くて。


 この数日で身に付けた、僕と遜色無い手捌きでプリンを仕込むミシェルさん。


 彼女は……どんな思いで、此処に来たんだろうか。


 ガス台のチチチッと、火の付く音。


 カシャカシャッと、ホイッパーがボウルに擦れる音。


 忙しなく動く、ミシェルさんの服の擦れる音。


 無機質な音だけが……響くこの部屋。


 この、二人だけの空間も……あと少しで終わってしまうんだなぁ。


 ――――そう思うと……キュッと心臓を握られたみたいに、苦しくなる。


 もし、自信の付いたミシェルさんが他の道に進むと決めて……何処かに行ってしまったら。


 考えただけで……モヤモヤする。



「良し……出来ましたっ! 充填いきますっ!」



「はいよぉ」



 ボウルを持って焼成室へ小走りで駆けるミシェルさん。


 ――――この世界で、お菓子の材料をまともに揃えられるのは僕しか居ない。


 だからこそ……彼女の弱みを利用して。


 お菓子を勧めて、興味を持って貰って。


 ずっと……僕の側に居て欲しい。


 そんな小細工をする、女々しい自分が……恥ずかしい。


 だめだ……こんなの。

 今日中に、男らしく……ハッキリさせんと。


 ミシェルさんを追って焼成室へ行けば……既に充填をしている後ろ姿。


 止まることなく、リズミカルに……テンポ良く。


 僕が就職して直ぐの頃……ここまで出来たっけなぁ……。

 幾ら大好きなお菓子と言えど……ここまで、集中出来なかった気がする。



「ミシェルさんって……努力する才能がありますね」



「……え? そ、そう……ですか?」



 話し掛けても充填する手は止まらず、視線も計量器のメモリから離れない。


 ……邪魔しちゃ悪いし、終わってから話そう。

 なんか、落ち着かなくて……つい、話し掛けたくなっちゃう。


 黙々とプリンを充填するミシェルさんと、見守る僕。


 僕だって顔ばかり見ている訳じゃない。


 プリン液が跳ねて容器を汚さないか、充填する位置が高くて、プリン液が泡立たないか……とか、ちゃんと見ている。

 

 勿論、充填量にバラつきが無いかも見ているし、計量器の上から下ろす時に、容器を傾けて、容器にプリン液を伸ばさないかも確認している。


 けど……努力を重ね、集中し続けるミシェルさんは、しっかり出来ているから何も言わないだけ。


 そして、全ての充填が終わりオーブンに入れて……やっとミシェルさんの緊張が解ける。



「ふぅ~……緊張しました~……!」



「お疲れ様。完璧だったよ」



「へへへっ。達成感がありますねぇ! 癖になりそうですっ!」



 机の上を拭きながら、チラッと此方を見て微笑むミシェルさん。


 心の奥の劣等感を感じさせない……綺麗な、笑顔。



「アレックスは……何でも出来る天才なんでしたっけ」



「……えぇ、そうですね」



 話したくない話だろう……僅かに、ミシェルさんの手が止まる。



「じゃあ……ミシェルさんは、何でも努力出来る……天才ですね」



「……はぇ?」



 思ってもみない言葉だったのか、変な声を上げて此方を振り返ってくる。



「僕って……小さい時からお菓子が大好きで、憧れていたんですよ。だから……ずっと勉強して、努力してこれました」



「は、はぁ……」



「でも……ミシェルさんはそうじゃない。人生を掛ける程……好きじゃないですよね?」



「そう、です……ね」



 僕を前にしてるからか、歯切れの悪い返事。



「好きでもない事に集中して努力出来る……それって凄い才能だと思うんですよ。僕は……好きな事しか熱中出来ない」



 人間みんな……大体そうじゃないかな。



「それは……!!」



「僕は……ミシェルさんの育った環境も、周囲の視線も……プレッシャーも。何も知りません。けど……貴方が頑張ってる姿は、知ってます」



 僕が知ってるのは……ここに来てからのミシェルさんだけだから。



「でも……でも!! 私は……頑張らなきゃ、いけないんです……!! 皆に、情けない姿を見せちゃ……ダメなんです!!」



 情けなくなんて無いのに……。


 人が頑張ってる姿なんて、一番美しいのに……。

 

 でも、きっと……やってる側はそう思わないんだろうな。

 

 ――――僕が、そうだったみたいに。



「兄みたいに……涼しい顔して、何でも出来れば……先生に、お兄さんとは違いますね……なんて言われなくて!! 済んだのにっ!!」



 ボロボロと……涙を流し、下を向くミシェルさん。


 誰かを恨んで自分を貶しす……それがどれだけ辛くて、どれだけ虚しいか……僕は、知ってる。



「酷い先生がいたんですね。人の心も知らないで」



 僕は……自分の弱みを見せる人がいなかった。


 だから……自分で、感情を処理して……ついには、お菓子まで恨んでしまった。



「それから……それからです!! 周りの目が……変に、見えて……!!」



「うんうん。勝手に……期待されてるって思っちゃいますよね。それを裏切るのが……嫌だったんですね」



「うぅ……兄にも、出来の悪い妹って……思われたく、無くて……!!」



 泣いている彼女を見ているのが……前の自分の心を見ているみたいで。


 辛くて……しんどくて。


 思わず側に寄って肩を抱いてしまった。



「お兄さんの事は……嫌いですか?」



 そんな僕の胸に頭を寄せ、体重を掛けてくるミシェルさん。

 不謹慎ながら……嬉しかった。



「いいえ……。兄の事、嫌いになれないです。凄く、可愛がってくれて……いつも、私の心配をしてくれて……!!」



 それなら……まだ、大丈夫。

 僕とは違って……落ちる所まで、落ちてない。



「じゃあ……ミシェルさんが頑張って作ったプリン、涼しい顔して渡して、驚かしてやりましょう。きっと……アレックスは喜んでくれますよ」



「うぅ……はい……」



「後……絶対、お転婆をして一人で駆けた話が届いてますから……ちゃんと謝りましょうね? アレックスと……護衛の人達に」



「うっ……はぁい……」



ブーン……と静かに鳴る、オーブンの前。

 

 ミシェルさんが落ち着くまで……ずっと頭を撫でてあげた。

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