第17話 後悔
オーブンのビープ音が鳴り、慌ててオーブンを止めてプリンを出す。
しまった……鳴る二分前には確認したかったのに……!
つい、ボーッとしてしまった。
幸い、丁度良い焼き加減だったので……安心。
プリンは焼き上がった後、軽く揺すってみて、真ん中がドロドロじゃなければ、焼き加減バッチリ。
全体がプルプル揺れる状態がベスト。
串とか刺して確認するのも良いけど、お店だと商品に穴開けられないから、こういうやり方になるんだよね。
焼き上がったプリンは、粗熱を取って冷蔵庫の中へ。
「あっ……まだ、食べられないんですか……?」
少し、残念そうなミシェルさん。
「冷ましてからの方が美味しいですよ。待つのもまたお楽しみって事で」
「分かりましたぁ~……」
さて……僕の番は終わり。次はミシェルさんの番。
「それじゃあ……やってみましょうか」
「は、はいっ!」
強張りつつも……何処か楽しそうなミシェルさんの横顔。
計量は……ルセットを書面にしてないから、僕が済ませておく。
「こ、こうで大丈夫です……?」
僕を真似ての、一つ一つの動作。
その度に僕の顔を見て確認を取る姿が……凄く、いじらしい。
「うん、大丈夫。ただちょっとだけ、ゴムベラの持ち方が悪いかな?」
だがしかし、可愛い可愛いじゃ育たないので……指摘はしっかりと。尚且つ優しく。
ミシェルさんは剣を握るようにグリップしているので、ちゃんとした持ち方を教えてあげないと。
こう……魔法とか剣とか、そういうのが主流の世界じゃ……剣のように持つのが、スタンダードなんだろうなぁ。
「こう……人差し指の腹と、親指で挟む感じで……そうそう」
「なるほど……」
「そうやって持つと、少し手首が回りやすくなるからね」
「わぁ!! 本当だぁ!!」
剣やナイフの持ち方は、手首が固くなるんだよね。その方が剣筋がブレないから真っ直ぐ切れる。
反面、ホイッパーやゴムベラは手首を柔らかく、スナップを効かせて使うから、持ち方を変えなきゃいけない。
「うぅ、ちょっと手首が痛い……」
「そうなんだよねぇ。慣れるまでの我慢ですよ」
「頑張りますぅ~……」
そう言いながらもミシェルさんの手は動き続け、さっき僕がやっていたのを真似しながらプリンの仕込みを始める。
様子を見つつ、偶に口を出す程度で。
あぁ……なんだか酷く懐かしくて……酷く、苦い気持ち。
――――僕はこうやって、お菓子の知識が全くない人に教えたのは……実は、二回目。
一人目の子は……パティシエに憧れて、高卒でうちのお店に入った女の子だった。
愛嬌があって、頑張り屋で……良い所を見せたかった僕は、格好付けて学生時代の知識を沢山さらけ出して。
凄い、なんて言われて……嬉しくて。
知ってる事が当たり前の僕は、何も知らない彼女の事なんて……何も分からなくて。
厳しくもしたし、怒鳴りはしなかったけど……彼女が間違った時は怒ったりもした。
……それは、僕が先輩にされた【当たり前】の教育だったから。
僕には……そのやり方しか、知らなかったから。
自分の当たり前が、他人には当たり前じゃない事を……気付けなかったんだ。
自分が耐えられた事を、皆耐えられると……思ってた。
それでも懸命に食らい付いてくる彼女が好きで、嬉しくて……どんどん厳しくしてしまって。
育って欲しかったから。
才能のある彼女を……大きくしたかったから。
――――そうすれば、自分が凄くなれる気がしたから。
でも……ある日、オーナーと二人で話している所を見ても、彼女が辞めるとは微塵も思ってなくて。
【すみません……私には、ついて行けません】
下を向いて、震えた声で僕に頭を下げる彼女を……今でも鮮明に覚えてて。
その後、オーナーに黙ってぶん殴られて。
彼女は……それから店に来なくなって。
僕が悪いのに……彼女は最後まで、僕に何か言う事もなく、自分が悪いのだと……思ってたみたいで。
彼女にも悪い所が……なんて言える権利は僕にはなくて。
でも……誰も僕を責めなくて。
彼女の話題も全く出なくて。
だから僕も――――知らないフリをして、話題を出さなくて。
彼女と仲の良かった先輩が、彼女が結婚した話を同僚としてて。
その横を通り過ぎても……僕は何も思ってないフリをして。
でも……ずっと心は痛いままで。
彼女が一番辛かったのに……自分が被害者面して。
彼女のパティシエとしての道を閉ざした僕が、パティシエで良いのかと悔いたりもした。
けど……僕には、パティシエしかなくて。
振り返れば……パティシエ以外、やっていけないことに気付いて。
彼女の心の痛みを……自分が、働く事が嫌になって、お店を辞めたくて……彼女の立場になってから、やっと気付いて。
本来、こんな僕には……人に教える権利なんて無いのに。
「ル、ルイ様! こうで良いんですよね!?」
「うん、大丈夫。ダメだったら言いますから」
――――この世界じゃ、そんな汚い僕を知る人なんていないから……過去を忘れようとしている、汚い僕。
「うぅ……緊張しますぅ……」
「ちょっとくらい緊張している方が、いい物作れますよ」
「本当ですか……?」
「適当です」
「も~!!」
――――忘れる事はしちゃダメで。
覚えていながら……そうならないように、変わらないと。
罪滅ぼしにならないのもわかってる。
彼女にはもう……謝る事すら出来ないのも、知ってる。
この、自分の過ちは……永遠に僕の心を縛り付ける、解消出来ない鎖。
「よ、よし……出来ました!!」
「良いねぇ。それじゃ充填してみようか」
「はいっ!」
罪は消せない。
だから……せめて、繰り返さない。
相手の立場になって……物事を考えなきゃダメだ。
「ルイ様……同じ重量で量るの、難しいですぅ……!!」
「手の力の入れ具合を意識しながら、プリン液の高さを目で見れる?」
優しくすれば良いわけじゃない。
相手を、理解して……言葉を選んでいかないと。
「うぅ……!!」
「ちょっとくらい大丈夫だから、緊張しないのっ」
ミシェルさんが……お菓子を、パティシエを嫌だと思わないように。
「はい……!」
そんな風に考えていても、当たり前に世界は進む。
僕も……目の前のミシェルさんに、集中しないと。
因みに、プリン液みたいに水に近い生地を充填する時は、ドロッパーって器具を使う。
親指でレバーを押すと液が出てきて、離せば止まる仕組。
「慣れれば力加減と秒数で、同じ重量で量れるようになるさ」
「慣れ、で……すか!」
集中しているから語感がバラバラ。
邪魔しないように黙っておこう。
ミシェルさんがドロッパーと格闘している間に、オーブンの準備。
「ふぅ~……目と指が疲れました~……」
「お疲れ様です。初めてなのに……凄く良く出来てましたよ?」
「へへ、本当ですかぁ?」
照れ臭そうに笑うミシェルさんは凄く可愛くて……僕も笑顔になれる。
ミシェルさん作のプリンをオーブンに入れ、後片付け。
その後、空いた時間はオーブンの前で焼き上がるのを待つ。
「そうだ……さっき僕が焼いたプリン、食べましょうか」
「おぉっ!? 良いんですかっ!?」
「その為に作りましたから。さっきの冷蔵庫から取り出してきて貰えます?」
「はーい!」
その間に、お皿とスプーン……それと飲み物の用意。
今回の飲み物は紅茶で、茶葉はアールグレイ。
柑橘系の香りがついたフレーバーティー。
プリンとの相性がいいわけじゃないけど……アールグレイってお菓子に使われる事が多いから、なんとなく出してみた。
「んん~! 良い香りですねぇ~!」
「お、ありがとうございます」
手に二つのプリンを持ったミシェルさんが帰ってきた。
「初めて嗅ぐ香りですねぇ~。先程のお紅茶もですけど……これも初めてですっ」
「まぁ……僕の世界の紅茶ですからねぇ」
「おぉ……! そう聞くと、凄く貴重な体験してますね……!! ちょっと感覚麻痺してますけどっ!」
そう言いながら、流れるように僕の隣へ。
お行儀悪く作業台に浅く腰掛けていた僕を真似て、ミシェルさんも作業台に体重を掛ける。
「あ、すみません! 椅子出しますよ!!」
つい、癖でやってしまってた……反省。
「このままで大丈夫ですよ~! この雰囲気……職人になった気がして、凄く好きなんです」
肩がぶつかりそうな距離。
作業台の上にある紅茶の香りは……甘くて、鋭くて。
「じゃあ……このままで」
静かに鳴るオーブンの前で、二人……肩を並べて。
「も、もう食べても良いですかね!?」
「……どうぞ」
…………良い雰囲気を感じていたのは、僕だけだったみたいで。
「頂きますっ!!」
「召し上がれ」
彼女の声に合わせて、僕もプリンにスプーンを刺す。
スッとスプーンが刺さり、プルンッ! と持ち上がるプリン。
ツルツルで、ダマのない綺麗な焼き上がりで安心。
「う、うわぁ……!! ルイ様!! ルイ様凄い!! ルイ様!!」
「い、痛いっすミシェルさん」
食べようとした僕の腕を、ドスドスと小突いてくるミシェルさんの顔は……興奮しているみたいで真っ赤。
「これ!! これが本物です!! アヴェールで食べたプリンは全然違いましたよ!! 凄い……凄いっ!!」
「そりゃあ……良かった」
飲むように食べるミシェルさん。
自分で作った物を食べてもらうのは……恥ずかしくて、ずっと慣れない。
褒められると恥ずかしくなって……つい、否定したくなっちゃう。
「良かったら……もっと食べて良いですよ?」
「本当ですか!? やったぁ!!」
すぐにミシェルさんは冷蔵庫に向けて走りだし……隣が一気に寂しくなった。
スプーンに乗ったプリンは、心做しか寂しそうに見えて……仕方ないので、口の中へ運んであげる。
「美味い……」
ちょっと噛めば砕けて溶ける、優しいプリン。
乳と卵とバニラの、シンプルで素朴な……優しい甘い香り。
スルッと喉を落ちる……滑らかなプリン。
「ルイ様!! もっとお菓子について教えて下さいっ!! もっと美味しい物をっ!!」
「うん、良いですよ」
なんだか僕も、優しくなれた気がして……今度は素直に返事が出来た。
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