第16話 腕白な蛋白


「それじゃ、本番のプリン液仕込みますね」



「は、はいぃ~……」



 ミシェルさんに経験談を混ぜて飴の危険性を教えたら、すっかり怯えてしまった。


 熱々の飴が手の甲にかかって、皮膚が剥がれた人とか、冷めた飴を噛んだら歯茎に突き刺さって流血した話とか……ね。


 因みに歯茎に刺さったのは僕の話。死ぬほど痛かった……痛い思い出。



「そんなに怯えなくても……手を出さなければ大丈夫ですよ?」



「わ、わかりましたっ……!」



 さて……続いてプリン液を作る。


 牛乳と生クリーム、グラニュー糖の一部を銅鍋で温めていく。


 乳脂肪……つまり油。

 それが多く入ると食感が滑らかになるのは、なんとなく伝わる……かな?


 油はヌルヌルとすべるから、なめらかな食感になる。

 漢字が同じだから、意味も似てくるよね。


 滑らかに舌の上を滑るのは、プリンみたいなプルプルのお菓子には必須。

 だから牛乳の一部を生クリームに変えて、乳脂肪を増やすルセットにしてある。


 アッ……水分量アッ……今思い出した……。


 しかしなぁ……配合から水分を減らすってなると、牛乳か生クリームを減らすしかない。

 と、なると……滑らかさも減る訳で、そう考えると……焼きで調整するのが楽なんだよなぁ……。



「あの、どうしました……?」



「あぁ……ちょっと。ミシェルさん達の唾液って、稀人より多い……筈なんですよ。だからちょっと水分を減らそうか悩んでて」



 材料を前に唸っていたら、ミシェルさんが心配そうに覗き込んできた。



「へぇ……そうなんですか~。不思議ですね~」



「三倍くらい違うからね」



「え、そんなにですか!? ルイ様……カサカサじゃないですかぁ!!」



「お、おう……」



 僕は干物かて。



「うーん……最初は普通に作ってみて、ダメなら焼きの調整。それでもダメならルセット変えるかぁ……ミシェルさん、いっぱい食べてね?」



「わ、わかりましたっ! お手柔らかに……!!」



 僕の呟きに、胸の前で拳を作り意気込むミシェルさん。


 じゃ……再開するかぁ。


 温めたままの牛乳達。


 上げる温度は六十度くらい。これは絶対に沸騰させちゃダメ。


 牛乳だったり卵だったり……タンパク質豊富な材料は、加熱すると固まってしまい、牛乳なんかはタンパク質の膜が表面に出来ちゃうのね。


 プリンを固めるのは、タンパク質の熱凝固という作用を使うんだけど、その為のタンパク質を完成前に消費するのは良くない。

 それに、その膜が食感を悪くしちゃう。


 だから絶対沸騰させたらダメ。


 本当は六十度とかでも固まってダメなんだけど……その為にグラニュー糖がいる。


 砂糖を入れるとタンパク質を保護してくれて、膜が出にくくなるので、タンパク質を含んだ物を加熱する時は砂糖を入れるのがセオリー。


 勿論、卵黄にもグラニュー糖を入れておこう。牛乳と合わせる時に熱が入っちゃうからね。


 グラニュー糖を入れると、ホイッパーでガシャガシャッ! って混ぜたくなるけど……プリンとかしっとりしているお菓子は基本禁止。


 お菓子なんて半分くらい空気で出来てるんだけど、そのお陰でフワフワなお菓子が出来るのよ。

 

 つまり、しっとりトロトロのプリンに空気を入れちゃうと、口当たりが悪くなっちゃう。


 それに……プリン液ってほぼ液体だから、中に空気が入ってると、焼いた時に表面に出て来ちゃって、見た目も悪くなる。


 だからホイッパーは控えめで。可能ならゴムベラで混ぜよう。


 さて……六十度を計るのは、温度計が無いと難しい。


 鍋の周りがフツフツし始めると、だいたい八十度。


 湯気が出るのはだいたい七十度くらい。


 つまり六十度って見た目の変化があまりないんだよねぇ。


 僕のやり方だと……指を突っ込んでみて熱ければ、だいたい六十度。

 

 だから牛乳達目掛けて、指を第一関節あたりまでズボッと。



「熱っ……」



「え? え、なんで!? 大丈夫ですか!?」



 突然の僕の奇行に驚くミシェルさん。


 それが、なんだか……楽しくて。


 こうやって、誰かと並んでお菓子を作ったのなんて……叔父が最後だった気がする。


 学生時代は、皆真剣にお菓子について学んでいたし……就職してからなんて、時間に追われる毎日だったし。


 楽しく優雅にやってれば、先輩に殴られて怒られ、早く終わらせろと、オーナーから睨まれて。


 後輩が出来たって、ダメな先輩の姿を見せたくないプライドのせいで、自分を追い詰めて……。


 あぁ、だから僕は……どんどん楽しくなくなったのかなぁ……。



「ふふっ……お菓子屋さんじゃ、日常茶飯事ですよ、こんなの」



「はえぇ~……それは、体で覚えるってやつですね?」



「ちょっと違うけど、大体そう」



 お菓子屋の話をしても、自然に笑えて。


 今が……この世界が、凄く楽しい。


 目の前のプリンも……既に美味しそうに見えるくらい。

 今、ここでプリン液を飲んだら……ミシェルさんはどんな反応をしてくれるかな?


 ま……そんなおふざけは、流石にやらないけどね。


 そんな事より……続きを作らなきゃ。


 卵に牛乳達をちょっとずつ入れていって、ゴムベラで泡立てないように混ぜていく。


 卵の塊が出来ないように、均等に……丁寧に。


 温められた牛乳と、温められた卵の合わさった……優しい匂い。


 幼い日の、古い日本家屋のおばあちゃん家を思い出して。



「わぁ……良い匂い……」



「ふふふ……でしょ?」



 僕の隣にいるのは、叔父じゃなくて……ミシェルさん。


 だけど、この……これから美味しいお菓子が出来る、そんなワクワクを乗せた匂いは変わらなくて。


 心が、ずっとドクドクして……堪らない時間。


 僕は……変わってしまったのに――――お菓子は変わらないままで。


 いや……変わったと言い訳しているだけで、僕も変わらないままだったのかな……きっと。



「ここからもっと良い匂いにさせます」



 そう言ってバニラオイルを入れれば、温いプリン液が優しくフワッと……甘い匂いを広げてくれる。



「うわっ……わわっ!! すっごい、甘い匂いですねぇ~!! 美味しそ~!!」



 プリン液に顔が付くんじゃないかってくらい顔を近付けるミシェルさん。

 それが幼く見えて、可愛くて……笑ってしまって。


 何となく、何となくだけど……一緒にお菓子を作っていた時の、叔父の顔を思い出した。


 あぁ……。

 昔の、何も知らない幼い僕がミシェルさんで。


 歳を取って色々知っていた叔父が……今の、僕で。

 

 叔父も……こんな優しい気持ちで、僕を見てたのだろうか。僕に……色々教えてくれたのだろうか。



「もう少しで完成だから、待ってて下さいね?」

 


「おぉ~!! 楽しみです~!!」



 後の工程は少ない。


 目の細かいふるいに通して、プリン液を裏濾すだけ。

 十ミリくらいの細さがいいかなぁ。あんまり細かいと、通らないこともあるし。


 目の荒い布巾で……みたいな話も聞くけど、アレでやると泡が出ちゃうから、僕は止めた方が良いと思う。


 裏濾した後、泡があったら霧吹きにアルコール入れてシュッと吹き掛けて消す。

 無ければガスバーナーをサッと当てれば消える。それも無ければ爪楊枝で潰そう。



「良し……後は焼くだけ」



「おぉ~!! やっとですか! 手間が掛かりますねぇ……!!」



「残念ながらお手軽な方ですよ、これ」



「ほぇぇ……」



 間抜けな顔で惚けているミシェルさんは置いといて、プリンカップに充填していこう。


 プリン液の入ったボウルを持って、仕込み室から出て焼成室に。


 カップの中にさっき作ったタブレット状のカラメルを放り込むんでから、プリン液を流す。

 

 一つずつ、丁寧に量りながら。


 少しの重さの違いで、焼きの入り具合が変わっちゃうから、なるべく同じ重さで。

 

 ぶっちゃけ、多少は気にしないけどね。素早くやる方が大事だったから。


 鉄板にお湯を張って、プリンカップを並べてオーブンに入れる。

 使うオーブンはコンベクションオーブン。


 この、お湯を張って焼くやり方を湯煎焼きって言うんだけど、湯煎焼きだと普通に焼くより、熱の入り方が優しくなるのと……乾燥を防ぐ効果が――――あっ!!



「ここだ!! ここで調整しよう!!」



「ほぇっ!?」



 プリン液はまだまだある。


 なんなら昔の癖で百個は余裕で作れるくらい仕込んだからね、幾らでも試せる!!


 まずは、今まで通りのお湯の量と、オーブンの時間で。

 百度に余熱設定して、九十度で二十五分くらい。その後百度で十分くらいかなぁ。


 コンベクションオーブンだと、○度で○分……その後□度で□分、みたいな設定を自動で出来るから

、楽で好き。


 残ったプリン液は、とりあえず充填してインベントリの中へ。

 

 僕がやってたゲームは、回復アイテムが食べ物だったので……イメージ通りに魔法が出来ていれば、きっと中の時間は止まってる……はず。


 プリン液を放っておくと、生地温度が下がって焼き難くなるから、インベントリ内の時間が止まってると良いなぁ。



「これで良し。後は焼き上がって冷ましたらプリンの完成です!」



「わぁ~! お菓子作りって大変ですねぇ~」



「大変だからこそ……楽しいんですよねぇ」



「なるほどぉ~……」



 仕込み室に戻って洗い物や片付けを始めたら、さり気なくミシェルさんも一緒にやり始めてくれた。



「すみません、御令嬢にこんな事させてしまって……」



 並んで二人で、洗い物。



「ふふ、良いんですよ~。こういうの、憧れてましたから」



 こういうのって……どれだろう……?

 まぁ良いか。


 そうやって時間を潰して……少し時間が余ったので、二人でオーブンの前でお話。


 下らない、なんて事ない話をしていたんだが……不意に、ミシェルさんが思い詰めたような顔で、口を開く。

 


「あの……ルイ様。私にお菓子作りを教えて貰えませんか?」



 そんな、重く淀んだ雰囲気の……ミシェルさんの一言。



「……うん、良いですよ」



 勿論、誰かに自分の技術を伝えなきゃいけないのはわかっていた。

 

 けど――――いざ言われると、どうしても思い出してしまう過去が……僕にはあった。

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