第11話 意味


「嘘……だろ……!?」



 失敗した。


 もうビックリするくらい失敗した。


 三つ折りを三回終えたフィユタージュ。

 どうやって加工しようかなぁ……って悩んだ結果、リーフパイにしたんだよね。


 パイシーターで薄く伸ばして、ピケをして……それから葉っぱの形の型で抜いて、グラニュー糖付けてナイフで模様を付けるだけで済むし。


 ピケとは、フィユタージュに小さい穴を開ける事を指す言葉で、パイやタルト生地は焼く前に小さく穴を開けると綺麗に焼ける。


 具体的に言えば、その小さい穴から余分な空気が抜けて、均等に綺麗に膨らむようになる。

 

 パイだと更に、焼いた後に縮んで小さくのも防いでくれる必須工程。

 ピケ専用のピケローラーなんて器具があるくらい。


 是非、今度パイやタルトを買った時に生地を見て欲しい。小さい穴が沢山空いてるはず。


 しかし……いざガスオーブンで焼いてみたら、中の空気が膨張しすぎてボコボコに焼けてしまった……。



「ふむ……」



 失敗した原因は……色々考えられる。


 配合が悪いか、オーブンが新しくて火が強かったか――――それとも、ここが異世界だからか。


 日本に居た時だって、大阪で作られていたお菓子のルセット(レシピ)を東京で作ったら失敗する事もある。


 室温や湿度は、しっかり計った。


 計ってないのは……重力や、気圧。


 焼きたての、ボコボコのリーフパイを一口齧る。



「うーん……美味しくない……」



 バリバリと割れるパイ。


 風味も良いし、味も悪くない。

 つまり不味くはないし……食べられない訳じゃない。


 だけど……口当たりが悪くて、なんだか気になる食感。


 自分で食うには構わんけど……これで、お金なんて貰えない。商品になんて使えない。



「やるかぁ……」



 幸い、現役時代の癖で大量に作ってしまった。

 冷蔵庫には、百枚近くのリーフパイがある。


 それに……時間も自由も、沢山ある。


 少しずつ、少しずつ改良していこう。


 配合変えたりすると、また面倒なので……一先ず、オーブンの方を弄っていこうか。



 僕しかいない静かなアトリエに、ピッピッ……と、オーブンの温度を調整するボタンの音が鳴り響く。




 ***************



 「うっぷ……次こそは……!!」



 オーブンの温度を一度変え、時間を一分変え……そんな微調整を繰り返し続ける。


 一枚焼く事に食感と見た目の変化のレポートを書き、少しずつ……地球で食べていたパイに近付けていった。


 食ったリーフパイの数は、二十を超えた辺りで数えるのを止め、ひたすら目の前のパイに没頭。


 オーブンの稼働のせいで暑くなった部屋。


 ジワジワと湿る帽子に不快感を覚えつつも、休む事なくペンを走らせる。


 時計なんて……最初から見てない。



「良し……これだ……!!」



 ――――でも……時間を費やした意味は、確かにあった。


 平たくホッコリと均等に焼けたリーフパイ。


 一口齧れば、サクサクッと綺麗な音を鳴らし……前歯で噛み切れる、ホロホロなパイ。


 小麦の香ばしい匂いと、バターの濃厚な風味が鼻を抜け……焼け具合もバッチリ。


 やっと……満足のいく美味い物が作れた。



「つ……疲れたぁぁぁ!!」



 もう、必要のなくなったレポートを蹴散らすように、テーブルの上に上半身だけ倒れ込む。


 なんという達成感……他じゃ味わえないね、これ。


 必要なレポートは、異世界とこの世界の差が書かれた一枚のレポートだけ。

 

 これがあれば……これを基準に考えれば、この世界でもお菓子が焼ける……!!


 嬉しくて、パッとアトリエを見回す。


 スッ……と静かに視界に入ってくる、電源の付いてない、真っ暗なコンベクションオーブン。


 僕よりも大きい、業務用のコンベクションオーブン。

 

 見下ろすように……俺はまだかと言っているように、静かに佇んでいるオーブン。


 ――――そうか……君もまだ、いたんだね。


 君もきっと微調整が……必要だよね。


 ……いや、流石に無理だよ疲れたやってらんないわ。


 気付けば、もう日付を回ってたし……今日は寝よう。


 明日……いや今度やろう。


 


 ***************


 

 

 あれから数日が経ったけど……アレックスからの使者はまだこない。

 騙され……いや、信じよう。


 自分が信じてからじゃないと、相手から信頼は得られない……ってね。

 ……こんな性格だと、何れ騙されそうだなぁ。


 ま、仲良くなりたい人の事は信じる……それで良いか。


 それに因んだ話なんだけど、門前に人感センサーを創ってみた。勿論魔法で。


 初めはインターフォンにしたんだけど……気付かれ無さそうだから、センサーに変えた。

 門前で動く物体があれば、センサーが教えてくれる寸法。


 ……今の所、まだ何も反応は無い。


 ま……このセンサーのお陰で、今日も今日とて僕は安心してアトリエにこもる事が出来るのさ。


 今、目の前にあるのは縦型ミキサーと呼ばれる大きなミキサー。

 

 生地を大量に仕込む時使うやつで、マドレーヌとかクッキー生地を三十キロくらい作れる中型の機械。

 因みに今はクッキー生地を仕込んでるところ。


 店にあったやつは古い型番だったので、オーナーに新しいミキサーを買って欲しくて調べてた最新型のミキサーを思い切って創ってみたんだけど……。



「ふむ……どうしようもないかぁ」



 意外に違いが大きもんで、最新型のミキサーは底が上手く混ざらないから困ってる。


 古い型番のミキサーって、ボウルが機械から外れないように、抑える部分が二箇所しかなくて簡単に持ち上がる。

 けど、新しいミキサーは三箇所抑えてるから、簡単に動かない。

 

 縦型ミキサーって、ミキサーボウルとホイッパー等、混ぜるパーツをセットして攪拌してくれる機械なんだけど、微妙に底の方はホイッパーが当たらないように隙間あるんだよね。


 ステンレス同士がぶつかると削れちゃって、お菓子に入るから安全の為に隙間が空いてるんだけど……正直、底に混ざってない生地が溜まるから困るんだよなぁ。


 ま、安全の為には仕方ない事だし……最後に手で混ぜるしかないかぁ……。


 機械だって万能じゃないんだよねぇ。


 合わせムラはダマになる。ダマがあれば、それは不良品になる訳で……仕方ない、ミキサーに材料を投入するタイミングで、ゴムベラで底を混ぜるか。


 あまりゴムベラを使い過ぎると、ゴムベラに生地が付いてしまって出来上がる量が減るから嫌なんだよねぇ……。


 ミキサーから少し離れたテーブルに向かい、ペンを走らせてルセットを書いていく。


 レシピをフランス語でルセット。

 

 別にレシピって言えば良いんだけど、専門学生の時にルセットって教え込まれたから癖が抜けない。


 まぁそんな事はどうでも良くて……今朝、不意に気付いて困った事が一つ。


 僕のこの魔法……ルセットや教科書を創り出せない事実。

 だってわからないから調べたいのに、それを僕の知識を元に創り出すイメージなんて……出来ないんだよね。

 魔力でゴリ押せない悲しい事実、というか……僕の固い頭。


 そんな訳で……自分の記憶を辿り、覚えてる限りの配合を書き出して、それを元に新しくルセットを書いている。


 僕の記憶が不確かか、異世界だからなのか……微妙な失敗も多くて、手探りでルセットを調整しなきゃいけなくて、しんどい。


 作りたいお菓子も、作らないと忘れちゃいそうなお菓子も……やりたい事いっぱい。



「次……何仕込もうかなぁ……」



 でも……凄く楽しい。


 だって、この世界に……僕、という爪痕が残せるから。


 何れ死んで消えていく未来。


 見ることは出来ない……知らない未来。


 そこに……僕の名前とルセットが遺っていたら、凄く誇りに思える。


 だって――――この僕が、僕自身が……過去の偉大なパティシエ達が作り上げたルセットを見て、学んで、目指してきたから。


 それが僕の人生だから。


 他の誰かの人生に、目標という形で存在出来たら……きっと死後も幸せなんだと思う。


 平凡な僕。


 与えられた魔法という異能。


 女神様が関与してこなかった、唯一の……製菓技術。


 女神様の届かない、この領域を……僕自身の力で、努力で……育てていきたい。


 それが、職人としての意地で……今の僕の生きる意味。


 死後の世界……きっとファンタジーなこの世界でも、僕は無いと思う。


 この命が消え、魂が消え……僕という存在は無くなる。


 死んだ事も気付かなくて……全てがプツリと途切れるのかも知れない。

 

 そう思うと……とても怖い。


 考える事も、見る事も何も出来ない……無。


 死ぬのは怖い。


 何も遺せずに死ぬのは……もっと怖い。


 だから、生きる理由が欲しくて……生きた証が、欲しい。


 別に、有名になれなくても良い。


 一人でも……覚えてくれれば、それで良い。


 ただ……ここで、僕という人間が足掻いた軌跡を。


 

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