第12話 破天荒


 あれからまた数日、全くアレックスから音沙汰が無い。

 別に良いんだけど、誰かが来る……そう思うと、何処と無く集中出来なくてちょっと嫌。


 そのせいで、ご飯を食べる時外で食べるのが癖になってしまった。


 アトリエにずっと居るから気分転換に良いんだけどね。



「なんだったかなぁ……」



 やる事が多くて、自分の中でルールを作ったんだけど……ルセットを書く時はアトリエの中。そして外にいる時は教科書を書く事。


 バターの性質、砂糖の特性やゼラチン等凝固剤の使用温度、ゲル化の条件……ルセット以外に覚える事沢山あるんだよね。

 

 そういうのを思いつく限り書き出している、僕の教科書。

 言い換えれば基礎知識、かな?


 外のテーブルでサンドイッチを片手に、うんうんと唸りつつ……懸命に記憶を絞り出して書き出していく。


 学生時代と違って、現場に出てからは当たり前に使っていた知識。

 改めて考えると、曖昧な部分が多いし、思い出したのをポンポン書くから纏めるのがキツい。


 そして曖昧な部分……例えばゼラチンの溶解温度や凝固温度。

 正確性を出す為にアトリエで実験しなきゃいけない訳で……自分で自分の仕事増やしちゃう、そんなお歳頃。

 

 ま……勉強し直していると思えば良いか。


 凝った肩をグッと上に伸ばして、上体を反らして空を見上げる。


 軋みながら傾き、足を二本浮かせる椅子。


 二本足でバランスを取りつつも、倒れない僕。


 小学校の頃、良くやっていた事。


 それが当たり前のバランス感覚として僕の中に存在している。


 当たり前ってのは、全く当たり前じゃなくて……とても有難い事なんだなぁ。

 

 当たり前だと思っている事、一つずつ見直してみると……大切さが身に染みるね。



「ふぁ~……」



 空は突き抜ける程青く、雲はメレンゲみたいにフワフワで真っ白。


 太陽の光も優しく……長閑で気持ちが良い。


 時折見える、人よりも大きい鳥の姿も、それもまた酷くファンタジーで……この空間の良いスパイスになってくれる。


 そうやって気持ちをリセットすれば、頭も整理される訳で、記憶の底に霞んで隠れていた製菓知識が、バンバン思い浮かんでくる。

 

 スラスラと滑るペン先。


 これも作りたい、あれもやりたい……そうやって、記憶に刺激されて動かしたくなる体と心。


 ひどく平穏で、自由な時間。



 ――――ずっと続けば良いのにな。




 ***************



 ……昼間の僕の気持ちはフラグだったんだろうか。


 ポカポカで気持ち良くて、何となく今日はずっと外でルセットを書いていたんだけど……日が傾き始め、夕暮れ時に近付いた今、何処か遠くから馬の嘶きと足音が荒野に響いてる。


 アレックスの使者の可能性が高い……が、もしかしたら盗賊の類かも知れないし、商人とかの可能性もある。


 ……あれ? 考えてみれば、僕は自分の現在地が良くわかってないじゃん。

 

 この荒野が何処かの国と国を繋ぐ街道なのか……それとも世界の果てなのか。


 何も……知らない。

 

 まぁ、どうでも良いか。大して困んないや。


 しかし来訪者がどうも気になるんで……門から顔を出して、音の鳴る方を探す。


 辺りを見回しても……土埃も、動く物体も、何も見えない。

 

 そんな中、ふと……地球に居た頃好きだった漫画を思い出した僕。

 目に力を集中させれば、見えない物も見えるようになる、そんなやつ。


 魔法を使う時、掌に魔力を集中させる……それの応用で、集中させる箇所を目に変えれば――――出来た!


 技術の応用は得意分野というか、体に染み付いてるからね。

 自分の力が何処に入っているかは、毎日意識していた事だし。


 魔力の集中した目を凝らし、遠くの方を意識しながら辺りを見渡せば――――居た。


 数字の三……ではなくて、馬が一頭荒野を駆けている。


 ……地球で見た馬と似ているフォルムで、ちょっと安心。


 馬上の人の姿は流石に見えないけど、此方に向かってきているのはわかるので、門前で待機しようか。

 

 さて、手ブラは不用心すぎるので……小さな手斧を一つ、魔法で創っておく。

 

 叩き斬る斧なら……きっと神経質なパティシエ魂が出てこない、そう信じたい。


 それから待つこと数分。漸くその姿が見えるようになってきた。


 馬上で、アレックスみたいな輝かしい銀髪を、針のように風に靡かせ流線型をとる姿。


 軽さかさを重視した、革製の鎧。


 馬に隠れるくらい……華奢な体付き。


 もしかして……女の人、かな? 勝手に男が来るって認識してた。

 つまり、使者じゃない? だけど身綺麗な人……だめだ、考えてもわからん。


 ゲームみたいに選択肢前で長考、なんてできる訳もなく……徐々に失速してきた馬が、僕の前で止まる。


 馬上の人物は僕に考える隙も与えずに、馬から飛び降り……僕の目の前で砂埃を上げず靱やかに着地。


 う~ん……ファンタジーな身体能力。

 

 馬の方も体重を掛けられてもビクともしないし。



「失礼、貴殿が稀人様の……ルイ殿ですか?」



 可憐な、女性の声。

 お淑やかな雰囲気と……隠し切れない、溌剌とした芯のある声。



「あっ……はい」



 言葉が詰まるくらい、綺麗な女性だった。

 

 いや、女の子と言うべきだろうか。僕よりもうんと若そうな、張りのある肌。


 白くキメ細やかな美しい肌が、腰まで伸びている銀髪と相乗して……神秘的なまでに美しい。


 背は僕よりも低く、百五十センチくらいだろう少女。

 西洋系らしい筋の通った鼻と、丸くて大きいクリクリの碧眼。



「ふふふ……良かった~。やっと着きましたっ!!」



 ホッとしたのかヘラッと顔を崩して笑い、お淑やかさを忘れた溌剌な声が、僕の鼓膜を擽る。


 この、親しみやすい……優しい雰囲気。それに加えて銀髪碧眼。

 アレックスと凄く似ているんだけど……あれ? 使者って話だよね?



「し、失礼ですが……お名前を伺っても……?」



 余りにも美人過ぎて、震えた情けない声が出てしまった。

 

 シシリアさんも綺麗だったけど、あの人はアレックスのパートナーだと思ってたし、緊張しなかったからなぁ……。


 もしかしたらこの女性と仲良くなれるチャンスが……そう思うと、どうしても緊張するわ。



「これは失礼しましたっ! 兄、アレックスより命を受けた使者を打ち倒し、代わりに命を受けたミシェル・グローリィと申しますっ!」



「え? 打ち倒……? え?」



 聞き間違い? 聞き間違いだよね?

 

 そんなお転婆な少女――――ん? 兄、アレックス? え、妹ぉ!?



「以後、末永く宜しくお願いしますねっ?」



 誤魔化すようにニッコリと微笑み……ん? 末永く……?

 ちょ、話が違ぇぞアレックスゥゥゥゥゥ!!

 情報過多過ぎて頭可笑しくなりそう。



「えぇ……こちらこそ。どうぞ中へお上がり下さい」



 ……しかし、そんな彼女の笑顔が可愛すぎて、全てを許しちゃえるような、疑問も消し飛ぶような……そんな気持ちになった。


 チョロいなぁ……僕。

 というか、ぶっちゃけテンションが高い。無茶苦茶高い。



「よ、宜しいので!? 殿方のお宅に入るのは、その……初めて、でして……」



 家に入らなきゃどうするつもりだったんだよ。


 しかし……こんな美人に末永く、なんて言われてしまったら……心躍るよね。

 冴えない純日本人の僕には釣り合わない美人さだけど、この機会逃す訳にはいかない。アンコールは湧かないんだ。



「勿論。アレックスもまだ入ってないんですよ? 直ぐに帰ってしまいましたから」



 とりあえず、門を開いて中へ。

 お馬さんはとりあえず、敷地の中で放し飼い。

 後で落ち着いたら小屋とか世話とかしないとね。

 

 今はまだ……僕らは落ち着いてない。

 ミシェルさんも緊張しているみたいだし、なるべく口軽くユーモラスにいこう。



「そうなんですか!? すみません、兄が不躾で……」



「いやいや……稀人への興味よりも勝る、シシリアさんへの愛。素晴らしいと思います」



 いつもよりも、遅い足取りで。



「へへ、ありがとうございますっ。あの二人が結ばれて、本当に良かったです。これも……ルイ様のお陰だとか」



「いいえ僕は何も。ただ呼ばれて……ここに居ただけ。あの二人の行いを、女神様が見ていたんだと思います」



 彼女に合わせるように。



「そうですね~……。勇者と聖女、二人に掛かる負担はとても大きかったですから。そして……その肩書のせいで、あの二人の仲は裂かれる所でした」



 ……え、シシリアさん聖女だったの? 知らなかった。


 二人共、肩書で苦労してんだなぁ……。

 僕の稀人なんて肩書が、ちっぽけに思えてくる。



「なるほど……。さ、詳しい話は中でしましょう。どうぞお入り下さい」



 この世界の礼儀は知らない。ぶっちゃけ日本の礼儀作法も大して知らん。

 

 けれど、女性相手に扉を開ける程度なら出来る。



「あ、すみません! お邪魔させて貰いますねっ」



 僕のエスコートにペコペコと頭を下げるミシェルさん。

 お邪魔……随分と馴染みある挨拶だなぁ。

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