第4話 人生


 僕の溢れる魔力と、迸る熱いパトスが複雑に絡み合い、リビングに新しい扉が生まれた。

 

 ふぅ……夢を詰め込みすぎたせいか、疲労感が凄い。


 だってしょうがないじゃないか……自分だけのアトリエなんて興奮するに決まってる。

 

 道具も機械も材料も、全部僕だけの物。ふふ、ふふふふ……。


 僕は……特別。


 

「よし……よしっ!!」



 【創造】魔法は成功した……はず。扉の先を確認しよう。


 あぁ……なんか緊張してきた。この先がどうなってるか知ってるのに……ドキドキする。

 

 予約していたゲームのパッケージを開けるような……そんな気持ち。



 逸る気持ちを抑えながら扉を開けると……まず、ロッカールームに出る。


 パティシエとってアトリエは神聖な場所なので、私服で入るなど言語道断。

 小さいお店だと、アトリエ通らないと行けない場合もあるけどね! そこはケースバイケースで。


 私服を脱いで……汚いからインベントリにしまうかぁ。後で洗濯しないと。

 なので新しい服を魔法で創ってロッカーにしまって……着慣れたコックコートに袖を通してコック帽をかぶる。

 

 因みに、ロッカーは上段と下段に分かれていて、上段がコックコートで下段が私服。

 私服からゴミが落ちると嫌だから、コックコートは上段にね。清潔大事。

 


 懐かしい、断熱素材のゴワゴワのコックコート。

 

 分厚くて重くて風通しが悪い、最低の肌触りなの……最高な、制服。

 

 コックコートの胸元には、本来お店の名前と自分の名前が刺繍されていたが……敢えて両方とも消しておいた。


 地球との決別。

 

 そんな大層なものじゃないけど……ただ、何となく嫌だった。


 ロッカールームの先は、手洗いや粘着ローラー等……僕がアトリエに入る為の身支度室。

 格好良く言えば、サニタリールーム……かなぁ。

 この先は衛生空間だから、サニタリールーム以降は私服厳禁のルール。


 悪ぃがここから先は一方通行だァ!


 壁に貼られた全身鏡を見て、毛髪が出てないか確認しつつ、粘着ローラーでコックコートの繊維を取っていく。


 新品のコックコートでも、髪の毛が着いてたりインナーの繊維が付いてたり……嫌になるねぇ。


 お次は手を洗って乾かす。水道も洗剤もエアータオルも……全部【創造】魔法で創られたもの。


 魔法万歳。


 この、粘着ローラーをしてから手洗いっていう順番も大事で……手洗いは最後にして、清潔な状態にしておきたいんだよね。


 うーん……自分で考えたルールでも、沢山ありすぎて忘れそう。後で書面に書き出しとこうかな……。


 さて、準備は整った。


 この先は……僕のアトリエ


 手が汚れないように、アトリエに続く扉は自動ドアになってる。


 ドアにはロックがかかっていて、ドア横に設置されたアルコールを五秒間出すと、ロックが外れてドアが開く仕組。


 テレビで見た、食品工場で使われているシステム。

 凄く良いなって思ったから採用してみた。


 自動ドアを通ると――――今日から僕だけのアトリエに……やっと辿り着く。

 遠い……けど、この外の世界と隔離されたような閉塞感が堪らない。



「おぉ……!! おおぉ……!!!」



 まずは……焼成室。

 お菓子作りの根本とも言える、一番重要な場所。


 室温はほんのり暖かい程度。オーブンが点けば無茶苦茶暑くなるけどね。


 ケーキの土台のスポンジケーキを焼くのも、クッキーなどの焼き菓子を焼くのも、成形したパイを焼くのも……全部ここ。


 ステンレスの作業台や鉄板、ケーキのデコ型や焼き菓子の焼き型は勿論のこと、オーブンも二種類あって思わずニッコリ。

 

 まぁ創ったの僕なんだけどね。

 

 入口横に掛けられたエプロンを着け、マスクを装着して準備万端。

 


 肝心なオーブンなんだけど……コンベクションオーブンとガスオーブンの二つ。

 

 まず、大前提として何方のオーブンでもお菓子は焼けるって事。

 焼けるけど……向き不向きがあるって話。


 コンベクションオーブンは、熱風を使ってオーブン内部全体に均一に熱が入る。

 

 だからクッキーやマドレーヌ、フィナンシェ……プリンにチーズケーキ。色んな焼き菓子に向いているオーブン。


 ガスオーブンは、ガスのパワーでヒーターを暖めて加熱するオーブン。

 パン屋さんとかにある、三段重ねの平たいオーブンをイメージして貰えると分かりやすいかな?

 

 こっちも全体に均一に火が入るけど……コンベクションに比べると質は落ちる。


 その分利点があって……ヒーターに上火と下火がある事。

 上からの熱と下からの熱で加熱するんで、細かい調整が効きやすい。

 

 例えばロールケーキ。

 生地の下は黄色くてフワッフワの柔らかい生地だけど、表面はキツネ色にこんがり焼けているよね。

 あれは上火を強くして、表面の焼きだけを強く出来るから。

 

 それと、ロール生地とかは過剰にフワフワにさせたくない。巻いた時に太くなっちゃうからね。

 

 上火を強くすると、上から熱で押さえつけられるから膨らみ難い。

 下火を強くすればグッと持ち上げて厚みが出るし、弱くすれば持ち上げてくれないから薄く焼き上がる。

 そんな風に調整出来るのが、ガスオーブンの強み。

 

 コンベクションは、風の力でオーブンの中を循環するように温めて、ガスオーブンは上からと下からの熱でサンドイッチしてオーブンの中を温める……そんなイメージ。


 さて……次はどの部屋に行こうかなぁ。


 焼成室って何かと用事があるから、この部屋から全部屋に繋がってる間取りなんだよね。


 順当に行けば、仕上げ室に行くべきなんだけど……生憎、土台の生地が無い。


 なんか仕込むか。


 スポンジ……クッキー……なんか違うんだよなぁ。

 なんか、せっかくのんびり出来る所に来たんだから……時間を掛けてゆっくりと作りたい。


 そうすると……パイかな?


 良し、パイ生地を仕込もう。


 こうやって一人で一から仕込むの……何時ぶりだろ。


 やばい、なんか興奮してきた。



「うおおおおおっ!!」



 このアトリエには僕しか居ないし、叫んだって……走ったって良いんだ。


 そのままのテンションで、パイ室へと飛び込んで行く。


 なるべく手は清潔にしたい為に、取っ手を使いたくなかったので、パイ室へと続く扉は観音開きのスイングドアにしてある。

 

 それに、鉄板とか持った状態で取っ手を引くのは至難の業だし、危なくて怪我に繋がりやすい。


 ヒヤリハット……ってやつかな? 危ない箇所は変えていかないとね。


 ゴムパッキンで空気が漏れないようにしてあるスイングドア。

 オーブンがあるから暖かい焼成室から出た先のパイ室は……無茶苦茶寒い。


 焼成室はオーブン稼働で室温がブレるけど……大体、二十度~三十度。比べてパイ室は十三度~十六度くらい。寒暖差で死ねるレベル。


 しかし、パイを作るのにバターは欠かせなくて、そのバターを十三度前後の温度で扱わないといけない。だからこの寒さ。

 

 逆に焼成室を寒くすると、焼く前の生地が冷たくなっちゃって……ま、色々と不都合があって、寒くできない。

 

 つまりお菓子の為に、僕らパティシエは根性で寒暖差を乗り切らねばならんのだよ。


 極寒のパイ室。


 入ってまず目に入るのは……大理石の作業台。


 バターを捏ねたり、バターが沢山入った生地を捏ねる際、熱が入るとバターが溶けて失敗しちゃうんだよね。

 大理石は熱伝導率がとても高くて、常にひんやりとしていて熱を逃がしてくれるので、この部屋の必須アイテム。


 それともう一つ目立つアイテムは……パイシーターかな?

 パイローラーとか、リバースシーターとか色々な呼び方があるけど……うちの店の呼び方に合わせてパイシーターにしとこう。


 この機械は、二個あるローラーに生地を通して圧延する機械。

 手でやるより早いし、均等に圧延してくれるから安定する。


 小さいシーターでも七十万円くらいするから、なかなかオーナーが買ってくれなくて……暫くずっと手で伸ばしてたなぁ。


 後は冷凍庫とか、パイ生地に穴を開けるピケとか……細かい道具があるけど、それは追々。


 ボウルに計量器、生地を混ぜる為のスケッパー……使い慣れた道具を【創造】していく。


 手に馴染んだこの子達は、考えなくても魔法で生み出せる。

 ポンポン、と湧いて出てきたように現れる道具達。



「後は……強力粉と薄力粉。バターに塩に……水」



 材料も魔法で出して、準備完了。


 パイをそのまま魔法で出せば良い――――そんなのは、ナンセンスだ。

 

 原料を加工して、パイに仕上げる……その工程が楽しくて、その工程にしか意味は無い。


 魔法でお菓子を生み出す? それになんの意味がある?


 お菓子を売って金を稼ぐ? 金を稼いだ後の人生……何がある? 何が残る?


 この手に、頭に……心に。努力と経験を詰め込んで……死にたいんだ、僕は。


 僕の人生を明るく彩ってくれるのは……お菓子だけ。


 そこに……僕の人生がある。




 ――――――あぁ、そうだ。


 ずっと僕が忘れていた気持ちは……これだ。


 この気持ちなんだ。


 ただ、只管に……純粋に。


 お菓子が好きで……お菓子作りが好きなんだ。


 金も時間も……全て忘れて。


 全て捧げて。


 生きる為にお菓子を作るんじゃない。


 死ぬ時……自分の人生が楽しかったと言えるように、死ぬ為にお菓子を作るんだ。


 これが……僕の生き様。


 さぁ……お菓子作りと、いこうじゃないか。

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