最初から好感度マックスの攻略キャラクター

 残念ながら誘拐の文字に偽りはない。

 会社から遠く離れて、平日昼間の見慣れた繁華街を後にして、海辺の近く赤レンガ倉庫まで眼鏡を掛けた知的な彼――安楽島竜聖を名乗る人物と、お互い沈黙を貫きながら向い合せで移動していた。


 何が目的なのだろう。永遠と頭の中がそれだけで満たされる。正攻法ではない金銭関係に違法薬物の勧誘。それとも未知の果てに売り飛ばされる人身売買、とか。……どれも恐ろしいことには変わりない。そして、私が知っている限りの情報源から推測するにすべて安楽島ならやりかねないと警告音が鳴り響く。というか、詳しくは車でと仰っていたくせに話す素振りすら見せないのは一体。


「それは、威嚇のおつもりですか」

「えっ」


 唐突に話し掛けられて肩が一瞬跳ね上がる。と、同時に心臓の中身が飛び出しそうになる。もちろん、比喩に過ぎないのだが……わりと本気で。


「先程から警戒心が剥き出しでしたので」

「えっ。いや……そんなつもりは、なく」


 否、この状況下で楽観的で居る方が難しい。視線を落として誤魔化すが、欺けている自信は一切ない。むしろ不快を与えてしまっているのではないかと寿命が縮まる。おまけに午前中だけの出勤だから、とコンタクトを怠ったせいで目付きが鋭く見えるのも完全なマイナス事項だろう。ああ、今日起きたところからやり直したい。可能であれば前世からでも。


「私……これから、何を」


 気付けば不安を口にしていた。無言が続く閉鎖空間で、男性と二人きり……正確には強面の運転手付きではあるが、あまりに非現実的ではない世界に短くも言葉にしてしまう。これからさらに浮世離れした回答が待っているとも知らずに。


「婚約の誓いをして頂きます。兄が、当主が貴女に一目惚れしました」

「…………はい?」


 たっぷりと時間を使用したのち、目的地に到着したことよりも私の思考は疑問符で埋まる。


 当主、つまり現安楽島を統率する者――若頭の安楽島龍生たつきが私に好意を、恋愛感情を抱いている。直訳した単語に穴や間違いがなければ、そう捉えて……いやいや、待って。そもそも私如きが別次元の人間と面識があるわけない。私はただの一般人でその筋の人とは何も。だから、これは何かの……。



「初めましてさくら、待っていたよ!」


 何かの、人違いとかだったらいいのに。その願望に近しい丹精な想いは、にこやかな青年の純粋な笑顔と初対面とは思えない激しい握手によって砕かれた。


「我が安楽島組の当主兼、兄の龍生です。兄さん、ただいま戻りました」

「ご苦労様、竜聖!」


 招かれた先は広々とした今時珍しい畳の一室だった。

 この人がたくさんの人を震えさせてる安楽島の、若頭……あの強面の男性たちや、私を誘拐した彼の親玉。なんというか、少しだけ良い意味で拍子抜け。名前や噂でしか正体を知らなかったけど想像よりも明るくて、悪い人ではなさそう。それに同じ年くらいで、なんて思っていた私が筋違いでした。


「じゃあ早速、婚姻の儀をはじめようか」

「え、えっと……」


 にこり、悪意やら穢れのない笑みが無条件に襲った。


 婚姻の儀とは……それは、つまり。度重なる混乱と恐怖で私の耳は可笑しくなってしまったのだろうか。確かにそう聞こえた、彼は私と。


「早計です。まずは彼女に強引な手段をした謝罪と事情について」

「昨日、車から見て惚れた。だからさくらは俺の嫁になる、以上!」


 一方的な説明と未来論、それ以上は言葉不要という眩しい威圧感。出逢って三分、私はとんでもない厄介な人物に目を付けられてしまったかもしれない。


「あ、あの……嫁って、その、冗談ですよね……?」

「は? 俺、冗談とか嘘とか言われるのも吐かれるのも嫌いだし。それともさくらには、俺がそういう人間に見えるのか」


 その問いに肯定は命取りだと悟った。

 我ながら勇気と声を振り絞った正論だとは思う。しかし、主観でも相手が悪いのは一目瞭然で弟さんには目先で結構深い溜息を吐かれてしまう始末。


「す、すみません……そういうつもりは」


「兄さん、自身が心惹かれた女性をすぐに娶りたい気持ちが急くのは理解に至りますが。彼女にも生活や仕事があります。それらを解決しない限りは……」

「なあ、さくら。今の仕事、好き? やってて楽しい?」


 えっ、そんな驚きが漏れたのも束の間。彼の問い掛けは続く。


「女の子なのに重たいもの、持たされたりとかしてない? 大変? 家に帰っても一人だって聞いた。寂しくない? お願い、俺のところに来てよ」


 まるで口説き文句のような、それでいて強引な誘いに心が動かされそうになる。今までの人生、恋やら愛とかに疎かったせいでここまで求められると。……ううん、ここはしっかり言わなくちゃ。だって相手は、あの安楽島の――。


 深呼吸をして神経を整える。たぶん、私は今から彼に酷いことを言う。せっかく抱いてくれた好意を蹴ることになる。それでも、小動物のような表情でこちらの答えを待っている安楽島龍生に伝えなければいけない。あなたとは……。


「と、とと友達になりませんかっ……!」


 右手を差し出す。二十二歳、独身女。田舎の地元から横濱に上京して二年、今世紀最大のミスを犯したのは一生恥じるべき行為に値するだろう。

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