第10話 ポートマース水道


 港街ポートマース、その海の出入り口は巨大な『ト』の字の形をした水道となっている。この水道、ポートマース水道は綺麗に一直線の形という訳では無く、少し曲がりくねった形になっている。これによって外海の大きな波が水道によって止められ、港まで入ってくることは無く嵐の日でも安全で船が痛みにくい事からポートマースは天然の良港として発展を遂げたのだ。



「船長!ポートマース水道の最狭部を抜けました!前方障害物無し。航行に支障無し!」



 メインマストに登った見張りの乗員からその報告が俺へと上がって来た時、俺は内心少しほっとしてしまった。このポートマース水道を通る最大の難関、幅150~200mはある水道の中で唯一幅100mほどまで狭まっているこの水道の難関。100mと言えば広いと思うかもしれないが、船舶…………特に小型以外の中、大型船舶にとって100mの距離というのは自分の大嫌いな人間がお互いの鼻が擦れるほどの至近距離でキス待ちの顔をしているくらい嫌な距離である。…………おぇ。


 だからこそ、船乗りは座礁を警戒して見張りや測深員、水深を測る乗員を使って少しでも安全に通行しようとする。そんな難所を通過出来たのだから最初の山場はこれで終わり。後はテネルファ諸島まで一直線で航海して、あっちで色々とレガシー号の試験をやりつつパッシャーさんの取引完了を待つだけだ。



左舷ひだりげん前方!ワイト灯台が見えました船長!」



 見張りの声と共に、俺は意識を現実へと引き戻した。マストの隙間から確認すれば確かに左舷前方に大きな灯台が確認出来た。

 トの字の右上、横棒の上部分に当たる場所にあるのがワイト島。多分大きさ的には淡路島くらいの大きさのこの島には海原を行く船乗り達の為に巨大な灯台が設置されている。この灯台は船舶ギルドの派遣隊、ワイト島分遣隊が交代で常駐しており、昼はその巨大な塔が、そして夜は灯台の光によって船乗りの帰り道の印となっている。



「ワイト灯台より気流信号UW上がりました!『キセンノコウカイノブジヲイノル』だそうです船長。」



「了解。返信、UW1上げ!」



「アイ・サー!」



 気流信号とは各船舶間船が陸地と通信を行う為にマストに掲げられる様々な色鮮やかな旗の事である。中世ヨーロッパで生まれたこの気流信号は現代でも国際信号旗として残っており、民間船だろうが軍艦だろうが、何処の国のどんな船にも常備されている。因みに、この気流信号は満艦飾でも使われている為、誰でも1度は見た事があると思う。

 そして、ワイト灯台から掲げられたUWの意味とは先ほど乗員が言った様に貴船の航海の無事を祈る。もしくはご安航を…………という意味である。それに数字の1を意味する旗を付け加えると返礼の意味になる。


 レガシー号のメインマストに返信のUW1の3枚の気流信号が掲げられる。完全に掲げられたのを自分でも見上げて確認してから、俺は操船の指揮へと意識を戻した。



僅かに面舵スターボート・イージー進路コース195°」



「アイ・サー。僅かに面舵スターボート・イージー進路コース195°」



 舵輪を握っている、つい先日上級船員にランクが上がったヘンリーに指示を出す。カラカラと心地よい音を奏でて回る舵輪。パワステや油圧なんて無いこの時代、幾ら滑車や索、チェーンを使ったテコの原理を使って軽減しているとは言え、重い舵輪を巧みに操るヘンリーのその腕は上級船員になったばかりとは思えないほど上手かった。



進路コース180°」



「取り舵に当て。」



「アイ・サー。取り舵7°」



 船というのは舵を戻しても惰性によって暫く曲がってしまう。それを防止するために、当舵あてかじと言って反対側に舵を切って曲がろうとする力を相殺してやる技術を使う。これによって、よっぽど下手糞でもない限り指定した進路へときっちり船を操る事が出来るのだ。



進路コース195°」



「舵中央」



「アイ・サー。舵中央。」



 惰性を相殺出来れば舵を中央に戻して、後は操舵手の微調整で進路を修正する。



「ヨーソロー。進路コース195°。」



「ヨーソロー。」



 このやり取り。今までのゲームだと船を1人で操作して対戦するゲームが多かったが、本当は曲がるだけでもここまで指揮しなければならない。

 そして今は指示を出していなかったけれども、この間にも他の乗員達はレガシー号の船足を落さない様にセイルを風に対して最適な角度にする為にセイルが付いている帆桁ヤード、それに繋がっている索を引っ張たり緩めたりしてヤードを回している。帆船というものはそれほどまでに多くの人員が必要な乗り物なのだ。



「いやあ、船ってこうやって動かすんだね。船長さん、何処でそんなの教わったのさ?」



 俺の後ろで見学していたケイスケがそう話しかけて来た。確かに、普通帆船の動かし方なんて誰も習わない。多分リアルだと商船学校の生徒くらいじゃなだろうか。

 俺だって全部を知っている訳じゃない。海自時代の護衛艦を操艦した経験と、僅かなオタ知識。そして約1年間、このゲームで水夫として下積みした経験が何とかそれっぽくしてくれているだけなのだ。



「ハワイで親父に習ったのさ。」



 ケイスケの質問に思わず冗談交じりにそう俺が答えると、ケイスケは少しぽかんとした後で言った俺自身が飽きれるほど大爆笑してしまった。いや、そこまで面白くないだろが。



「船長、無事ワイト島を通過しました。何時でも展帆出来ますぜ?」



 乗員のその報告を聞いて、俺はいよいよ全てのセイルを開く事にした。

 今までは狭い水道を通過する都合上、小回りが利いて舵が効くギリギリの速度で航行していたが、今は水道も抜けてその制約がなくなったからだ。



「よぉし、総帆開け!進路コース230°目標、テネルファ諸島!」



「「「アイ・サー!」」」



 次々と開かれていくセイル、それと共に確実に速くなっていくレガシー号の船足。

 後ろを振り返れば、先ほどまで殆ど無かった白波の航跡が、速度が上がった事で大きくそして長く続いていた。



「さて、ケイスケ君?」



「ああ笑った笑った…………ん?なんだい船長さん。」



 漸く笑いが収まったケイスケが腹を抑えながらこちらに振り返った。



「お前は乗員でも無ければパッシャーさんと違ってこの船のオーナーでも無い。ただの居候だ。この船には生憎居候に食べさせるほど余分な食糧は積んで無いんでな。

 ウィル!」



「はい船長。何ですかね?」



「この居候をキッチンまで案内して差し上げろ。皿洗いでも何でも好きに使っていいぞ。」



「え!?ちょっと、嘘でしょ船長さん!?」



「アイ・サー、船長丁度人手が欲しかったんですわ。行くぞ雑用!」



 レガシー号の調理番、前に船長…………漁船のケン船長の元で俺と一緒に乗っていたウィルがケイスケの襟首をひっつかんで船内へと入って行った。ウィルは保存食ばかり食べる船乗りにしては珍しく料理の出来る男で、その技能をパッシャーさんに買われてレガシー号へと誘われた男だった。そんなウィルに引きずられる様に連れていかれたケイスケを見送って、俺はひとまずまずも仕事終えた後の様な達成感を感じつつ一息ついた。



「あれ…………ケイスケ君本当に連れて行かれちゃたけど良いの?」



「良いんです。さっきも言った通り、レガシー号には余分に食料なんて積んで無いんですから。タダ飯食らいは許しません。」



 少し引き攣ったパッシャーさんの質問に、俺はバッサリとそう返したのだった。















 …………決して、決してレガシー号の出港を邪魔されたのを根に持っているとかそんなのは全く無い。ホントに無いからな?











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