第9話 出港

 漸く、漸くこの日がやっていた。普段ならめんどくさい店長の理不尽な御小言なんて気にならないくらいにテンションが上がってた俺は、暗に残業を命令する店長の言葉をのらりくらりと躱しそそくさと家へと急いだほど。

 それくらい今日の俺は何時もよりテンションが上がっており、今日という日が楽しみでしょうがなかった。


 連合王国はその立地から普段から曇り空ばかりの国だが、今日は珍しい快晴。雲1つ無い青空から照らす太陽の光は、普段と変わらないはずの灰色の街並みを1段と彩度を上げる様に昇っている。

 何時もと変わらない宿屋からログインした俺は、いつも通り朝の屋台で朝食を買い食いして、いつも通り歩きながら顔を合わせた知り合いに挨拶をして、そして何時もとは違って船舶ギルドでは無く直に港へと俺は歩いて行った。



「おやオーブリーさん!おはようございます。」



 港に着いた俺を出迎えてくれたのはパッシャーさんだった。港の桟橋から船へと俺は渡って行く。ギシギシと音を上げる木製の桟橋に少しだけ不安を憶えながらも、渡り終えた俺はパッシャーさんに握手をした。



「おはようございますパッシャーさん。今日から長旅ですが大丈夫ですか?」



「なんのなんの小さい頃は下働きで船に乗って各地を回っていたんです。この程度私もレガシー号コイツもへっちゃらですよ。」



 そう俺に返しながら、パッシャーさんは自分の乗っている船の手すりを軽く叩いた。


 そう、今日ついに俺はレガシー号と共に試験航海を兼ねてテネルファ諸島までの航海へと出港するのだ。造船所の乾ドックで眠っていたレガシー号を見たあの日から2週間。大砲を積んでくれと言った俺の無理なお願いにも関わらず、ティム親方はほぼ最高の状態までレガシー号を仕上げて、つい先日造船所から港へと運んでくれていた。


 乗員達がレガシー号に次々と物資が積み込んでいくのを俺はパッシャーさんと2人で眺めながら、一緒に乗り合わせる乗員達に挨拶を交わしていく。中にはヘンリーやウィル、ジャックなど船長の船で一緒に働いた事のある見知った男達の顔ぶれもあった。



「おう、もう揃ってるな!」



 その声と共に。港の方からギルド長とティム親方がこちらにやって来た。



「オーブリー。お前さんには初めての船長としての仕事だ。緊張するだろうが余り気負うなよ?」



「ギルド長こそ、結果が心配で仕事が手に着かないとか止めて下さいよ?」



 ギルド長と2人で笑いながらお互いに冗談を飛ばし合う。出港前だというのに随分と緊張感の無い雰囲気が漂うが、俺としては変に緊張し合うよりもこういう雰囲気の方が好きだった。



「にしても、本当に大砲を積むことになるとはねぇ。良くベルモント伯が許可を出したもんだ。」



 自分が載せたはずのティム親方がレガシー号の甲板を見ながらしみじみと呟いた。綿で作られた丈夫な帆布製の覆いで隠されている大砲は10門を片舷に5門づつに別けてレガシー号の上甲板へと設置されている。



「その辺は僕が粘りました。ベルモント伯も大砲の有用性は理解しておられたので実績作りという事で納得して頂きました。」



「トム!もう準備は終わったのか?」



 そんな事を話しているとタイミング良く、船倉に続く階段ラッタルから大砲開発者のトムが現れた。



「ええ、弾薬と砲弾の積み込んで丁度最終確認を終えた所です。それにほら。」



 トムがそう言って上甲板へと後ろ手で指さすと、その先にはどうやら俺達が喋っている間に積み込みを終わらせたらしい乗員達がそれぞれ思い思いに寛いでいる光景だった。



「どうやら出港出来そうですね。」



 そう俺に喋り掛けたパッシャーさんの言葉に、俺は深く頷いて返した。さて、いよいよ出港だ。



「野郎共!出港用意!各員配置に付け!」



「「「アイ・サー!」」」



 俺は大きく深呼吸してそう号令を発した。その瞬間に、先ほどまで寛いでいたのが噓の様に返事と共に勢いよく配置に着く乗員達。他の国の船乗りとは練度が違うのだよ、練度が。

 …………いやまあ、他の国の船乗りなんて会った事も見た事も無いけど。



「曳航用意!右舷みぎげん曳航索繋げ!」



 レガシー号の右舷側、港に面していない方の舷側から2本の索が放り出される。しかし、海へと放り出された索は海面に落ちることなく、そのまま待機していた2隻の短艇の乗員がきっちりと受け取り、レガシー号と2隻の短艇を索で繋いだ。



「曳航索準備良し!」



 乗員からそう報告を受け、いよいよ桟橋を外そうと号令しようと口を開いた時だった。



「おーい!待ってくれぇ!」



 その声と共にドタドタと誰かが桟橋を大急ぎで渡って来た。これには流石にビックリして乗員含め全員が作業の手を止めてしまい、やって来た人物に注目してしまった。



「なあ船長さん!あんたプレイヤーだろ!?俺も乗せてってくれないかな!?」



 乗ってきて直ぐに俺に向かってそう話しかけて来た男は、まるでアニメのキャラクターが付けている様なでっかい丸眼鏡を掛け、長身で線が細く、屈強な海の男である乗員達と比べれば吹けば飛ぶようなそんな印象を抱かせる男だった。

 そして何より、この男は俺の事をプレイヤーと呼んだ。この世界に生きる住人、NPC達は俺達の事を『異界の旅人』と呼ぶ事を考えれば、この男はNPCでは無い。つまり…………



「そう聞くって事は、お前もプレイヤーか?」



 折角の出港、それもレガシー号の出港を邪魔されてしまった事で俺はついつい強い口調でそう返してしまった。



「そう、あんたと同じプレイヤーさ。」



 レガシー号の甲板を俺の方へと歩きながら、件の男はそう返してきた。



「駄目だ。この船は客船じゃないんだ。これからテネルファ諸島まで仕事で航海するのに何処の誰かも知らん怪しい男何ぞ乗せられるか。」



「テネルファ諸島!?本当か!ならなおの事乗せてくれ!お金なら幾らでも払う。頼む!」



 男はそう言うと何も無い空間に向かって何故か手を動かした。なるほど、他のプレイヤーからはウィンドウが見えない様になっているのか。そう1人で少し納得していると、唐突に俺の前にもウィンドウが現れた。



『ケイスケから取引の申請が行われました。

       Yes or No       』



 初めて見るウィンドウに俺は困惑してしまった。まさかこんな機能もあったのかと。



「ケイスケ?それがお前の名前か?」



「あ、すまない。ちゃんと自己紹介をしてなかった。俺の名前はケイスケ。一応連合王国所属のプレイヤーで、今は首都のロンデルで洋菓子を作ってるお店でパティシエをやらせて貰ってる。」



 少し落ち着いて来たのかケイスケと名乗ったプレイヤーは乱れた服装を直しながら俺に握手を求めて来た。



「オーブリー。一応このレガシー号の船長をやっている。」



 流石に自己紹介はちゃんとしなければ失礼だろうと握手に応じながら自分の名前を言うと、ケイスケは笑顔でブンブンと手を振り回す様に激しく握手してきた。



「さっきも言ったけど、俺はパティシエをやっている。しかし、今使われている食材だとやっぱりリアルで食べている物と比べるとまだまだ再現出来なくてね。新しい食材を求めて色々聞き込みしてたら調理酒を仕入れてる酒職人にとあるお酒を教えて貰ったのさ。」



「あ、もしかしてダンさんの所かい?」



 俺達の話を黙って聞いていたパッシャーさんがそうケイスケに聞き返した。



「そうです。ラム酒、僕の求めている香りの強いゴールドラムやダークラムでは無かったけど初めて出会った蒸留酒ですよ!嬉しくて色々聞いてたらこれを教えたのはポートマースにいるプレイヤーって話じゃないですか!連合王国のプレイヤーって今まで会った事無かったので興奮してついそのまま来ちゃったんですよ。」



「オーブリーさん、この人は大丈夫だよ。ダンさんからよく話を聞いていたからね。礼儀正しくて料理も上手い異界の旅人だって。」



 何とパッシャーさんまでケイスケ側にまわってしまった。どうやらそのダンという人経由でケイスケの事を知っていたらしい。

 こうなっては仕方ない。このレガシー号の船長は俺だが、その所有者オーナーはパッシャーさんなのだ。雇われ船長じゃオーナーのお願いには従わなければね。



「仕方ない。が、船の上では俺の命令には従う事!これが飲めるのなら責任者として乗船を許可する。パッシャーさん、貴方もですよ?」



「「はい船長!」」



 随分と息ピッタリな事で…………


 つい小さく溜息を吐いてしまったが、気を取り直して出港準備を再開しよう。乗員達もこっちが一応決着がついた事で作業に戻ってくれているしね。



「桟橋外せ!」



 俺の号令と共にガタガタと桟橋が船内に引き入れられる。引き込まれた桟橋は邪魔にならない様上甲板の隅っこに寄せられ、作業に支障は無い。



もやい離せ!短艇、曳航はじめ!」



 前部と後部で3本ずつ、計6本の舫が岸壁の作業員によってクリートから外され、乗員によって船内のドラムへと巻き取られた。

 それと合わせて、曳航索を繋いでいた短艇2隻が声を揃えてオールを漕ぎ、協力してレガシー号をゆっくりと岸から離していく。


「船長!舫巻き取り終わり!岸壁まで水開き10m」



 ゆっくりとレガシー号と岸壁との間が開いていく。此処である程度離しておかないと、変に風に流された時にそのまま岸壁にぶつかり破損してしまう恐れがあるからだった。



「岸壁との水開き25m!」



「前方方向、障害物無し!」



「よろしい。曳航索離せ!フォア、メインコースセイル展帆始め!行くぞ野郎共、出港!!」



 短艇と繋いでいた曳航索が離されたと同時に、縄梯子ラットロープを登っていた乗員が一気に帆を縛っていた索を解いた。


 勢いよく開らかれ風を限界まで孕んだセイルが大きく膨れる様を見ながら、落ち着いていた気分が再び高揚するのを俺は感じてしまった。

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