第11話 航海とキャラベル


 出港してからはや1週間。予定通り進めていたのは最初の3日間だけで、4日目からは風が弱くなりレガシー号の船足は初日の半分以下にまで落ちてしまっていた。

 最も、動力を自然の風に頼って進む帆船にとってこれはしかたの無い事。寧ろ最初の3日間が運が良かったと思っておいた方が良いだろう。



「どうだ?」



「駄目ですね。前回の測量からそこまで進んで無いです。」



「やっぱりか。」



「このままですと予定より追加で更に1週間はかかるかもしれませんねぇ。」



 ウィルと俺はレガシー号の船尾で海図を見ながらそう話していた。海図にはジグザグにポートマースから線が引かれている。



「幸いな事に弱いままですが常に追い風ですから最短航路で進めているのは幸いですかね。」



 そう、このジグザグの線こそレガシー号がポートマース出港から走って来た航路を表していた。陸地も見えないのにどうやって自分の位置を把握するのか。それに必要なのが六分儀とクロノメーター、そして航海用アストロラーベを使用する。


 六分儀は自分から見た水平線と天体の角度を計測する機械である。これと後述するクロノメーターによる正確な時刻によって天文学における位置線を計測することが出来る。線と言っても直線では無く円だが、これを複数回行う事によって円の線が交差する場所が出来る。


 航海用アストロラーベも仕組みは六分儀と似たような物。この航海用アストロラーベは元々六分儀よりも古くシンプルだった四分儀にとって代わられた更に古い天体計測機器である。正確さでは六分儀に比べ劣ってしまうが、もしもの為の予備としてこの船には搭載していた。


 そしてクロノメーター。こちらは超高性能ゼンマイ時計と言った方が伝わりやすいだろうか。船の揺れや温度変化に影響されない超高性能な時計で、天文台で精度検定を受けた時計を言うらしい。船に搭載される落水しても海に浮くように木製の箱に収納されている物はマリン・クロノメーターとも呼ばれている。

 そもそもこの世界に天文台があるのか。そもそもプレイヤーはメニューウィンドウがあるから時刻は分かるんじゃないかとか突っ込み所は多々あるかもしれないが、NPCにはこのクロノメーターしか簡単に時間を確認出来る方法が無いのだから仕方無い…………のだろうか?


 一応、六分儀を使えばクロノメーター無しでも時間を計算出来るが、だったらクロノメーターを搭載した方が手間が減る。無駄はスマートに省くのが船乗りって者なのだ。




「そうだな。食料の備蓄や減りはどうだ?」



「そっちは特に問題はありません。元々こういう時や最悪テネルファ諸島で補給出来なかった時を想定して往復+α分の食料は積み込んでいますから。」



 レガシー号の物資管理を任せているウィルの言葉に俺は安堵した。勿論俺自身も船長として自分で確認はしているのだが、どうしてもプレイヤーである為にログインしていない間の減り具合はウィルの方が良く把握しているのだ。



「ケイスケはどうだ。使えているか?」



「あの人は凄いですね。船の食料で色々試行錯誤して美味しい料理を作ってくれてます。乗員とも直ぐ打ち解けましたし、問題は無いですね。」



「それは良かった。」



 ちらりと甲板を見れば、件のケイスケが乗員と呑気にトランプでポーカーをしていた。ケイスケが楽しそうで何よりだが、この男、先日船の乾パンを粉々に砕いたかと思えば乗員が釣った新鮮な魚でフィッシュフライを作りやがったのだ。パティシエのと言っていた癖に随分と多才な事である。因みにパッシャーさんは慣れない船旅で船酔いを起こして船室で休んでいる。



「風が強まってくれれば万々歳なんですがね。」



「そう上手くは行くまい。未だ乗員の士気も落ちてはいない。気ままに風を待つしかないだろうな。」



「仕方ないですね。」



 2人で溜息を吐きながら、計測道具と海図を片付けはじめる。

 俺は海図やコンパス、六分儀などを持ち、ウィルはクロノメーターや航海用アストロラーベを持って船長室に戻る。それぞれ収納し終えて一息つくと、俺は戸棚からラム酒の入った酒瓶を取り出した。出港後、パッシャーさんから頂いたホワイトラムだ。



「一杯どうだ?」



「船長が作ったラム酒ですか。是非ご同伴に預からせて下さい。」



「俺はアイデアを出したに過ぎないよ。」



 2つのコップにラム酒を注ぐ。そこに薄める為の真水と少しの砂糖、ライム果汁を絞って完成。英国海軍直伝の壊血病予防カクテルだ。



「水で割ったので大分飲みやすいですね。それにライム果汁が味にアクセントをつけて美味しいですこれ。」



「気に入って貰えて良かった。今後ラム酒が量産されればどの船でもコイツが飲める様になるさ。」



「早くそうなって欲しい物ですね。」



「その為にはこの航海を成功させなきゃならん。ウィル、頼むぞ?」



「お任せを。船長が居ない間は私が指揮を引き継ぎますからご安心を。」



 たった一杯だけだが再度乾杯して、小さな酒宴という名の休憩時間をウィルと楽しく雑談をした。

 お互い前の船からの知り合いだ。その頃の笑い話に華を咲かせる。5分か10分か、それくらいウィルと話していた時だった。



「失礼します。船長来てください!船が見えました。」



 ノックもせず大慌てで船長室へとやって来た乗員。その報告を聞いて短い休憩時間が終わった事を俺とウィルは感じた。

 溜息と共にコップをテーブルへと置いて、俺とウィルは上甲板へと歩いて行った。


 上甲板へ出ると、非番も含めた大半の乗員が甲板へと出たり、中にはマストに登って報告があった船を見つめている。出港してから何隻か船とすれ違っているはずなのに何で今更そんなに大勢でガヤガヤしてるんだと内心思ってしまった。一緒に上がって来たウィルも同じなのか、少し訝しんでいる顔をしていた。



「船長、あの船です!左舷前方、約15km先!」



 俺達が上がってきた事に気づいた1人の乗員が件の船が居るであろう方向を指さした。

 単眼鏡で乗員が指を指した方向を覗く。少しだけ左右に探した後、俺もその船を見つける事が出来た。


 船形は一般的なキャラベル船だが、細部の造りや船体の塗装が一般的な連合王国の船では無い。暗めの茶褐色で塗装された船体に、何よりマストで広がっている3つの三角帆それぞれに赤い十字が描かれてあるのが特徴だった。



「どう見ても教国の船ですね。」



「…………だな。」



 同じく単眼鏡で確認したウィルが俺にそう言って来た。

 赤十字はこの世界では教国のシンボル、国旗にすら使われているほど有名だった。因みに補足しておくが、リアル世界の赤十字の様なモノでは無い。実際見た目も十字の端っこの両角が鉤の様に反っている。スペインのサンタマリア号を想像して貰えれば分かりやすいだろうか。

 乗員が集まっていたのもこの航海で初めて教国籍の船を見つけたからだったのだろう。先のイベント戦で教国と連合王国の関係はかなり悪化している事を連合王国の国民全員が知っているのだから仕方ない。



「あれが商船であれば問題無い。むやみに事を荒立てる必要も無いだろう。」



「ですね。下手をしてこのまま戦争…………なんて、教国としても避けたいでしょうし。」



 俺の言葉にウィルも賛成してくれた。ひとまず騒いでいた乗員を落ち着かせる事にしよう。お互いにそう言って乗員へと向き直ったのだが、残念ながらこの時の俺もウィルも…………いや、レガシー号の全員があの船があんな事をするなんて思っても見なかった。



























「船長!教国船から停戦信号が上がりました!」


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