第3話 海の上


 トンネルを抜けた先に見えたのは一面の銀世界…………では無く、視界に映るのは重く圧し掛かる曇天が遥か彼方まで広がる大きな大きな石造りの港街。そして不意に鼻腔を擽る懐かしい潮風の香り。あまりにリアルな視覚と嗅覚の刺激に、ここが本当にVRの世界なのかと疑問符が浮かんでしまう。しかし一言ステータスと唱えると浮かんでくる簡素なメニュー画面が、此処は本当にVRの世界だと俺に語り掛けてくれる。

 にやける口元を無理やり真一文字に引き締めた。そして一歩石畳の道を踏みしめめ、気合を入れて歩き始める。目指すは自分の帆船を持って海へと出る事。さあ、此処から夢の第一歩が始まるのだ。











 そう思ったのが約半年前の事。現在俺が何をしているのかと言えば…………



「オーブリー!面舵だ!このまま東風を捕まえるぞ!ジャック!ウィルと一緒に帆桁ヤードを回せ!」



「「「了解!」」」



 絶賛NPCが操る帆船で船員として働いている訳である。いや、ゲーム内の時間はリアルの2倍の速度まで加速されているので実質約1年間と言っていいだろうか。

 New World Onlineには他のゲームと同じ様にファンタジー世界を題材としているので魔物とかモンスターと呼ばれる敵モブがいる訳だのだが、どういう訳か俺がスタート地点として選んだ連合王国にはモンスターがいない。


 正確にはモンスター自体はいるのだけど、どうやらこの世界ではこの世界で生きる魔力を持った生き物の事を纏めてと呼んでいる訳で。つまり、家畜や牧畜されている牛や羊に似た生き物もモンスターだし、広義的にはヒューマンやリザードマンや獣人などもモンスターと言っていいのである。しかし敵対する生物の事を分かりやすく魔物として区分している国もあるらしく、連合王国領内には敵対的なモンスターは殆ど居ない為に魔物という言葉が使われる事も無い。


 戦闘が目的ではない俺だから良い物をと始めたばかりの俺は思っていたのだけど、戦闘出来なきゃプレイヤーのレベルも戦闘スキルの習熟度も上がらないし、何が平均的にだニーナのやつめ。そりゃ戦う相手がいなきゃレベルアップも出来ないしプレイヤーからは不人気な土地にもなるだろうさ。

 そんなこんなで何をするにも先立つものが必要な俺は取りあえずギルドと呼ばれる場所に行った訳だ。最も、魔物が居ないんだからそれを駆除する冒険者ギルドなんてものは無かったが。




 ネーム オーブリー


 Lv   5


 HP   30/30


 MP   10/10


 職業  上級船員(異界の旅人)


 称号  無し


 スキル 


 メイン 測量Lv10


 サブ  観天望気Lv5

     操舵Lv3

     製図Lv1

     




 何と無しに開いてみたステータス画面を見て思う。半年やった割に実に簡素で低いステータスだと。ただでさえこのゲームにはVitやStr、Agrなどの他のゲームによくある身体能力のステータスが表示されない仕様なのがより俺のステータスを簡素にさせていると思う。これが他の国でスタートしたプレイヤーであればレベルなんてもう20か30は増えている事だろうし、スキルも俺より遥かに多いだろう。

 もっとも、それが羨ましいかと言えば、答えはノーだが。



「しっかし、船舶ギルドのやつらもオーブリーを推薦してくれて助かったぜ。最近の見習いはすぐへこたれやがるからよ。」



 舵を切り終わり、上手く風を捕まえた俺の背後から、誰かが愚痴と共にそう話しかけてくる。



「あぁ船長。俺の方もギルドにはお世話になってますよ。」



 浅黒く焼けた肌を惜しげも無く晒しながら、酒瓶片手にドスンドスンと歩いてくる大柄な男性。このNPCこそこの船の最高位の人物である船長だった。

 旧式も旧式、竜骨キールも無ければマストも1本、セイルは横帆1枚の補修跡だらけの使い古されたこのコグ船を任されているだけあって、船の扱いの腕は1級品、そして声の大きさも1級品な船長。この船長には俺も何度もギルド経由でお世話になっていた。



「後は風にまかしときゃ暫くは問題ねぇだろうよ。オーブリーは少し休憩しときな!」



「そうですね、天気も崩れなさそうですし少し休憩します。」



「おぅ、そうしろそうしろ!ヘンリー!お前もうすぐ上級船員だったな?オーブリーの代わりに少しだけ操舵やらせてやる。」



 そう言って酒瓶を俺に放り投げてから、また船長はドスンドスンと歩いて他の船員の所に絡みに行ってしまった。



「オーブリーさん変わりますよ。」



「有り難う。休憩したら直ぐ戻って来るよ。」


ヘンリーと呼ばれたNPCに舵輪を任せ、船長から貰った酒瓶片手に少しだけ休憩をさせてもらおう。


 さて、船舶ギルド、冒険者ギルドの無い連合王国では代わりに多くのギルドが存在している。とりわけ島国である連合王国で重視されている海上戦力、この場合国防戦力だけではなく漁業などの生産力を重視しており、その船の斡旋や人員の募集などを一手に担っているのが船舶ギルドだった。

 夢だった海と帆船に関わる第一歩としてそこに登録するのは俺にとって必然だったといっていい。実際、自前の船を持つにも船舶ギルドで一定のランクに達していなければ許可が出ないのでやはり俺の目は間違っていなかった…………はず。


 そこから毎日地道に見習いから初めてひーこら言いながら雑用する日々。ランクが上がってもやることは変わらない雑用の日々。こんなの全然楽しくない。面白くない。つまらない…………なんてことは無く、実は結構ノリノリでやっていたりする。

 憧れていた帆船での生活。現代では考えられない過酷さと、一日の終わりに人目も憚らず船員や船長のNPCとバカ騒ぎしてワインやビールを飲んで終わる日々。自衛隊行ってなかったら存外きつかったかもしれないが。


 漸く『見習い水夫』から始まった職業も『水夫』、『下級船員』とランクアップして『上級船員』まで上がる事が出来た。上級船員は船でも操舵手や甲板長など、ごく少数しかなる事が出来ない副船長兼務の船長の次に偉い役職だと思って貰っていい。リアルでも操舵手が『クォーターマスター』と呼ばれ略奪品の管理や分配なども行っていたことからその凄さが分かると思う。

 まあ、それはバッカニアカリブ海の海賊の例だし今乗っているのは小さな日帰り漁船だから完全に当てはまっている訳でも無いけれども…………


 俺の次のランクアップまで後少し。次に上がればついに船長資格証を貰える『下級士官』となる事が出来るのだから気合が入るというものだ。因みに、船舶ギルドではABCDなどでランク分けせずそのまま役職名でランク分けされているから案外分かりやすい。もっとも、他と比較はし辛いのは仕方ないけどね。



「港が見えたぞー!」



 マストに上っていた見張り役の船員が大声を上げた。

 うっすらと陸地の隙間から見える、中世っぽい石造りの大きな街並み。あそこが今の俺の拠点、連合王国最大の港街『ポートマース』。



「おぉし!入港用意だ!キビキビ動けよ!」



 船長が何処から取り出したのか、新しい酒瓶を振り周しながらそう叱咤する。まったく、遠洋航海に出る訳じゃないんだから真水なんて腐る訳ないだろうに。何時も酒を船に積むのだあの船長は。

 するするとマストに上ったり、入港用の道具を準備する船員。さて、何時でも船長の命令に即応出来る様に俺も準備をしておこう。そう思いながら、ヘンリーから再び操舵手を交代した俺は舵輪を握り直した。



「そういやオーブリー。お前さん入港したら船舶ギルドに行くんだよな?」



 指示を出し終えたのだろう。唐突に、俺の隣に歩いて来た船長がそう話しかけて来た。



「えぇ、今日の分の仕事の依頼完了を報告しなきゃいけませんしね。」



「そうか。んじゃ、俺もギルドの方に用事があるから一緒に行こうや。オーブリーには世話になってるからな。依頼主の俺から口添えすりゃ、少しはランク上げに貢献出来るだろうよ。」



 ガハハッ!と豪快に笑う船長につい俺は苦笑しながら、風に流され少しだけ風下に落ちた船首を元へと戻す。



「しっかしオーブリーよぉ。お前やけに操船上手いよなぁ。まだ上級船員になって少しだってのに。」



「こういうのには慣れてますからね。そう言う船長こそ、風の読みがめっちゃ上手いじゃないですか。」



 そりゃリアルで護衛艦の操舵を少しやってましたからね。とかそんなこと言える訳無いので適当にごまかして置く。



「それこそ慣れよ!ずっと海を見てりゃ、風の変わり目なんかが何となく解って来るもんよ。オーブリーもそのうち分かって来るさ。」



 順風に乗って港へと走る船長の船。大量の商品を積んでいるのにも関わらずその軽やかな船足は、まだ小さくしか見えていなかった母港を直ぐ間近へと俺達を運んで行く。


 入港作業に商品の出荷作業、ギルドへの報告とまだまだ今回のログインもやる事は多いが、煩わしいリアルから考えれば実に有意義な事だ。早く自分の船が欲しい。俺はついついそう思ってしまった。




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