終わりに

 兎にも角にも。

 私がこれまでの人生の中で、一番人に信じてもらえない。それでも本当にあった不可思議な話は以上になる。

 今でもたまに想像することがある。

 あの時、あの女性の声に起こしてもらえなければ。

 きっとそのままガードレールへと接触。最悪先輩と二人してこの世にいなかったかもしれない。

 それだけではない。奥さんと当時まだ幼いお子さんがいらっしゃった先輩のご家庭をも壊してしまっていた可能性が大いにあった。

 そうなれば私の実家も居眠り運転で人を殺した身内を持つこととなり、金銭的な問題だけではなく近所で後ろ指をさされ、仕事をしていた両親もその職場にいれなくなる、という未来も考えられる。

 あの時、あの声に助けてもらえていなければ。

 先輩と私の実家、両方の家が壊れかねなかった。そんな最悪な出来事になっていたかもしれないと。

 今こうして体験談として書くことができるのも、あの女性の声が助けてくれたからだと。

 元々お化けや妖怪、幽霊の話など、目に見えない存在を特段否定はしていない私ではあったが、この出来事は未だ科学では解明できない物事が存在していることを痛感することとなったのであった。

 そしてこの出来事以降、実家に帰ることがあれば仏壇に手を合わせ、予定が詰まっておらず、行ける時間があれば自ら墓参りに行くようにもなった。

 手を合わせている際には心の中で、無事に帰省ができた感謝と併せてこう言っている。

 「いつも見守って頂きありがとうございます。お陰様で何事もなく過ごすことができています」

 もちろん趣味のようになっている寺社仏閣へ伺うこともこの時世のため回数は減ったものの、今でも近所の神社へ行けるときに足を運ぶのも変わらずにいる。

 ほとんどいないかとは思うが、ここまで読んでくださった方の中にはもしかしたら気になる人がいるかもしれなので、最後にこれだけは記しておきたい。

 散々不可思議だ、人に信じてもらないと書いておきながら、今回この体験談を綴ったのか。

 本当はあまり公開する内容ではないのでは。秘めていたほうがいいのかと悩んでいた。何度も書いているように、体験談であってもにわかには信じがたい話だと思うからだ。

 それでも、令和になった現在でも科学では説明のつかないものがまだまだあることを、この投稿をきっかけに誰かに知ってほしいと思ってしまった。

 今読んで頂いている人にもこういうことがあるかもしれないと、子どもの頃に流行った都市伝説や学校の怪談を話すように、誰かにかは伝わることがあるのではないかと。

 これを書いている二〇二三の年始、今年は年末年始の帰省を控えている。

 十二月の半ばに体調を崩して、まだ本調子ではなかったからだ。復調し、また帰省する機会があればできるだけ時間を作って墓参りに行こうと思う。

 昨年を無事に過ごすことができた感謝と、今年一年の挨拶を伝えに。

〈了〉

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