違う世界のいきもの

斜体

第1章

第1話

 春。どこか現実味のない夢のような心持ちで電車に揺られる。私は今日から高校生らしい。全く実感が湧かない。


 電車の窓にうっすら映る私の制服姿は、これじゃない感みたいなものが見え隠れしていた。正直あんまり似合ってないと思う。私には可愛すぎる。


 時刻は午前8時20分。集合時間は9時だ。


 今日から通う椿門つばきもん女学園は中等部からある女子校で、なんとなく想像するお嬢様学校みたいな校風だった。

 オープンキャンパスに行った時、学校を構成するあらゆるものに心惹かれ、進学先を決めかねていた私は「ここしかない」という気持ちになったのを覚えている。


 電車を降りて、結構長い学校までの道を歩く。

 駅周辺はそこそこ発展しているけれど、少し歩くと不自然なほどに建物や人の気配がなくなる。椿門はそんなちょっとした山の中にある。


 やっぱり静かでいいところだなぁ。

 そこまで考えて、静かすぎるような気がしてきた。同じ制服の人を全く見ないのはおかしくない?


 ……時間まちがえたりしてないよね?


 不安になって、周囲に人がいないのを再度確認してからカバンからクリアファイルを取り出し、中の入学式要項を見る。確かに9時集合と書いて……あ。


 確かに書いてある。けど、その左隣りには明日の日付が書かれていた。少し上の方に今日の日付と共に「10時集合」と書かれている。


 嘘でしょ……こんな間違い滅多にしないのに。


 この一年で脳みそが劣化してしまったのだろうか。

 身にまとっている制服といい、今までの私じゃなくなったみたいだ。

 これから新しい人生が始まるのだと考えると、それも悪くないのかもしれないけど。


 私はしばらく立ち尽くしていたけど、こうしていてもしょうがないと学校に向かって歩き出した。さすがに学校が開いてないなんてことはないだろうし、私と同じ間違いをした人が他にもいるかもしれない。


 普段は視界にも入らないような道端に咲く花を心の中で愛でながら、学校までの道をゆっくりと歩いた。


 集合時刻の一時間十五分前。校門前まで来たけど、結局同じ制服の子は一人も見かけなかった。校門の横には「入学式」と書かれた大きな看板が立っている。


 一応開いてるっぽいけど入って大丈夫なのかな……


 中を覗いても人は見えない。いつまでもここでうろうろしていたら不審者極まりないので、思い切って足を踏み入れることにする。そもそもここの制服着てるんだし、入っても怒られたりはしないはずだ。


 校門を入ると左手に綺麗で大きな校舎があり、石畳を挟んで右手にはグラウンドがある。石畳の道のグラウンド側には桜の木が並び、鮮やかな花びらを降らせていた。


 受験で来た時以来だけど、やっぱり綺麗なところだな。普段生活している家や街とは雰囲気が違う。テーマパークの中にいるような感覚だ。


 桜を眺めながら、とりあえず校舎の入口へ向かう。

 入口の扉を抜けようとしたところで、中の廊下の角から人が現れて、体が少し跳ねた。


「あら?」


 その人は制服を着ていて、紙を丸めて筒状にしたものをいくつか持ち運んでいた。一瞬同じ新入生かと思ったけど、きっと準備をしている上級生だ。


「あなた、新入生の子?」


 その人は私に駆け寄り、優しい笑みを浮かべながら尋ねてきた。ほんのり茶色い髪は見るからにふわふわで、つい触ってみたくなってしまう。


「は、はい」

「随分早く来たのね。あなたが一番乗りよ」


 にこにこと楽しそうにそう言うので、なんだかこちらも嬉しくなってしまう。実際のところは時間をまちがえただけなのでとても悲しい。あははと微妙な心持ちで笑い返す。


「今クラス分けの表を貼りに行くところだったの。ちょっとついてきてくれる?」

「はい、ありがとうございます」


 よく考えたら、私は教室の場所も自分のクラスも知らない状態でどこに向かうつもりだったんだろう。

 その人について、校門の方へ戻っていく。


「あなた、お名前は?」

高瀬風花たかせふうかです」

「高瀬さんね。私は幸村牡丹ゆきむらぼたん。こう見えても生徒会長なのよ」

「会長さん……」


 生徒会の人だから入学式の朝から準備に駆り出されているのか。それにしても会長とは、いきなりラスボス級の人とエンカウントしてしまったらしい。

 そんな簡単な自己紹介が終わる頃には掲示板の前に着いていた。


「ちょっと待ってね。すぐに貼るから」

「て、手伝います」

「いいの? ありがとう」


 会長さんはにっこりと微笑んで、持っていたクラス表を二つ私に手渡した。

 一年生は全四クラスらしい。全て貼り終えて、自分の名前を探す。


「あ、高瀬さんはA組ね」


 私よりも先に会長さんが見つけてくれた。


「案内の看板とかもまだ立ってないから、教室まで案内するわね」

「ありがとうございます。何から何まで……」


 私が時間をまちがえたばっかりに、会長さんの手を煩わせてしまっている。当の会長さんはにこにこと楽しそうだけど、私が時間をまちがえたとは思ってないんだろうか。ただ新学期に張り切って早く来ただけだと思われているかもしれない。会った時に「実は時間をまちがえてしまってえへへ」ぐらい言えていればよかったのに、完全に言うタイミングを逃してしまった。


「じゃあ、誰か来るまで退屈かもしれないけど、待っててね」

「はい。ありがとうございました」


 二階の教室まで案内してもらい、会長さんはお仕事に戻っていった。教室の黒板には既に座席表が貼られていて、とりあえずそれに従って自分の席に座ってみる。席順は左前から五十音順で、私の席は教室のちょうど真ん中あたりだ。


 誰もいない教室のど真ん中に一人きりで座ってるの、なかなかに落ち着かない。その他の準備もお手伝いを申し出た方がよかっただろうか。


 スマホを取り出して時間を確認する。まだ八時五十二分、最初の人が集合時刻の三十分前に来るとしても四十分近く待つことになる。しかも仮に誰か来たとしてもこっちから話しかけられる自信はない。明るい未来が見えない。


 暇な時といえばツイッターを開くものだけど、なんとなく見る気分になれなかった。この綺麗な教室にツイッターなんてものは似合わないと、そんな気がしてしまう。


 しばらく誰も来ないだろうし、教室を観察してみることにした。


 黒板。座席表が貼られている以外には何も書かれていない。チョークの跡もないので、今日に備えて綺麗に掃除したのだろう。

 教卓。何も置いてないし、中にも何もない。

 窓。グラウンドと桜並木が見える。ということは……校門も見えた。やっぱり人の気配はない。


 あとは掃除用具入れとか、空っぽのロッカーとか。中学の教室と作りは変わらないけど、どれも新品のように綺麗だ。


 一通り見て、席に戻る。全然時間はつぶせなかったけど、少し落ち着いてきた。

 最初に入ってきた人が怖い人だったらどうしよう。会長さんみたいに優しい人だといいな。


 ……ただ座ってぼーっとしていると眠くなってきた。いやもともと眠かったのを思い出しただけかもしれない。昨日はドキドキしてあまり寝付けず、今朝は目覚ましの一時間前に目覚めた。普通に寝不足だ。


 机に突っ伏して、目を閉じる。私は横にならないと寝られないタイプの人で、よっぽど眠くない限りは家の外で眠りに落ちることはない。よって寝過ごす心配などなく目を閉じていられるのだ。五分ぐらいこうしていようかな。睡眠不足が解消されるわけではないけど、少しは体と目を休められるだろう。




 トサッ、と隣で物音がした、気がする。あれ?


 やばい、寝てた。よっぽど眠かったらしい。実績『机に突っ伏して寝る』を解除してしまった。


 時刻を確認しようとする前に、さっきの物音の正体が目に入った。

 私の左隣の机に人がいた。鞄を机に置きかけた状態で立っている。


「えっと、おはよう?」


 透き通るように可愛らしく、けれど芯のある綺麗な声がした。


 彼女を見上げる。


 瞬間、目を奪われる。


 立っていたのは、同じ制服を着た、けれど同じ世界の生き物だと思えないほど綺麗な女の子だった。


 彼女の肩甲骨ほどまで伸びた髪は、天然とは思えないほど薄い茶色をしていた。金髪? とも少し違う、白っぽい茶色だ。


 そして背後の窓一面には桜が、彼女を照らすように咲き誇っている。


 春光を透かす髪はそれだけで現実感がないほど美しく、ありふれた色のようであって、しかし彼女だけが持つ奇跡の色のように感じられた。


 本当はまだ眠っているのではないか。これは夢の中の光景なんじゃないか。

 頬をつねるまでもなく、痛いほど打ちつける鼓動がこれは夢ではないと知らせてくれる。


「あの、大丈夫?」


 ――はっ!


「う、うん」


 どれぐらいの間見とれてしまっていたのだろう。声を出してようやく目が覚めた感覚がした。おはようございます。


「ごめんね、起こしちゃったかな?」

「いや、そんなことは」


 むしろ起きられてよかった。人が来てなお寝続けていたらと思うとぞっとする。

 私が眠っていたのは10分足らずの間で、彼女以外にはまだ誰も来ていなかった。


「それにしてもびっくりしちゃった。わたしより先に来てる人がいるなんて」

「あ、いやえっと……来る時間まちがえちゃって……」


 さっきの反省を生かしてさっさと自白する。


「あー、そうだったんだ」


 そう言って彼女が破顔した瞬間、また心臓が跳ねる。

 可憐で、綺麗で、吸い込まれそうになる。


 髪にばかり目が行ってしまっていたけど、丸い目、整った顔立ちや輪郭はその髪に負けじと輝いて見える。


 その上制服はこの上なく似合っていて、彼女のために作られたものであるようにさえ思えた。


 いわゆるスーパー美少女だ。現世に舞い降りた天使か何かなんじゃないか。


「高瀬風花さん、だよね」

「えっ、なんで私の名前……」

「座席表に書いてあったから」

「あぁ、そっか」


 冷静じゃない。彼女以外なにも見えなくなってしまったみたいだ。


「わたし、小山春こやまはる。お隣の席なんだし、よかったらお友達にならない?」


 こうして私は、春という名前の、春のような少女と出会った。


 なんか、物語の主人公になったみたいだな、とか、柄にもないことを考えてしまった。

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