第16話

「虫化した死体が、一、二、三、四……特殊な死に方の虫が一つ……これは大漁ですね」

 シルクハットをかぶった黒いケープマントの男、一式永久が、嬉しそう飛び跳ねながら、ライブ会場をスルスル歩きまわる。

「しかもあと一つ、藪島って人の死体も、貰えるんですよね?? いやぁ、これはラッキーラッキー♪ 欠落者の体は、貴重ですからね。その辺で調達してきた死体十二体と、私のネクロマンシーを足しても十分利益になる内容です」

 一式永久にこの工作を頼んだのは、正解だった。実害のない『死体』を使う彼の術は、特に芥にとってはありがたい分野のものだろう。

「お前の魔術、大活躍だな。ほんと、こういう妙なめぐり合わせというか、ご都合主義には、奇妙という他ない」

「世界なんてそんなものですよ。私なんかより、先輩の方がよく知っているでしょう?」

「まぁな」

 柊は髪を軽く手串で整えながら、あたりを見渡す。

 リストにあった人間は、藪島を除いてみんな少しモラルが崩壊しているだけのただの人間だった。欠落者の予備段階である異端者もおらず、特に何かをする必要はない。

 藪島は欠落者であり、彼の異能は使い道によってはそれなりに脅威になる。そしてなにより、最低でも、間接的にではあるが、四条由梨と真野沙彩の二人を殺している。彼の開いていた『ライブ』や自制心やモラルの崩壊から考えて、普通の人間として生活できるレベルに戻るのは不可能。行動的にはとりわけ凶暴というわけではなかったが、一式に支払う死体の一人として、柊は籔島裕也を始末していた。結果的に今回の事件に関わった欠落者は、全員仕留めてハッピーエンドだ。

「死体は回収したか?」

「はい、まもなく完了……これで終わりですね」

 一式は大きな麻袋の中に、自らが操っていたものも含めて、全ての死体を詰め込んだ。十数体を詰め込まれたはずの袋は、少し膨らんだだけで、片手でも十分に持てそうな質量しかないように見える。恐らく、麻袋の中に縮小化の刻印があって、大きさ、質量を数十分の一に変換しているのだろう。多くの死体を持ち歩くことがメリットになるネクロマンサーはよく使う魔法の一種だ。

「それじゃ、消す(・・)か」

 柊は会場内に書いておいた魔法陣を発動させる。

 黒い煙と影が、のた打ち回るように会場を多い、血の痕や虫の体液、匂いや魔力の痕跡すらも拭い取っていく。

「おしまい、と。世話になったな、一式」

「いいえ。代価は貰ってますから、貸し借りはなしです。それに、私は黒魔術の王、ジャナンハイムに頼られて、嬉しいのですよ、先輩」

「あまり言いふらすなよ」

「はい、もちろん」

「また珍しい死体が手に入ったら、連絡してやる」

「それは嬉しい……ああ、そうだ。あの刀は差し上げます」

「ヤ=テ=ベオの木の刀か? いいのか?」

「もともと、あげたものです。それに、私、同じのまだ持ってますから」

「危ないやつだな」

「ええ、屍術使いなもので」

 掴みどころのない飄々とした物言いで、一式は笑った。

 この男は恐らく、自分の敵にはならない人間だろうと、柊は思っている。それは信頼などでは決してなく、この男の本質から読み取るものだ。敵にはならないが、味方という訳でもない。ただ、自分の利益のためには、裏切りにも似た行動くらいはするが、きっと最終的には対立することはないだろう。

「……一式」

「はい?」

「お前は、魔法使いでありたいと思うか?」

「なんです? 急に」

「欠落者になりたいと思うか?」

 俺が聞くと、それまでのおどけた表情が少しだけ真面目なものに変わった。

「……いいえ。何を失うかも分からないんでしょう? 嫌ですよ。それに、私は自分の魔法に、そこそこ満足しています。私も起源などには興味はないですけど、この魔法を極めた先に禁忌の扉があると思うとゾクゾクしますしね。当分はそれだけで十分です。妙なリスクを負ってまで、別の力が欲しいなどとは思いません」

 後半はまた、おどけたような表情に戻っていた。

 確かに。

 聞いた話では、彼の求める魔術の根源は死者の蘇生。つまりは『生き返り』だ。

「『死者は生き返らない』」

 一式が、少し目を細めながら、口にする。

「屍術、ネクロマンシーを習う上で、最初に学び、最後まで付きまとう基本事項の一つです。それを本当に理解し、心に染み付かせないと、本物のネクロマンサーにはなれません。死体を操り、生きている人間のように見せることができる私達の術が、もっとも初めに死者蘇生を否定しているんです。つまり、それは不可能であり、神に近づく魔法使いにすら、禁じられたことであると。だからこそ、私はそこに辿りつきたい。もちろん欠落者の異能などというユニークスキルではなく、魔法技術として確立させたい。もしかしたら、私の起源とは、そこにあるのかもしれませんね」

 そこまですらすらと話すと、一式は急激に黙りこくった。

「お前も、魔法協会から疎まれる側の人間だな」

「ええ。そう思ってます」

 一式はニヤリと笑うと、麻袋を担ぎなおす。

「それでは、私はこの辺で」

「藪島の死体を忘れるなよ」

「ええ、もちろん。帰り際に貰っていきますよ」

「この町を離れるのか?」

「はい。私の工房は、二つ隣の町にありまして」

「ありがとう、と、改めて最後に言っておくよ。ネクロマンサー」

 彼は返事の代わりに、ハットを取ってお辞儀をした。

 一式がいつかのように煙となって消えたのを見送った後で、柊はゆっくりと会場の入り口へと歩き出した。

 ドア開け、悠々と外へ出たところで、人避けの結界を解除する。

 結局、今回の事件は一人の少年の理想と現実のギャップに受けたショックによる異能であった、と、そういうことになる。

 しかも、藪島裕也の欠落も、四条由梨に抱いた理想とのギャップによるものだった。

 揃いも揃って、惚れた女が理想と違う淫乱だったからって、ヤケを起こすとは、始末に負えない。

 というよりも、意識的に『自分達は虫ではない』、などという驕り昂ぶった考え方の時点で、柊はあの相良明人が気に食わなかった。

 そもそも彼の正義は、彼自身の強い信念などではなく、社会が提唱するモラルやらなにやらという基準を順守した延長に存在するものだ。

 つまりは与えられた正義。偽物だ。

 そんな思考停止にも似た代物を掲げて、本能のままに悪戯に性交したのが許せませんと、彼は殺して回ったのだ。

 潔癖な理想を押し付ける精神と、醜さを受け入れ、それでも良いと愛し続ける精神では、果たしてどちらが崇高だろうか。

 理想とは願望であり、希望である。

 魔法使いとして概念で言えば、今回の相良明人や藪島裕也は正義となる。だが、そんな潔癖に何の価値があるのか。そもそも彼らも、元々は貞淑を守るような聖人ではないのだから、被害者だと思い込んだ途端に始まった瞞着(まんちゃく)めいた『清い理想』など、たかが知れている。

 柊は内ポケットから、シガーケースを取り出した。黒鉄色に鈍く光る薄い長方形のケースには、曼陀羅の特殊な文様な小さく無数に刻まれている。大昔、仏教に携わる魔法使いに作ってもらった一点ものだ。

 ケースを開けて、タバコを一本取り出す。

 マッチで火をつけると、息を軽く吸い込む。

 煙を吐いたところで、柊はふと、思い出す。

「路上喫煙禁止か」

 昔――五十年ほど前は、町のどこでも吸えたものだが、ここ数年で喫煙場所は激減し、喫煙者は肩身の狭い思いをしていると聞く。

 仕方なく、タバコを携帯灰皿で揉み消した。

 紫色の煙が一筋、細く線を描いて空へと昇り、幾分早い段階で霧散する。

 後を追う煙は、もうどこにもありはしなかった。


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