第15話

 そこは小さなライブハウスだった。

 DAZVOのように大きな控え室もなく、大部屋のような楽屋が二つほどあるだけだ。

 それでも、そこにはかなりの人数が集まっていた。

 リストにあった真野以外の十二人と、それの『相手』となる十数人。男女が同じ必要はない。ここは音楽のための場所でもなく、愛を確かめる場所でもない。ただ欲望のままに、性を謳歌する場所なのだから。

 招待客に紛れこんだ芥と琴葉、明人の三人は、ライブが始まるのをじっと待っていた。線にゅに関しては、先の通り柊の魔術を使えば別に難しいことではない。

 明人は二所ある入り口の西側から入り、中間地点で待機。あの木製の刀を隠して構え、一方、芥と琴葉は、明人がよく見える東側の入り口付近で、同じように待機する。

 ガヤガヤとした喧騒が、BGM代わりに流れる藪島のギターと相まって耳にうるさい。

 いかにもというか、当然というか、芥はこういうライブハウスやクラブのような場所があまり好きではない。そして、それは琴葉も同じようだった。

 琴葉も今日に備えて、服を新調していた。彼女の持っている私服では、あまりにもライブ会場には不釣合いだったからだ。

 ダメージ加工されたデニムのホットパンツに、チャコールグレーのリブ素材のタンクトップキャミソール、その上から薄手の黒のロングカーディガンという格好は、普段では絶対にありえないほどラフで驚いたが、これはこれで恐ろしいほど似合っていた。

 芥はデニムにそれっぽいパーカーでごまかしている。大抵の場合、男の服装の方が圧倒的に楽なものだ。。

 高い段差、程度に設けられたステージ上はまだライトが弱く、藪島の姿がやや輪郭を不確かにして照らされる程度の明るさだ。

 会場内はそれ以上に暗く、人の顔がかろうじて認識できる程度だった。

 DAZVOとはまた違う、独特な空気と匂いがする。

 またライブは始まっていないのに、会場は妙な熱気が渦巻いていた。

 キィィン、というハウリング音が聞こえる。

 藪島がギターを止めて、代わりに立ちあがった。その目に生気はなく、亡者のように微動しながら立っている。

「こ、これより……ライブを始……メル」

 藪島の声を合図にガチャン、とドアの鍵が閉められる音が聞こえた。

 中の人間が逃げ出すことよりも、外部から人を入れないための施錠だ。

 本来なら、この辺で一組目のバンドグループがステージに上がるのだが、誰もステージには上がらない。

 今回のライブの目的は、最初から演奏ではないのだ。

 そのまま、再び座り直した藪島が、つながれたアンプ越しに、大音量でギターを掻き鳴らし始める。

 同時に、スイッチが入ったかのように、衣服を脱ぎだす客達。

 先に動いたのは、やはり明人だった。

 ヤ=テ=ベオの木で作られた、血肉を食らう刀を振りかざし、周囲の人影から容赦なく切り倒していく。

 明人にはこの集団においても、虫かそうでないかが判断できる。しかし、芥達は違う。明人に予め教えられた人間以外は、虫なのか、人なのか判断する術がない。

 いや――、もはや問題はそこではない。

 芥と琴葉が求めるものは、そんなことではなくなっていた。

 激しい曲調の音が鳴り響く中で、性交をしようとする人間達とは明らかに違う動きをする明人。

 芥も琴葉も、それを見つめる。

 明人ががむしゃらに刀を振りかざす。

 人影が倒れる。

 また明人が、別の人影に向かって刀を振るう。

 その人影が倒れる。

 そんな緊迫感に欠ける場面を見つめながら、二人は人ごみを掻き分けて進み始めた。芥には、確認するべきことがあるのだ。

 服を殆ど脱ぎだした人々の間を縫って進み、何とか明人の元へと近づく。正確には、明人が切り倒した人影を確認しに近づいたのだ。

 コキコキ

 コポコポ

 奇妙で不快な音は、この雑踏と音楽と中でも、なぜか耳に届いた。近い距離で見ていたせいもあるだろう。明人が切り殺したと思われる『人間』は、殆ど『虫』に変異していた。服は裂け、身体は見る影もなく変形しており、巨大な甲虫の形をしている。背中だったと思われる場所には、深い刀傷も確認できる。

「芥、あなたの思った通りみたいね」

 琴葉が、芥に耳打ちする。

 彼は頷いて、更に観察を続ける。

 引き続き、明人は道を作るように人を切って進んでいた。

 芥たちはその後を追う形で、切られた『虫』達を確認していく。

 すでに顔は分からない。皆等しく、不気味な甲虫に変異してしまっているからだ。

だが、それもどうでもいいことだった。芥達は『誰が虫』で『誰が虫じゃないのか』を判断したかった訳ではない。

切られた人物が、虫に変異したかどうかが知りたかったのだ。

明人は、すでにステージの手前まで差し迫っていた。

ステージ上でギターを弾く藪島は、それに反応する気配はない。まるで操られた人形のようにギターを抱えて、弾き続けている。

「ッ!!!!!」

 言葉は、発してはいなかった。明人は、歯を食いしばるように声なき声に気合を込めて、木の刀を、藪島の後ろから、左肩と右のわき腹を繋ぐように、袈裟状に切りつけたのだ。

 もちろん、藪島を切った音など、聞こえない。

 芥達の位置からでも、藪島がぐらり、と揺れるのが分かる。

 明人に切られた彼は、そのまま膝から崩れ落ち、そして、横たわった。

 芥と琴葉は、ステージへと向かい、立ちすくむ人影を避けながら、明人のところへ近づいていく。

 腕や身体に所々ぶつかりながら、歩みを進める。

 嫌な気分だった。

 これから、早蕨芥は『連続失踪事件』改め『巨大甲虫擬態事件』の、具体的な解決をしなくてはいけないのだから――。

 ステージに続く、小さな階段を、五段ほど上る。

 そこには、藪島を切り伏せた明人と、切られて倒れた藪島が横たわっていた。いや、精密には、藪島だったものが、である。

 その『死骸』はすでに虫への変貌を遂げ、元が誰だったなどは判断がつかない。

「早蕨先輩、そっちはどうですか?」

 明人が倒れた藪島を見つめながら、芥達に問いかける。

 別々の場所から、まずは『虫』であることが予め分かっているリスト十二人を抹殺すること。それが、今回の最優先事項であった。明人は周囲にいる擬態した虫を切り殺しながら、ステージ上の主催者、藪島を殺す。芥と琴葉は、それ以外の擬態した虫を殺す手はずだ。

「こっちは……」

 芥は、少しだけ目を伏せた。

 一拍息をのみ、それから、答えを口にする。

「……一人も殺していないよ」

 明人の身体が、微かにだが、ピクり、と反応した。

「先輩? どういう、ことですか?」

 さび付いたブリキ人形のように、ぎこちない動きで、明人は首を回し、芥達を見つめる。

「明人、ここに『虫』はいない」

「は? 何を言ってるんですか? ここには予想以上の虫が集まっています。リストに上げた人たちだけじゃない。むしろ、人間の方が少ないですよ」

 真剣な顔をして、明人は言った。身体が強張っているのは、周囲を警戒しているからだろう。

「ほら、あそこにも、あそこにも、早く全部殺さないと……」

 明人は辺りを木の刀で指しながら、口にする。ステージの周りでは、殆ど全裸の人間達が、各々に性交を始めているように見える(・・・)。

 芥は、スマートフォンを取り出して、電話をかけた。

「どこに、電話を?」

 明人の問いには答えない。

「先生、魔法を解いてください」

 芥が呟いた電話の向こうでは、だるそうな『ハイよ』という返事が聞こえる。

 途端に、空気がひび割れたような音が来た。薄い氷が、パシリと割れた音のようにも聞こえる。

「え……?」

 明人は、ステージから下を見下ろした。

 恐らく、今の彼には、芥達が目にしている光景と同じく、殆ど人のいないガラガラの会場が目に映っているはずだ。

「こ、これは……? さっきまでの人は?」

 明人は一歩、後退(あとずさ)る。

 会場には、虫になった死骸が五体。そしてふらふらとしながらも、動きをやめ、佇む人間が七人。

「この会場にはね、最初から僕と琴葉と明人、そして藪島とリストの十二人しか、いなかったんだよ。それを、先生に頼んで、数十人が集まっているように幻術をかけてもらった。ばれないように、僕達ごとね」 

 それを、さっきの電話で解除したのだ。

「明人はさっき、そこかしこに擬態した虫がいると言った。それは、誰のことだ? どこにいた人間のことだ?」

「それは……でも、居たんだ! 本当に見えたんだ。擬態した虫が! そこら中に!」

 嘘をついている顔には見えない。

 『嘘はついていない』のだ。彼には本当に見えていたのだろう。嘘じゃない。事実、彼にはそう見えていたのだ。

「僕はこの事件……最初は『若者の連続失踪事件』として、調査を始めた。それと同時に『巨大な虫の死骸が発見される』事件が発生し、その二つが関わっていることが分かった。明人、君の協力もあってね。でも、そこからが、何をどう調べても『虫』に関する続報が入ってこない。正確には、虫の正体に関する情報が、だね」

 芥は明人をじっと見つめながら、語り始めた。

「僕はこれでも、何人もの欠落者を見てきた。そして、何人もの人殺しを見てきたし、狂気に落ちた人間、人を欺く人間、色々目にしてきた。こんな商売をしてると、いやでもそういうのには敏感になってね。どんなに上手く嘘をついても、大抵は見破れるんだ」

「ボクが嘘をついていたと言うんですか!?」

「いいや、君から嘘を感じたのは、深夜に公園で遭った時の『散歩』という言葉のみだ。他は何一つ、嘘をついていないのがわかる」

「そ、それじゃあ……」

「君の言葉に嘘はない。実際、明人の話を聞いて、僕自身も、納得してしまったんだ。『巨大な虫が人間に擬態して紛れ込んでいる』……これは、あまりに信憑性があるように思えた。それと同時に、明人の必死さも伝わってきた。君は確かに、擬態した虫と孤独に戦う人間だった」

 明人は怪訝そうな顔をしながら、芥を見ている。実際にこの瞬間にも、彼は芥が何を言おうとしているのか、分かっていないのだろう。

 芥は少しだけ、琴葉の様子を見た。彼女は腕を組んで足を揃えて立っていた。芥が全てを説明し終えるまで、口も手も出さずに見守っているつもりなのだ。

「きっかけは、藪島だった。彼が欠落者であったことが、僕に小さな疑問を抱かせた。そして、あの日。明人の『擬態リスト』にあった真野沙彩が自害したことで、それは大きくなった。正体の分からないもやもやとした疑問が、違和感が、少しずつ輪郭を得ていくかのように」

 違和感は確かにあった。しかし、それはあまりに誤差の範囲内で、もっともらしい理由があって、無視しても然るべき程度のものだった。

 例えば『定期ライブ』での乱交で、擬態した連中が一度も虫の姿に戻らなかったこと。

 例えば擬態した虫が、突然正体を現して襲ってきたことが一度もなかったこと。

 どれも、疑うにはあまりにも決め手となるものがなく、こじつけのような理由がなければ、深く考えもしない範疇だったのだ。

「思考と推理の方向を変えたきっかけは、やっぱり欠落者だった。欠落者は、人間以外に、ありえない。藪島が欠落者であり異能を操ることが分かった時点で、彼は『虫』ではないことが判明した」

「虫じゃ、ない? でも、虫の正体は分かってないんですよね? だったら、異能を持っていたからと言って、虫ではないと断言することは出来ない……ですよね?」

 明人の言葉の最後の方は、少し力がなかった。彼自身の中にも、僅かに懐疑的な、正体不明の焦りのようなものを感じているのだろう。

「ああ、そうだ。確証や裏付けはなにもない。だから、何かを一つ、まずは仮説として決定する必要があった。物理や科学の検証実験のようにね。藪島が異能を持ち、それをライブで使用していただけでは、もちろん不十分だった。でも、真野沙彩が自害したことで、仮説が曲がりなりにも成り立ったんだ」

 芥は少しだけ、鋭い視線を明人に向けた。

「『死んでも、虫に戻らない虫がいる』ってね。これは捉え方によっては『虫』の新しい特性と考えることもできる。だけど、そうじゃない可能性で、僕は話を進めてみた。『真野沙彩が、虫ではなかったとしたら』だよ。虫は正体がばれそうになる、性交の最中に興奮が高まる、致死量に近いダメージを受ける、そして死亡する、といういずれかの条件において、擬態が解ける。そうだったね?」

 明人は頷く。

「少なくとも、ボクが遭遇した虫から得た情報では、そうでした」

「僕は考え直した。『事実は何なのか』ということを軸にね。より多くの場所で、多くの人間が目撃していることこそ、客観的な事実であると判断できる。つまりは、明人だけが目撃したこと、僕達だけが目撃したこと、そして、明人と僕達が目撃したこと。その認識の相違を調べてみたんだ。するとどうだろう?」

 芥は感情を殺して説明を続ける。

 虫の死骸。

 これは、間違いようもなく実際に存在している。

 芥も琴葉も柊も明人も、そして恐らく警察も目撃している事象。つまり、事実だ。

 人が虫になる。

 これも、事実。実際に人が虫に変化するところを芥も見ているし、虫になって錯乱してる個体を琴葉も目撃、応戦している。また、死骸を調べた結果も、内部は人間の構造ときわめて似通っていたとのことだ。

 擬態が解ける条件。

 問題はこれだ。確かに瀕死の状態、もしくは絶命すると、擬態していた人から虫に変異する。この条件は、実際に目の当りにしている。

 だが、それ以外はどうだ?

「性交中の変異、そして正体がばれそうになった時の変異と凶暴化を、僕は見ていない。琴葉は交戦したけど……」

 芥が言うと、そこで今まで黙っていた琴葉が口を開く。

「敵意というより、怯えているようだったわ。恐怖で我を失い、それで近くの人間に襲い掛かるような、ね。それに、私が交戦した個体は、遭遇する前に致命傷を負わされていた。恐らく、相良明人……あなたによってね」

 琴葉がトドメを刺した虫の逃走経路と、明人が擬態した虫を取り逃がした場所と時間を合わせて調べれば、それが同一の個体だったと分かった。

「つまり、虫に戻る条件は『生命が維持できない状態になる』という一点以外、僕達は見ていない。確かめられていないんだ。僕は藪島の定期ライブにも潜入したけど、明人の情報と違っていたのは、行為中に虫になる個体が一人も居なかった、という点だけだ。君は言ったよね? 乱交時には、ほぼ高い確率で虫に戻る、と」

「そうです。奴らは必ずと言っていいほど、最後には正体を現して虫になる。それは、ライブでは間違いなく起こることで……」

「……それが、起こらなかったんだよ。性交中に、変異は起こらなかった。他にも『虫が擬態してる』と思わせるようなことは、何一つなかったんだ。会場に居る人間達は、藪島の異能で自制心がなくなり、性的欲求を抑えられない状態になっていた。それによる乱交が発生していたけど……それだけだったんだ」

 明人の目が、不安に見開かれていく。

 息が少しずつ荒くなり、唾を飲み込むのが分かる。

「僕は明人、君が欠落者になる手前の段階だと、睨んでいた。その兆候として、『擬態を見抜く』という力が発生しているのだとね。でも、違っていた。勘違い、というか、思い込みだったよ。僕は失踪事件から調べていたからね。そこから巨大な虫の事件も調べ始めた。だから、思い込んでいたんだ。虫の一件が、『荒井浩太たちのグループありきの事件である』とね」

「何を言ってるんですか? 発端は荒井たちでしょ? あいつらが行っていた『遊び』が、そもそも虫の交尾の場だった……だから、ボクはッ!」

「君は、居たんだ」

「え?」

「荒井たちの『遊び』にも、彼らが『虫』になったという現場にも。巨大な虫が現れたところ、人が虫に変異したところには明人、君が必ず居たんだよ」

 明人の身体が、強張るのが見て取れる。

 息はすでに十分に荒くなり、冷や汗もかいている。

 そう。これは彼自身ですら、知らなかったことなのだ。

「……だから、なんだっていうんですか? ボクが、何だって……」

「仮説の主題はここからだ。僕は、全ての原因が相良明人である、と仮定してみた。相良明人が、巨大な虫を作り出している、とね。だが、君の言葉に嘘はなく、僕達を騙そうとしている、あるいは多重人格であるという線も薄い。だから更に仮定したんだ。君が殺した人間が、虫になるのではないか、と」

 明人は興奮のせいか、それとも緊張のせいか、小さく震えていた。

「君はすでに欠落者で、人間を虫(・)であると認識する何かが起きて、それに伴って『欠落』した。そして、異能を発動させた。異能っていうのはね、大抵の場合、無意識なんだ。だから、その能力の性質によっては、自分がなんらかの力を行使したことにさえ、気づかない。君が騙していたのは、君自身だったってことになる」

「こ、この虫は、ボ、ボクのせいだって言うんですか……? ボクが、この虫を作ったって? 馬鹿馬鹿しい、大体、どうしてですか? ボクは、この虫たちを憎んでいるんですよ? ボクの大好きだった武宮を奪ったこいつらを! 武宮に成り代わったこいつらを!」

 明人の目が半狂乱に泳ぎ始める。

 狂気を含んだ目。それは、欠落者が、己が本能を明らかにするときの目。

 鈍く光り、淀んで澄み渡っているような、奇妙な瞳。

「今ボクが倒したこいつらも、全部ボクのせいだっていうんですか? そんなの、おかしい!! 先輩達には見えてないから、そんなことが言えるんだ。擬態を見抜けないから、ボクの方がおかしいって、そう思うんだ!!」

「明人!」

 芥が彼の名前を呼ぶと、それに反応するように、彼はとっさに、ヤ=テ=ベオの木の刀の切っ先をこちらに向ける。

「動かないで! 先輩は味方だと思っていたのに! やっぱり、誰も信用できない!

……ああ、もしかして、先輩も既に『擬態』されているんじゃないんですか!?」

 グルグルと、焦点が合わない瞳が、芥に向けられる。

「……あなた、芥の話は最後まで聞きなさい」

 琴葉が割って入るように、呟いた。

「芥は、仮説を立てたのよ。この時点では、あくまで仮説。予測や想像と変わらないわ。それが、どんなに辻褄が合っていようともね。それに、ただの仮説の段階で、あなたにネタ晴らしをするほど、私達は甘くもない」

 琴葉の言葉に、明人は押し黙る。

「……検証は終わったんだ。だから、僕達はこうして、君に話をした」

「検証? 何を、検証したっていうんですか?」

「君が殺したリストの数人」

 芥はステージ上から、自分の肩越しに指を指した。視線は、明人に向けたままだ。

「それと、そこの藪島」

 指を明人の足元に転がる、藪島だった『虫』の死骸に向ける。

「そして、今、会場内でフラフラとしている残りのリストのメンバー。彼らは、誰一人として、本物じゃないんだ」

「……は?」

 憎悪と猜疑心に塗れていた明人の顔が、ほんの少しだけ、呆けたように、弛緩した。

「まったく別の死体なんだよ、彼らはさ。君にその刀を提供した男が居ただろう? 彼は魔法使いでね。ネクロマンサーという屍術使いなんだ。死体を自由に操ることができるというので、その人に協力してもらってね。死体を加工して、リストの男女と藪島に顔と体型をそっくりにしてもらったんだ。この十三人だけは、実体があり、かつ別の人間である必要があったからね。それを生きているように動かしてもらった」

 この『虫化』が明人の能力であるかどうかを判断する方法。それは、明人が『虫』だと思いこんでいる人間を、別の個体にすり替えて殺させること。『擬態した虫』などというものが、明人とは全く無関係で存在しているものなら、このすり替わった(元)死体を切り殺したところで、何も起こらない。当然だ。この死体は虫ではないのだから。しかし、この死体を『虫である』と認識している明人が殺し、実際に虫化したのなら――。

「そんな……これは……こいつらは……」

 首を左右にゆっくり振りながら、一歩と、また一歩と下がっていく明人。

「そ、それじゃあ、なんだっていうんですか? ボクが、殺したから、虫になったって? ふふっあははっ、そんなことあるわけないじゃないですか! こいつらは、こいつらは、敵です! 侵略者なんですよ。擬態して人間に化けて、性交を繰り返し、種の保存と繁栄、増殖と言う本能だけに特化したクソ虫なんだ! 見て分からないんですか!? こいつらは虫だ! 昆虫だ! 足が足りない四本足の虫なんですよ!」

「明人……違うよ。君が虫にしたんだ。君が、虫だと思ったんだ。荒井が行った『遊び』の場で、君は乱れた武宮春香を見た。清楚で、綺麗で、憧れていた彼女の、淫乱な一面を見た。その時、君は彼女を、現実として受け入れられなかった。君は逃げた。目を背けるばかりではなく、それ自体を無かったことにしたんだ。分かるかい?」

 そう、彼は衝撃を受けた、ショックを受けて、傷ついて、失望して、絶望したのだ。そして拒絶した。『そんな彼女は存在しない』『そんなの彼女じゃない』と。

「ううっ……違う!! 武宮は虫に殺されたんだ……やっぱり、早蕨先輩も、そうなんですね……あいつらの仲間なんだ……だから、そんな訳の分からないことを言う……」

 明人がぼそぼそと言いながら、木刀を構えた。

「先輩も、虫、なんですね。あんな……性行為に耽るだけの、そして、それを容認するような、そんなクソ虫と一緒……虫、虫、虫……」

 振り回す木刀が、ブンッブンッと鳴る。

「虫は、ボクが殺してあげますよ」

 明人が、突進を始めた。

「琴葉!」

「ええ、問題ないわ」

 芥と琴葉は、それぞれ左右に移動して明人から距離をとる。

「逃がさない……虫は、全部殺す!」

 右手一本だけで木の刀を振り回し、明人は芥へと向かってくる。予想以上に早い。無意識下で、制限が解除されているのかもしれない。

柊曰く欠落者は、自然に身体のリミッターを外してしまう傾向にあるという。特に訓練を受けることも無く、芥達のような『制限解除』状態で行動できることがあるのだ。

「うああああっ!」

 ビュンッ!

 先ほどよりも圧倒的に強い力で、振りぬかれる。

 しかし、それを避けることは難しくは無い。芥は彼以上に肉体の制限をはずし、体感時間を引き延ばした状態になっている。彼の動きもある程度遅く見え、事実上、芥の動きは加速している。

 剣筋もバラバラ、身体の捌き方もなっていないから、体重も乗っていない。何より四肢と身体、そして刀が連動していない。

「このっ! 害虫が!!」

 刀を両腕で握りなおした明人が、顔を狂気に歪めながら、大きく振りかぶる。

 その隙を芥は見逃さない。

 一歩で、大きく踏み出す。

「!?」

 主軸に成っている彼の左腕の肘に自らの掌を当てて、肘から先を下へと折りたたむ。

 ボギッ

 肉の中にくぐもるような酷く鈍い音がして、明人の左腕は、肘からあり得ない方向に曲がった。

「ぐあああああああああっ!」

 同時に、木の刀がステージの床へと落ちる。木と木のぶつかりあう『コンッ』と言う音が響く。

「君は被害者なんかじゃない。ショックの大きい現実を受け止めきれず、自分の都合の良いように世界を歪ませてみるようになっただけの欠落者だ。そして君の行った殺しには、どこにも正当性は無い。自分の美学に反するものを己の『正義だ』という大義名分で殺して歩いただけのシリアルキラーに他ならない」

 明人は折れた腕を抑えながら、蹲って震えていた。すでに叫びではなく、痛みを堪える呻き声だけが、断続的に響いている。

 荒い息が少しだけ落ち着くと、明人は呟きだす。

「……虫、じゃない、ですか……恋愛も、美学も、精神性もない……そんな性交を繰り返す生き物なんて……人間じゃない……虫だ。虫なんだ……汚らわしい……なんて、汚らわしい……!!」

 好きな相手へ理想を押し付けることは、少なからずあることだ。特に男性は、女性に夢を見る。理想を見て、夢を見て、美化して、それを押し付ける。でも、きっと、それはお互い様で、その『理想』が何かの励みになることもある。個人や二人の関係を高めることだって。

 明人は、武宮春香の醜態が許せなかった。しかし、それと同時に、自分も許せなかったはずだ。その場の空気に呑まれ、欲望のままに彼女を求めた自分自身が。

「……君は君自身が、許せなかったんだろ?」

「え?」

「武宮春香が、淫行を及んだ『遊び』の場で、君は彼女を止めることも、連れ出すことも、自分だけが逃げ出すことも出来なかった。どんな理由があるにしても、彼女を求めたんだ。穢れていてもいい、美しくなくてもいい、とにかく、武宮春香が欲しい、と。だけど、その時を過ぎて冷静になった途端に、許容できなくなった。彼女自身のことも、彼女を一時的に受け入れ、求めた醜い自分も、君は許せなかった。許せないものだらけになった君は、なんとか自分の正気を……いや、正当性を保とうと逃避した。正しくある為に狂うしかなかった。明人、君は潔癖すぎたんだ。他人と自分に理想を抱き過ぎて、ありのままの自分たちを認められなかった。君の欠落は、恐らく『容認』だ。許容することを拒絶したんだ」

 現実を拒絶した結果、彼は自分の欲望すらも見失った。都合の良い妄想をして、それに添って行動した。自らの妄想が、妄想と気づかずに『虫(人)』を殺し続けた彼はやはり無罪というわけにはいかない。それに彼を放置すれば、いずれまた、己の『正義』の名の元に『虫(人)』を殺しかねない。

「ボクは……武宮を……武宮が、おかしくなってしまったから……ボクは……」

 項垂れながら、ぼそぼそと口にする。

「武宮春香の死体は、すでに見つけたよ。明人の行動を調べれば、殺害した場所と、そして隠蔽した場所のあたりをつけることは出来たし、先生の魔術を使えば、死体を探すのは難しくない」

「……え?」

「腐敗は進んでいたが、ちゃんと人の形をしていたよ。彼女は、人間の形だった。少しも虫には変異していなかった」

「ど、どういうことですか……?」

「忘れたのか? いや、その辺の記憶を丸々自分で改ざんしているんだね?」

 空想虚言癖がある人間が、ポリグラフに反応しないほどに自分で作った嘘を信じ込んでしまうように。相良明人は、武宮春香に関する情報を自らの都合の良いように改ざんしたのだ。

「明人、君は武宮春香を殺したんだ。殺して埋めた。異能を発症する前の君がね。だから、死体はそのままだった」

 武宮春香は、荒井達の『遊び』の常連だった。当然警察もそこから捜査したが、荒井の家はこの町では警察にも顔が利く。根ほり葉ほり調べられては困る浩太の親が圧力をかけたことで、捜査の手が止まったのだろう。深く調べられない以上は、殺人の可能性を強く推すこともできず、『見つからない失踪者』のまま、捜査は宙に舞っていないのだ。

「……嘘だ。武宮は虫だったんだ。虫に成り代わられていたんだ。だから、擬態してる虫をボクは殺して……ああっ! そうだ、そうだよ。先輩は、虫が殺した本当の武宮(・・・・・・・・・・)を探したんですね??」

 狂気に光る目。生気がなく、淀んだ瞳。彼はまた自分に都合の良い解釈をして、現実から逃避しているのだ。明人のすがるような笑い顔に、僕は何とも言えない不快感を覚えた。

「まだ、そんなことを言うのか、明人。全部分かっているはずだ。もう逃げられない。回避も逃避もしようがないし、僕達はそれを許さない。諦めるんだ」

 明人は黙りこんだ。

 先ほどまで僕に向けていた瞳はすでに伏せられ、折れた腕を押さえたままで、ゆっくりと立ち上がる。

「ボクを……殺すんですね……?」

 ふらふらと身体を揺らしながら、静かに視線をこちらに向ける。

 その顔の口元は、うっすらと笑っていた。

「ボクは、虫を見分けることができる、唯一の人間なのに……そのボクを殺してしまったら、この町は……人類はあの虫に侵略されてしまう……。そして、あの虫に犯されて、虫と人間のハーフが生まれる……そうやって奴らは増えていくんだ! だから、ボクが止めないと!!」

 すでに錯乱している。彼には、もう何も見えていないのだ。

「明人……」

 芥は撫でるように、彼の名前を呟いた。

「君も、擬態されている虫じゃないのかい?」

「……は?」

「君は自分が人間だと思っているみたいだけど、記憶を無くしているだけで、君も擬態している虫なんじゃないのか、って聞いているんだ」

「そんなこと、あるはずが……」

 そこまで言って、明人は言葉を止めた。

「ボクが……ボクが……虫!?」

「そうさ。君だって、あの『遊び』の場で、武宮春香や四条由梨たちと性交を繰り返したんだろう? その後は? それから一度も、他の女性とはしてないと?」

 明人の目が見開かれ、それまで左手を押さえていた右手で額を覆い、次に頭をかきむしる。

「ボクは……ボクは……うわぁっ!!」

「したはずだよ。したなら、君も同じじゃないのか? 君の定義では、君も虫になる」

 その言葉を耳にした時、明人の肩が大きく一度だけ、震えるのが見えた。

「した……何度も『遊び』に参加して……そして……あああああっ!!!」

 グズッ

 明人が叫びを上げると同時に妙な音が聞こえた。

 ゴキゴキ、コポ、ポキポキ、と更に奇妙な音が連続して聞こえる。

「う……あ……あああっ!」

 何が起きているのは、見ればすぐに分かった。明人の折れた左腕、まさにその肘から下の肉が裂け、中から節足が姿を現したのだ。

「芥……あれは?」

 琴葉が、明人を気味悪そうに見ながら芥に尋ねた。

「彼も、虫……だったの?」

「いいや、そうじゃない。認識の崩壊……いや正しく『認識』したんだよ。彼の中の『虫の定義』に、自分も入っていると認識してしまったんだ」

「『虫の定義』?」

「ああ。今まで彼は、自分が行ってきたことには目を瞑っていたんだ。棚に上げるっていうのかな。『あいつらは虫だ』『あいつらは醜い』その認識が元になって、異能を発動させていた訳だから、それが自分にも該当すると認識した途端、自らさえも『虫』であると定義付けてしまったんだろう」

「自分の異能に自分でかかってしまったってこと?」

「そういうことだね。彼の能力は、どうやら半分一人歩きする自動の異能みたいだ。自分本位のご都合主義が選べない。それほどまでに、彼の中で強い線引きがされているんだ」

 ボギボギ

 ブチブチ

 気味悪い音はさらに続いた。

 メキメキ

 コポコポ

やがて鳴り終わる頃には、明人の左腕は、肩の付け根から虫の節足に変化していた。歪な球体にも似た大きな関節から、細かい毛のようなものに覆われた太く長い上腕部分が延びており、節を経て、細く頼りない、先の部分へと繋がる。かつて掌だった部分は棘と刺毛が生え揃う、殻のようなものに覆われた、醜怪な四肢に成り代わっていた。

「腕……ボクの腕が……ボクも……虫……だった……??」

「認識や思考をコントロールできていない……君の異能は、危険で取り返しのつかないものだね。……苦しいだろう? 自らが嫌悪したものに成り果てるのは」

 芥は静かに、明人へと近づいていく。

「せん……ぱい……来ないで下さい……もう、誰が虫で、誰が虫じゃないのか、分からない……」

 明人の言葉も聴かず、芥はさらに近づく。じりじりと間合いを詰めるように、丁寧に追い詰める。

「芥……」

 琴葉が呼ぶ声が、背中から聞こえる。

 芥は反応しない。

「先輩……早蕨先輩……助けて、下さい……ボクは、ただ、彼女が危ない目に遭わない様にって、思って、あの『遊び』に参加して……」

 もはや異形のものとなりつつある明人が、情けない顔で言う。

 荒井たちのやっていた『遊び』は確かに、健全ではない。そういうことに潔癖な人間からすれば、許し難く、吐き気のする話だろう。武宮春香に関しては、実際に会って話したわけじゃないから、よくは分からないが、きっと表面上は真面目な女の子だったのだろう。それが豹変したのだから、精神的なダメージは大きい。

 それでも、だとしても……だ。

 芥は、唇を噛み締めた。

 己の中に沸き立つ激情に、何とか飲まれないように、冷静であろうと努めているのだ。

「君はもう、戻れない。救われない。君の欠落は、戻らない。その変形した腕も、きっと戻らないだろう。そして、君の『認識』はやがて君の全てをその醜い『虫』に変える。君が正しく現実を見れば見るほどに、体は変貌していく。それはそういう類の能力だ」

 視線を明人に向けたまま、腰を僅かに落として、彼がさきほど転がしたヤ=テ=ベオの木の刀を拾い上げる。

「先輩は……ボクを殺すんですか?」

 芥はやはり答えない。

「……たくない……にたくない……」

 青ざめた顔が、悲痛に歪む。

「……死にたくない、死にたくない……ボクは正しいことしたのに、どうしてボクが殺されるんですか!? こんなのおかしい! おかしいです!」

 錯乱。

 すでに明人は、否定と肯定を繰り返す、矛盾だらけの思考に苛まれているのだ。

 彼らを『虫』として信じて疑わなかった自分と、実際には彼らと同じことをしていた自分。擬態する虫を見破って殺す、という大義名分と自己の正当化。そして、結局は幻覚を見ていただけの人殺しの自分。それらが上手く認識できなくなり、羊頭(ようとう)狗(く)肉(にく)な正義すら打ち砕かれて、ただ死にたくないという生物的な本能を口にするだけの欠落者に成り下がっている。

 芥は木刀を構えると、一歩で間合い詰めた。

 木の刃は、案の定簡単に、まるで固めのババロアでも切り裂くようにズブズブと肉に入り込み、切断に至った。

「ひぎぃぃぃぃぃぃ!」

 虫化した腕を肩から落とされた明人が、絶叫する。

 人間の上腕と節足が組み合わさった不気味な何かが、べちゃりと床に転がった。

「あああ、早蕨ぁぁぁ先輩いぃぃぃぃぃ」

「……僕はね、明人。君と、この事件の真実を推理してから、イラついているんだよ。そして、実際に検証して、仮説が現実になった今、その苛立ちは、余計に強いものになっている。僕達はね、なるべく個人的な感情を乗せて、欠落者と対峙しないようにしている。じゃないと、同じになってしまうから。処理する立場の僕達は、冷静でなくてはいけない。でもね、僕はどうしても、この感情を抑えきれないんだ」

 ボタボタと流れ落ちる血液。

「ああ、ああ……あああああ」

 とっさに抑えた彼の右手が、見る見るうちに真っ赤に染まっていく。

「……虫を……虫を、殺さなくちゃ……あああ……虫を……あいつらを野放しには……うぐぅ」

 冷や汗だらけになりながら、明人は目を微動させて、途切れ途切れに呟く。

「最期まで、被害者面か……!!」

 自分でも、あまりにらしくない(・・・・・)言葉が口をついて出た。

「明人、君がやったことは、好きな女性が理想と違っていたから殺したっていう、ただそれだけの自分勝手な殺人なんだよ!」

 芥は木刀を振りかぶった。

 彼の右肩から、心臓を経て斜めに切り下ろす。そうすれば、確実に彼は絶命するだろう。

 その時だ。

「『茨姫(永久の眠りを)』」

 琴葉の冷やかで可憐な声が芥の耳に触れた。

 その直後、芥の横を、細く赤い茨の槍が、通過した。

 琴葉が、異能の一つである『茨姫』の血槍を放ったのだ。

 茨の血槍は、そのまま明人の胸の真ん中、心臓部分に深く刺さった。

「あ……がっ……」

 目の前の明人は、動きを止め、ゆっくりと、眠る様に絶命し、崩れ落ちた。

「……あなたが、トドメをさすべきではないと思ったの」

「琴葉……」

 芥は振り返り、彼女を見た。

「今の状態で彼を殺したら、きっとあなたは後悔する。あとになって『もっと冷静であれば』と、しなくてもいい後悔をするわ」

 赤く滲み光るような瞳が、少し悲しく芥を見つめた。

 芥は視線をそらしてうつむいた。

「……ごめん……また君に、人を殺させてしまった」

「いいのよ。いつも言っているでしょう。狂気に落ちた欠落者は、もう人ではないの」

「それでも……人だったものの命を奪う行為は、君の中の何かをすり減らしてしまうよ」

 芥が言うと、琴葉は小さくため息を吐いた。小さな桜色の唇が、物憂げに動く。

「あなたが磨り減ってしまう方が、何倍も私を苦しめるわ」

「……すまない、琴葉」

 そう言いながら、凍りついた明人に向き直る。

「いいと、言ってるでしょう。私と、あなたの仲だもの」

 そう言うと、芥の背中にコツりと、重みが乗る。

 琴葉が、芥のパーカーを掴みながら、おでこを軽く押し付けた。

「芥……」

「大丈夫だよ。僕が、甘かったんだ。だから、余計にショックを受けた。彼は、後輩だったから。そう思いたくない僕がいた。それだけだ」

「でも、芥が怒るなんて、珍しい……」

「彼は、見つめられなかった。好きだったのに。武宮春香が好きだったのに、彼女の負の部分を、見つめられなかった。目を背けるだけならいい。でも、それを無かったことにしたいがために、こんなことを……。無意識かどうかなんて、どうでもいい。明人は、愛した人を否定したんだ。その人を選んだ、自分の気持ちごと。そして正当化して、都合の良いように。自分が汚れることすら嫌がり『綺麗な正義の味方』としての立ち位置を得る為に、虫の擬態をでっち上げた。それは、僕から見れば完全な悪なんだよ」

「あなたは……受け入れてくれたものね」

 ぎゅっと、琴葉の両腕が芥の腰に回り、背中側から抱きしめられる。

「人殺しになってしまった私を……欠落者になってしまった私を。人間の根本をなす『三大欲求』すらなくしてしまった私が、『人間』としての生活を捨ててしまわないように、繋止めるために、こんな危険な世界に身を置いてくれているのだものね」

 普段は決して口にしない言葉を、琴葉は言った。

「そんな大層な話じゃないよ。僕はしがみ付いただけだ。どんな姿でも、どんな君でも、傍に居たいから、受け入れたのかもしれない。僕は、君と共にいることに関して、美学なんてないんだよ。どんなに無様でも、醜くても、君の隣にいることは、僕の最優先事項なんだ」

 気持ちは、いくらか落ち着いていた。

 そんな芥の内心を見透かしたように、同じタイミングでするりと琴葉の腕が解かれる。

「さぁ、帰りましょう。あと片付けは、柊がしてくれるのでしょ?」

「……ああ、そうだね」

 芥は予め用意しておいた特殊な布をポケットから取り出して例の木刀をしまうと、会場をあとにした。

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