第14話

「私がいない間に、随分と話が拗れたようね?」

「色々と重なってね。ちょっと情報量が多すぎて、僕も困っているんだ」

「ふがいないわね」

 また、柊骨董店の事務所であった。やはり二階の資料室兼事務所のソファで、優雅に足を組んで紅茶のカップに口をつけているのは、琴葉だ。

「それで、その真野沙彩って女は死んだのよね?」

「……ああ。死んだよ。自殺だ。藪島裕也の暗示で、自害を行った」

 芥は説明した。

「……また、あなたは責任を感じているのね?」

 彼女は冷ややかな目を芥に向けながら、まるで心を見透かしたように言う。

「あなたのせいではないし、今回に限っては彼女のせいでもない。完全に『藪島裕也』という欠落者の異能のせい。そうでしょ?」

 琴葉の言葉に、芥はしぶしぶ頷いた。

 藪島裕也の能力は、あの裏口で彼自らが、親切にも真野沙彩に解説してくれた通りの力だった。

 彼に好意を持つ人間に、彼の演奏を繰り返し聞かせることで、モラルや貞操観念を麻痺させ、操る。それが、彼の能力のようだった。ここで言う『好意』とは、必ずしも恋愛感情ではなく、友情や憧れ、あらゆる意味でのプラスの興味が定義されるらしく、その為、男性までもが、まともな感覚を失い、乱交に耽っていたと推測される。

「……つまり、定期ライブで行われていた『乱交』は、藪島の異能によるものだったということよね?」

「琴葉、女の子が『乱交』なんて易々口にするものじゃないよ?」

 芥の言葉に少し睨むだけで返す琴葉。

「藪島の能力はモラルや良識、それに伴う判断や自制心を崩壊させるもの。それによって、あの場は淫行を働く場になっていた、ということよね」

 つらつらと琴葉は語り始める。状況と情報を頭の中で整理しながら話しているのだろう。

「藪島は四条由梨に裏切られたことで、欠落者として目覚めた……?」

 琴葉は、芥に尋ねる。確かにあの時、藪島は四条由梨の名前を出していた。『四条由梨のような見た目で黙すような』と、被害者意識全開で口にしていたのだ。実際に何をされたのかは、知る由もないが。

「……好きな女性が理想とは違っていたことで欠落してしまうなんて、見た目に寄らず、ピュアなのね」

「琴葉、少し彼をバカにしているだろう?」

「いいえ、本当にそう思っているのよ。最近は誰も彼も妙に物分りが良くて、現実というつまらない常識フィルターを通して見ているのがデフォルトになっているせいか『好きな異性がイメージと違った』といって嘆く人が減ったわ。少し前までは『理想を抱きすぎる』くらいだったのに」

 「まぁ、それはいいわ」と言って、琴葉は続ける。

「四条由梨は、確かに綺麗な女性のようだけど、荒井浩太たちとの関係や『遊び』の話、相良明人の話、そして彼女自身がバイセクシャルを率先して公言していたりという情報をまとめると、そうとう性には開放的な女性だったみたいね」

「開放的、とは、今度は随分と穏やかな言葉を使ったね?」

 またも彼女はそれには答えず、

「まぁ、理由は置いておいて。いいえ、そもそもが妙な話ね。私達は、相次ぐ失踪事件から巨大な虫を追っていたのに、その過程で別の欠落者を発見してしまうなんて、訳が分からないわ」

「そう、だから僕も少し混乱しているんだ。明人は、藪島と真野、そしてその他、先日あの場所にいた十数人を『虫』だと判断していた。もちろん『虫』になるのも、誰かの異能なら、欠落者の藪島が虫になっていてもおかしくないけど……」

 そこまで語って、芥は気がついた。

 欠落者は、人間に本来備わっているはずの重要な『何か』を欠落することで、代価のように異能を発現する。

 芥はスマートフォンで先生に電話をかける。柊は今、外出中だった。相良明人に話を聞いてから、彼は何かと忙しく、店にいないことが多かった。

 数回のコールの後、あの少し軽薄そうな低めの良い声が聞こえる。

『おう、芥か。事件は解決したかい?』

「いいえ。むしろこんがらがった、というべきでしょうか」

『ほう、それで?』

「ちょっと確認というとか、改めてお聞きしたいことがあって電話したんです」

『何かな?』

 別に難しいことではない。単純に知っているか、知らないかの情報だ。

『……ああ、それは確かだ。二十人前後の欠落者と遭遇してきたが、欠落者(・・・)は一つの例外もなく人間だよ。少なくとも、俺は知らない。見たことがない。別に裏付けがあるわけじゃないが、この欠落者の異能というものは、精神や思考がある程度複雑化していないと、発現しないものだと考えている。そういう意味では、サルやイヌ、ネコなんかが異能を発現する可能性も僅かにだが、残っているな。そんな話は聞いたことがないが』

 柊は答えた。

『そういうことだから、今回に関しては確実だな。集団としての個として動く“虫”なんかには、異能は宿らない。欠落する何かを持ち得ないからだ。つまり、そいつが欠落者である以上は、ほぼ間違いなく人間だろうな』

「もう一つ。欠落者が、別の欠落者の能力で『虫』にされたとしたら、虫にされた人間の異能は保持したままになるでしょうか」

 電話の向こうから、愉快そうなため息と、小さな笑い声が聞こえた。

『ほぼ高い確率で失うだろうな。欠落者の異能は、その在り方や存在に宿るものだ。つまりは、存在定義を著しく歪める場合は、一時的にか、恒久的にかは分からないが、異能は消失するはずだ。単純な話、今回で言えば、人が虫になりました(・・・・・・・・・)、なんていう存在の著しい変化を、世界(システム)が見逃すはずはないと考えていいだろうね』

 十分すぎる情報だった。芥は通話を終えて、改めて琴葉と事件の推理を始める。いや、これは推理などではない。ただの推測。

 なぜなら、これは名探偵が活躍する難解なミステリーではない。巧妙な心理トリックも、アリバイ工作も、そして緻密でセンセーショナルな推理劇も、行われはしないのだから。

 手にした、あるいは集めた情報を正しく組み合わせていくだけだ。

「藪島裕也は、欠落者だ。その時点で、彼は人間。虫が擬態した姿ではない。という仮説を立てることができる」

 擬態とか異能とか、そういうのは横にどかしておいて、とにかく現状では藪島裕也は欠落者であり異能を操る『人間』なのだ。

 だが明人は、確信を持って、藪島が虫だと言っていた。見誤ったのだろうか。いや、そこまで精度の低い判断であるならば、これまでの『虫退治』において、間違ってただの人間に危害を加えることもあったはずだ。

「真野沙彩は、息を引き取った時、虫の姿になったの?」

「いいや。ならなかった」

 そう、それもおかしな点だ。

 真野沙彩も『虫』であると判断された人間だ。そして、虫の特性上、命に関わる危機を感じたり、生命活動が著しく維持できない状態、あるいは死に近づく、死、そのものが訪れると、擬態が解けて、虫の姿になる。これは、かつて琴葉を襲った手負いの虫や、明人が殺した虫を見ても明らかだ。

 相良明人の選別眼が、ここにきて二人も外しているのも気になる。

「……四条由梨は、相良明人が殺したのかしら?」

 ふと、琴葉がそんなことを言った。

「え? そうだろうね。精密には、四条由梨だったもの、だけど。荒井浩太、四条由梨、龍浪宗一、沼田哲也の四人は、明人が殺したって……」

 そこまで言って、芥は少しだけ、言いよどんだ。

 何か、違う。

『まずは四人……殺しました』

 明人の言葉を思い出す。何かがおかしい気がするが、何がおかしいのか分からない。

「……!!!」

 芥は無言のまま、目を見開いた。

「芥? どうしたの?」

「いや……調べたいことがある。あと、それを検証する為の準備も」

 急いで、外出の準備をし始める芥。

 もう一度、柊に聞かなくてはいけないことが芥にはできたのだ。よもや、それは柊でもでも分からないことかもしれない。

 そして、色々な関係者にも、協力してもらう必要がある。

 なんてことだ。やっぱり自分は甘い。甘くて温(ぬる)い。

 もっと冷静に、もっと疑って掛かれば、早い段階で気がついたかも知れないのに。

 芥が自分の中で、そんな悪態をついていた時、スマートフォンが鳴った。

『あ、もしもし? 早蕨先輩、今、大丈夫ですか?』

 明人からであった。

『先日の自殺事件のせいで、藪島主催のライブが流れた、と思っていたんですが、実は別の場所でやるみたいです。偶然、その話を聞きまして。集まるメンバーも殆ど変わらないらしいです。日時は、二日後です。DAZVOよりは小さいライブハウスですが、少し駅周辺の繁華街からは離れた場所みたいです。これは、好都合ですよね? 狭ければ一気に殺してしまえる。しかも、人通りが少ない立地です。周囲にもばれにくい』

 電話の向こうの明人は妙に嬉しそうだった。

「分かった。場所の詳細をくれるかい? こっちも準備するよ」

 そう答えて、通話を終了する。

 冷静なふりをするのは、芥の基本的な技術の一つだ。だが、それはあくまでふりであって、実際の気持ちとは著しく異なるものである。

「くそッ!!!」

 本心を吐き出すように、芥は拳を机に叩き付けた。

「時間が……ない!!」

「何か、分かったのね?」

「ああ、でも……」

「大丈夫。全力で、動きましょう。柊にもとことん動いて貰えば、きっと何とかなる」

 そう言いながら、彼女も出かける準備をし始める。

「推理は、移動しながら聞くわ。私がするべきことは?」

「ああ、君は先生に連絡を取って、僕の出した結論と、それを検証するための方法を相談して欲しい。僕は、この推理を裏付ける情報を集める」

 二人は動き始めた。

 あと二日。

 ライブが開催されるまでに、全てを揃えなくてはいけない――。

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