第13話
明人は自分の家の部屋に閉じこもり、準備をしながらこれまでのことを考えていた。
虫を始めて目にした時から、武宮春香を失って、荒井達が全員虫であることに気づいて、そして、それ以外にも沢山虫がいることが分かって、それを出来る限り、殺してきたこと。
孤独な戦いをしてきた。
実際には、数ヶ月だったが、明人にとっては何年もの長い時間のように思えた。それくらい、孤独で不気味なこの戦いは、一人の少年には過酷なものだった。
いつ襲われるかも分からない恐怖と、周りの人がいつ全員『虫』になるかもしれないという恐怖は、人間不信になるには十分すぎる条件だ。
しかし、もう明人は独りじゃない。
早蕨芥があの場面に居合わせたのは、偶然ではあったけど、思い切って話してみて正解だったと明人は思う。
彼は思った以上に、奇妙なことに関わっている人だ。
それにしても『欠落者』なんて、そんな漫画のネタみたいなことが、本当に起きているなんて。
やっぱり、この町で流行り勝ちの特有の都市伝説は、その欠落者達が、元ネタとなっているのだろうか。
明人は血を吸う不思議な木刀(ヤ=テ=ベオの木とか言っていたっけ)を、丁寧に仕舞いながら、思っていた。この巨大な虫も、そして露出すればこの木刀も、この町の都市伝説となって語られていくのか、なんてことを。
動きやすいジャージは、ライブ会場でも違和感のない少しだけ派手なものを新調した。黒地に金と言った、ギラギラしたヤンキーのようなジャージでライブに参加する光景は珍しいものではない。
当日は、右腕に鉄の板を縛り付けていくつもりだ。重すぎると木刀を振るのに差し支えるし、木では、あの虫の爪を受け止めきれるか不安が残る。ホームセンターで切り売りしている二ミリほどの鉄板が何かと都合がいいと思ったのだ。
なるべく軽装で、動きやすく、戦いやすい格好。
準備を終えて、明人はベッドに腰を下ろす。
自分の手を見ると、それは微かに震えていた。
多分、恐怖からではない。今の彼は、虫と戦うことを恐れてはいない。全く怖くないといえば、もちろん嘘になるが、そんな後ろ向きな恐怖心よりも、やっとあの『虫たち』を一網打尽にできることが嬉しいのだ。
そう、これは武者震いだ。
まるで戦いを楽しむ戦闘狂になったみたいだ。そんな中二病みたいな感覚が、明人の中に沸き起こる。
ボクは虫が嫌いだ。
いつでも、どこでも、勝手に入り込んでは、我が物顔で居座り、挙句の果てには繁殖する。やつらには礼節はもちろん、遠慮も思慮もない。そんな生き物が、人間社会に混ざっていること自体に、たまらなく虫唾が走る
害虫は駆除されるものだ。
駆逐されるものだ。
一匹一匹、プチプチと潰してやる。
プチっと。
プチっと。
プチプチ
潰す、潰す、潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す。
殺す、殺す、
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
プチ
ブチ
ブチブチ
ブチプチブチプチ
無能で無意味で節操のないモラルも自制心も、恋愛感情もない、本能だけで生きるクソ虫共が!
お前達の好きになんてさせない。お前達は根絶やしにしてやる。
このボクが。
お前達の卑劣で巧妙な擬態を見破れるボクが、お前達を裁くんだ。全員死刑だ。一匹たりとも、逃がしはしない。
虫、虫、虫虫虫虫……。
あの気色の悪い複眼、口元の個別に動く何だか分からない不気味な顎のような部位、黒光りする殻。飛ぶところは見たことはないが、あの殻の下には折り重なった薄い羽があるをボクは確認している。頭と胸と腹に別れた体と、そこから生えた節足、その先の棘と刺毛……なんておぞましい。
嫌悪だ。憎悪だ。恐怖だ。畏怖だ。
やつらは殺されて当然の存在なんだ。駆除され、駆逐され、のた打ち回って死に絶えるべき生き物なのだ。
潰してやる。
プチプチプチ
「プチプチ、プチプチ」
明人はいつの間にか、実際にそう口に出していた。それは無意識的な、何かの宣言のように零れ落ちては、止められなかった。
「プチプチ、ブチブチ、プチ、プチ、プチ」
そうだ。部屋に侵入してくる小虫みたいに、あいつらを潰して(斬って)殺してやるのだ。
蜘蛛やゴキブリなんかよりもっとグロテスクで、醜くて、汚くて、有害なあの虫どもを。
「プチ……」
そこまで考えて、明人はいくらか我に返った。なんて攻撃的な思想を持っているのだろうか。今までの自分なら、怯えることはあっても、ここまで好戦的な考えをすることはなかったはずだ。
これはもしかして『欠落』と関係があるのだろうか。芥は明人を欠落者の予備軍、のように言っていた。いずれ欠落者になる前段階の人間である可能性が高いと。
だとしたら、明人はどんどん、欠落者に近づいているわけで、それはすでに欠落者になっていたとしても、おかしくはないのだ。
明人自身はなにも変化など感じないが、それは自分に自覚がないだけで、何か特殊な力を得ているのかもしれない。
妙な不安に駆られて、明人は座っていたベッドから立ち上がり、机の上においてある鏡を覗き込んだ。
変化はない。何も変わっているところなどないのだが、唯一つ。
明人の口は笑っていた。
口角を吊り上げ、妙に楽しそうに口だけで笑っていたのだ。
そして、それは意図的に直そうとしても、上手くいかなかった。
大丈夫だ。ボクは『まだ』大丈夫。
たとえ欠落者になっていたとしても、自分にはまだまともな思考と判断力がある。使命も義務だって分かっている。
あの虫たちを識別して、駆逐すること。
それさえ、できれば、後のことはどうなってもいい。
だから、大丈夫だ。
明人は自己暗示のように言い聞かせる。
真野沙彩の一件で『DAZVO』での開催は中止になったが、藪島裕也主催の大規模なライブ自体は、場所と時間を変えて開催される。
どの道、そこで一網打尽だ。
どれほど時間が掛かったとしても、一匹一匹殺していき、虫たちを根絶やしにする。足が一対少ない以外は、限りなく『昆虫』としての定義を満たすあの生き物――『欠足虫』達から、人間社会を守ることが与えられた使命であると、明人は信じていた。
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