第12話

芥の潜入観察も、五日目を迎えていた。

 このライブハウスの淀んだ空気にも、常に薄暗い陰気な照明にも随分慣れてきたものだ。

勿論、毎日来ているわけではないが、それでも、この場所のことはかなり分かってきた。

 確かにここは、音楽活動をする若者たちの交流の場であり、その腕や成果を披露する場所でもあるが、同時に性を持て余す連中の欲望とストレス発散の場にもなっているようだった。通常の営業の日は、トイレや奥の楽屋のような個室内に男女が連れ立ってこっそり行為を行う程度で済んでいるが、定期ライブの日は、それがメインのステージ上でも行われるのだ。

 色々とヤバい場面には遭遇してきた芥であったが、今回のこれは少しジャンルが偏りすぎているというか、見るに耐えない状況だった。

 それでも、芥は心を無にして息を潜めて観察し続けた。

 しかし、芥が観察している間、彼らは一度も、その正体を現すことはなかった。

 明人の話では、ここ連中の半分は『虫』で、人間との生殖をも目的にしていると聞いていた。そして、行為の途中で虫の擬態が解けて、その正体を露呈させることも多いのだと。

 巨大な虫と人間の性交など、本来なら見ないに越したことはないが、芥は立場上、実際に行われていることを見ておかなくてはいけない。仕事上、必要なことだ。

どんなに醜く、目を背けたくなるようなことでも、芥は見なくてはいけない。それが、この狂気の世界で欠落者たちを相手にするということなのだから。

 今日は、藪島を叩く予定の大規模なライブ前に行われる、最期の定期ライブだ。

 芥は会場に忍び込んでは、一番注目されにくい場所に陣取って、教えられた手順どおりに結界を展開していく。もちろん、これも柊が作ったものだ。

 術式をこめた特製のマントと、呪い紐で自身を囲って、簡易な結界を作成する。声や誰かへの反応をしない限りは『物』や『障害物』としてしか認識されなくなる魔法だそうだ。

 この魔法のおかげで、見慣れない顔であり、尚且つ紹介状がない芥でも、長時間この場に滞在できているというわけだった。

「お前ら、準備はいいか?」

 ステージ上の右の端、司会のような立ち位置で、マイクを構えていた藪島裕也が景気の良い声を上げる。

 ライブ会場にいる二十数人が、一気に応える。

 前回見た時とほぼ変わりはない。ライブ前の一声のようだ。

 芥は手元の写真と会場、ステージ上にいる人物の顔を照らし合わせる様に見つめていた。

 男性が七名、女性が六名。この写真の人物は、このライブハウスに頻繁に出入りする人間のリストの中から、明人が実際に見て『虫が擬態している』と判断した十三名達だ。

 演奏が鳴り響き、会場は普通(・・)に音楽によって盛り上がる。

 二組終わったところで、一度休憩が入る。その間に、主催者である藪島が、ギターを掻き鳴らす。幕間の繋ぎの意味だろうか、比較的落ち着いた曲調のギターソロが続いていた。

 ここから、だ。

 前回と同じであるなら、ここからなのだ。このギターは、しばらく続き、休憩時間が終わってからも数分続く。まるで、全員がこの場所に戻り、集まり、そのギターを聴き終えるまで待つように。

 そして――。

予想通り、後半のライブの代わりに、それは始まった。

何かのスイッチが急激に入ったように、女性も男性も、服を脱ぎ捨て、近くにいる異性の身体を弄り始める。

 一種の催眠術か何か、とも考えたが、ここまでの人間を例外なく術中に嵌める催眠術はない。精神状態や価値観によって、効き目が変わるのは催眠術の弱点でもある。だとすれば、魔法、あるいは『異能』である。

 魔法なら、この規模で行使されていれば柊が気づかないはずはない。とういうことは、やはり欠落者の異能で間違いなさそうだ。

 音楽関係者が、その演奏を媒介に能力を使う事例は過去にも数件扱ったことがあるのでこの推理に行き当たることは、難しくはない。

 だが、この会場全部に効力がある異能……恐らく先ほどのギターが影響しているならば、それを聞いている芥にも、効果があってもよさそうなものだ。なのに、芥にはこれと言った変化はない。他に何か条件が必要なのか。

 芥はそんな風に考えながら、観察を続ける。

 男女が意味もなく、集団で性交を繰り返すという光景は、それだけで狂気的である。小説や映画のラブシーンでは、どう頑張っても感じない違和感と気持ち悪さが目の前には広がっている。していることは同じなのに、その条件が違うだけで、こんなにも様変わりするものなのか。

 いや、それよりも。

 明人は藪島を『虫』だと言っていた。

 そして確証はないものの、この感じだと、藪島は『欠落者』である。

 これが成立するのであれば、少し厄介なことだ。

 明人と琴葉の話では、虫は凶暴性が強いと判断できる。その上、欠落までして異能を手に入れられるとすれば、これは脅威になりかねない。

 芥はなおも観察を続ける。女性の喘ぎ声と、男性の唸り声と、肉のぶつかる音、粘着質で耳障りな音。繰り返されるアダルト動画顔負けの醜態を芥はじっと見つめながら、彼らの擬態が解ける瞬間を待った。

 元々埃っぽい会場が、汗と熱気と体液の匂いで満たされ、ある意味地獄のような光景が幾度となく展開される。

 それでも、彼ら、彼女らは一向に正体を現さない。

 前回に引き続き今回も、乱交は行われたものの、彼らが『虫』の姿になって交わるところは目撃できないのだろうか。

 やはり何か、別に条件があるのだろうか。

 それか、そもそもその『擬態が解ける』というのも、明人の特殊な異能によるものなのだろうか。そう考えてから気づいたが、その可能性もかなり高いと言える。つまり、明人の異能を持ちようがない芥がどれだけ観察していても、彼らが擬態を解くところは見えないのではないだろうか。

 ここにきて浮上した可能性と、そして今までそれに気づかなかった自分に悪態をついた。

 擬態が解ける状態を見られないのであれば、今すぐにここを離脱してしまいたかったが、会場のドアには鍵がかけられている。中では乱交が行われているのだから、そのくらい当然のことだが、その鍵はどうやら藪島以外は開けられないようなのだ。

 壊す、と言う選択肢もあるし、それ自体は容易なのだが、如何せん注目を浴びてしまう。静かに解錠するような技術は、残念ながら芥は持ち合わせていない。どうしたって実力行使になってしまう。

 仕方なく、この淫乱極まりない宴が終わるのを待つ。

 結局最期まで、彼らは『虫』にはならなかった。

 乱交が終わり、会場にいた人々が服を着始める。その、急激に熱の冷めた様子が、なんとも不気味に見えた。彼らは何かの暗示にかかり、まさに儀式的に性交をしていたような、そんな印象を受ける。

 汗と唾液と精液や愛液に塗れた体のまま、会場をあとにする人々。少なくとも一緒の電車で隣接したくはない、などと思いながら、芥もこっそりと会場を出た。

 DAZVOの正面口から出て、すぐに裏口に回る。裏口からは、きっと藪島が顔出すはずだ。人通りが少ないこの裏路地の暗い場所でなら、何か本性を出すかもしれない、と、本日の収穫として最後の望みを託して、待ち伏せることにしたのだ。デ・ジャヴを覚えるこの状況は、実際のところデ・ジャヴでもなんでもなく、少し前にほぼ全く同じシチュエーションがあっただけだった。明人に『虫』が判別できると、判明した夜だ。

これで何もなければ、このまま帰る他ない。

 会場内でしていたのと同じように、マントに呪い紐の結界で、極力認識させなくしていた。

 五分くらい経っただろうか。ふと、見つめていた裏口のドアが開いた。これまた、あの時裏口から『藪島』が出てきたのと全く同じで、やはり出てきたのも、藪島裕也本人だった。金髪と、耳にジャラジャラとついたピアスが、外灯の光で、鈍く光る。

 違っていたのは、その後に続いて出てきた人物がいたことだった。

「ねぇ……私、足りないの……全然足りなくて……ねぇってば……」

 それは女性で、真野沙彩という人物だった。芥が資料として見せられた写真より、髪の長さと色が少しだけ違うが、彼女で間違いないだろう。明人が『虫』であることを見抜いたメンバーの一人でもある。

「あ? う、うるせぇな、さっきまであんなにしてただろ?」

「だから足りないんだって! 私はね、ユーヤがいいの。ユーヤとしたいの! だから……」

 藪島裕也の腕にすがるように抱きつくのが見える。

「ねぇ? この後……いいでしょ?」

 暗闇でも分かるくらいに、自らの胸を彼の押し付けるように密着して迫る。

 彼女がよろけたは、その直後だった。

 藪島が、真野沙彩を、腕ごと強引に振りほどいたのだ。

「きゃっ……」

「勝手に触るなよ。気持ちが悪い……。お前の『好意』なんてな、所詮ミュージシャンやっているオレの表面的な部分だけを見たミーハーなもんだろ? 吐き気がするんだよ!」

 自分の髪を掻き毟りながら言う藪島は、目にぎょろりと力が入り、狂気的に血走っているように見えた。

「なんで? どうして? こんなに好きなのに何で分かってくれないの?」

 聞いていると良くありがちな痴情のもつれ、別れ話をしているカップルのようにも感じるが、当然そんな可愛いもので済むはずがない。

 藪島は欠落者であり、二人とも擬態した『虫』である……はずなのだから。

「……偽者なんだよ……」

 藪島は更に強い視線を真野に向けながら、かみ締めるように低い声で話す。

「……お前も、他の女も、そして由梨も、みんな偽者だ。このライブハウスを自由に使えるオレに興味を持った人間に過ぎないんだ……誰もオレを見てはいない。誰も、オレの音楽を聴いていない。目立っているオレになびいているだけの、偽者だろうが……」

「そんなわけないじゃない? 私は本気で……」

「本気? ふふっ、くくっ……くはっ、あははははっ!」

 藪島が常軌を逸した笑い声をあげた。

「お前のその感情……それはオレが仕込んだものだ……オレはなぁ……オレに興味を持つ人間の感情を、音楽で操れるんだ」

「え? な、何を言ってるの? ユーヤ?」

「分かるんだよ……オレには特別な力がある。オレの音楽は、人を操れるんだ。でもな、これは決して崇高な力なんかじゃない。分かるか? はは……これは、オレがもう間違えない為の力なんだ。オレが、二度と!!! 四条由梨のような見た目で黙すようなクソビッチに、オレが騙されないように、授かった力なんだよ、わかるか?」

 言いながら、藪島は真野の髪の毛を鷲掴みにして引っ張り、顔を寄せた。十数センチほどの身長差のせいで、必然的に藪島が下に覗き込む形になる。

 芥は反射的に動いてしまいそうになる体を、なんとか押さえ込んでいた。たとえ『虫』であっても、女の子が男に乱暴に扱われること事態、芥の流儀に反するものだからである。

「ひっ……痛いっ……痛いよ、ユーヤ」

 一瞬にして泣きそうな顔になる真野沙彩。手加減なしに髪を引っ張られているのだ。痛みも恐怖もあるだろう。

「お前がオレに向けているのは、ただの興味……オレではなく、オレを取り巻くものへの興味だけなんだよ……」

「嘘だよ……そんなことない……。私、ちゃんとユーヤのこと、好きだもん!!」

「だから、その感情はオレが操ったものなんだってば。理解の悪いクソ女だな? お前は催眠状態にあるんだよ。精神的な感情じゃない……性欲や本能的な『好意』なんだよ、それはさぁ!!!」

 大きな声でそう言うと、藪島はやっと真野の髪の毛を離した。そして変わりに、胸元から小さな何かを取り出した。

「ほらよ」

 藪島は、取り出した『柄』のようなものを器用に回転させて、真野に差し出す。それは小さなナイフだった。

「……え? なに?」

「死んでみろよ」

「どういうこと?」

「オレを本気で愛してるなら、死ねるだろ? 自害だよ、自害。愛のために死ねなきゃ、本物じゃない。そうだろ?」

 芥は歯を食いしばった。ここからは三メートル弱。『制限解除』を使えば、一瞬で間合いを詰め、ナイフを奪い取ることは可能だ。だが、流石に視認はされてしまう。ここで藪島に姿をさらして警戒されるのは、得策ではない。

 芥の善人過ぎる良識はいつも仕事には不要の葛藤を生む。

 芥を含む『柊骨董店』の仕事は、正義の味方でもなければ、人命救助でもない。

 依頼された事件に関わる異能の保持者を突き止め、処理すること。それ以上でも、それ以下でもないのだ。

 しかし、それでも……

「……うん、分かった。それで、私の愛情が証明できるなら……」

 芥がどう動くべきか悩んでいると、真野は清々しい顔でそう言って、ナイフを受け取った。

 そしてそのまま「ちょっと待っててね」と言って、裏口からスタジオ内に戻っていった。

 その後ろ姿を見つめる藪島の表情は、悦楽に満ちていた。

 狂気の笑い。欠落者に共通する、己の欲望を満たす瞬間の、どす黒い愉悦の表情。

 いけない、と思った。

 そのまま出て行くことはできない。芥は来たときのように、回り込んで正面入り口を目指した。

しかし、

『きゃあああああっ!』

 スタジオ内から悲鳴が上がった。

 芥はそのまま、正面口からスタジオに入った。

「あはっ……あはは……」

 ステージの上。朗らかに笑いながら、真野沙彩が立っていた。

 乾いた笑い声を上げ、自分の胸の前に手を組んで。

 スタジオ内に残っていた客は、一部が悲鳴を上げ、一部が駆け出し、一部が足をもつれさせて転び、そして一部は未だ何が起きているのが、理解できていないのか、呆然とステージの上の彼女を見つめていた。

 確かに、分かりにくい光景ではあった。

 ライトは絞られ、ステージの上はそれほど明るくはない。胸の前で組まれた腕は、一見祈りのポーズのようにも見えたし、何より彼女の表情が、あまりに穏やかで幸福に満ちていたことが、事態をより把握させにくくしていたのだろう。だが、そんな理解できていなかった人たちも、彼女の黄色いTシャツが、胸元から染み出るように赤く染まっていったあたりで理解した。

 真野沙彩が、自分で自らの胸に、ナイフを突き刺していたことに。

「はは……ほら? ねぇ、見て? 私、本気なんだよ? 本気でユーヤのこと好きだから、彼の為に死ねるの……ねぇ、ほら!!」

 訴えるというには、あまりにか細い声で、しかし、呟くというより、遥かに強い意志を持ち。

 ただ淡々と、彼女は清々しく愛を語った。

「好きだよ。愛してる。愛してるの、ユーヤ……あはは……証明、できたかな?」

 彼女の愛の囁きは、衣服の前面が赤黒く染まり、彼女の両腕をも濡らし、最後失血多量で転倒するまで、テンポを崩すことなく続けられた。

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