第11話
人避けの結界には、大きく分けて天然のものと、人工的なものの二種類がある。
前者は多くの人の死や『神』などと言われる上位存在の思念やエネルギーが自然と蓄積して、近寄りがたくなってしまっている場所。
そして後者は、魔法使いの『結界』だ。
特に場所によって有利不利が分かれる魔術を操るものは、メインとなる魔法以外に結界術を深く学ぶ。
場所を囲い、仕切ることで、己の魔法効力を何倍にもすることができるからだ。
例えば――そう、ネクロマンサーなんかは、その典型的な例である。
柊千亮と鷹ノ宮琴葉は、町外れの無人管理の外人墓地へと来ていた。
ここは今も使われている墓地ではあるが、管理人が常在しておらず、定期的な管理もかなりずさんだった。
そんな場所は、ネクロマンサーにとっては、実に結界を張りやすく、研究工房としても適していると言える。
「ネクロマンサーというは、魔法使い、なのよね?」
琴葉が尋ねる。
「ああ。だが、その性質は普通の魔法使いとは違い、欠落者の異能に近いものがある。屍術師というのは、死体に関すること専門の魔法使いなんだ。そういう『縛り』があれば、琴葉ちゃん……君の異能だけで十分に対処は可能だ。対欠落者だと思って、戦ってごらん」
「保護者付きみたいで気分が悪いのだけど……」
「俺は万が一の時の保険だよ。君を危険にさらすと芥が怖いからね。それに、君自身もそろそろ限界だろう?」
柊に言われて、琴葉は黙る。
彼の言う通り、琴葉は限界だった。
琴葉は、その欠落の都合上、『生きる』ことへの執着が薄くなる。放っておけば、正気を失い、欠落者としての狂気に堕ちる。そうなれば、柊骨董店が始末する欠落者たちのように、異能で手あたり次第に人を殺す殺人鬼と化す。
定期的に狂気に触れさせ、生存の本能を掻き立てることは、琴葉に『生きている』ことを認識させ、正気を保たせる為に必要不可欠な『儀式』であった。
ここ最近は、依頼の捜査が行き詰まっていることもあり、欠落者を相手にしていない。それを考慮して、柊はこの場に琴葉を連れてきたのだった。
「さて、じゃあ、始めようか。相手をするのは、代理で悪いがね……ネクロマンサー(・・・・・・・)!!」
柊は薄汚い墓地の真ん中に立ち尽くし、少し大げさにそう問いかけた。
時刻は夜の十二時過ぎ。真夜中に墓地とくれば、向こうの分野だ。相手のフィールドまで出向くあたり、柊の余裕が見て伺える。
一方琴葉は、少しばかり緊張しながら、身構える。
「『三つの寓話(いつかどこかの物語)』」
琴葉が異能を発動する。
琴葉の欠落は『三大欲求』。
食欲、睡眠欲、性欲。その全てが欠落している。
腹は空かず、眠らず、性的な興奮も覚えない。
それゆえに、生きている実感も目的も、個が存在している理由もあいまいに思えてくる。
生物の根幹をなす欠落は、生きる上で致命的であるがゆえに、その異能も強力なもの発現する。
一つは『茨姫(永久の眠りを)』。自らの血で形成した茨状の細く小さな槍で攻撃することで、ほぼ確実に相手を殺す力。その強制力は、あらゆる事象において優先され、彼女の血が一定以上混ざることで発動する。
一つは『吸血鬼(伯爵の秘密)』。血液を摂取することで、爆発的に身体能力を上げる能力。心理状態や血を飲む相手、摂取量によって扱える能力が変化するがゆえに、未知数な部分が多い能力だ。
一つは『気違いだらけのお茶会(アリス・イン・ワンダーランド)』。これはメリットとデメリットのある常在型能力で、欠落者の放つ『狂気』を感知する能力であると同時に、狂気に触れることで、興奮を覚え、生の実感を得ることができるというものだ。
『茨姫』は睡眠欲、『吸血鬼』は食欲と一部の性欲、『気違いだらけのお茶会』は性欲と三大欲求の欠落から派生する『生きることへの絶望』を司っている。
欠落が同時に三つ存在するのは、珍しいことであった。というよりも、欠落が複数存在する場合は、異能が発現しても、それ以上に欠落した代償が大きすぎて、短い時間で自滅することが殆どだった。
琴葉がここまで大きな欠落をしても、それなりに生きていけるのは、柊千亮という人並み外れた魔法使いの力と、彼の欠落者の研究データ、そして芥の力添えが大きいだろう。
「……お出ましだね」
突然、魔術の気配がした。
ゾワゾワと蠢くような魔力。魔力自体を感知できない琴葉でも、通常とは異なる空気の流れを『狂気』の一部として認識していた。
ムカデが這いずり回っているような気味の悪い魔力の流れがだんだんとその数を増していくのが分かる。
そして、前触れもなく、地面の一部が盛り上がる。
モゾモゾと土を掻き分けながら、地中から何かが出てくる。
一つや二つではない。ゆっくりだが、何十個もの盛り上がりが墓地の各部に現れ、やがてそこからは人影が現れる。
「が……ああ……」
「ぐぅぅ……え…………」
呻くような声を各々あげながら、人影たちは緩慢に立ち上がり、ふらふらと覚束ない足取りで二の足を踏むように佇む。
「ぐぅ……あああああっ!」
ふらつく死体の一つが、首だけ奇妙に琴葉の方を向くと、急にその足を動かし始めた。同時に先ほどよりも大きな呻き声をあげながら。
「……気持ち悪いわね」
虚ろでまとも人語を使わない、動く死体。
ブードゥー教の秘術を祖に、多くのバリエーションが存在し『死体操縦』の魔術では最も完成度の高い方法。
いわゆる『ゾンビ』だ。
「ぐうううううう!!!」
先ほどの動き始めた一体目は、歩みを小走りに変えながら、こちらに向かってくる。
「『茨姫』」
琴葉は指輪の針で指を傷つけ、とっさに血の槍を生成する。
細く、薄く、そして鋭く。それは殆ど槍というよりは、釘や針に近い。
この数を相手にするには、より多くの槍を作る必要がある。
一本あたりの血液量を間違えると、すぐに貧血になってしまう。
「多人数戦には、向いていないのよね、私の能力……」
言いながら、次々と茨を投げ、ゾンビの体へと命中させていく。走ってくるとは言っても、所詮は動く死体。防御をするわけでもなければ、俊敏に避ける訳でもない。
そして、当たれば確実に行動不能にできる『茨』の特性上、個々は敵ではない。
「ぁぁぁあああああ……!!!」
すでに突進レベルの早さで走ってくる死体たち。墓の数の分だけ出てきた動く死体の行進も難なく仕留めていく琴葉。
ドサドサと、大げさな音と共に、茨に当たったゾンビたちが地面に転がり、それっきり動かなくなる。
「貫いたものを『永遠に眠らせる』……つまりは殺す能力……か。何度も見ても強力な力だな」
少しだけ距離を置いて琴葉を観察していた柊が、そう呟く。
相手を確実に殺すという絶対的な能力でありながら、永久の眠り=死という概念で成り立つ琴葉の力は、柊が解析するに、どんなものにも適応される。つまりは、すでに死んでいる死体であっても、動かない状態にできる。意識を持たず、動かない状態。それが、琴葉にとっての『死』であり、それを完璧に再現させるのが、『茨姫』の能力であると柊は結論づけていた。
――と、
琴葉を通過したゾンビが、柊の方へと走ってくる。
「おいおい、打ち漏らしてるぞ?」
柊は面倒くさそうに言いながら、空中にルーン文字を描く。そして、
「『灰は灰に(リベリアル)』」
そう唱えると、宙に描いた文字から、黒い霧のような煙が発せられた。
柊はゾンビの突進をひらりとかわし、黒い煙をまとわせる。
すると、煙を浴びたゾンビは動かなくなり、そのまま地面へと倒れ込む。
柊が使ったのは埋葬魔法の一つ『灰は灰に(リベリアル)』。
これは『殺す』のではなく『埋葬する』魔術で、魔力で操られた人形や死体などを元のあるべき姿に戻す魔法だ。
ゆえに『二度目の埋葬』とも呼ばれる、使い方が限定される魔法ではるが、ゾンビなどにはもってこいの術式である。
「……やっぱり、つまりは『ゾンビは走っちゃいけない』と思うんだ。風情がないからな」
のらりくらりと避けながら、柊もまた、かれこれ数体を元の死体に戻していく。
「総力戦は良い案だけど、それでも少し数が足りなかったようね。……貧血になる量ではなくなて、助かったわ」
琴葉の『茨姫』は、すでにこの墓地の墓の数にほぼ等しいゾンビを行動不能にしていた。
「さぁ、どうする? 随分と死体の数も減ってきたが……」
柊が言うと、前方の遠く、墓地の一番奥の少しだけ高い、丘のようになっている場所が、蠢くのが分かった。
『死霊食い(グレイブ・ディガー)』
どこからともなく、男の声が聞こえたのを、柊も琴葉も聞き逃さなかった。
「……まぁ、そんな気はしていたよ」
柊は呟く。
「……次はなに?」
「ゾンビたちを使って牽制のジャブを打ちつつ、少しずつ体力を削り『死霊食い』が本命……王道で手堅い戦略だな」
『死霊食い』とは、屍術使いが得意とする召喚魔法の一つで、その名の通り、死者の魂を餌におびき出す召喚獣だ。
死体を蘇らせ、操ることで、疑似的な魂を与え、それを食わせて契約を結ぶ。喰らった魂の数で、その力が大きくなるのも『死霊食い』の特性だ。
「ウウウウ×ウ%〇▽ウウ」
人間界にはほとんど存在しない音の唸り声をあげながら、死霊食いは地中からその姿を現した。
二メートル以上はある大きな体躯に、過度にパンプアップされたような上半身は、アメコミのマッスル系ヒーローも顔負けのアンバランスさで、腕は真下に下ろせば、地面につきそうなほど長い。ズボンのようなものは、その強大な筋肉によって、破れてしまいそうに引き延ばされていた。
いや、そもそも、穿いているのは、ズボンなのか、などという今更かつどうでもいい疑問を浮かべるころには、死霊食いはすでに、体勢を低く構え、突進寸前の状態だった。
頭に被っている、口元だけ開閉する仕組みの丸く分厚い無骨なヘルメット。兜のようにも見えるそれの目元の、金網の格子の奥に見える鋭い目は、人でもなければ獣でもない、全く別の狂気を孕んでいた。
バランスは悪いものの、かろうじて『人間』のような形をしてるが、それは間違いなく異形であり、異界のもの。陳腐な言葉に置き換えてしまえば『モンスター』なのである。
「ウ××▽〇!!!」
巨大な腕を振り回しながら……というか、墓石も木も、わずかに残ったゾンビたちもなぎ倒しながら、琴葉の方に向かってくる。
「……気持ちが悪いわね」
琴葉は言いながら、スカートのポケットから、内容量十ミリリットル程度の小さな瓶を取り出し、一気に飲み干す。瓶自体は、柊が用意した『中身の鮮度を数十年単位で保つ』ことのできるマジックアイテムであり、中身は芥から摂取した血液である。
「『吸血鬼(伯爵の秘密)』」
血を飲み干し、一度瞬きをすると、焦げ茶色だった瞳が、鮮烈な紅に染まる。
死霊食いは、すでに目の前に迫っていたが、琴葉は地面を強く蹴り上げて、飛び上がった。その高さは、ゆうに数メートルを超え、簡単に死霊食いの巨体を飛び越えた。
着地と同時に、琴葉は死霊食いの背中を蹴り飛ばした。スカートが捲れ切らない程度の高さのミドルキック。
ひらひらとしたスカートの形状と、目にも止まらぬ速度の蹴りぬきによって、決してスカートの中は見えない。
ドスッという鈍い音と共に、横薙ぎ蹴られた死霊食いは、宙に浮いて回転しながら、吹き飛んでいった。
「はははっ、プロの格闘家も顔負けの身体能力だね。やっぱり便利だなぁ、『吸血鬼』の能力は……」
笑いながら、柊が言う。
たった十ミリ程度の摂取で、この力。
おそらく今の彼女は、プロスポーツマンの身体能力の軽く数倍はあるだろう。・
「グッ……オォ△×ォォ!!!」
地面に転がっていた死霊食いが立ち上がり、雄叫びをあげる。
そして再び、琴葉に向かって突進を開始した。
「欠落者の狂気とは少し違うけど……こういう戦いも、これはこれで、『生きてる実感』を得られるものね」
赤い瞳を輝かせながら、琴葉は死霊食いの攻撃をいとも簡単にかわしていく。
ブンッ! ブンッ!
攻撃が当たらないことにイラついてきたのか、死霊食いの両腕を振り回すサイクルが上がっていく。
「もうこれ以上は……ないみたいね」
琴葉は言いながら牙を尖らせ、自らの親指を少しだけ齧る。
あふれ出した血液は、みるみる内に形を成し、大きな鎌と姿を変えた。
本来なら、貧血にすらなる量の血液。しかし、『吸血鬼』の能力が、それを補い、人間では危険な失血をも可能にする。治癒力も著しく向上しており、齧った親指の傷はすでにふさがっていた。
「ぬ×〇▽%!!」
死霊食いはまた人間界にはない音で呻きながら、拳を大きく振りかぶる。
琴葉の構えは、幼少より習った薙刀の基本に準じている。やや腰を落として、相手を見定める。
死霊食いの拳の軌道を読み切って琴葉は駆け出し、恐ろしい速さで死霊食いに向かい、鎌を振り下ろす。
首が斜め四十五度に一閃。
駆け抜けた琴葉の後ろで、死霊食いの首は胴体から離れ、地面へと落下した。
「見事だ、琴葉ちゃん」
パチパチと拍手をしながら、柊が近づいてくる。
「もう十分だろう? この子に勝てないようじゃ、俺には傷一つ負わせられないよ? それとも、この墓地ごと『浄化(エンジェルファイア)』で焼き払おうか?」
柊が宣言すると、途端にそれまで渦巻いていた瘴気が根こそぎ消えていった。
「やめて下さいよ。そんな魔法使われたら、この墓地一帯が鎮魂の地としての意味をなくしてしまいますから。……というか、『浄化』は白魔法の領域ですよね? そんなものまで使えるんですか、あなたは」
柊の目の前、数メートルのところから声がすると、そこには黒い煙が渦巻いて、わずかの間に人の形となった。
「お久しぶりですね……もうざっと、二十年ぶりくらいですか。そちらの女性は、『欠落者(ディビエント)』ですか?」
ニヤニヤと笑いながら、そう口にしたのは黒のシルクハットに黒のスーツ。シャツにネクタイまで真っ黒で、おまけに羽織っているケープマントまで、全身黒尽くめの男だった。
この背格好は先ほど芥の知り合いの後輩である『相良明人』が口にしていた男と丸々合致していた。
そして、柊はこの男を知っていた。
「ディビエント……魔法協会が定めた欠落者の名称か。協会に属さないお前が、よくそんな言葉を知ってるな」
「だからこそ、です。協会の動き、内部の情報は大抵、私たちにとって不利なものが多い。率先して把握しておかなくては、寝首をかかれかねません」
シルクハットごと頭を傾けて、左の口角だけを上げて笑うその男に、柊は呆れたように目を細めた。
「……はぁ」
何かを言おうとして、その前に溜息が漏れた。
「……どうしたんですか? 第十三代、黒の極色(きょくしき)『漆黒』のジャナンハイム殿。ほとんどなにもしていないのに、ため息なんて。歳ですか?」
「違う。俺は呆れているんだよ。相良明人から謎の男の話を聞いて、真っ先にお前を思い浮かべた。そして、次に『渡された』という刀の素材を見て、やっぱりお前を思い浮かべた。そして、俺たちの話し合いを覗き見ている男の気配からもお前を思い浮かべた。それを追って墓地に来て、ゾンビを見て、死霊食いを見て、全部お前を思い浮かべていたところ、やっぱりというか、案の定というか、お前が現れた。予想通り過ぎてうんざりなんだよ。わかるだろう? 一式(いっしき)永遠(とわ)」
柊は男をつまらなそうに睨みながら、その名前を口にした。
「知り合いなの?」
ずっと黙ってやり取りを見ていた琴葉が、そう尋ねた。
「ああ……まぁな」
一式永久。
柊が大昔にこの国で出会った屍術使い(ネクロマンサー)。死体を扱う術は極端に少ないこの日本に生まれ、世界中を渡り歩き、独学でネクロマンシーを取得した男。それがもう六十年ほど前のことで、その時彼は、多分二十五歳と言っていた。
見た目には今も大して変わらないところを見ると、これも恐らくネクロマンシーの応用なのだろうが……柊はいま一つ屍術やネクロマンシーには詳しくないので、その辺は分らない。
とにかく柊とは、その頃に会って以来の『知り合い』だ。
見知らぬ地で出会い、かろうじて同じ『魔法使い』であったと、それだけのことだ。
「あはは……相変わらずに冷たいですね」
「お前がグイグイ来すぎなんだよ。そもそも魔術師というのは、もっと孤高なものなんだぞ?」
「……私は、はぐれ者でまがい者ですからね。魔法使い、とは言っても、魔術の基礎も十分には知りません。私は求めた技術を独学で、出来る限り求めただけの、なんちゃって魔法使いですからね。いいえ、私は自分を極力『魔法使い』とは呼称しないことにしてるんですよ。便宜上必要な時は使いますが、それ以外は基本的に『屍術使い』を名乗っています。でも、伝わらないんですよね。『ネクロマンサー』ってマイナーなんで」
妙に人懐っこい喋りに、柊は応える気力を無くして黙っていた。
「でも、そんな半端者だからこそ、本物に憧れるというか、自分の魔術が、どれくらい通用するか、試してみたくなるんですよね。とはいえ、今回はそちらのお嬢さんにすら、軽くあしらわれてしまいましたが……私もまだまだですね」
無邪気に言う一式は、多分本当に、心底そう思っているのだろう。
「……どのみち、本気で殺そうとしていなかったということ? 甘く見られたものね」
琴葉が言うと、
「いえいえ、殺そうとはしていましたよ。ただ、本気で『勝とう』とはしていなかっただけです。手段を択ばずに『勝つ』方法なら、いくらでもありますからね。ですが……そうですね、あなたの異能はとても興味深い……死者を強制的に操る私の術の上から、行動不能にするなんて、素敵です。それにあの身体能力の向上……是非一度死体にして調べてみたいものです」
「柊、魔法使いというのは、皆何かしらの変態なのかしら?」
「否定はしない。だが、こいつは屍術師という都合上、とにかく死体にしなければ話が始まらないやつでな。それゆえに悪意もなく、純粋な興味や好奇心で、人を殺すことがある」
「大分、危険で厄介な人なのね」
「その言い方には、語弊がありますよ、ジャナンハイム殿。最近は無益な殺生はしないように心掛けているんです」
一式はそういって、無邪気な笑顔を張り付けて、琴葉に笑いかける。笑っているのに、感情が全く読めないその表情に、琴葉は不気味さを感じた。
「いやあ、それにしても、相良明人にあなたが関わっているとは思いもしませんでしたよ」
「それはこっちのセリフだ……お前も欠落者の研究をしているのか?」
「……いいえ。私は生憎、それに興味はないんです。私の興味は珍しい死体だけ。つまりは、最近噂『巨大な虫』の死骸に興味があるだけなんです。世界中どこを探しても、見たことがないですからね? 人間に擬態する巨大な虫、なんて。カフカじゃあるまいし」
『……ああ、あれは擬態ではなく、自らが変身したんでしたっけ?』と一式は続けた。
死と死体と死の条件にのみ特化した魔術、『屍術使い』ならではの偏った興味に、柊は肩をすくめる。
「それに虫は標本にできますよね。だから、うまくいけば、腐らない死体として、重宝するのではないかと思い、その虫に詳しいらしい彼……相良明人に接触したというわけです」
「……それで、あの虫の出所をお前は知ってるのか?」
柊が聞くと、彼は少し眉間にしわを寄せて首をかしげる。一緒に、やはりシルクハットも傾いた。
「いいえ、知りません。わからないんですよ。この虫たちが、どこから来て、どんなふうに仲間を増やしているのか。大元の痕跡がつかめない。気味が悪いですよね?」
もともと飄々とした男であるがゆえに、これが演技なのか、素なのかわからない。
「それじゃ、お前はこの虫の死体を集めるために、相良明人にあの木刀を?」
「ええ、彼に効率良く擬態している虫を殺してもらうためですよ。現状、どうやら彼しか擬態を見破れないようなので、彼を応援する意味でも、強力な武器をお貸ししただけです。せめてもの力添えというやつですね。それに、普通の人間にあの規模の死体の後始末は難しい。近くでこっそりと見守っていて、放置された死体を頂く、というのが、私のビジネスの方法です」
「なるほどな。お前らしいとえば、お前らしいが。それで、虫の死骸は、屍術に使えそうか?」
「それが……見掛け倒しだったんですよね。あの虫、外骨格や四肢は完璧に近いくらい虫なんですけど、中身、というか、内臓辺りは人間そのもので……奇妙なんです。一先ず、生物的な正体を確かめる為にも、あと数十体、解剖して研究する必要がありますね」
そうだった、と柊は思い出す。一式永久の研究は非常に効率が悪いのだ。全て独学なせいで、何かを学ぶときも、自分で一からあらゆる方法を試して検証していく、という原始的で生産性の低いやり方なのだ。
「でも、近々、あのバースタジオで大規模な個人ライブが行われるようですから、それを狙って、彼も沢山の虫を殺すはずです。そうすれば、研究に足りるだけの死骸が手にはいるかもしれない……そうすれば、きっとあなたが望む答えにもたどり着けるかもしれません」
後半は何だか嬉しそうに、彼は言った。
「……一応、この件は俺たちが担当しているんでね。何か解かったら、教えてくれ」
「はい。喜んで」
そう言うと、彼は一礼をして、ゆっくりと闇に消えていった。
「……ああ、すまんな。すっかり放置してしまった。ご苦労だったね、琴葉ちゃん」
一式の会話を傍観し、殆ど蚊帳の外にいた琴葉に柊がねぎらいの声をかける。
「結局、虫に関してはなにも分からなかったってことね。私は……まぁ、退屈しのぎにはなったわね」
「予想はしていたけど、やはり君の『茨姫』の強制力は凄いね。魔術よりも優先して効果を及ぼすことが検証できて良かったよ。一撃必殺の『茨』と超身体能力を得る『吸血鬼』の組み合わせは、純粋に強力だ。一対一の戦闘ではまず負けないだろう」
「……迷惑な力よ」
言いながら、琴葉の脳裏に、三年前の記憶が浮かぶ。それは欠落者になりたての頃、己の狂気の制御が効かず、絡んできたチンピラ五人を半殺しにして、偶然見かけて追いかけてきた芥の血を吸い、暴走を続けたあの時の、苦く忌まわしい記憶。
柊が芥の知り合いでなかったら、そして柊がすぐさま琴葉を拘束しなければ、芥も含めそのまま何人殺していたかわからない。もしかすると、あの夜だけで狂いきってしまい、ただ本能のままに異能を使い殺し続けるだけの殺人鬼になっていた可能性が高いのだ。
狂気を求め、生の実感を求めながらも、琴葉は自らの異能を忌み嫌っているのだ。
「そう言うなよ。欠落は、何らかの形で本人が望んだものと関りがある。意識下、無意識下は別として、『三大欲求』なんていう人間の概念をも危うくする欠落へと至る君の精神は、実に興味深いものだよ」
「でもその本当の理由や想いは、欠落前の私でしかわからない」
「そう。だからね、芥の言うように、君は欠落者から普通の人間に戻って、その詳細を聞かせてほしいのさ」
「……戻る方法があるのならば……ね?」
諦めたような表情で目を伏せ、琴葉は柊に背を向けた。
「私は帰るわ」
「ああ……夜道には気を付け……る必要はないか」
すでに歩き始めている琴葉に、柊は形ばかりの手を振る。
「さてと……」
相良明人に関った魔法使いは、一式永久だけであり、虫を生み出す欠落者とは無関係。
やはりどうやっても、擬態化する虫を生む欠落者には辿りつけない。
誰かが、例えば琴葉達の欠落者としての存在を表社会では隠す柊のように、それなりに腕の立つ魔法使いが、巧みに隠蔽しているのか。
いや――。
柊の中に、ふとひらめきのようなものが浮かびあがる。
「なるほど。そういうことか。……ははっ、全く、これは少し意地が悪いな」
確証も根拠もないが、柊にはなんとなくわかってきた。今回の、連続失踪事件と巨大な虫の一連の事件。二つが繋がっていると分かったからこそ、かえってそこに気付けなくなる。
人間に擬態する虫。人間社会に溶け込む虫。その目的は、きっともう達成されている。いや、そもそも擬態している虫たちには、目的なんてものは存在しない。
柊はクスリと笑った。
そろそろ、芥も気づく頃かもしれない。
巨大な虫を作っている欠落者の本当の異能に。
推測通りだとすれば、いやはや欠落者とは、つくづく面白いものだ。
柊はこの町で、それなりに沢山の欠落者とその異能を見てきた。
欠落者の多くは、理性や人間性、モラルや感情の一部を欠落し、自らのトラウマや信念、強い願いや想いに関連づいた異能を発症する。
だがその殆どが、自らの異能の正体を正確には把握することなく、事件を起こす。
また、異能自体も、不完全なもの、使えないもの、意味のないものも少なくない。それは恐らく、強い願いを持っていても、その『願い』の本質を、自らが理解していないことが原因であると柊は考えている。
人間は思ったより、自分自身を知らないものだ。
今回の欠落者は、もっとお粗末だ。何しろ、そいつは自らの願いを、モラルのフィルターを通すことで、歪(ゆが)んで認識をしているのだから。歪(ゆが)んで歪(ひず)んで、己の渇望すら、わからなくなった愚か者。
欠落者が、何かを欠落してまで欲した願い。それを忘れてしまっては、本末転倒だ。
人の道を外れ、魔道にも足を踏み入れず、異端として人であり続ける欠落者。
そこにあるのは、魔法使いと同じく、ただ一つの強い願い。失った何かであり、失ってから求める何かである。
なのに、酷く俗的で、醜く、どうしようもない。
人間が人間としてあがく姿そのものに似ているのだから、仕方のないことかもしれないが……だからこそ、興味深い。
ならばこそ、今回も柊千亮は、観察する。
この事件はおのずと解決する。
虫の侵略なんてものも、進みはしないだろう。
「ホント、笑えるよ」
柊は、残酷な顔でニヤリとほほ笑んだ。
§
その女に出会った瞬間、藪島裕也の魂が震えた。一目惚れであった。音楽仲間には、沢山女はいたし、ライブハウスに来る客も合わせれば、相当な人数と、年齢層の女と会って、話してきた。
付き合った女も両手の指の数が済まないし、身体だけの関係なら、それこそ数え切れない。だが、どの女と一緒に居ても、裕也が心底満たされることはなかった。
それは音楽と同じで、どうもしっくりこないのだ。
しかし、裕也はアーティストでミュージシャンだ。音楽と歌の糧になるなら、恋愛になんて、理想な真の幸福なんて求めていなかった。
裕也が四条由梨に出会ったのはそんな時だった。
由梨はこのライブハウスに資金援助している荒井浩太の紹介で知り合った女だ。女性らしい長い髪に、切れ長の目、物怖じしない態度は彼の好みのど真ん中だった。
何より、彼女には強かさの中に、高潔な無垢さのようなものがある。
もしかすると、処女かもしれない。仮に処女じゃなかったにしても、決して安易に身体を許さない、強い処女性があるに違いない。
裕也はゾクゾクした。
一瞬で夢中になってのめり込んでいった。今まで、音楽以外にこんなに真剣になったことはない。
運命の女だと思った。
由梨と距離を縮められるなら、と、荒井浩太の主催する『遊び』にもゲストで出席した。
だが、そこで裕也は見てしまったのだ。四条由梨の本性を。
その場にいる、男とも女とも、構わずセックスを繰り返す由梨の姿を。由梨も他のやつも、何か危ない薬をキメているようで、狂ったように交わりあい、裕也の言葉は届いていないようだった。
その乱れた姿に、裕也は目を覆いたくなった。
運命だと思ったほどの女は、男友達である荒井の家で乱交パーティをするような女だったのだ。それも、バイセクシャルなのか、女とさえ淫行を重ねていく。
裕也は絶望しながらも、なんとかその日は本心を隠して帰宅し、後日改めて由梨と話をした。その時の彼は、幾分か男らしくなかったかもしれない。由梨のこと、そして荒井や龍浪宗一との関係まで、根掘り葉掘り聞いたのだ。何か一つでも、あの日の彼女の行動が『仕方なかった』ものであったという理由が欲しかった。
しかし、彼女は呆気なく答えた。
『楽しいからに決まってるじゃん』
恥らうでもなく、突っ張るわけでもなく、悪びれもせず、臆することすらなく。その瞬間に裕也は、身体が冷たくなるような感覚に襲われた。そして、反比例するかのように胸の奥が熱く、ドロドロと煮えたぎるのが分かった。
彼女は……、この女は、貞操観念の低い快楽主義で刹那主義で、バイセクシャルの薬中なのだ。
裕也はそれから、自分の部屋に閉じこもった。数日間外へ出ることもなく、ずっと頭を抱えていた。
大好きな音楽も手に付かない。彼女への絶望は、裕也の人生のあらゆるものを機能停止に追い込んでいた。
自分が本気で好きになった女は、ゴミみたいな変態だった。
もう、汚れきっている。もう、穢(けが)れきっている。
彼女は、オレの求めた彼女ではない。
オレの運命の女が、あんな淫乱であってはいけない。オレが本気で恋した女が、あんなモラルの崩壊した人間のはずがない。そう、彼女はオレの恋した女ではない。
裕也はそう何度も繰り返し、むなしい現実逃避と自己の正当化を重ねていった。
裕也の中にぽっかり明いた心の穴。その奥から、もう一人の自分が、顔を出す。由梨に理想を求めた。それは悪いことじゃない。悪いのは、モラルの欠損したあの女である。
ならば、自分は被害者だ。お前(オレ)は被害者だ。オレは悪くない。好きな相手に理想を抱くのは当然のことだ。オレは信じたんだ。オレは恋をしたんだ。オレは愛したんだ。
なのに、あの女は裏切った。
騙されたのは自分で、被害者は自分だ。
そう結論づけた時点で、裕也の『ズレ』は始まっていた。
裕也の歪んだ自尊心と、幼いプライドと自己肯定は、さらに彼を追い詰めていった。
自分はもう、騙されたくない。騙されたないためには、見極める必要がある。自分へのの好意が、本当に愛情なのか、それともセックスがしたいだけの感情なのか。それが分かる術が欲しい。
淫乱かどうか分かっていたなら、こんなことにはならなかった。
そうだ。
そうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだ。
性欲に取り付かれたアバズレ共は、頭バカになって、妊娠するまでセックスしていればいいんだ。
そうだ!
気が狂うまで淫行してろ!!
裕也の中に『歪み』と『欠落』が首をもたげる。
意識的や無意識的かは不明だが、最初に行使した異能の矛先は、彼女だった。
四条由梨は、ライブに来たバカどもに犯させた。男も女もいける由梨は、嬉々としてセックスに興じた。
何回も、何回も、何回も何回も何回も。自らの身体が限界を訴えてもなお、セックスをし続けた。
汚いメスのフェロモンを全開で振りまきながら、最期は叫びとも喘ぎとも分からない声を上げて、絶命した。
ライブに集まった男も女も、こぞって彼女を犯したのだ。まるで肉をむさぼり食うかのように。もしかすると、実際に食べていた人間もいたかもしれない。性欲とは、ある種の食欲にも似た部分があると、裕也は思っている。事実、気がつくと、四条由梨の姿はなくなっていた。衣服の残骸と、奇妙な肉片が残っていたが、それだけだった。
行為の途中で我に帰って逃げたのか、それとも本当に『食べられてしまった』のか。
とにかく彼女はその日から、失踪してしまった。
でも、すでに裕也にとって、それはどうでもいいことになっていた。
裕也が自分に『何か特殊な力があるかもしれない』という可能性に気がついたのは、それから二週間ほど経ったあたりのことだった。
彼は自分に気がありそうな女を見ては、それが本当に愛情なのか、ただの興味や憧れ――音楽をやっているというだけで尻尾を振る頭の軽い女――なのかを見極めたいと願えば、その直後にその女の本性が露呈する、という現象が起きたのだ。
もちろん、そんな力が自分にあるとは信じられなくて、何度か検証してみたが、どうやら自分が力を使うと、下心があって近づく女を性欲で支配できることが分かった。いうことを聞かせる、と言えるほど自由度はないが、性欲をベースにした命令なら、ある程度操ることができるのだ。
これは便利だ。
裕也は嬉しくなった。彼は由梨の一件を払拭するかのように、自分に好意を抱く女を片っ端から犯していった。一時的な快楽であっても、由梨への絶望を忘れるのには、必要な癒しだった。
もちろん、それで本当に満たされるものなど、殆どなかった。だからこそ、何人も何人も『偽り』の愛情を向ける女を性欲の虜にしていった。
裕也は定期的に男女比を調整しては『ライブ』と称して、乱交の場を設けた。
偽りの愛情に溺れた女共が、性欲にまみれてグチャグチャになる様は実に愉快だった。
空しくなんてない。この力は、由梨と、そしてこの現実に裏切られた自分に対して、神様がくれたものなのだ。だから、この力を自分の快楽と欲望を満たす為に使う。籔島裕也に寄ってくる『籔島裕也』自身を見ていないクソ共を、快楽付けの頭パーにしてやるんだ。
藪島裕也の欠落と狂気は、こうして加速していったのだ。
だが、行き過ぎた行動は、必ず誰かの目につくことになる。
裕也は自分を嗅ぎ回っている奴がいるらしいという噂を耳にした。
なんでも、変な木刀を持ったクソチビのようだが、結構ヤバい目をした奴らしい。裕也が性欲の廃人にした女の知り合いか、入り浸る誰かの情報を聞いて、不審に思ったやつかは知らないが、邪魔はされたくない。裕也はそう思った。
このライブハウスで自分が主催するライブは、自分だけの聖域。
裕也がつくりあげた、ただ一つ世界なのだから。
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