第9話

繁華街を更に奥に行った場所に、夜になると妙に活気付く一帯がある。

 その辺りは、隠れ家のようなバーやライブハウスなどが犇いていて、あまり治安が良いとは言えない場所だ。

 相良明人を調べるのは、難しいことではなかった。

 無数に存在するとされている荒井浩太主催の『遊び』のゲストを調査するのは困難だが、特定された個人を調査するのであれば容易い。増してや、自分と面識のある後輩となれば、造作もないことだ。

 相良明人は『遊び』のゲストとして数回呼ばれていたようだ。

 だが、ある時から、急に招待を受けても断るようになり、彼らのグループとは疎遠になったと聞く。

 この事実を知ったとき、芥は少しだけ戸惑った。

 彼の知る相良明人という少年は、荒井たちのような派手な遊びをするような人間ではなかったからだ。

 いや、この考え、認識自体が既に『贔屓目』なのかもしれない。知りあいであること、後輩であることが、彼に対する評価を無意識で甘くしている。

 だが――、

 何を言っても、明人が最近良く出歩いているのが、この辺りだという調べもついている時点で、押して然るべきというか、きっと彼にも何か後ろめたいことがあるだろうと推測できる。

 明人が学校から帰った後、家を出てどこかに行ったことは確認済みだ。

 となれば、である。

 芥はバースタジオでもあり、ライブハウスとしてもこの辺では有名な『DAZVO』というバーの裏口が見える場所で待機する。

「ふふっ……」

 不意に裏口のドアが開いて、一人の男が出てきた。

 暗さでよくは見えないが、派手な色のTシャツと、耳についたピアスだけは認識できた。髪も金髪に近いような色で、短く逆立っている。

「ふははっ……」

 男は小さく笑っているようだ。

 酔っているか、とも思ったが、それはどうやら違うらしい。

「今日も、女がいっぱい……ふふっ……ふふふっ……ははっ……」

 クスリでもキメているのか、明らかにまともでは無さそうだ。この界隈では、ドラッグの売人も多く、その手のクスリがライブハウスで出回っていても不思議ではない。

 しかし、芥はもう一つの可能性を考える。

 『欠落者』

 彼らもまた、狂気に囚われた存在。そういう意味では、ドラッグの常習犯も欠落者も、大差はない。

 ラリっているだけなのか、欠落者なのかを見極めようと、芥は物陰から出て行くことにした。だが、動き出した直後に、芥はある気配を感じた。後方、一つ後ろの建物の影から、それは急速に迫ってきた。

 芥は『制限解除』しようと構えたが、対象が何かを視認した瞬間に、それをやめた。

「待ってください」

 芥に近づいてきて、小声でそう行ったのは、相良明人その人だった。

「あの人は……あれは人間じゃないんです」

「明人? どういうことだい?」

 人間じゃない。

 それは、何を意味しての言葉なのか。芥は答えを待った。

 明人は眉間に皺を寄せて、少しだけ考え込む。

「先輩、場所を変えて話……」

 明人が言いかけた瞬間、

「危ない!!」

 その言葉を遮るように、芥は明人を後ろへと突き飛ばした。

 というのも、先ほどの明人とは比べ物にならない速度と殺気を纏った『何か』を感知したからだった。

 ガキンッという鉄が地面を打つ音が響く。

「あ……んた……ら……」

 襲撃者は、女性のように見えた。先ほど裏口から出てきた男とはまったく別の人間であり、現れたのも、路地の別の方角からのようだ。

 瞬時に裏口を確認したが、そこにはもう先ほどの男の姿はなかった。

 芥はすぐに女性へと視線を戻す。

 デニムのホットパンツに、半袖のリブ素材のカットソー。白でシンプルなデザインの代わりと言わんばかりに、首のチョーカーにはスタッズがいくつもついていた。

 彼女の手には細い鉄パイプのようなものが握られており、それは地面にめり込まんばかりに強く打ちつけた状態だった。

 避けなければ、芥か明人か、あるいはその両方に、鉄パイプの痕が刻まれていただろう。

「ユウヤ……のこと……嗅ぎまわって……る……んだよね……??」

 ギギギッと、錆付いた機械音が聞こえて来そうなくらいにぎこちない動きで首を上げた女性が、目を見開いてこちらを見た。

 歳は二十歳かそれ以下だろう。

 ミディアムボブの茶色い髪は、やや乱れて彼女の顔を僅かに隠していた。

「ユウヤ? それは誰のこと?」

 芥は一応、そう尋ねてみる。

 実際問題、芥は『ユウヤ』という人物を知らない。もしかすると『ゲスト』の中にはそんな名前の人もいるかもしれないが、少なくとも重点的に調べているリストにはない。

「私……の、ユウヤ……私の……大切なユウヤの邪魔を……するの……は許さない……」

 会話が通じない。

 彼女が欠落者である可能性は低いが、欠落者の能力にかかっている可能性はある。

「う……ああ……あああああああっ!」

 鉄パイプを構え直し、奇声をあげる女性。

「さて、どうしたものかな」

 武器を持っているとは言え、見たところ普通の女の子であり、欠落者ではないとなれば、制圧するのは難しくない。

 むしろ、怪我をさせないで捕獲することができるか、が問題だ。

 無力化して、出来るなら正気に戻して、その『ユウヤ』という人間に関して情報を貰わなくてはいけない。

「早蕨先輩、下がってください」

 斜め横から、そんな声がした。

 芥は、女性からは視線を外さずに、ゆっくりと体の向きを変え、声の方角が視界に入るようにした。

 するとそこには、棒状のものを持った、明人の姿があった。

「明人、君こそ下がっていた方がいい。この手のことは僕の専門だからね」

 未だ、明人の方を向くことなく告げる。

「先輩は『虫』のこと、知ってるんですよね? この前、調べてるって……」

「え? それは」

 虫というワードに、芥がやや気を取られた瞬間だった。

「うううううううっ!ユウヤは私が守るんんんんだああああああ!」

 ギリギリ聞き取れるくらいの歪な怒鳴り声と共に、目の前の女性が向かってきた。

「先輩、かわして!!」

 芥が横に飛んだのは、明人の言葉を受けたからではない。ただ純粋な回避行動だった。

 しかし、芥がかわした後ろから、明人は飛び出していた。

 鉄パイプを振りかざす女性の懐に入り、明人は手にしていた棒状のものを振りぬいた。

 まるで、時代劇の一対一の切り合いのように、すれ違い際の一閃だった。

 明人がふるった棒の行方と、それを受けた瞬間の女性の体を、芥を見逃さなかった。

 彼が振りぬいたのは、恐らく木刀のようなもので、それは確実に女性の右肩の少し下から、逆脇腹の付け根あたりまでを切り裂いていた。

 いや、見た限りでは、切り裂いたのではない。

 まるで刃が、女性の体を侵食するように、細く細く、刃の厚さの分だけ削っていった、そんな感じに見て取れたのだ。

「ぐっ……お……」

 女性が、鉄パイプを落とし、切られた胸を押さえながら、膝をつく。

「明人、何を!? その人を……切ったのか?」

「黙って見ていてください!!」

「明人……?」

「もうすぐに、こいつらの正体がわかります」

「正体?」

「そうです。こいつらは、人間じゃない……」

 何を言ってるのか、と聞きなおすより前に、膝をついていた女性の体が、大きく脈動するのが、分かった。

「うっ!ううううぐぅぅぅぅぅぅ」

 メキメキ

 それは肉が裂ける音。

 コキコキ

 体の内側から、関節が鳴る音。

 コポコポ

 肺の空気が奇妙なところから抜けるような音。

 華奢な女性の体は、背中が見る見るうちに肥大して行き、細い腕からは肉が開いて、中から硬質の殻に覆われた節足が現れた。植物の成長を早送りしてみているように、滑らかに従来の腕の長さを突き抜けて、細かく毛の生えたとげ付きの虫の足が姿を現したのだ。

「……これは……」

 人が虫になる場面は、様々な死体を目にしてきた芥でも、さすがに驚いた。

 その一瞬の硬直時に、明人は次の動きをしていた。

 まだ変化をし続ける女性の背中目掛けて、木の刀を突き刺したのだ。

 恐らく心臓に当たる部分を背中側から、一刺し。

 女性だった虫は、その体をビクビクと小刻みに震わせながら、やがて、動かなくなった。

 動かなくなってからも少しの間、明人は刀を刺したままにしておいているようだった。虫を串刺しにしてる刀は、見た目には木製であるはずなのに、妙な艶が出ており、虫から流れ出ていた体液を吸収しているようだった。

「……先輩はこいつらの仲間じゃ、ないですよね?」

 虫から刀を引き抜いた明人が言った。

「多分、違うよ。僕もその虫のことが知りたいくらいだからね」

 明人は芥のことをじっと見ていた。

 目を凝らすようにして、何かを見極めているかにも見える。特に芥の目線より少し上あたりを見つめていたが、暫くして、その目が僅かに緩むのが分かる。

「大丈夫、みたいですね。先輩……ボクの話を聞いてくれますか?」

 奇妙な木刀を片手にそう言う明人は、何かを覚悟した戦士のような顔付きをしていた。

「……もちろん。僕も聞きたいことが山ほどあるんだ」

「落ち着いて話せるところに行きましょう」

 気弱な文学少年。

 芥が彼に抱いていたそんな印象とは、かけ離れた表情。

 明人の瞳は、鈍く光っているように見えた。その光は、まさしく狂気の光であり、欠落者が持つ、独特な擬似光だった。

 彼は欠落者で間違いない。だが、ただの欠落者ではない。少なくとも、芥を警戒こそすれど、敵意を向ける様子はない。欠落者であるというだけで、即刻始末する必要はないのだ。……琴葉がそうであるように。

 芥は彼を繁華街入り口付近のカフェへと促した。前にも数回だけ利用したことがあるカフェで、深夜まで営業していることと、この周辺のカフェの中では、使用年齢層がやや高めなことから、あまり騒がしくないのが特徴だった。

 本当は『アンバードロップ』が良いのだが、ここからでは距離がありすぎる。

 カフェまでの道のり、十分ほどの間、二人は無言だった。

 まるでお互いに相手の手の内を探っているような、そんなピリピリとした空気が、漂っていた。

 カフェに着いて、注文をすると、明人が小さく息を吸った。

「信じてもらえないかもしれないですけど……ボクには虫が見えるんです」

「虫が見える?」

「そうです。先輩も知ってるんでしょう? 巨大な虫の話は」

「ああ、一応ね。でも、虫が見えるっていうのは?」

「虫は、人間に擬態してるんです。でもボクはそれを見抜けるんです」

「擬態……成りすましているってことか」

「はい。元の人間をどうしているのかは分かりません。でも、ある日突然すり替わるんです。入れ替わる、という方がいいでしょうか」

 真剣な顔だった。上がりそうになる呼吸を無理やり押さえ込んでいるような、そんな感じが見て取れた。

「あいつらは……多分、増えることが目的なんです……」

「増える? 増殖するということか」

「あいつらは、人間に擬態して主に生殖行動をとります。人間との。そうやって、増えようとしてるんです。ボクも専門家じゃないし、全然分からないことだらけなんですけど、あいつらは本能を優先してます。それは分かるんです。なんとなくですが……」

 明人は少しだけ震えていた。

「偶然、あいつらの正体を見てしまったんです。でも、幸運なことにやつらに見つからずに逃げる事ができて……。誰にも言えずに怯えていました。正体をみたせいかどうかはわかりませんけど、やつらを観察している内に擬態していても『触覚』の動きがわかるようになって……そうやって、ボクだけが擬態した虫を、見分けられるようになったんです」

 明人はゆっくりと、全部を話してくれた。

 荒井浩太の『遊び』のこと。

 武宮春香のこと。

 虫と一人で戦ってきたこと。

 そして、怪しくも『味方』だと名乗る男のこと。

「あいつらは虫だった……だから、殺さなくちゃいけないって思ったんです。まずは四人……殺しました。虫だったから……あいつらはおぞましい虫だったから!!」

 虫であっても『人を殺めた』という事実に、必死に言い訳をすることで、罪の意識から逃れようとしているのかもしれない。

 明人は、少しだけ早口気味に続けた。

「あいつらさえ殺せば、侵略は止まるって。でもこの町には、もっともっと多くの虫がすでに忍び込んでいて……集まる場所は調べることができても『巣』のような、大元には辿り着けなくて。早くしないと、どんどんあいつらが人間に成り代わっていってしまう……」

 悲痛な表情を浮かべながら、彼は語る。世界の終わりを見たような、そんな顔だった。

「そうか……辛かったね。もっと早く、こうして君に聞くべきだった」

「先輩は……どうして虫のことを?」

「僕のバイト先は、少し変わっていてね。普通なら『奇妙な都市伝説』で片付けられるような事件を専門に扱い、調査するんだ。もちろん、ガセもあるけど、実際に奇妙なことが起きていることだってある。今回の『虫』も……明人がいうように『本当』だった」

「信じてくれるんですか? ボクのこと、頭のおかしくなった奴だって思わないんですか?」

「思わないよ。僕は実際に巨大な虫の死骸にも遭遇しているし、今回の件以外でも、信じられないようなオカルトホラーな事件を目の当りにしてきたからね。モンスターも超能力も宇宙人も信じるよ。もちろん、裏は取るけどね」

 明人の顔が安堵に崩れた。

「早蕨先輩……よかった……」

 深いため息を吐き、胸を撫で下ろす。

 確かに、一般人があんな化け物と一人で戦うなど、どれほどの恐怖であったかは計り知れない。そう考えて、芥はふと、一番大事なことを思い出す。

「そうだ、明人。僕のバイトはこの町で起こる奇妙な現象を調べることで間違いはないんだけど……実はもっと具体的なことを主な仕事にしているんだ……」

「具体的なこと、ですか?」

 明人に対して頷く。

「『欠落者』……この町を中心に出現する、特殊な能力を持つ人間の対処……」

「欠落者? 特殊な能力ですか……なんか、マンガみたいですね」

「僕もね、最初はそう思ったよ。でも、実在するんだ。しかもマンガの敵キャラみたいに、格好いい主義主張なんか持ち合わせていない狂人が殆どでね。自分に欠けてしまった部分、もしくはトラウマに関連する能力を発現させ、その欠落を埋めるように人を殺す……」

 芥は言いながら少しだけ冷たく、明人を睨んだ。

「ボ、ボクも、その欠落者なんでしょうか?」

 明人はそう言ってから、何かに気づいたように焦った顔を上げた。

「も、もしかして、ボク……先輩に……!?」

「落ち着いてくれ。君が欠落者かどうかは分からない。でも、欠落者だったとしても、きちんと理性を持って能力を制御してる人間、もしくは他人を傷つけるような能力でない場合は、何もしないよ」

「そう、ですか」

「だが、君のその『虫を見抜く』っていうのは、欠落者としての能力である可能性も高い。先ほど聞いた、君の『トラウマ』とも無関係じゃないし、その瞬間に何かが『欠落』し、能力を得た、と考えると納得もいく」

「あの虫たちも……その『欠落者』とか言う人たちの『能力』……なんでしょうか?」

「それなんだよね。実は、明人がなんらかの原因となっている可能性を疑っていてね。だから話を聞きに来た訳なんだけど……まさか、こうなるとはね。虫の正体については殆ど振り出しに戻ってしまったよ」

 さて、どうしたものか。

 進展と言えば進展ではあるものの、根本的な部分は何一つ解決へと向かっていない気がする。

 とはいえ、明人がいうように、あの虫が人間に擬態してる、という事実が分かっただけでも、よしとするか。

「一度、先生に相談するか……」

 芥はそう呟いてから、明人を見た。

「僕のバイト先の店主……ああ、彼もこういうものの専門家なんだけど、その人と会わせてもいいかな? あの虫について、これからどうしていくべきか相談したいんだけど」

「その人も、信用、できる人なんですよね?」

「ああ、もちろん。怪しさは抜群だけど、少なくともあの虫の仲間とかではない分、君の力になれると思うよ。その木の刀についても調べたいしね」

「この刀、やっぱりちょっと特殊なもの、ですよね?」

「うん……多分、魔術関係のものだとは思うけど……」

「魔術……ですか……」

 明人を横目に、芥はスマートフォンを取り出して、柊に電話かける。

 三コール目が鳴ったあたりで、芥はふとカフェの外の人影に気がついた。

 鈍い銀色の髪にチャコールグレーのスリーピーススーツ。

 紫色の瞳が、にやりと笑って目が合った。

「……本当に、勘の良い人だね……」

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