第6話

目の前では、異形の者が苦しそうに悶え、暴れていた。

 その姿は、巨大な昆虫。

いや、足が四本しか見当たらないところを見ると、『虫』か。

 確かに、これは気味が悪い、と琴葉は一定の距離を保ちながら、観察していた。

 その長く、節のついた『足』を勢いよく振って、狙いも意図も定まっていない攻撃を仕掛けてくる。それは琴葉に敵意を向けているというよりは、周囲のものなら何でも良い、と言わんばかりに、がむしゃらに振り回しているのだ。

 当然、当たりなどしない。

 動体視力も、身体能力も高いレベルにある琴葉には、プロの格闘家の拳ですら、余裕で避けることができる。こんな大振りに捉えられる道理がない。

 そんな暴走する人間大の虫に向かって、琴葉はなんの迷いも容赦もなく、異能を使うことを決断する。

 異形から目を離さずに、右手中指の中節に嵌められている細い指輪を、親指の先端で擦る。心の中で『棘(スピーナ)』と唱えると、指輪から一本、鋭い針が現れた。

 琴葉は迷うことなく、その針の先で人差し指を傷つけた。

 皮と肉がわずかに切り裂かれる感触がして、その直後に痛みが走る。傷つけると、『傷』に反応するように、すぐに飛び出た針は引っ込み、元のシンプルな細いシルバーリングへと戻った。

 琴葉の右人差し指からは、赤い血が滲み出していた。

「『三つの童話(いつかどこかのおとぎ話)』」

 中指と親指で人差し指の傷口を圧迫し、琴葉は流れ出す血液の量を増やす。

「『茨姫(永久の眠りを)』」

 連続して琴葉は呟く。

 すると、滴り始めた彼女の血が、長く伸びて茨の蔦へと形を変えた。

 五十センチほどの細く鋭い血の槍。それが、琴葉の異能であり武器だ。

「ぐぅぅぅぅぅぅぅあああああああ」

 巨大な虫が、苦しそうな声をあげてなおも手足を振り回す。

「苦痛の声……でも、あなたからは狂気を感じないわ。それだけ異形化しているのに全く狂気を感じないということは、あなたは欠落者ではない……」

 琴葉は、血の茨の短槍を構えて、突き刺す場所を見定める。

 甲虫特有の堅そうな外殻は、短槍が貫けない可能性がある。

 彼女の血で形成された『茨の血槍』は、特別な硬度を持っている訳でも、切れ味を持っている訳でもない。強度も切れ味も、ナイフや包丁とさして変わらないのだ。それどころか、琴葉の血の武器が、武器としての性能を保っていられるのは、長くて五分。手から離れてしまえば、ものの数十秒で元の血に戻ってしまうのだ。

もしもこの虫の堅い部分が、刃物で貫けない硬さだった場合、血の無駄遣いになってしまう。

 琴葉は、甲殻と甲殻の間に狙いを定めた。

 ランダムに振り回されている節足をするりとよけて、琴葉は優雅に歩みを進める。彼女が元より持っている人並外れた動体視力と身体能力、そして恐怖に対する『ズレて壊れた』感覚と覚悟を持ってすれば、いくら相手が巨大な虫の化け物とはいえ、この程度の動きに攻撃を加えることなど造作もない。

すれ違い様、節の部分に難なく茨の血槍を打ち込む。

「……終わりね」

 琴葉はそのまま、節足の射程範囲を抜けて振り返る。

 血の槍が相手の体に刺さった時点で、勝負は決していた。

 苦しみもがく様に暴れていた虫は、徐々にその動きを鈍らせていく。動きが遅くなったことで、この不気味な生き物をじっくりと観察できるようになった。

 気は進まなかったが、この生き物の最後を見届けるという意味合いでも、琴葉は巨大な甲虫をじっと見つめた。

 腹の上の方から胸の辺りに、何か液体のようなものが流れた跡が見てとれるが、詳細までは分からない。もしかすると体液であり、負傷しているのかもしれないが、さすがにそれをまじまじと調べる気にはなれなかった。

 そもそも、そんな気味の悪いこと、する義務はない。

 そうこうしている内に、虫の動きは止まる。

「案外、時間がかかった方ね」

 鷹ノ宮言葉の異能『茨姫』は、彼女が有する三つの異能の一つで、単体でもっとも発動しやすく、殺傷能力の高い力だった。

 発動条件は、自らを傷つけ、流した血で武器を生成すること。そして、その武器で攻撃された相手は――精密には血の武器で攻撃され、一定量以上の彼女の血が混ざることで――絶命する。

 当たりさえすれば、必ず殺せるこの能力は、その構造上、殆ど損傷させることなく絶命させることができる為、検死や解剖にはもってこいの力と言える。

「グ……ガガ……」

 不気味なうめき声を上げて、その場に倒れる巨大な虫。

 完全に動かなくなったこと確認して、琴葉は柊に連絡をした。

ここは人通りの極端に少ない繁華街の端の裏路地。入り組んだ狭い道だ。一本隣の道沿いには小さなライブハウス兼バーがあり、若者たちで賑わう場所ではあるが、その客たちも、ここを通ることは殆ど無い。

しかも今は夜の十一時。月も出ておらず、真っ黒な空のせいで、暗い路地は闇も同じだ。

つまり、ここでこの死骸を放置しておいても、誰かに見つかる可能性は極めて低い。とはいえ、実際に見つかると色々厄介なので、ごめん被りたいところではある。

そういう意味でも、なるべく早急に柊にはこの死骸を回収してもらいたいものだと、常葉は思っていた。

それにしても、本当にこんなに大きな虫が存在するなんて、思わなかった。

 人間大の虫とは言っても、そこまで大きくはないだろう。柊から具体的な四肢の大きさを聞いていても、それを心のどこかで『ある訳ない』と疑っていたのだということを今、琴葉は認識した。

 そして、事実こうして目の当りにしてみると、心底気色が悪く、嫌悪の塊の様に感じる。

 琴葉は、虫が嫌いだ。

 うじゃうじゃと勝手に湧き出てきて、思考もせずにただ繁殖する、種の存続と繁栄のみに特化したその在り方が、どうにも気味が悪いのだ。

 そういう意味では、何の憂いもなく、殺すことができる。

 死骸を見詰めていると(恐らく酷く冷めた軽蔑の眼差しで観ていたに違い無い)、ふと、死骸の首周りであったであろう場所に、ピンと張ったペンダントのようなものを見つけた。シルバーで出来た猫が、チェーンに掴まってぶら下がっているようなデザインのペンダントヘッドが目を惹いたからだ。

 虫が、ペンダントを?

 そう考えると、あまりに奇妙だった。偶然光ものに興味を持ったとしても、それがまた偶然に首の位置に巻かれる、なんてことがあるだろうか。

 琴葉の中に、微かにあった『可能性』の輪郭が、よりはっきりとしてきたのが解かった。

 琴葉は再びスマートフォンを取り出して、芥に連絡をとる。今の自分の状況を軽く説明し、場所を報告したあたりで彼は、琴葉の言葉を遮った。

『あ、それじゃあ、五分ほど待って。すぐに合流できるよ』

「どういうこと?」

『近くにいるんだ。偶然ね。その近くに「DAZVO」っていうライブハウスがあるだろ? そこの関係者に聞き込みをしていてね。その帰りなんだ』

 そう言った後に、

『君はいつもの散歩だろう? そして偶然、噂の巨大な虫に出くわした、と。毎度毎度、勘が鋭いね』

 と続けた。

 確かにこの日、琴葉はなんとなく夜の町を徘徊していただけで、それは彼女のクセというか、日課のようなものだ。睡眠欲が欠落した琴葉には、『眠りたい』という欲求がない。時間を持て余すと、どうしても外へと繰り出してしまうのだ。

 芥はしきりに、琴葉が夜に出歩くことを注意するが、その理由である『危ないから』というのが、彼女にはわからない。

 元々高い身体能力を持つ琴葉は、家の関係もあって一通り、武術の心得がある。

 空手、柔道、合気道、剣道に弓道、果ては柔術やコマンドサンボ、中国拳法まで、型を覚える程度には基礎を習っている。色々習いすぎたせいで、今となっては殆ど我流の総合流派になってしまっているが、あらゆる攻撃に対応できるだけのポテンシャルがある。

 特別なことをせずとも、男性四、五人に囲まれたところで、無傷で相手を一方的に行動不能にはできる。ましてや、異能を使えば、確実に殺せるのだ。

 そういう意味では暗い夜道も、人通りの少ない裏路地も、彼女にとっては危険ではない。

 琴葉はこの場所で待つ旨を芥に伝えて、電話を切る。

 この死骸から垣間見るに、この巨大な虫は、元人間である可能性が高い。

 ならば、以前考察したように、この事件の欠落者の能力は『虫化』させること?

 いよいよ『失踪事件』と『巨大虫事件』が本格的に繫がっている気がした。

 いいや、最初からそれは疑っていた。

 失踪した若者たちが、全員虫化している。

 そう考えれば単純だ。

 だが、単純すぎることと、それを裏付ける証拠が一切存在しなかったので、琴葉は思考を止めていたのだ。根拠もないのに思い込むことは何より危険な行為であるから。

 そうこうしているうちに、路地の向こうから、黒シャツにブルーグリーンのデニム姿の芥が穏やかなに微笑ながら現れた。

「待たせたね。それで……これかい?」

 芥は足元の死骸を見て、そう呟く。

「これは、かなりグロテスクだね。琴葉、大丈夫なのかい?」

「大丈夫ではないわ。嫌よ。私、虫が大嫌いだもの。でも、だからと言って、悲鳴を上げて逃げ出すほどではないわ。ただ、見た瞬間に殺すことを決意したけれど」

 琴葉がいうと、芥は「ははっ」と乾いた笑いを上げた。

「それじゃあ、移動させちゃおうか」

「え?」

「うん? ああ、来る途中に先生から連絡があって、空間移動の魔法陣で送ってくれってさ」

「あなた、そんな魔法使えるの?」

「僕は使えないよ。知ってるだろう? 僕達一般人に魔法は使えない。でも、魔法を使うための魔法陣なら描けるし、それは誰が描いても同じらしいから」

 そう言いながら、バッグから取り出したチョークで、地面になにやら円陣を描いていく。

「覚えているの?」

「練習したからね」

「そういうところ、気持ち悪いくらいにオタク気質よね」

「凝り性っていってくれる?」

「同じようなものでしょう?」

「そうかな? まぁ、いざという時、魔法陣が描けません、じゃ困ると思ってね。毎回、図式を見ながら描くんじゃ効率も悪いし」

「ふぅん」

 彼はものの数分で、随分複雑な魔法陣を描き上げた。

 それから手帳を取り出して、なにやら照らし合わせている。恐らく、魔法陣の絵と見比べているのだろう。どの道最後にはこうして見合わせるのだから、最初から見ながら描けばいいのにと、琴葉は思う。

「……よし、合ってるね。実際に使うのはまだ二回しかないから、不慣れなんだよ」

 そのまま芥は柊に電話をした。

 時計を見ながら、虫の死骸を魔法陣の中に押し込む。柊の術の発動時間に合わせるためだろう。やがて、魔法陣が鈍く深い紫色に光り始め、そのまま黒い『もや』のようなものが、魔法陣と虫の死骸を覆っていく。

 そして――

 数秒後、靄が晴れると同時に、死骸と魔法陣自体も消えてなくなっていた。

「一先ず、これでいいかな」

 うんうんと満足そうに頷く芥。

「それで、君の考察を聞かせてくれないかい?」

「ええ。歩きながら、話しましょう」

 二人は、琴葉の住む部屋に向かって歩き始めた。

「失踪者=巨大な虫という線で間違いは無さそうよ」

「やっぱりか。どうしてそう確信したの?」

「さっきの虫の死骸、首にペンダントをかけていたわ。チェーンはピンピンに張っていたから、あの姿で取り付けたとも考え難い。つけている状態の人間から変異したのよ」

「なるほどね」

「おそらく、失踪者の中か、もしくはこれから出る失踪者に『猫のぶら下がったペンダント』を持っている人間がいるわ。それがさっきの虫……多分女性だから『彼女』ね」

 琴葉がいうと、それに繋げるように、

「……ただ、欠落者の能力の正体が見えてこない」

「そう。それなのよ。さっきの虫を殺したときも、あの虫自体からは狂気を感じなかった。あれだけの変化をしてるのに、よ?」

 欠落者の異能が放つ『狂気』は主に、その能力者の感情が昂る時に多く放出される。感情、つまり能力者の根源的な欲求に直接繫がっているであろう『能力の発動時』こそが、もっとも多く放出されるのだ。

「虫にすること自体が欠落者の能力ならば、虫になった状態でも充分に『狂気』を感じる……?」

「ええ、そうよ。でも感じなかった。つまり、あの状態は能力者にとって、狂気を放出するに値しない状態ってことになるわ」

「そうか……それは些か奇妙だね」

 手を顎に当てて、少し俯きながら芥が言う。

 考え込むように顎を引いて、軽く握った人差し指と中指に乗せるようなその仕草が、琴葉は結構気に入っていた。

 芥の、実は鋭い視線が際立って、その憂いを帯びた表情がなんとも綺麗だと感じるのだ。

「人間を虫に変化させる能力……絶命した後も、虫に変化させ続ける能力。そのメリットは何だ? 虫にして殺すことが目的ではない。むしろ、死んでからも、虫であり続けることに意味がある……」

 芥は、ブツブツと呟き始める。

 これも、推理する時、深く思考する時の芥のクセだ。

 集めた情報、事実関係を元に羅列していき、時に逆転させ、否定し、ちぐはぐに繋ぎ直すことで、事件の本質を見ようとしているのだ。

「虫のまま……標本……でも、標本なら、人間の姿を集めそうなものだよな……」

 可能性を上げては否定、考察を繰り返す。

「……虫から戻らない。虫のまま。虫がベース……? 虫から、人間になる」

 そう口にした所で、芥はハッと顔を上げた。

「そうだよ。虫から人間になって、死んだからまた虫に戻った……」

「それじゃあ、虫を人間にする能力? ベースが虫ってこと?」

「これも仮説だけどね」

「虫を巨大化させて、人間に化けさせる……?」

 それでは、二度手間ではないか。そこまで段階を踏むことで、得られるメリットはなんだろうか。

「こういうのはどうかな?」

 芥は歩みを再開しながら、語り始めた。

「欠落者の能力は、虫を人間に化けさせる能力だとする。本当の目的は分からないけど、欠落者は自分の『駒』を各生活圏に送り込む為に、虫を使った。家族や学校、職場の一員に成り済まして、何かをしようとしてる、というのは?」

「所謂『虫使い』ってこと? それじゃあ、虫が変装……いえ、この場合は『擬態』と言った方が適切かしら。擬態した先のオリジナルの人間は、予め拉致や誘拐されて、処分されたということ?」

 そこまで言った後で、琴葉の頭を一つの可能性がよぎった。

 それはあまりに気味が悪く、口に出すのをやや躊躇うほどだった。

「それも可能性だね。それか……」

「待って」

 相槌を打ち言葉を続けようとした芥を琴葉は遮った。

「元の人間は、その虫たちによって、始末された……」

 無意識に直接的な言葉を避けてしまっていた。

 でも、それは良くない。ここは、あえてはっきりさせておく必要がある。

「その虫たちに、食い殺されていた、というのは?」

 琴葉はあえて、それ口にした。

 虫の中には、肉食の性質をもつものも数多く存在する。カマキリやキリギリス、ハンミョウにゴミムシ、アリにクモにトンボなどは、代表的な肉食の虫だ。

 巨大化したのなら、人間を食べてもおかしくは無い。

「虫がオリジナルを食べて擬態した、ということかい? でもその擬態も何らかの条件で解けそうになってしまって、どうにもならなくなった。それかもしくは、欠落者の能力に条件や欠陥があって、虫に戻る条件を満たしてしまった。それが『失踪』の真相……?」

 琴葉はゆっくりと芥に向かって頷いた。

 すると芥も頷き返す。

「ああ、大分しっくり来る感じになってきたね」

 芥の言う通りだが、そうなると今度は欠落者の動機が分からなくなってくる。何を欠落して、何を求めているのか。

「そこから動機を考えると、欠落者に多い思考回路から察して、その『過程』に意味があるのかも。『虫』という下等に見られ勝ちなものが人間大になること。それが人々の生活に紛れ込むこと。また、紛れ込んでいることに気付かないこと自体が欠落者の目的に繫がっている……この辺りが有力かな」

 それはつい先刻の自らの仮説を打ち消すような内容であったが、彼の今度の推測は、実に現実味を帯びているように思えた。

 そこまで論じたところで、立ち止まる。

 すでにそこは、琴葉のマンションの前に差し掛かっていた。

「もう少し、話を詰める?」

 芥は少しだけ考えて、

「そうしようかな」

 と答えた。

琴葉は促すように、彼をマンションへと招き入れる。別に珍しいことではない。

 芥は、琴葉が一人暮らしを始めた当初から、ちょくちょく来ては食事の世話などをしてくれている。

 だからかもしれないが、世間一般で言われるような、年頃の男女が同じ部屋に、という感覚が今ひとつない。

 それは極自然なことで、息をするように当然のことで、芥を自分の部屋に呼び、二人きりで過ごすことに、警戒や緊張など、特別な感情を抱くことは殆どない。

 それはきっと、芥も同じだろう。

「何か、作ろうか?」

 部屋に上がり、手を洗った芥が、勝手に冷蔵庫を覗きこみながら、そう言った。

 この部屋の冷蔵庫は、ほぼ彼の管轄下にある。

 料理の一切をしない琴葉にとって、冷蔵庫内の食料は調理前の無意味な未完製品であり、それ以上でも、それ以下でもない。

「うどんくらいしかできないけど、いいか」

「別に、私はなんでもいいわ。……というか、食べても食べなくてもね」

「ダメだよ。食欲は無くても体は栄養が必要なんだ。それで何回も倒れているだろう?」

 芥は、表情を変えずに、穏やかな声でそう言う。

 食欲の欠落。それが、琴葉の抱えるもう一つの欠落。食べたいと思うこと、空腹を感じることが、彼女にはない。

 琴葉の欠落は、睡眠欲、食欲であり、それはつまり『眠い』や『眠りたい』、『食べたい』という衝動はないが、眠らないと体は休まらず、食べないと栄養失調になる。

 そのために、定期的に無理やりにでも眠り、食物を摂取しなくてはいけないのだ。

「……そうだったわね。よろしく頼むわ」

 琴葉は素直に、芥の料理を食べることにする。

芥は料理が上手い。自身も一人暮らしで、自炊をしているということもあるけど、それ以上に、料理のセンスが抜群なのだ。

 琴葉は黙って、待つことにする。料理関係で自分に出来ることは、いずれ食べ物が運ばれてくるであろうテーブルを、台拭きで拭いておくくらいのことしかない。

 仕方なく琴葉は、芥の代わりに、先ほどまで行っていた欠落者の考察を再開する。

 芥は、欠落者の目的が、その『過程』にあるのではないか、と言った。

 虫を人間に擬態させること、もしくは人間を虫にすることで、『人間』を貶めているのではないか?

 確かに、欠落者が考えそうなことではある。

 では、人間を貶める理由は?

 虫の姿で絶命していることから、虫に価値を抱いているとは考え難い。それなら、どうして巨大化などさせた?

 あっちをとれば、こっちに矛盾が出る。

「私たちはまだ、何か重大な情報を、手にしていないのかもしれない」

 琴葉は、思わずそう呟いていた。

 香ばしいダシの匂いと共に、湯気の立つ丼が二つ運ばれてきたのは、その直後だった。

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