第2話
「『荒井浩太』私立東方院付属高等学校三年。『四條由梨』私立東方院付属高等学校二年……と」
早蕨(さわらび)芥(あくた)が読み上げる名前を、私は一人掛けのソファに座りながら聞いていた。
肘掛けに肘をついて、頬杖に首を少しだけ傾けて、芥を斜めに見ている。
ここは『柊骨董店』の二階の事務所の中の一部屋、資料室の中だ。
アンティーク調の木製の机と、それにあわせられた椅子。それらを囲うように本棚が置かれている。彼はその机に資料を広げながら、椅子には座らずに立ったまま話をしていた。
私の座るソファは、机と椅子の直線上の、入り口近くに配置されている。
「後は……」
芥が、その真面目で人の良さそうな顔に小さく微笑みを浮かべ、資料の続きを読み上げる。
彼はいつものように、何着か持っている黒のシャツに、ブルーグリーンのデニムという地味な服装をしていた。似合っているから構わないのだが、彼はお洒落というものにあまり興味がないらしい。
「『龍浪宗一』……か。彼は十七歳だけど、高校には行ってないみたいだね」
読み上げているのは、失踪者のリストだ。
警察が捜査していたはずの若者の連続失踪事件は、いつのまにやら『柊骨董店』の扱う特殊な案件にすり替わっていた。
もちろん、依頼は受けたのはこの骨董店の店主である『柊千亮』なのだが、当たり前のように、実際に調べるのは一応『弟子』である芥だった。
そして、私はその『お手伝い』とでも言うべきだろうか。
柊骨董店は、表向きはオカルトめいたアンティーク品を扱う、文字通りの『骨董店』だ。しかし、それがこの店の本当の仕事ではない。
この町で起こる、特殊な事件を、警察などから依頼を受けて、あるいはごく個人的な興味の元、介入して解決する。
それがこの店のもう一つの役割であり、むしろ本業なのではないかと、私は思っている。
「ねぇ、芥? 今回のその案件、本当に私達が扱うべき事件なのかしら?」
私が訪ねると、芥は視線を資料からこちらに移して、器用に片眉だけ上げて、肩を竦めた。
「さぁね? でも、先生が受けたってことは、間違いないんじゃないかな?」
「そうかしら? あの男はあれでかなりテキトーよ?」
彼が『先生』と呼び、私が『あの男』と呼ぶのは、当然、柊のことだ。
「ははは……確かにテキトーだけど、あの人の勘はバカにならないんだよ。それに、何らかの『痕跡』があったから、受けたんだろうしね」
芥はニコニコとしながら言った。
何がそんなに楽しいのか、甚だ疑問に思いながら、私は殆ど無意識に頬を膨らませた。
「痕跡ねぇ? 『欠落者』の? それとも『魔術』の?」
「前者だろうね。魔術が絡んでいる場合、先生はきっと一言言うはずだ」
私はそれに『ふぅん』と興味無さそうに頷いた。
柊千亮は、三十代後半から四十代くらいの、顔(・)は日本人男性だ。何故『顔は』などという言い方をしたかといえば、それ以外があまりにも日本人離れしているからである。
白髪とは根本的に異なる銀髪に加えて、青紫色の瞳。
背は百七十三センチの芥と五センチほどしか変わらないものの、ウエストの位置が高く、足が長い。
言葉は違和感のない日本語を操っているが、それが逆に違和感に思えるくらいに、日本人っぽくないのだ。
彼の正体を私達は知っている。
本名を、アルベルト・ジャナンハイム。
五百年前を生きた魔法使い。
黒の魔術を専門とした、当時は最上位の『極色』という位にまで登りつめた男。その辺のことは、詳しくは知らないけど、相当な魔法使いであることは確かなようだった。
それが魂やら記憶やらを『転写』した個体。それが、今の体、『柊千亮』なのだという。
そんな彼はこの町で骨董店を経営し、警察に捜査協力をしている。もちろん、有償で。
柊は、この町で多発している『欠落者』が起こす事件に興味を持っており、独自に研究をしているのだ。
その助手としてアルバイトしているのが、芥と私、という訳だ。
芥は、その呼び方からも分かるように、柊を師のように仰いで、教えを乞うているけど、私はその辺はどうでもいい。
私がこの骨董店で働く理由は、芥がいること、そして――、
効率よく欠落者に出会えるからだ。
「失踪の原因が欠落者の能力によるものだとすると、どういう能力だろう?」
芥が、資料に目を戻して、考え込みながら言う。
欠落者。
このワードを扱うには、少し説明を要する。
欠落者は、人間に本来備わっている五感や、喜怒哀楽、生きる上で不可欠なモラルや概念、価値観などの何かが『欠落』している。そして、同時にその代価として、特殊な異能を発現する。
そして、異能を発現した欠落者たちは、その力を使って、何らかの行動を起こす。
……己が欲求を満たす為に。
その殆どが、他者を傷つける行為である理由は、人間が本能的に闘争を望んでいるからであり、異能が攻撃に特化している場合が多いのもまた、同じ理由に帰結する、というのが、柊の観察研究から分かったことのようだ。
柊曰く、欠落者には必ず『殺人衝動』があり、その衝動の根底には『欠落』した人間的な何かを補填しようとする行為が歪んだ結果なのだそうだ。
まぁ、そのあたりに関しては、私もそれとなく心当たりがあるのだけれど。
それは良いとして――
「神隠し、のような力、かしら?」
失踪というのは、大凡が日常生活圏内から姿を消すことを指すが、いなくなった人間の陥る先のパターンというのは、数えるほどしかない。
一つ、死んでいて、死体を処分、隠蔽している。
二つ、見当もつかない場所に隠れている。
三つ、見つからない場所に隠されている。
一つ目は、三つ目と少し重複する部分もあるが、実にシンプルで分かり易い。
二つ目は、当人の意志で行っているので、その人の能力や意識、潜伏技術などに依存する部分が多い。その為なんとも言えないが、対象が単独で『逃げ隠れようとする』ことに関しては、見つけにくく厄介だ。
三つ目。第三者による、隠蔽。これには、拉致、監禁などが主となるが、生きているなら監視の隙を突かれることもあるだろう。死んでいる場合は、一つ目を参照、である。
と、まぁ、このどれかになる訳だけど、一つ目か三つ目の『隠蔽』に欠落者の能力が関わっているとなると、これはまさしく神隠しと類似した失踪となる。
「琴葉は、生きていると思うかい?」
失踪者の生存の有無を芥は私に問う。琴葉とは、私の名前だ。苗字は鷹ノ宮。この辺では、知らぬ者はいない富豪の家だけど、今の私は事実上血縁関係を切られている。その話は、長くなるから捨ておくとして――、
私は視線を一度芥に向けて、三秒ほど見詰めてから視線をそらす。フレアスカートの中で足組み替えて、頬杖をつき直してから、たっぷりと溜めを作った。
「……いいえ」
私は答えた。
「少なくとも、日常生活に戻れるレベルで生きている人間はいないでしょうね」
私は、自分のミディアムロングの銀髪の毛先をクルクルと指で遊びながら言った。
生きている、という定義にも色々ある。
生命活動をしている。
姿形を保っている。
五体満足である。
精神以外は健康体である。
細かく上げればキリがないが、通常「生きている」といえば、それまでの平穏な生活に戻れる、もしくは、何らかのトラウマやハンデャップは抱えるが、何とか生活ができる、というものレベルのものが上げられる。
そういう基準での話となると、欠落者の能力の犠牲になった失踪者たちは『生きてはいない』だろう。
「うん、僕も同じ見解だ。ほぼ確実に、もう死んでいるだろうね」
うんうんと頷きながら、淡々と口にする芥。
普段は道徳やら、モラルやら正義やらと口にする割には、意外にも冷たい口調でこういうことを言う彼の一面を、私は案外気に入っている。
「共通点はないのよね?」
「今調べている途中だよ。依頼が来てから、まだ三日だからね。流石に、この短期間じゃそこまで調べられないよ。せめて、死体があればもう少し分かっただろうけどね」
死体があることが、犠牲者の交友関係を調べるのにどう関わるのかは知らないけれど、彼には独自の情報網と追跡能力がある。
そういう変に器用なところが、彼の長所でもあり、欠落者関連の事件に首を突っ込めるきっかけとなってしまっている。
私としては、彼にはあまり、この手の依頼に関わらないで貰いたいのが本音だった。
関わり過ぎると、戻れなくなる。
私のように。
「でも、なんだか、妙な感じがするんだ」
「妙?」
「ああ。ただの失踪事件ではなくて……もっとこう、なんていうか、重大な事件の前触れのような……」
「それは欠落者が単純に関わっているだけの案件ではないってこと?」
私が聞くと、彼は「うん」と真面目な顔で首肯する。
「あくまで勘だけどね」
芥が言い終えたタイミングで、彼のスマートフォンが鳴った。
彼は私に小さく合図して、電話に出る。
私はその会話を聞かないように、席を立った。自分もまた、彼に『下に行っているから』とジェスチャーをした後で資料室を出て、扉を閉める。
ついでにトイレにでも行こうかと、一階の骨董店に顔を出すと、丁度柊が、席を立ってこちらに向かってくるところだった。
「やぁ、琴葉ちゃん。今、資料室に向かう所だったんだ。少し話があってね。……失踪事件の考察は終わったのかい?」
渋く黒味かがった銀髪を綺麗にオールバックにした中年の男性が、紫色の目を笑いの形に細めて、問いかけてくる。私の髪がアルビノのような白に近い髪色であることに対して、彼の髪はダークグレーのような燻した銀色だ。
因みに言っておくと、私の髪は染めている訳ではない。ある時突然、色が変わり始め、それ以降綺麗な銀髪が生えるようになったのだ。
「多分死んでる、ってところまでね。詳細はこれから、芥が調べるわ」
「君自身はあんまり興味なしってところかな?」
「そういう訳ではないけれど……失踪そのものに、狂気を感じないのは確かよ」
「ふぅん……」
柊は、ワザとらしく頷いた。
「それじゃあ、そんな退屈そうな君には、新しい案件を提供しようじゃないか」
「別の依頼?」
「そうだよ。失踪事件とは別件。こっちの方が……うん、不気味かな?」
『不気味』の部分だけ、いやに真面目な顔で眉を顰める柊。
「不気味ってどういうこと?」
「そうだなぁ……琴葉ちゃんは、虫は好きかい?」
「嫌いね」
「そうだろうねぇ。元々の君も、虫は大の苦手みたいだったしね」
柊は楽しそうにそう言った。
『元々の君』――。
それは私の『欠落』とも直結する話。
欠落者の異能には、同じように『欠落者の異能』でなくては、大抵の場合、対抗できない。
そんな欠落者を相手どって調査や拘束、殲滅をしている私が、例に漏れず欠落者であることはある種の必然だ。
私の欠落は『存在』……私は、私という人間を、人格を、欠落し続けているのだ。
私は『欠落』した日から、別の誰かになってしまった。
口調も性格も、それまでの鷹ノ宮琴葉ではなくなった。その感覚は間違いなく『喪失』であり、『損失』であり、『欠落』であった。
「それで、虫がどうしたというの?」
私は柊に、話の続きをするように促す。
「西区の裏路地で、長さ五十センチほどの『節足』が見つかった。足だね。虫の」
柊の言葉に無言で頷く。
「あたりにはもう一本、それよりも少し長い節足と、縦が一辺、一メートル弱の大きな外殻……小楯板の部分によく似たものが見つかった」
「小楯板?」
「ああ、カブトムシやクワガタの羽がしまってある部分の殻のことさ」
私は「ああ……」と納得の相槌を打つ。
「人間大の昆虫ということ?」
「そういうことだね。損傷が激しく、全部のパーツがないので、なんともいえないけどね。それに、現時点では『虫』か『昆虫』かも判別できていない」
「気味の悪い話ね。でも、それは私達が担当する事件ではないのは? 地質学者や生物学者に任せておけばいい話でしょう?」
私はわざと、意地悪く言った。
「そうしたら、その研究者達は数日後には、全員揃って死体になっている可能性が高いだろうなぁ」
「どういうこと?」
「そういうことさ」
柊は何も説明せずに、肩を竦めた。
私は、溜め息をついて刹那に思考を廻らせた。
この事件が本当に欠落者の起こしたものだとして、可能性は幾つか存在する。
まずはこの『巨大な虫』が欠落者であり、虫化することが異能である場合。
そんなことをしてどうするのか、などということは、先に考えない方がいい。
何を欠落するか、何を信条にしているか、価値観や主義、トラウマによって様々な能力が発現する欠落者の異能は、どんな力が発現しても不思議ではない。一見意味の分からない力も多数存在するという。
だが、私はこの可能性をすぐさま打ち消した。
この場合、すでに事件は解決してしまっている。
事後報告や調査が骨董店に舞い込んでくることはあっても、私達に――特に『私』あてに来る依頼ではない。
と、なると。
その他の可能性は、少しばかり複雑だ。
現在も逃げ延びている犯人がいて、人を虫に変化させる能力だった場合。欠落者は何らかの欲求を満たす為に、人を虫に変えている。その結果、虫に変えられた人間は何らかの作用で死に到った。おそらくは、他者によるものではなく、自害かもしくは、自然に死亡した、と考えるのが妥当か。
これだけの肉体変化だ。
よほど『理に適っている』能力か、もしくは『絶対干渉』でもない限りは、異能という非現実と、ありのまま現実に差がありすぎて、生命活動を保持できないだろう。
『絶対干渉』とは、異能の中でも更なる特殊な性質のようなもので、例えば『何かを切る』という異能があったとしよう。従来、切れないものは確実に存在し、切れるものと切れないものがある訳だが、その『切る能力』が絶対干渉の性質をもっていた場合、どんな物でも『切る』ことができる。それはいわば、世界のあらゆる物体、事象、現象に『切る』という概念を無理矢理ねじ込むことができる。それが、絶対干渉と呼ばれる性質である。
次の可能性としては、虫を人間に変化させる能力。
虫を巨大化させ、人間の大きさにする異能があれば、同じく巨大な昆虫は出来上がる。
だが、こちらも現実との差を越えられずに自壊する可能性が高い。
他にも幾つか可能性はあるが、どれも似たり寄ったりの感じがして、私はそれらを一旦頭の奥に仕舞い込んだ。
どの道、一つ言えることは……
「大元の能力を持つ欠落者は存在していて、今も逃げ延びている、ということよね?」
「ああ、その通り」
柊が嬉しそうにニヤリと笑う。
その異能の主。欠落者を探せというのか、と私が言おうとしたところで、二階から足音が近づいてきた。
「琴葉、ちょっと出かけてくる」
その主は当然、芥だ。
「失踪事件関係かい?」
「はい、失踪してる少年、少女達について詳しく知っているという人物とコンタクトが取れたので、行って来ます」
「ほう……警察の一次捜査では見つからなかった被害者の関連性をもう調べ上げたのか?」
「その確証を、今から聞きに行って来ますよ。コミュニティの面子を隠す、なんてことは、高校生にはよくあることですからね。最初の聞き込みや表面調査では、出てきにくいものです。だからこそ、深く何重にも疑うのは当然ですよ」
そう言って、芥が出て行こうとすると、
「ちょい待ち」
「はい?」
「琴葉ちゃんにも頼んだんだが、芥。君にも伝えておくよ」
そう言って、柊はクリアファイルに入った資料を芥に渡す。
そのクリアファイルが、どこから出てきたのか、いつ手にしたのかは分からない。確かに、ついさっきまでは持っていなかったはずなのに。
「次の依頼だ」
「珍しいですね」
「最近妙に活発なんだよ」
この町には、欠落者が発生しやすい。それが欠落者を研究調査している柊の見解であり、彼がこの町を拠点にする理由でもあった。
どうにもこの町には、危うい人間の背中を押し、狂気に誘い率先して欠落者を作っている何者かがいるらしい。その詳細は本当に調査中なのか、実は知っていて黙っているのかは分からないが、そこから先は柊も離そうとはしない。
「こっちも調べてくれ。琴葉ちゃんにはもう話した。こっちの主な調査は、彼女に任せるといい」
柊は、芥にそう言うと、私を少しだけ見た。
「確かに、失踪事件の調査よりは、私向きよね。大きな虫探しは」
「虫? カブトムシでも捕まえて売るのかい?」
冗談なのか、本気なのか、そんなことをいう芥を私は一瞬だけ睨んだ。
「……冗談だよ。『巨大な虫』だろう?」
「知ってるの?」
「いいや。ただ、最近中高生の間で流行っている都市伝説に、同じ内容のものが数多くあってね。ここ数週間で急激に広まったものらしいから、欠落者との関係を疑ってね。少しアンテナを張り巡らせておいたんだ」
何食わぬ顔で、言ってのける芥。
「柊、あなたの弟子は気持ちが悪いくらいに勘がよくて、優秀なようね?」
「そのようだ」
柊がまた、肩をすくめるジェスチャーをした。
「私に対しても、その『勘の良さ』を発揮してもらいたいものだわ」
「琴葉に? どうしてさ? 君は確かに危なっかしい子だけど、警戒するほど物分かりが悪くないって僕は思っているよ」
至って真面目な顔で答える芥に、私は深刻な溜息をついた。
「あなたって、本当に、器用なのか不器用なのか分からない人ね」
私の言葉に少しだけ、首を斜めに傾け、思考しようとした芥だったが、それを中断したのが、表情から見とれた。
「まぁ、一先ずこっちも同時に調べてみるよ。琴葉、詳細がわかるまでは君は待機していてくれ」
「どうして?」
「調査は君の領分じゃない。適材適所で動いた方が、効率がいいだろう。わかったらすぐに連絡するから」
そういう芥の表情は、どこか優しげで、まるで妹を心配する兄のように思えた。そして、私は、彼のそういう表情に、どういう訳か弱いのだ。
「わかったわ」
私は答えて、一階の骨董店から出て、再び二階の資料室へとむかった。
理由はもちろん『待機』するためだ。
トイレに行こうと思っていたことを思い出したのは、その数分後のことだった。
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