第5話 徹の義足

 聡の言う外出禁止は冗談ではなかった。

 家の戸に新たに外側から鍵を開閉する錠前が取り付けられていた。

 錠前は釘を打ち付けて、引き戸と壁を繋いでいる。指三本分はかろうじて開くのだが、それ以上は鍵で解錠しないと開かない。


「兄さん、鍵までかけなくてもいいんじゃないの? 兄さんだって動くのは大事だっていつも患者さんに言ってるだろ」

 徹は帰って来た兄に愚痴を言った。


 聡が仕事に行っている昼間、徹は筋力が落ちないように、柱を使って懸垂をしたり、弾力性のある布を使用して下肢の運動をしたりと鍛錬に勤しんでいる。

 余念がないというより、他に出来ることがないのだ。


「外出禁止って言って、徹が言いつけを守るとは思えないよ。平気で外に出て転ぶのが目に見えている」

「う……それは……」


 否定出来ず、徹は苦虫を潰したような顔をした。

 現在徹は杖で体を支えながら、生活をしていた。試しに昔使っていた木製の義足を装着してみたが、背が伸びたのもあり、今の足に合わなかった。


「外出禁止令っていつまで?」

「その言い方、反省してるのかい?」

 聡はじとっとした目つきのまま、首を斜めに傾ける。

「違うって。反省してないわけじゃなくて、義足でまたお金がかかっちゃうから、早く働かないとって思って」


「お前は心配しなくていいんだ。俺のせいで辛い思いをさせてしまったから、本当にこれ以上の怪我をしてほしくないんだ」

「俺、足を失ったのは兄さんのせいだって思ったことないよ」

 すると聡は声をあげた。


「嘘だ! 昔、そう言ったじゃないか!」


 その声はあまりにも悲痛な響きをしており。徹は思わず言葉を失った。

 パイプから吹き込む風の音だけが聞こえる。


「え……」

 しばしの間の後、徹は恐る恐る尋ねた。

「昔って、いつ……?」

「歩く練習を、嫌がった時……」


 徹は記憶を遡る。確かに義足で歩く練習がすごく嫌だった時期がある。

 痛いし、上手く歩けないし、何よりも他の人とは違う、というのが徹にとってすごく嫌だった。


「言ったお前は忘れても、言われた方はずっと忘れられないんだ」

 その言葉が、徹の心に突き刺さった。

 聡はしまった、というように目を泳がせる。


 そして吐き出してしまった感情を誤魔化すように、早口で話した。

「実はまたすぐ出かけないと行けない用事があるんだ。少し行って来る」



 一人になった徹は息を吐いた。

 確かに義足がすごく嫌だった。でも今は、他の人と違うけれど、元の身体よりもずっと自由に動くことが出来ると思っている。


 失ったものは戻らないけれど、新しく得られた世界がある。

 足を失ったことの辛さを否定するつもりはないけれど、前を向いて歩けるようになり、この広がった世界で自由に生きていきたいと思ったのだ。


 ふと土間の足元に、鈍く光る鋼鉄のものが置かれていることに徹は気が付いた。

 杖をつきながら寄って覗き込むと、そこにあったのは新しい義足だった。


「兄さんったらあんなこと言ってたのに……」

 徹は杖を離して、新たな義足を手に取る。

「これ、多分鋼上さんのだよな」


 鋼上とは知り合いの機械技師であり、精密で、精巧な義足を製作してくれる。

 鋼上氏作製の義足はいかにも機械らしい鋼鉄製の見た目だ。

 彼の作る義足は蒸気の圧を利用して、装着部位の筋肉の僅かな動きから連動する、動力義足だ。蒸気圧なので鋼鉄なのに軽く、踏み込んだ時の内転や外転のスムーズな運動を可能とする。


 専用の機器で蒸気を定期的に充填しないといけないが、それでも動きやすさは通常の義足の比ではない。

 本来ならば徹や聡がとうてい支払えない額の製作費がかかっている。

 それでも鋼上は、自分が好きで作っているから、蒸気機械への未来への投資だから、と言って必要以上の請求はしてこなかった。


 聡はそれがわかっているから、仕事を掛け持ちしているし、徹もすぐに働く道を選んだのだ。

 自分の足は、誰かの支えによって成り立っている。


 徹は布を左膝に巻いてから、義足を装着した。布は義足との接する面を保護するためのものだ。

「なんか……前より若干重い気がする。本当に若干だけど」


 ほんの僅かな違和感。何か新しい部品が入ったのだろうか。

 床と土間の段差に腰をかけて片あぐらをして、まじまじと義足を見る。

 足の裏側に薄い溝が入っており、踵にストッパーのようなものがかかっている。

 それを外して遠心力をかけるように足を上に向けて振ると。


 鈍い光沢のあるブレードが溝から現れた。逆向きに振ると、収納される。


「こんな機能付けてくれたんだ……」

 作ってくれたのは鋼上だろうが、発案者は聡なのではないか。そんな気がした。

 前にふざけて義足から刀みたいな刃が出てきたら格好良いのに、と徹が無邪気に口にしたことがあったからだ。


 徹は額を曲げた左膝に乗せて目を閉じた。

 心が痛いぐらいに伝わる。自分のことを一番に考えてくれていることを、言葉よりもずっと雄弁に感じる。


 そして徹は顔を上げると戸の正面に立った。

 引き戸を限界まで開けて、その隙間に向けて義足を思い切り振り上げた。


 鈍い金属の破壊音が響いた。


 ブレードの衝撃を受け、錠前が固定されていた釘ごと吹っ飛ぶ。

 乾いた地面に転がったことを確認し、徹は引き戸を思い切り開けた。

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