第4話 心配と束縛

 天井に吊るされた蒸気ランプの光が目に入った。

 首を動かすと、すぐ傍に座っている兄の聡が目に入った。

 彼は強張った表情だったが、徹が目を覚ましたことでほんの僅かに目元が緩んだ。


「すごく心配した……」

「ごめん……俺、どうなったんだっけ?」

 見ると自宅の平屋にて、いつもの薄手の布団に寝かされた状態であった。


「黒い服を着た人が、家の近くまで徹を運んでくれたんだ。群衆の中で転んだ子を助けようと、飛び込んだそうだね」

「そうなんだよ。つい体が勝手に……」


「そうまでして、正義の味方になりたかったのかい。機関の人みたいに」

 兄の固い声音に、徹は瞬いた。

「兄さん?」


「もし傷を受けたのが義足の方じゃなかったら、命だったら、目を覚まさなかったら、と色んな考えが思い浮かんで気が気じゃなかった。……俺を一人にさせないでくれよ」


 その瞳があまりにも不安げで、徹は手を伸ばそうとしたが、ふと布団の下の手足が上手く動かないことに徹は気が付いた。

 足はわかる。あの争いの中、義足が壊れてしまった。だから外されたのだろう。


 だが手が動かないのは何故だ。なんだかひやりとした固いものが、手首に当たっている気がする。徹は右足を使って布団を跳ねのけた。

 そして視線を下ろした徹は目を見張った。


 手首に金属製の手錠が付けられていた。


「……この手錠、何?」

「もう危ないことしないって約束してくれたら、外すよ」

 聡は恐ろしいほど静かな声音で言った。

「はあ⁉ それを約束させるために手錠つけるなんて、無茶苦茶じゃない⁉」

 徹は声をあげて反抗したが、聡の目は真剣そのものだった。

「無茶苦茶じゃない。本当に心配だからだ」


「俺だって危ないことをしたくてしているわけじゃない。でも、譲れない時だってある」

 徹は自分の思いを訴えた。

 機関に入りたいことも、助けたいと思ったことも、自分に嘘はつけない。


「俺も譲れないんだ。俺は、絶対にお前だけは守ってみせる。お前が望んだ方法ではなかったとしても……!」

 ずい、と聡は近付く。


 徹は身を捩ろうとして、何故か足の左側に痛みが走った。

 幻肢痛だ。義足をつけていないと、徹はこの痛みに苛まれた。

 切った箇所が痛いのではない。存在しないはずの下肢が痛むのだ。

 特に心理的な負荷がかかるほど、その痛みは現実の痛みとして徹を襲った。


 幼い頃、徹は兄と遊んでいた時に、倒れてきた木材の下敷きになり、その時の傷が原因で感染症を引き起こした。

 高熱にうなされた徹は、薬を買うことも出来ず、足が少しずつ変色していくのを為す術なく見ていることしか出来なかった。


「痛むのかい? 大丈夫、また義足を新しくして、今までどおりの生活をすれば痛みはとれるから」

「…………」

 黙り込む徹に、聡はぽん、と頭に手を置いた。

「お水、飲む?」


 水瓶に入れていた水を柄杓で汲み、空欠け茶わんに注ぐ。そして茶わんを持って、徹の傍に寄った。

「このまま手錠、外せなかったら兄さんも困るんじゃないの?」

「別に今ここで徹に手ずから飲ませてあげてもいいんだよ。……そういうのは仕事で慣れてるからね」


 理学療法士の仕事は、その人が日常生活を送れるよう、義手義足の練習に根気強く付き合うことだ。

 徹は少し想像してみたが兄に世話されることに抵抗感を覚え、くっと歯を食いしばると観念した。


「悪かったよ! 危険なことには首を突っ込まない。だから、外して下さい」

「まったく……言っておくけど、しばらく外出禁止だからね。どちらにしろその足では、当分どこにも出られない」


 聡は針金を使って手錠を外す。

 自由になった手で、徹は水を一気に飲み干した。解放感と疲れた体に水分が染み渡った。

 けれど、今のやりとりで心はどっと疲れた気がした。

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