第3話 ウィザックの店

 徹の朝は早い。日々の生活費を稼ぐために、新聞配達で市内を駆け回っている。

 朝刊が終われば僅かな昼休憩がもらえ、ほどなくしてすぐに夕刊を配り回らなければならない。


 舗装された石畳の道に、山高帽や外套をまとった男性もいれば、縞木綿の着物姿の年若い女性、洋装に似た鮮やかな色合いの服を着たウィザックと、多種多様な人々がせわしげに行き交っている。


 新聞を配ってようやく一息ついた徹は、人通りのある道を流れるように走る九繰の姿が目に入った。

「九繰──?」



 その騒ぎはウィザックの店が比較的多く集まる、西洋料理店の前で起こっていた。

 徹はその店を見て、「んん?」と首を傾げた。確か前に近くを通った時は、カフェだったような気がする。

 飲んだことはないが、コーヒーとやらのコクのある豊かな香りがふわんと鼻についたものだ。今は食欲をそそる肉汁あふれる香りが立ち込めている。


 ガラスがはめ込まれたアーチ型の窓からは、店内に客──少なくとも中流階級以上の日本人やウィザックがいる──が食事をし、それなりに繁盛しているのが見てとれた。

 だが店の前は物々しい雰囲気であった。


 店の前には主人らしきウィザック、そして特徴的な制服を着た機関の人間がいた。

 一人の女性が鋭い眼差しで店主であるウィザックを睨みつけている。

 烏の濡れ羽色のような艶やかな短髪で、国際異星間交流管轄機関の制服姿だ。

 白を基調とした布地に襟元の赤いライン、腰には歯車の型が嵌められたベルトをして、軍帽とブーツを身に付けている。


 九繰が傅くように膝を立て、彼女の指示に従って頷いた。

 真一文字に結んでいた女性の紅色の唇が開いた。そしてその優美な見た目に反して想像以上のきつい声音が発せられた。


「貴様、性懲りもなくまたしても産地偽装の料理店をしていたのか!」

「えっ、何でこんなに早くバレたんだよお!」


 対してウィザックは、人間でいうと三十代ぐらいの男に見えた。茶色のスポーツ刈りに、面長の顔立ちに目が細い。中肉中背。洋装のエプロンを腰につけており、胸にコアが見えた。


「まだ店が始まって十日と経ってないんだよ。見逃してくれよお」

「良いわけあるか!」


 ようやく表の騒ぎに気付いた客らが、機関の人間が店の主人を何かの罪状で咎めていることに気付き、ある者はいそいそと建物から逃げたり、ある者は野次馬の一人に加わったりしている。

 徹も集まった人の群れの一人になり、様子を伺っていた。というのも、機関の実際の仕事ぶりをもっと見てみたかったからだ。


「こちらに同行してもらうぞ。逃げるなら実力行使をさせてもらう」

「ヒイィ‼」


 女性の刀を手にかけたことに怯え、ウィザックが炎を出現させた。

 それに気付いた店内および店の周りの野次馬が一斉に悲鳴を上げた。

「うわっ」

 さすがに徹も驚いた。宇宙人は魔法を使う、と聞いていたがあんなのを簡単に出されたら、本能的に恐怖や危機を感じる。


「逃がすか!」

 機関の人間が動き出し、周囲の人々は逃げ出した。

 ウィザックの炎が無秩序に舞った。一つ一つの威力は強いわけではないが、四方から脅かすように現れる。

 女性が刀を抜き、九繰は苦無を構えると、火の玉を両断しかき消す。


 ふと逃げ惑う人の中、一人の幼い女の子が転んだことに徹は気が付いた。逃げ惑う周囲に恐怖を覚えたのか、起き上がれずにわんわんと泣き出す。

「危ない!」

 徹は女の子の方へ駆け寄った。五歳ぐらいだろうか。木綿の着物を身に付けたおかっぱ頭だ。親とははぐれたのか。

「大丈夫か、早くあの路地裏へ」


 しかし徹の背後に強烈な爆風が駆け抜けた。

 ウィザックが小麦粉の粉をばらまき、火を放ち、粉塵により爆発が引き起こされたのだ。

「っ!」

 思わず目を閉じた瞬間、左足に衝撃と金属の砕ける音が響いた。

 痛みというより骨にずん、と響くような感覚だった。同時に蒸気圧が急激に漏れる音が聞こえる。


 目を開けて見ると、苦無が義足に関節部位に突き刺さっていた。九繰のウィザックに向けて投げた苦無が、爆発のせいで義足の関節部位に突き刺さったのだ。

 ウィザックが火力を調整していたのか、周囲の建物に被害はない。だが、もうもうと辺りは白と砂煙が立ち込めていた。


 女の子を少しでも安全なところに逃がすため、徹は壊れた足を引きずった。だが、均衡がとれずに勢いよく倒れ込む。

 徹は女の子の背中を押した。あの建物と建物の隙間なら、幼い子どもなら入れるだろう。


「早く隙間に隠れて!」

 女の子が頷きながら言われた通りに姿を隠したのとほぼ同時に、後ろで再度、もう一度大きな爆音がした。舞っている塵のせいで、うまく呼吸が出来ない。

 逃げようにも片足が重くて、思うように動かない。徹は激しく咳き込む。

 吸おうと思えば思うほど、呼吸の仕方がわからなくなり徹は灰塵の中、意識を失っていった。


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