第2話 兄の反対

 廃棄された金属を重ねて、建増しした平屋の一角が、貫井徹と兄であるさとるの居住区であった。

 風の通りも悪く、近場の蒸気の熱も漂うため、この時期は熱がこもりやすい。そこで蒸気の熱を冷やして、自宅内に通じるパイプから冷風が吹き込むようになっていた。


「ただいま。あ~、徹の笑顔見たら、一日の疲れが癒される……!」

 そんな言葉と共に帰還した聡は、糸目に近い目元を和ませた。

 端整な顔立ちをした柔和な雰囲気の青年だ。肩ほどの長さの黒髪を、横髪が邪魔にならないようにすくって後頭部で留めている。均整のとれた体躯に白い羽織をまとっていて、鈍色の袴をベルトで留め、ブーツと白手袋を装着していた。


「う、うん、おかえりー。仕事、大変だったの?」

 土間の奥で夕食の支度をしていた徹は声をあげた。


 白い羽織のせいか、聡は一見医者が技術職のような印象を受ける。それは半分当たっていて、半分ははずれだ。彼は理学療法士であり、整備士の見習いであった。

 理学療法士は病気や怪我で、日常動作が困難になった人の運動機能を回復させるのが主な仕事だ。元々は徹のリハビリを手伝っていた延長で、仕事になったようなものだ。

 外した手袋には仕事で細かい義手や義足の調整をするので、油で滲んだ汚れが付着していた。


「まあそれを言うならいつも大変なんだけどね。でも大丈夫。徹が出迎えてくれるから、兄さん頑張れるよ」

(い、言いづれぇ……!)

 徹は思わず心の中で呟いた。


 今日出逢った九繰と機関の存在、助けられた徹はその強さや輝きに惹きつけられたのだ。

 だから兄に相談という名の希望を伝えようと思ったのだが。

 兄はとても徹のことを大切に想っている。二人の両親は既に亡くなっているため、六つ年上の兄が親代わりのように今日まで育ててくれたのだ。


 兄の様子を見て今日伝えるのはやめようか、と徹は一瞬考えた。

 だが、今日言わなければ明日も明後日も言いづらいだけなので、やはり今日伝えることに決めた。



「──え⁉ 国際……ええと、つまりは対異星人と交流する機関に入りたい?」

 案の定、夕食の席で伝えると聡は驚いて目を見開いた。驚きすぎて、彼の箸から沢庵が一切れころりと落ちた。


 本日の夕食は麦飯に油揚げを混ぜたもの、沢庵の漬物数切れ、芋の味噌汁だ。こぢんまりとした膳に乗せ、板敷きの床で向い合せになって食べていた。

 徹は味噌汁をずずっと啜った。そろそろ味噌がなくなりかけているので、味噌の香りは申し訳程度なのだが、これぐらいは我慢だ。


「うん。機関は普通なら学歴がいるんだけど、訓練生なら面接と課題をこなせばいいんだって」

 高等教育を受けていない徹にとって、この条件はとても魅力的であった。兄は進学など金銭的な工面は多少なら出来ると言ってくれたが、現実的にとても負担を強いることを徹はわかっていたのだ。


「でもあそこは誰でも入れる所ではなかったはず……訓練生ってまさか、軍事部?」

「まあ……ね」

「そうか……どうりで」


 眉を寄せて、聡は唸る。端整な顔立ちがものすごく渋面しているので、彼の考えていることが手にとるようにわかる。徹は利点を付け足した。

「機関に属せば、給金だって入るし、兄さんも俺の義足代に苦労しなくても済むだろ?」


 聡は理学療法士と整備士を掛け持ちして、色々な所に働きに行っているが、それでも暮らし向きは楽になることはない。

 理学療法士はまだ世間として認知度が低く、整備士は技術を身に付けるのに何十年とかかる。


「駄目だ。そんな危ないところ、兄さんは許しません」

 きっぱりと聡は言った。

「そんな結婚を反対する父親みたいな言い方しなくても……」

「俺が守ってやるから、お前は危ないことをしなくていいんだ」


「ああー! 兄さんの得意技の厳しいこと言ってからの優しく言うやつ! それでどれだけの患者さんを調教してきたことか! 常套手段じゃん!」

 徹は箸で兄の方を指す。聡は行儀が悪い、としかめっ面をした。

「調教じゃなくて根気よく寄り添うって言うんだよ。結果、上手くいくようになったじゃないか。お前も、患者さんも」

「ぐうう……」


 一応、仮にも相手は社会の荒波を渡り歩いている大人だ。徹は作戦を切り替えて、情に訴えることにした。

「俺は兄さんがくれたこの足で、見たことのない景色を見たいんだ」

 しおらしく下から見上げるように徹は言ってみる。


「うん、その口を一旦休めようか」

 聡は右手を伸ばし、徹の両頬をむにっと挟んで圧をかけた。笑顔が怖い。やはりそんな簡単に頷いてはくれない。

「とにかくこの話はもう終わり。兄さんも疲れちゃったから」

 聡はそう言うとさらさらと残りを食べ終えて、膳を下げた。


 徹は眉根を寄せながら、かつかつと残りの麦飯をたいらげる。

 徹も何故兄が反対しているのかわからないわけではない。


 聡は徹の足を失ったことを、自分のせいであるとずっと責任を感じているのだ。

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