第5話 杉原太郎教頭
藤原先生と階段を降りて、そのまま廊下を歩いていく。教頭先生からの呼び出しということで、僕は段々と緊張してきた。
教頭先生は、僕たちの国語の先生でもある。正義感の強い性格で、何かあっても迅速に対応してくれる人だ。話の内容が今回の件だったら、具体的な対処法を示してくれるだろう。
藤原先生の後に続き、廊下を右に曲がる。職員室の扉の前に、教頭先生が立っているのが見えた。どうやら僕が来るのを、ずっと待っていてくれたようだ。
「教頭先生。しんたろー君をお連れしました」
「藤原先生。ご苦労だった」
教頭先生が腕組みをしたまま、藤原先生に言った。藤原先生がお辞儀をして、職員室の中へ入っていく。
教頭先生が、職員室前の椅子を二つ引く。そして右側の椅子を指差し、僕に座るよう促してきた。
「座りなさい」
「はい」
椅子に座り、筆箱を机の上に置く。すると教頭先生も、僕の隣に腰を下ろした。椅子に座って辺りを見渡した後、教頭先生は僕の方を見た。
「実は昨日、私も藤原先生からお話を聞きました。川原君が、吉原君と倉田君の三人で、三組の山中君の財布を盗んで川に捨てたみたいやね」
教頭先生がいきなり本題に入った。やはり話の内容は、川原純也のことだった。僕は先生の目を見てゆっくりと頷く。
「先生も話を聞いた時、とてもショックでした。二十一期生の子たちは、どの学年よりも思い入れがあるけんな」
教頭先生が、窓から見える中庭へ視線を向ける。何か言い出しにくそうな顔をして、再び僕の方を見た。
「だがあの子たちは、私の期待を裏切り、立派な犯罪を犯してしまった。しかし私は教師として、被害者である山中君と、加害者であるあの子達の双方を守らないといけない。そこでしんたろー君……大変言いにくいんだが、今回の件はどうか目を瞑ってくれないか?」
教頭先生の最後の言葉に、僕はとても困惑した。確かに先生は、被害者と加害者の双方を守らなければならない。どちらも同じ生徒だからだ。
だが加害者である彼らは、犯罪を犯している。大人なら実名で報道される程の重さだ。それにもかかわらず、それが今許されようとしている。僕は一気に複雑な気分へと突き落とされた。
「先生も、この決断を下すのにかなり悩んだ。何度も言うが、彼らは立派な犯罪を犯している。大人の世界では絶対に許されんことだ」
教頭先生が下を向き、固く目を瞑る。そして深刻そうな表情を浮かべ、再び僕の方を見た。
「だがその一方で、川原君は家庭環境が複雑なんだ。お父さんがおらんけん、お母さんと二人で暮らしとるんや。あの子もそれなりに問題を抱えとんやと思う。そのことも考慮して、今回の結論に至った。だからしんたろーくん、どうか受け入れてくれないか……?」
教頭先生が座ったまま僕に頭を下げてきた。正義感の強い人が、考え抜いた末で出した決断だ。そう思った僕は、完全には納得できていなかったが、受け入れようと思った。
「分かりました。今回の件は、水に流そうと思います。今後また何かあったら、相談させてください」
「ありがとう。もちろんだ。また何かあったら気軽に相談してくれ」
「はい。ありがとうございます」
僕が頭を下げながらながら言うと、教頭先生は腰を上げた。僕も筆箱を手に持ち、ゆっくりと立ち上がる。椅子を元に戻して、教頭先生の方を見た。
「では教室に戻ります」
「朝早くからありがとうな」
「いえ。こちらこそありがとうございました」
教頭先生に再びお辞儀をする。そして僕は、やや急ぎ目で教室へと戻っていった。
結局彼らは、許されることになった。そのことを改めて実感した瞬間、自分のしたことは何だったのだろうかと思った。やはり理不尽だと思う気持ちが、ふつふつと湧き上がってくる。
これが大人の世界なのかもしれない。今までにこんな理不尽を経験したことがあっただろうか? 一生懸命振り返るが、今回の事件が初めてだった。
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