第2話 密告

 朝読書開始の五分前になった。そろそろ先生が来る。川原純也、吉原琢磨、そして倉田祐飛は、既に自分の席に腰を下ろしていた。


 他の子たちも自分の席に着いている。だがまだ、西松さんが教室に戻ってきていない。トイレにでも行っているのだろうか? 僕は気になったが、西松さんがいないことで、より先生に言いやすくなると思った。


「おはようございます」


 するとその時、先生が教室に入ってきた。先生の名前は藤原倫人ふじはらのりと。高校一年生の時から、担任はこの人だ。若い男の先生で、眼鏡をかけている。


 僕は覚悟を決めて椅子から立ち上がった。そして藤原先生に、ゆっくりと近づいていく。


 近づいていくと、藤原先生と目が合った。もう逃げられない。自分の心臓の鼓動が、段々と早くなっていった。


「先生。あの、ちょっとお話したいことがあります……」


 僕が小さな声で言うと、藤原先生は少し驚いたように目を見開いた。だがすぐに、頷いてから廊下の向こう側を指差した。


「分かった。そこの進路資料室へ行こう」


「はい。お願いします」


 早速話を聞いてくれるようだ。僕は返事をしてから、丁寧に頭を下げた。すると藤原先生は、僕に頷いてからみんなの方を見た。


「チャイムが鳴ったら、いつも通り読書を始めるように。いいな?」


 藤原先生はみんなにそう言い残し、僕に手招きした。そして教室を出ようとし始める。僕もその後ろを、静かに付いていった。


 教室から出る途中、川原純也の席の前を通った。彼は何も知らない様子で、読書の準備をしている。僕はその様子を横目に、教室を出た。


 藤原先生が、進路資料室のドアノブを回す。そしてゆっくりと扉を開けた。先生が入っていった後、僕も続いて中に入った。


 室内の空気が籠っている。そのせいで、若干鼻がムズムズした。すると藤原先生が、部屋の扉をゆっくりと閉めた。


 外の音があまり聞こえてこない。気密性の高い部屋のようだ。少しだけ部屋を見渡していると、藤原先生が手招きをしてきた。もう少しだけ中へ入るよう、僕に促してきているようだ。


「話ってどした?」


 部屋の中央まで行くと、藤原先生が僕に聞いてきた。ゆっくりと顔を上げ、先生の目を見る。


「それが、つい先程聞いた話なのですが……。川原君が、吉原君と倉田君の三人で、三組の山中君の財布を盗って川に捨てたみたいです」


 藤原先生が目を見開いた。非常に驚いたのだろう。僕はそんな藤原先生から目を反らした。何故か僕が、先生に迷惑をかけているかのような気分だ。


「それは誰から聞いたん?」


 藤原先生が、落ち着きを取り戻した様子で僕に聞いてきた。心臓の鼓動が再び早くなる。僕は最後の勇気を振り絞るため、左手を握った。


「西松さんです」


 言い終えた後、緊張がピークに達したのか、一瞬だけめまいのような感覚に襲われた。藤原先生が口を開けたまま、再び目を見開く。


「それは学校に来てから西松さんに聞いたん?」


「いえ。今朝西さんと、一緒に登校しているときに聞きました」


「……そうか」


 藤原先生が腕組みをする。そして非常に困ったような表情を浮かべた。どのように対処すれば良いか、必死で考えているのだろう。僕はそんな藤原先生を茫然と見ることしかできなかった。


 藤原先生が、腕組みをしたまま固く目を瞑る。そして何か納得したように頷いてから、と目を開けた。


「とりあえず、川原君と吉原君、そして倉田君の三人に直接話を聞いてみる。学年主任の先生にも伝えて、対処していくことにしよう。教えてくれてありがとう」


「あ、はい。分かりました」


 僕が返事をすると、藤原先生は頷いた。表情はかなり深刻そうだ。その様子を見て、僕は再び罪悪感に襲われた。


「じゃあ教室に戻ろう」


「はい」


 藤原先生が部屋の扉を開ける。先に出るよう促されたため、僕は軽くお辞儀をしてから進路資料室を出た。


 進路資料室を出ると、皆が読書している様子が目に飛び込んできた。僕はなるべく足音を立てないようにしながら、静かな教室へ入っていく。


 僕を見てくる子たちの中に、西松さんもいた。西松さんが、疑っているかのような視線をこちらに向けてくる。僕は思わず、首を横に振った。


 そんな僕の様子を見た西松さんは、やはり疑い深い様子で本に視線を戻した。僕はため息が出そうになったが、思わずそれを抑える。


 本当にこれで良かったのか? それに西松さんに、後から恨まれやしないだろうか? 自分の席に着くと、僕は不安感が強くなってきた。

 

 だが悪いのはあの三人だ。僕は何も悪くない。僕はただ、事実を告げたのみだ。自分にそう言い聞かせ、震える手で机の中から本を取り出した。

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