第74話 溶けた氷と柔な感触
子供の頃、クラスの間で流行っていたゲーム機を買って欲しいと、ねだった時がありました。
もうどんなゲームだったか忘れましたが、クラスメイトに誘われたこともあってか、みんなの期待に応えようと父に思い切って相談したんです。
もうあまりにも昔の話なので、どうやって話を切り出したのか…どの場所で父と話をしたのかは覚えてはいません。ただ一つだけ覚えていることがあります。
一瞬、痛みが走りました。
乾いた音が鳴り響き、私の頬は鋭い痛みと共に熱を帯び始める…。
最初は何をされたのか分からないまま、頬に手を添えて…それから理解します。
私は父に叩かれたのだと。
父は酷く冷めた目で私を見下ろしていました、なんの感情もなく口を閉じて…ただただ無表情のまま私を睨んでいた。
その姿があまりにも恐ろしくて、あまりにも現実味を帯びていて…。
私はこの家に従順でいなければならないのだと、そう思ってしまった。
私は退屈な人間だ。
父を恐れ、言われるがままに結果を出して…大人になった今でも私は私自身を解放できない。
父は既にいないというのに、私は酒に逃げることしか出来ず…自分がしたいことを見つけられないまま幼少の頃に夢見た『普通』に焦がれる。
みんなと混ざってゲームの話をしたかった。
女の子らしく髪を伸ばしたかったし、本当は柳生家になんか生まれたくはなかった。
酷い言いようですが、私はそれを一生後悔したまま生きていく。
お嬢様達と一緒にいるのはとても楽しいのですが、それでも失った私の時間は誰も救ってはくれない。
私自身でさえも、誰も救うことはできない。
と、思っていたのに。
◇
「朧さん、私と…付き合いますか?」
喉が締め付けられる程に痛かったのに、言ってしまえばその苦しみは元々無かったかのか、するりと言葉を形作って声となる。
いつになく心臓が跳ね上がり、それでいて顔全体が熱を帯びてクラクラと眩暈を覚えます。
指先がチリチリとむず痒くなって、体感時間がいつもより長く感じてしまう…。
気付けば、私は朧さんに告白していました。
人生で初めての告白でした。人に好意を抱くなんてあるはずがないと思っていたが故に、私自身驚きを隠せないでいました。
でも、好きになってしまった。
朧さんに。
女性に。
「付き合うってそれ、恋愛的な意味?」
「…それ以外、他にありますか?」
「うーん…ないねぇ」
朧さんは私からの告白を受けても、そこまで表情は変わりませんでした。
少しだけ目を見開いて驚いている様子でしたが、彼女はすぐに嬉しそうに頬を緩めると顔を近付けて私の真意を聞き出そうとしてきます。
「なぁ、どうして急に?今までウチが言っても断ってたじゃんか」
「それは…今までは悪戯かと思ってまして」
「ひっどぉ、真剣だったんだけど?」
「だ…だって、私は今まで分からなかったんです。いろんな事に関わって来なかったから…朧さんの気持ちが理解できなかったんです」
でも、今は違います。
私は、嬉しかったんです。
諦めてたことを、無理矢理引っ張ってくれた。
私を…柳生家の人間ということを忘れさせてくれた。
「…朧さんといると、自由になれるんです」
真っ直ぐ朧さんを見つめながら、私の心は勝手に動き出して…勝手に言葉を紡いでゆく。
心臓は相変わらず痛みを発して、病気を疑う程に爆音を鳴らしている。
でも、その痛みがむしろ心地良くて…この痛みこそが感情の証明であり、今私は本当に彼女に恋をしているんだと胸を張って言える。
「口調も態度も気持ちも…あなたの前だからこそ、私は隠していた自分自身を曝け出すことが出来た」
「恥ずかしいですけど、文字通りの自由です…私、今までそれに気付けませんでしたが朧さんの気持ちを聞いてやっと気付けました」
「凛ちゃん…」
ぽかんと、唖然とした様子でした。
私がこんな事を言い出すとは思っていなかったのか、豆鉄砲をくらったような様子で私を眺めている朧さんを見て…私は思わず。
「ふふっ♪まぬけな顔ですね♪」
心の底から…笑いました。
「…なっ!?ま、まぬけって酷い言い方!って今凛ちゃん…」
「だって…あははっ朧さんってば、いつものニヤケ顔よりも、そのきょとんとした顔の方が似合ってるので」
ふふ、あははっ。
氷のような私からは考えられない、誰でも浮かべられる…なんてことない普通の笑顔。
でも、私は今笑えている。
あなたのお陰で、私は今笑っている。
「朧さん」
「む…なんだよ」
「そう怒らないでください」
「別に怒ってねぇ」
「ええ?明らかに怒ってますよね?だって頬がこんなにも膨らんで…まぁ、今はどうでもいいですね」
「ど、どうでもって酷い言い方だな!?」
うおいっとショックを受けた様子でツッコミを入れる朧さんを見ながら、私は先程の問いの答えを求めるように、彼女の手に触れる。
ふかふかのベッドに埋もれた、私より少し小さな手。
不良のような見た目ですが、その手つきは触れるだけで女の子なんだと分かってしまう…。
「り、凛ちゃん…なんか触り方大胆じゃない?」
「そ、そうですか?でも、すべすべだったので…良い手触りだなと」
「…は、恥ずかしい感想言うなよ」
「……/// そ、それよりも!どうするんですか!私と付き合いますか?それとも…付き合えないんですか?」
大胆に踏み込んで、彼女の答えを待つ。
朧さんは先程までの余裕とは打って変わって、しどろもどろになり余裕がない状態でした。
彼女の頬に仄かに熱が灯りはじめ、その瞳は右往左往とあっちこっちと移動しています。
「さっきまで、散々私にイタズラしてたのに随分と困惑した様子ですね?」
「そ、そりゃ…まさかこんなことなるとは、思ってなかったし……」
「…私達が大人と子供だから、返事が言い辛いですか?」
「凛ちゃんがそれ言うのかよぉ!…てか、キャラ違いすぎだろ!ぐいぐい来すぎ!」
「そうですね、確かに以前の私とは違います…ですが今の私は…あなただけしか見せない本当の私なんですよ?」
「…なっ」
「言ってたじゃないですか…私の笑顔が見たいって」
少し顔を浮かして、物理的に朧さんとの距離を縮める。
鼻先が当たるか当たらないかの瀬戸際の距離。少し大胆になった私は、恥ずかしさを覚えながらも「答え」を急かすように行動します。
「…朧さんとのデート、楽しかったです」
「夏祭りの時も…嬉しかった」
「……本当は未成年と大人がこんな関係を望むのはダメですが…節度を守れば、私達でも付き合えますよね?」
「〜!ち、ちかいって!」
「お嬢様達に比べたら近くないですよ?」
「あいつらはあいつらだからだろ!てか、ずっとこの体勢だと流石に…!」
「え?」
支えていた両腕が大きく曲がると、朧さんの身体が大きく揺れます。
そして体勢を元に戻せないまま、朧さんは流れに沿って落ちて行く。その進行過程に私がいて、私は朧さんに巻き込まれる形でそのまま押し倒されました。
確かな重みが私を襲う。
ほんの少しの息苦しさを覚えながら、私は身体全体にのしかかる重さとは別に、唇辺りに妙な感触が伝う。
それは暖かくて、柔らかくて…。
何が何だか分からない私は、その感触を探るように唇を動かします。
「…む!?んむむむっ!!」
その時でした、落ちて来た朧さんが驚いた声を上げながら急いで飛び上がったのは。
「え?」
同時に離れていく重さと、唇に伝った柔らかい感触。
なんとも言えない寂しさを感じながら、私は顔を真っ赤に燃やす朧さんを見て…気付きました。
「なにをそんなに慌ててるんですか…」
「いや、だって…こんなの、あわてるに…!」
「…?しかし今の柔らかい感触は一体……」
「…………も、もしかして?」
「は、はじめてだったんだけど…」
思えば、あの体勢で落下してくれば重なり合うのは偶然ではなく必然でした。
ならあの柔らかさがどの部位のものだったのか、考えてしまえばすぐに答えが分かってしまうもので…流石の私もすぐに答えに辿り着いてしまう。
…ですが、気付くべきではなかったと後悔するほどの……恥ずかしい答え。
「い、今のって…わ、わたっ…私達!」
唇に触れて、フラッシュバックするは先刻の柔肌と少し湿った感触…。
私の唇も少しだけ湿っていて…お互いが何をしたのか明白だった。
「き、ききき…キスしちゃった」
「〜〜〜〜っ!!」
※
柳生さんのキャラ変わってない?と思われますが。毒親にやりたいこと出来ないまま育って来たという過去があって、ただ笑顔が見たいからと言っていろんな景色を見せてくれる女の子に会ったら、歳下相手でも好きになっちゃうと思うんですというこの頃。
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