第73話 氷 溶ける


 天気予報は嘘つきだ。

 今日は雨が降らないとか言ってた癖に、急に雲が曇り始めて土砂降りが襲い始めた。

 せっかくデートだってのに、色々考えてたってのに邪魔されて嫌な気分になる。

 ちょっとした小雨程度ならまだ許せていた。でも全身がびちゃ濡れになるほどに酷いその豪雨に、ウチは恨み辛みを込めながら凛ちゃんの手を取って雨宿り先を探していた。

 そんな時だった、よく知る顔を見たのは。


「あら?朧ちゃんじゃない、随分と濡れてるじゃないの」


 雨宿り先を探してる最中、ウチの名前を名指しにして声をかけられる。

 声色からしておばちゃんと言ったところで、声と同時にウチは振り返るとそこには家の酒屋でよく見る常連客の顔だった。


「あ、ラブホのおばちゃんじゃんか」


 そのおばちゃんはラブホテルを経営している人だった。

 豪快な人柄で、とにかくテンションが高くてとにかく下ネタ連呼してる人。よくウチのお店に来てはいい酒を買って帰っていくので、よく贔屓している客だ。


「あーあー随分と濡れて…って、ほぉ?朧ちゃん随分といい子を連れてるじゃない?」


 ずぶ濡れのウチを心配そうに眺めていると、その隣に人がいる事に気付いたのかおばちゃんの視線はそっちに向く。

 するとニヤリとよからぬ笑みを浮かべると、ズカズカと近付いてウチの肩をどんと叩き始めた。


「朧ちゃんいい子を捕まえたねぇ!いっつも一人だから心配してたのよぉ!」

「へ?なんのこと……って、ああ凛ちゃんの事を見てそう言ってるわけね」

「…?どうしたんですか?」


 凛ちゃんは、パッと見てしまえばとんでもないイケメンだ。

 短く切り揃えた黒髪に整った容姿、それでいてスーツ姿となると…どこぞのイケメン執事かと勘違いしてしまうほど。

 だからこうしておばちゃんが凛ちゃんを見てご機嫌になり始めたのも理解する…だって彼氏と思われても仕方ねーもんな。


「あのさ、勘違いしてるとこ悪いけど…」

「あーあー!いいのいいの!どうせあの親父さんが付き合ってる事許してくれないんでしょ?あいつったら頑固だからねぇ…」

「あの、なにかよからぬ勘違いされてるのでは?」

「うん、してる…絶対してる」


 ウチらを横に勝手に想像膨らませてる。

 なんか勝手に話進められてるけど話聞いてくれなさそうだぞこれ。

 多分これ色々と巻き込まれそうな予感が…。


「あ、そうだ!今酷い雨降ってる事だし、ウチに寄ってきなさいな」

「ウチって…もしかして」

「そ、私が経営しているホテルよ朧ちゃん♪」


 ニカッと気持ちいいくらい良い笑顔と共に指差したのは、おばちゃんが経営しているラブホテルだった。

 おばちゃん…今すっごい勘違いしてるぞこれ。


「いや、そこまでされるのは…」


 内心焦るウチだったが、よくよく考えてみれば雨宿り先を探してたし丁度良いんじゃないか?

 別にあの金色とお嬢様みたいにラブラブしてる訳ではないし、別に今のウチらの関係は付き合ってる訳じゃなくて一方的にウチが弄ってるだけだし…?

 ん?なら別に断る必要ないな?アイツらじゃないし女同士でそうそう変な気はだろ。


「いや!丁度困ってたからありがたいよおばちゃん!」

「おおそうかい!ならお金のことも親父さんの事も気にしなさんな!私がぜーんぶ黙っといてやるからね!」

「おお、それはありがたい!じゃ、凛ちゃん了承貰ったことだし行こーぜ♪」

「いや、いやいや!朧さん待ってください!ら、ラブホテルですよ!?未成年が行っていい場所じゃないです!」


 いやいやいや!と慌てた様子で凛ちゃんがウチの腕を掴む。

 やけに焦った様子で止められて、新しい一面を見たウチは嬉しさのあまりに頬が緩んでしまう。


「え〜?だって丁度困ってたじゃん?」

「なっ、ですが明らかに今から行く場所は…」

「なあに揉めてるのさ!彼氏さんこういう時は日和らずにガンガン行くべきだよ!!なよなよしてると朧ちゃんに見捨てられるよ!」

「ほら、おばちゃんもこう言ってら♪」

「ですが流石にこれはダメです!てかなんで笑っているんですか!」


 だって凛ちゃんが可愛いから。

 屈託のない笑みを浮かべてそう言うと、凛ちゃんの頬が少しだけ赤くなる。

 その隙をついて凛ちゃんの腕を掴み返して、グイッと引っ張る。

 そのままおばちゃんが経営するホテルまで強引に連れて行くと、凛ちゃんは顔面蒼白になりながら悲鳴に近い声を上げていた。


「だ、だめですってこれは〜〜!!」



 朧さんは揶揄い上手だ。

 デート中もそうでしたが、今回の事もそう。

 私が少しでも隙を見せると、彼女はにんまりと悪戯っぽく笑って揶揄ってくる。

 所詮は子供のしていること…なんて割り切れる訳もなく朧さんに翻弄されるままに今…。


「…………」


 私は女子高生とラブホテルに居ます…。


「どうして、どうしてこんなことに…」


 そこは甘い匂いのする部屋でした。

 全体的にピンク色、二人がそのまま寝転んでも広さを持て余すベッドを真ん中にその横の棚にはいかがわしい道具が置いている。

 とてもではありませんが、未成年がいるべき場所ではありません。


 なのに彼女はこの部屋に入るや否や、楽しそうにはしゃぎながら濡れた身体を温める為にシャワーに行きました。

 自由すぎて逆に尊敬します…こんな状況で何も感じないのでしょうか?


「…ここが、どんなことをする場所かなんて分かってるはずなのに」


 最近の彼女の行動のせいか…一瞬、よくない想像が頭を過ります。

 それは言葉には出来ない恥ずかしい行為、でも今の彼女ならそれをしかねない…。

 だって私は朧さんに…結婚を申し込まれているのだから。


「…本当に冗談でもないんですね」

「……私のことが、本当に…嘘偽りなく」


 心臓が、なぜだか…痛い。

 どうしようもない恥ずかしさと、激しい胸の動悸に襲われて…私はベッドの上で蹲ります。


「…………お嬢様も最初はこうだったのでしょうか」


 蹲って、こてんとベッドに身体を預けます。

 思い返すはお嬢様のこと、最近になって変わったあの人は最初こそは私のようだったのではないかと思ってしまう。

 その時の私は無関心でしたから、あまり気にはしていませんでしたが……。


「こんなにも、こんなにも心が忙しないんですね……」


 跳ねたり爆発したり…感情を律する事が出来ません。

 本来の自分を忘れてしまうくらい、私は過去一番に振り回されている。

 台風とも思える朧さんはそんな私の心境をニマニマとほくそ笑んでいる頃でしょうね。


「…朧さんは、ほんとに」

「ん?ウチがどうしたわけ?」

「へっ?へひゃっ!?」


 ほんとに…と言いかけたところで、聞き慣れた彼女の声が私の思考を現実に引き戻す。

 すぐに意識を声の方へと持っていくと、お風呂上がりの朧さんが不思議そうな顔をして立っていました。


「へひゃって♪へぇ〜可愛い声出すじゃん?」

「なっ、それは朧さんが声も掛けずにそこにいたから…!」

「いや、だってもにょもにょと考え事してたから、邪魔しちゃ悪いかなって♪」

「悪意ありますよね!?尚更悪いですよ!」

「そんなわけないって、それよりさ一人だけベッドを独り占めはずるいんじゃない?」

「は?なにいって…って」


 にまっと口角を上げると、朧さんはベッドに上がって私に馬乗りするように乗っかって来ます。

 そして押し倒されるような形でベッドに寝転んだ私の視界には、相変わらずの悪戯な笑みを浮かべる朧さんでした。


「ウチも楽しませろよ♪」

「なぁっ…!」


 目を細めて私を見つめる朧さん。

 それはまるで獲物を狙い澄ますかのような鋭い視線でした。

 赤く染まった一房の髪が垂れると、朧さんは私の首元を目掛けて顔を近付ける…。


 すんすんっと、私の匂いを嗅いでいる。

 鎖骨から首、そして顎にかけて至近距離で嗅がれ続けていた私の顔は…とてもではありませんが冷静とは程遠い表情です。

 突然の行動に脳が茹だるような感覚を覚え、まとまった思考が出来ない。

 朧さんは満足するまで匂いを嗅いだのか、首から離れて私を見下ろします。そして、満足そうに笑うと煽るように言いました。


「ははっ♪凛ちゃんってば顔超真っ赤じゃねーか♪」


 そう言われると…顔が熱くて仕方ありません。

 全体的に熱っぽく、じめっとした空気が顔中に貼り付いているようなそんな感覚を覚える。

 心臓は相変わらず大きく跳ね上がり、この場から逃げ出したくなるほどの逃避感に襲われる…。


 否定したくても、その通りなので出来ない。

 なんて言葉を返したらいいのか分からない私に、朧さんは私を見下ろしながら更に悪戯心を加速させます。


「なぁ凛ちゃん…今ウチでドキドキしてる?」


 そんなわけない…と言い切ってしまえばいいのに、私の喉はつっかえたように否定の言葉が出なかった。

 顔を背けて、恥ずかしさから逃げるように…「そんなわけ」と呟きます。

 それはもう肯定しているようなものです、実際朧さんはそれを見逃す訳もなく、私の頬に手を添えて上機嫌に言葉を紡ぎます。


「いいやしてる♪凛ちゃん今すげー可愛い♡」

「可愛いって…そんな簡単に、言わないでください…」

「いやいや、凛ちゃんは可愛いぜ?だって結婚したいくらい可愛いからな♪」


 それからというもの、私は朧さんに嫌というほど悪戯されました。

 馬乗りになってひたすらに私に対して「可愛い」と囁き続ける…。

 言われたことのない言葉を何度も何度も囁かれて、執拗に身体を触れられる。


 耳に息を吹きかけたり、舐めたり。

 頭を撫でて、身体を密着させて、頬を撫でたり…可愛いと何度も囁かれて。

 もう、限界でした…氷と呼ばれた私があまりの熱で耐えきれないほどに、朧さんの小悪魔めいた悪戯は効果的でした。


 感覚としては『溶ける』感覚です。

 自分自身を今まで固めていた絶対零度の氷は、もはや意味を成さず…ただ羞恥の炎に炙られて水となっていました。

 柳生家の人間としての矜持も、今までの私の全てが…溶けていく。


 だから、今から言う言葉の全ては…全て本音なんです。


「朧さんは…女の子が、好きなんですか」

「ん?急にどしたの?」

「いえ、こんなにも悪戯されると…気になって」


 突然の質問に彼女をは首を傾げます。

 彼女は「う〜ん」と首を傾げて悩むと、首を横に振って否定しました。


「いんや、ウチは朧ちゃんが好きだからな、他の人は興味ないかも」

「……………ほんとうに、私のことが」

「その、私のことが…なんでこんなにも、好きなんですか?」

「え?そりゃ決まってるよ」


 きょとんとした表情を浮かべると、朧さんはさも当然のように言いました。


「もったいないから」

「?も、もったいない?」

「そう、もったいない!だってそうだろ?いっつも仕事仕事で楽しくなさそうだもん、だから凛ちゃんの笑う顔が見たい、いろんな顔が見たい…」

「ウチが出来ることなんてさ、凛ちゃんを退屈にさせないことしか出来ないんだよ」


 それが、理由。

 私を好きになった…理由。

 彼女は、私が…退屈そうに見えていた?


 …そう、だったんですね。


「朧さんは、ずっと私のことを見てたんですね」

「ん?当たり前だろ?ウチは凛ちゃんしか見てねーよ」

「…………」


 朧さんはそうさりげなく言う。

 その言葉が、どれだけ嬉しかったか本人は知ることはないでしょう。

 今まで分からなかった彼女の真意。

 それは悪戯ではなく、彼女なりの優しさ。


 …私の家は誰も私を見てはくれなかった。

 私に自由を与えず、家族は私を縛り付けた。


 そんな私を…朧さんは見てくれていて、その縛りを解こうとしている。


「………朧さん」


 顔を背けて、意識を言葉のみに集中する。

 恥ずかしさを精一杯押し込めながら、羞恥にも勝る忍耐力で…私は言います。


「私と…付き合いますか?」



ごめんなさい。

デート回書くはずでしたが、恋愛経験ないので何が正解か分からずにずっと書けないでいました。

なのでデートの行程全部飛ばしました、今読んでいるあなたが考えた方法でデートしたんだなと想像してくださいお願いします。

柳生さんの告白の真意に関しては次回書きます。


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