第36話 堅物おとーさん


 柴辻堅次が家に帰ると、そこに自分の居場所はなかった。

 じゅーじゅーと食欲のそそる音がリビングに響いているものの、食卓には大人数の女性がやいのやいのと騒いでいたのだ。


「うぅ…もーむり、食べきれない…」

「結稀さんもう食べられないんですか?なら私の膝を枕にして休憩してください!ほら!」


 娘の結稀は苦しそうに呻いていて、天城の娘がチャンスと言わんばかりに膝を叩いて結稀を膝に乗せようとしている。

 なにやってんだ…と堅次は困惑しながら、もう一組の方への視線を移す。


 高身長の男にも似た天城の側付きが、目付きの悪い娘と同年代の少女に何やら詰め寄られている様子。

 いや、誰だあの子と堅次は首を傾げると、肉を焼いては夢中に食べている結稀の母、由沙さんに声を掛けた。


「由沙さん、これは一体…?」


 トントンっとおそるおそる肩を叩くと、彼女の小さな肩が揺れて、幼さを感じる可愛らしい顔が堅次に向けられる…。

 その表情かおは赤く染まっていて、その手にはビールが握られていた。


「あ、堅次さんおかえりなさぁ〜い」

「は、はい!ただいま帰りました!」

「ふふっ、そんなにかしこまらなくてもいいのに〜」


 ね〜?と同意を掛けるように握っていたビールに声を掛けるものの、相手はビールなので返事は来ない。

 相当酔っているな…と理解する反面、堅次は滅多に見られない由沙さんの酔った姿に心臓がドキドキと跳ねていた。


(可愛いすぎるだろぉ………っ!)


 舌を強く噛んで、爪を立てて拳を握る。

 それくらい由沙さんの姿は扇情的で、仕方がなかったのだ。

 ぽかぽかと紅に染まった由沙さんとか、めちゃくちゃ可愛いに決まっているッ!


「ふふっ、娘の婚約祝いで沢山飲んじゃった」


 いえーい!と由沙さんはふにゃふにゃとした笑顔で酒をあおる。

 その時、由沙さんの言葉で堅次は忘れかけていた目的を思い出す。


 そうだ、由沙さんの酔った姿に見惚れている場合ではないのだと、堅次は首をぶんぶんと振って雑念を払う。

 そして、堅次は娘の元へと近付くと真剣な声付きで言った。


「話があるんだが」



「おい結稀、まず言うことがあるだろ?」

「…いやぁ」


 焼肉パーティも終わって、朧ちゃんも帰った後…私は静かに怒るお義父さんの前で正座をして萎縮していた。

 たらたらたらーりと嫌な汗が背中にじっとりと伝う。

 私の横には麗奈もいて、麗奈も真剣な表情でお義父さんを見つめている…。

 まるで怜夜さんの時みたいに、反対されるのを恐れているような感じだ。


 私が言葉に詰まっていると、お義父さんは「はぁーー…」と特大のため息を吐いて、ビシッと指をさす。


「どうして言わなかった、許嫁の事」


 けわしい表情でそう言われて、私はうっと苦しい顔をして唸った。

 きっと、正直に言ったらお義父さんはキレちゃうと思う…なんとか、話題を逸らして逃げないと!


「……そ、それよりなんで私達の関係を知ってるの…お義父さんにバレる理由がないんだけど……」

「質問を質問で返さないでほしいが、まあ答えてやるか」


 はあ…と溜息をもう一度吐くと、お義父さんはサラッと、とんでもないことを口にした。

 これには、麗奈も驚くものだった。


「怜夜に直接聞いたんだ、祝い酒と称して俺を呼びつけてからお前達の関係を知ったよ」

「れ、怜夜さんが…?」

「お父様と知り合いなんですか?」

 

 私達二人が問いを投げると、お義父さんは「まあな」と顔をくしゃりと歪めて首を縦に振る。


「アイツとは学生時代の時からの仲でな。まあ…大人になってからアイツと絡むことはなかったんだが」


 お前達がキッカケで、珍しく呼び出されたんだ…とお義父さんが言うと、私を見て言った。


「あと、お前のことを褒めてたぞ怜夜のやつ」

「へ…?私?」

「ああ、アイツは実力主義の人間だからな、お前の証明が余程アイツに効いたんだろ」

「お父様…」


 お義父さんの言葉に、麗奈が静かに呟く。

 今の事を聞く限り…あれだけ反対してたのは元々私のことをはかるためだったんだ…!

 だからあんな簡単に引き下がってくれたのかな?


「まあ、やる事がアイツらしいが…話題を元に戻してもう一度聞くぞ?なんで許嫁の話を俺や由沙さんに言わなかった」

「そ、それは…その」


 あははぁ…と苦笑を混ざらせながら、言葉に詰まる喉を、なんとかして吐き出させようとする。

 でも、いくら頑張ってもかすれた声しか出なくて…私は諦めて本当のことを口にした。


「わ、忘れてました…」

「は?忘れた?」


 きょとんともう一度聞き返してくるお義父さん…。

 いやほんと、ほんっとーに忘れてただけなんですよ!!


「だ、だって毎日毎日麗奈が可愛くて迫ってくるし、何よりあんな濃い毎日を送ってるんだから言う暇なんてないじゃん…!」

「結稀さん…また私のことかわいいって♡」


 今照れてる場合じゃないよう!?

 うおおいっ!とツッコむ私に、聞いていたお義父さんは青筋を立てながらピクピクと震えながら、お腹の底から震えるような声で言った。


「忘れたってお前、一番大事なことだろー!」

「ひえーーっ!?」


 熊のような大きな巨体が起き上がって、火山が爆発するみたいにお義父さんがキレる。

 どっひゃあー!と私は怒りに吹き飛ばされると、すぐさまお義父さんを見た。

 ふしゅふしゅと、お義父さんの頭から湯気が上がってる…相当のお怒りだ!


「大体お前分かってるのか?天城という超大手の企業グループの御令嬢に手を出すのがどれくらいヤバいか知らないだろ」

「う、うん…ぜんっぜん知らない…」

「ほらな!」


 知ってたよこんちくしょう!と言わんばかりの反応をしたあと、お義父さんは頭を抱えて麗奈を見つめると、頭を下げる勢いで麗奈に言った。


「すまないね…ウチの娘が今まで迷惑を掛けただろう?」

「い、いえ!そんなことありません!むしろ結稀さんにはいつも与えられてもらってばかりなので!」

「ん?私麗奈になにかあげてた?」


 ちらりと私の方を見て、思わず聞いてみると…。


「ふふっ♪それはもちろん愛ですよ結稀さん♡」

「は、恥ずかしいよ…」


 麗奈は私の指を絡めながら、そんな恥ずかしいことを言い出す…。

 もう、頬がくそ熱くなるじゃんかぁ…。


「…とりあえず話を続けていいか?」


 えへえへと私達が照れ合っていると、おほんと咳払いが私達の間をいた。

 視線を向けるとお義父さんが気まずそうにして、視線を合わせようともしない。


「まあ、お前達がその…愛し合っているのは理解した。だが結稀…最初にも言ったが何か言わなきゃいけないことがあるんじゃないのか?」


 そう言われて…ピクリと私の身体が揺れる。

 そうだよね…黙ってた私が悪いんだもん、言わなきゃいけないことがあるよね…。


 お義父さんの言ってることは正しいから、私はお義父さんを見つめて…頭を下げた。


「お父さんごめんなさい、ずっと大事なこと黙ってた」

「まあ、いいだろう」


 私の真剣さが伝わったのか、お父さんはそう言って頭を上げるように言う。

 頭を上げると、お父さんは怒っていた時よりも穏やかな表情で、小さく息を吐いて言った。


「それでまあ、婚約の件は俺も認めよう…あの怜夜も認めてるんだ、今更俺が反対するのもあれだろ」

「ただし!君達は学生の身!許嫁の関係だからとうつつを抜かしたりするなよ!」


 そして最後は堅物らしいことを言うと、お父さんは私をじっと見た。


「まあ、お前にも恩があるからな」

「へ?」


 けど、私にはお父さんの言った意味があまり分からなかったのだった。


◇おまけ◇


 初めての出会いは職場での廊下だった。

 緑の清掃服を着たその人の横を通り過ぎると、堅次は興味本位でその顔をチラリと見つめる。


「………ッ!!?」


 それが、後に結婚することになる由沙さんの一方的な初めての出会いだった。

 それはいわゆる一目惚れで…女性にうつつを抜かさないと決めていた堅次の心が揺れるほどに、由沙さんの容姿は堅次にとってドンピシャだったのだ。


 しかし、社長の身である自分にも面子メンツというものがある…。

 故に、堅次は由沙さんに声を上げることが出来ないでいたのだ。


 そんな堅次だったが、初恋を忘れられずにある行動に出ることに。

 それは気になる由沙さんの後を追うこと…ありていに言えばストーカー行為だった。


「いや、犯罪だろっ!?」


 これには思うこともあったのか、電信柱に身を潜めたまま堅次は自身の行動をツッコミ始める。

 しかし、ツッコんでおきながらも堅次の視線は由沙さんに夢中だった。


「ああ、綺麗な人だ…」


 彼女の後ろ姿に、堅次はにへっと頬が緩む…。

 我ながらなんて失態だと思いながらも、堅次は由沙さんの後ろをついていったのだが…ここで問題が発生したのだ。


「ねえ、どうしたんですか?」


 明るい女の子の声が、堅次の横から聞こえてきたのは。


「うおおっ!?」


 びくりと飛び跳ねながら、堅次は女の子を見つめる…目の前には、金髪の女子高生がきょとんとひた表情で立っていた。

 それが、由沙さんの娘であるとは知らずに…

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