第29話 許嫁の証明⑥


「これが君の実力か…」


 期末テストの結果が返ってきたその日、私達は怜夜さんの元へとやって来ていた。

 テストの束を手に持って、怜夜さんは顎に手を添えて考え込んでいる。


 全てのテストに目を通したあと、怜夜さんは私を鋭い目つきで見つめると、淡々とした口調で表情一つ変えずに口を開く。

 その一連の動作に、緊張が走る…。

 全身が強張こわばって、喉の奥が狭くなるのを感じて…この場から逃げ出したくなる感覚に襲われるけど、私はぐっと我慢する。


 地に、足をしっかりと踏み締める私は、怜夜さんの鋭い視線を浴びながら…言葉を待つ。


 すると…。


「柴辻君…想像以上だよ」

「へっ?」


 感嘆の含んだその一言に、思わずがくりと肩を落として素っ頓狂な声が溢れ返る。

 豆鉄砲をくらったはとみたいに、目をぱちくりとしながら怜夜さんを見た。


 素直に褒められるなんて…正直思ってもみなかった。

 きっとダメ出しを言われるんだと、内心覚悟してるつもりだったから…この衝撃はかなり大きい。


「どうしたんだい?あまり嬉しくなさそうじゃないか」

「はっ!いや、その!すごく嬉しいんですけど…あの!」


 呆然と立ち尽くしていた私に、怜夜さんの声が私の意識を取り戻させる。

 ハッと我に返った私はすぐに否定すると、腰を低くして上目遣いみたいな姿勢で怜夜さんを見た。


 初めて会った時、あれだけ反対されていたからこそ…この反応は信じられない。

 そんな想いを秘めながら、私は怜夜さんをまじまじと見つめていると…怜夜さんはこほんっ!と咳払せきばらいをした。


「言っただろう?柳生を通して君を判断すると」


 怜夜さんがそう言うと、隣に立っている柳生さんに視線をうつす。


「今日までの間、君のことは柳生から全部聞いているよ。生活態度や性格…言動などをね」


 …言葉にされると、なんだか凄く恥ずかしい。

 つまるところ私のしてきたこと全部が怜夜さんに筒抜つつぬけで、今更ながらに身体の奥に恥ずかしさがともる。

 変なこと…してないよね!?と必死に過去の醜態を振り返っていると、怜夜さんはフッと笑う。


「随分と娘と仲良くやっていたようだな、聞いている私も恥ずかしくなりそうだった」

「…へっ!?まさか、私と麗奈が一緒に居た時の事も言ってるんですか!?」


 口元に手を当てて笑う怜夜さん…その横ですんっと無表情を浮かべている柳生さんに、私は冷や汗をかきながら問う。

 けれど柳生さんは言葉を放つどころか、関心なさそうに無視をするだけで…言葉は届いていない。


 恥ずかしさでうなりそうになっていた私に、怜夜さんはテスト用紙を見ながらぶつぶつと何かを呟いている。


「娘との関係も良好、性格も良し…才能もあって実力を示せるほどの勇気もある…」

「フッ…随分と良い許嫁を見つけたものだな」


 なにかを呟いて、怜夜さんは顔を上げて私を見た。

 少しだけ口元がゆるくなっていて…怜夜さんはわずかに笑っていて、優しさを感じるあたたかい微笑みだ。


 そんな怜夜さんは告げる。


「試していてすまなかったね柴辻君」

「…………」


 息を呑む代わりに…唾液を呑み込む。

 緊張しっぱなしでガチガチにっていた糸が、ぷつんっと切れたような気がした。

 

 私は、ただその言葉を受け入れる。


「柴辻結稀、君は娘の許嫁に相応しい人間だ。私からはもう反対する意見はない…君を認めるよ」


 パチパチ…と手を叩いて祝福する怜夜さん。

 心なしか、隣に立っている柳生さんまでも祝福しているようにも見えた。


 ──怜夜さんに認められた。

 それはつまり、私達の関係は親公認での付き合いになったってことで…確かな現実味がびてくる。

 なのに私は、未だに本当のを知らない…。

 麗奈の事が友情の意味で好きなまま…。


 認められて嬉しいのに、私の心には暗雲が立ち込める…。

 このままでいいのかな?という不安をかかえて、私は怜夜さん達の祝福に「ありがとうございます」と答えた。



 あの後、怜夜さんは仕事が忙しいこともあってタクシーに乗って行ってしまった。

 重く苦しかった空気に開放された私は、ふう…と息を吐いて柳生さんと一緒に部屋を出る。

 すると、部屋の前には麗奈が待っていた。


「結稀さん!!」

「ちょっ、わわっ!?」


 声をはずませて、麗奈が犬みたいに飛び乗ってくる。

 白くて細い腕が私を抱きしめると、麗奈の顔が私の胸に容赦ようしゃなくダイブする!


 私は麗奈の突進に負けて、体勢を崩して尻餅を付くように倒れ込む。

 いててて…と頭をぶつけてないか確認していると、胸に顔をうずめていた麗奈が「ぷはっ!」と顔をあらわにした。


「ふふっ♪麗奈ってば喜びすぎ♡」


 その顔が、とってもおかしくて私は思わず吹き出す。


「だって、喜ばずにはいられないじゃないですか!」


 笑う私に対して、麗奈は恥ずかしがらずにテンションを高くして言う。


「私達の関係が、遂にお父様に認められたんです!もう嬉しくて嬉しくて仕方がありません!」

「うん、私も同じだよ麗奈…それよりさ」


 ぷふっ、クスクス…ふふふっ♪

 必死に我慢していたけど、やっぱり我慢が出来なくなって、私は吹き出してしまう。

 だめだ、麗奈ってばほんとおもしろい…!おもしろすぎるよ!ほんと!


「今の麗奈…ふふっ♪ほんと、犬みたいだね?」

「なあっ!?」


 わんっ!

 想像するのは、嬉しすぎて尻尾をぶんぶん振りまくる犬の姿。

 その表情はとにかく笑顔で、にへにへとこっちまで幸せに思えてくるくらい、幸福に染まった表情だ。


 それに、テンションの高さも相まって、今の麗奈の犬っぽさは…もう笑っちゃうくらい似ていた。


「あっははは!麗奈ってばほんと可愛いね!頭をでてもいいかなぁ?」

「い、犬って…!ひどいじゃないですか結稀さん!」

「だって似すぎる麗奈が悪いんだもん♪それにほら、こうして撫でているとすっごく嬉しそうな顔してるじゃん?」


 ほーれほれほれと頭を優しく撫でる。

 撫で慣れた麗奈の頭は、触り心地が良くて何度でも触っていたくなるくらい。

 それにほら、見てよ撫でられてる時の麗奈の顔。


 目を瞑って私の手だけに集中してる、この安心しきってる表情♡

 怒ってるくせに、私のなでなでに負けてる麗奈は見ててより一層好きになりそう♪


「ふふっ♡どう?きもちいい?」

「は、はい…」


 髪を優しく撫でて、頬をくすぐるようにすべらせてから…うりうり〜と両手を使って麗奈の頬を遊ぶ。

 すると、惚けきった麗奈の目が、ハッと開かれる。


「そうでした!!私、結稀さんにずっと渡さなければならないものがあったんです!」


 渡さなければならないもの?

 私の手を振り切って立ち上がる麗奈に、私は首を傾げて麗奈を追う。

 自室に入り込んだ麗奈を待っていると、すぐに扉が開かれて…大きななにかをかかえた麗奈が現れる。


「お父様のこともあって、渡す機会がなくなってから…ずっと機会をうかがっていましたが、ようやく渡せますね」


 少し悲しそうにつつみに入ったそれを見ると、麗奈は苦笑を浮かべながら私に視線を移す。


「本当は7日に渡したかったんですが…その、受け取ってくれますか?」

「7日?その日ってなにか……あっ」


 7日と言われて、私は声を漏らす。

 怜夜さんの事もあって、思い出す暇もなく過ぎてしまった…私の誕生日。

 どうして麗奈が私の誕生日を知っているのか分からないけど…。


「結稀さんの誕生日…私としてはパーティーを開きたいと考えていましたが、色々と考えた末にプレゼントを贈ることにしたんです…」


 恥ずかしがりながら、麗奈から包みを受け取る。

 ふわっとした感覚を覚えて、私は麗奈をじっと見た。


「指輪のお返しも含めて、結稀さんが喜んでくれるものを選びました!喜んで頂けると嬉しいです」

「…そっか、そっかあ♪」


 そんなの喜ぶに決まってるじゃん…。

 まだ開けてはないけど、私の心は満たされたみたいにあったかかった。

 

 やばい、どうしよう…頬が溶けそうなくらいゆるみそう。

 えへへ♡と笑みをこぼしながら、私は包みを開ける…。


 覗き込むようにプレゼントを見て…私は「わあっ!」と子供みたいに声を漏らした。


「めっちゃかわいい…!」


 袋に入っていたのは、なんとも可愛らしいテディベアだった。

 くるくるとしたまんまんおめめに、ふわっふわの毛触り…!


 見るからに高級そうなテディベアを抱きかかえて、嬉しい気持ちを抑えきれずに麗奈を見つめる。

 麗奈は私の嬉しがる顔を見て、満面の笑みを浮かべていた。


「その、可愛らしいものがお好きだと思ったのですが…とても喜んでるようで良かったです!」

「うんっ!うん!これすっごく嬉しいよ!!しかも超可愛い!やばいやばいやばーい!というかこれどこで買ったの?」


 わああ!っとテディベアを抱き寄せたままくるくると回って喜んでいると、麗奈は続けて言った。


「そちらのテディベア、ドイツで売ってる最高級のものなんです」

「…………最、高級?」


 ピシリ…と動きが止まる。

 石像みたいに完全停止した私は、震える瞳のまま…まじまじとテディベアを覗き込んだ。

 いやまあ、確かに全体的に高級感あるけど…さ、最高級!?


 可愛さよりも、値段が気になって素直に可愛がれなくなっちゃう…!

 これ、昔の私なら触るだけでも許されないレベルのものだよねぇ!?


 あわわわわわわっ!!っと驚いているうちに、麗奈は私の肩に寄りうように抱き付く…。

 ぎゅっと腕を回して離れないようにすると、麗奈は上目遣いで私を見た。


「結稀さん…今日までお疲れさまでした」


 優しい声色と瞳で、麗奈は言う。


「私、ずっと我慢してたんですよ?この期間中…私は結稀さんと会えない状況が続いていたので」


 ぎゅうっと更に密着して…麗奈は背伸びをして私の耳に唇を近付ける。

 ぽしょぽしょと…私の意識をくすぐるような扇状せんじょう的な声で囁く。


「約束のキス…しましょう?」

「あ、それはっ…!」


 それは、テストの時に交わした約束。

 怜夜さんに認められたらキスをしようと、ゆびきりげんまんで交わした私達の秘め事。


 怜夜さんに認められた衝撃で、すっかり忘れてたけど麗奈のおかげで私は思い出す。


「ふふっ♡そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか結稀さん」

「だって私達、もうお父様に認められた関係なのですから…キスくらい全然大丈夫ですよ?」


 頬に手を添えて…麗奈はそう言う。

 目を細めて、キスをねだる姿は…とてもえっちだと思った。


「それにほら、ここは学校とは違って私達しかいないので、たくさんキスが出来ます♡」


 だから。

 と、続けて…麗奈は言う。


「寂しかった私に…キスをください、結稀」


 唇を指でなぞって…煽るように麗奈は言った。

 その表情が、あまりにも淫靡で…私はごくりと生唾を呑み込んで…その頬に手を添えた。


「……わ、わかった。ほんとに、するから」


 ほんとに、私からキスをするからね?と麗奈に確認する。

 すると麗奈はこくりと頷いて、そっと目を閉じた。


 完全にキスを待ってるその顔に…私は心が鷲掴まれたような気分になる。

 まだ、本当のを知らないのに、こんなにも高鳴るのはなんでだろう?


 ドキドキドキと胸がうるさくて…唇に熱が灯る。


 ──私だって、寂しかったんだよ?

 麗奈と会えない時間が多くて、なのに麗奈は相変わらず私のことが大好きで…!

 勉強中ずっと麗奈のことを考えてたせいで、麗奈の顔しか思い浮かばなくて大変だったんだよ?


 私だって…麗奈と。


 同じだったんだから…!

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